前編
国王が流行り病にかかったとき、誰もそれを治すことができなかった。だが、ギルバート・メフィスト王子の婚約者であるキャロル・シュタイン伯爵令嬢が、それを治した。わずか十二歳にして。その後、一年間、彼女は国中をまわり、流行り病を治療した。みんなが彼女をほめたたえた。そして、いつもの勉強に明け暮れる日々が戻ると、ダンスのレッスンで彼女と顔を会せる。ギルバートはなぜか胸が痛んだ。彼女とダンスを踊るだけで、息苦しさを覚えた。今までは、そんなことはなかったのに。なぜか、彼女が疎ましく思えた。特に、ダンスを終えて帰るときの寂しげな顔が。
それから、ギルバートは王立メフィスト学園に入学し、忙しい毎日を送る。キャロルと会わない一年はあっという間に過ぎた。そして、彼女が入学してきてからも、顔を会せる気にはなれなかった。そんなとき、出会ったのがキャロルと同じ一年生のユーリ・ハンタス男爵令嬢だった。淡いピンクの髪を揺らし、天真爛漫に振る舞う彼女。仕事ばかりしていては疲れるからと庭に連れ出したお茶やお菓子を振る舞ってくれた。なれなれしく腕を絡めてくる彼女に最初こそ、品がないと思っていたギルバートも、なんとなくそんなふるまいを許すようになっていた。気がつけば、いつも彼女とキャロルを比べていた。
もっとキャロルが笑ってくれたら、もっとキャロルが甘えてくれたら。けれど、それもどこかで否定する自分がいた。所詮、親同士が決めた婚約者だと。気がつけば、ギルバートはユーリの取り巻きの一人となっていた。そして、ときどき聞かされるキャロルのユーリに対する態度。ユーリをひどい言葉で罵ったり、足を引っかけたり、ドレスを汚されたと言う。言われたときはまさかと思った。一応、調べたが目撃者はおらず、半信半疑のまま、キャロルに会わない日々が続いた。
そんなある日のことだった。キャロルは図書館から本を借りて教室に向かう途中だった。階段の踊り場で淡いピンクの髪の少女とすれ違った。道を譲るように一歩右にそれると、なぜか少女は悲鳴を上げて後ろへ倒れた。キャロルは反射的に彼女の腕をつかんだが、そのまま階段から転げ落ちてしまい、頭を強打して意識を失った。気が付いた時には学院の医務室にいた。
「ギルバート様……」
久しぶりに見る紺碧の瞳が少し潤んでいるように見える。
「どこか、痛むところはないか?」
「いいえ、大丈夫です。それより、一緒に落ちた子は無事ですか」
「ああ、軽い打撲だったからな。簡単な治癒魔法ですんだ」
「それはよかった」
キャロルはほっとしる。だが、ギルバートは苦し気な顔をする。
「お前の方は重症だったんだぞ」
「でも、この通り元気ですわ」
「先生方が必死で治癒魔法を展開したおかげだ」
「……大変なご迷惑をかけてしまったようですね」
キャロルは叱られた子犬のようにしょんぼりとした顔になる。
「ギルバート様にもご心配をおかけして申し訳ありません」
「そんなことはかまわん。とにかくしばらく大人しくしていろ」
「はあ、ですが……」
「命令だ。治療師の許可が下りるまでじっとしていろ」
「はい」
ギルバートはそう言い残して医務室を出た。
「目は覚めたかい?」
「ああ、思ったより元気そうだ」
「違うよ。お前のほうだよ」
そういうのは魔法教官として勤務している従兄のクロス・ローディア大公だった。
ギルバートは痛いところを突かれたように苦し気な表情をした。
(なんで失敗したの。あそこはあたしが階段から落ちて、犯人はキャロルになるはずだったのに)
ユーリ・ハンタス男爵令嬢は奥歯をかみしめて眉間にしわを寄せる。
「大丈夫かい、まだどこかいたむのかい」
心配そうに見つめるハニーブラウンの瞳。財務大臣の息子のハリス・シンガー。
「もう一度、治療師に見てもらったほうがよくないか」
そういう提案したのは、騎士団長の息子グレン・ノートン
「簡易治療で終わらせたんだから、もう一度ちゃんと見てもらったほうがいいよ」
金髪をかきあげて、ため息をついたのは宰相の息子ダリス・エドガル
ユーリは首を振って優しく微笑む。
「私は大丈夫。それよりキャロル様がなぜあんなことをされたのかわからないわ」
「君を突き飛ばしておいて、一緒に落ちて怪我をしたことかい?」
ダリスが尋ねるとユーリはあいまいに頷く
「王子の気を引くためだろう」
「君に嫉妬したんだよ」
グレンとハリスがそういう。
そこで、ダリスはいう。
「同じようなことが起きないとも限らないから、僕はしばらく婚約者の機嫌をとることにするよ。ごめんね。グレンとハリスはユーリがいじめられないように気を付けてあげてくれるかい?」
「当然だね」
「わかった」
ユーリは心細いとダリスにしがみつく。
「ほんの一時だけだよ」
ダリスはユーリの淡いピンクの髪を撫でた。
内心、ユーリは焦っていた。
(なんで、攻略した対象と離れちゃうのよ。シナリオがどこかで狂ってるの?そんなはずないわ。だって、私がヒロインなのよ。ここは『ピンクのバラの君』の世界のはずよ!もしかして、あたし以外にも転生者がいるの?そのせいで予定にないことが起こったの?誰よ!あたしの邪魔してるのは!)
それから、学院内に不穏な噂が流れていた。キャロルがユーリを害そうとして失敗したと。
「ありえないわ」
「キャロル様は優しい方だもの」
キャロルのクラスメートたちは憤慨していた。
「そうだよな。俺たちの勉強だってみてくれてたもんな」
「うん、教え方も丁寧だったしね。忙しい人なのに」
どうしてそんな噂が流れているのかと誰もが疑問だった。
「もう、キャロルったら、どうして怒らないの!」
友人のアメリア・デュラン公爵令嬢に、叱られたキャロルは困ったような顔で答えた。
「噂ですもの。騒いだって仕方ありませんわ」
「それはそうでしょうけど……」
「ご心配おかけして申し訳ありません。アメリア様」
「もう、心配くらいさせてちょうだい。私たち友達なんだから」
キャロルはふわりとうれしそうに笑った。
それから、毎日のようにギルバートがお昼に誘いに来た。そのせいか、噂はすぐに立ち消えた。
「体調はどうだ」
「ご覧のとおり、元気ですわ」
「授業の方はどうだ」
「問題なく」
「嫌がらせは?」
「そんなことなさる人はいませんわ」
キャロルは苦笑する。
「そんなに心配されなくても、私は大丈夫ですのに」
「心配くらいさせろ。俺はお前の婚約者だぞ」
キャロルは、少し悲し気に微笑む。
(婚約者だから、心配してくれているのね。なら、いつかまたユーリ様のもとに戻ってしまうのだわ)
不意にギルバートの手がキャロルの銀色の髪を梳く。
「やはり、元気がないな」
キャロルは頬を染めてあわてて言いかえす。
「そ、そんなことありませんわ。ギルバート様の方こそ、なんだか疲れていらっしゃるようですよ。きちんとお休みになられていらっしゃいますの?」
ギルバートはふっとため息を吐く。
「今までサボっていた分のつけがまわっただけだ。心配ない」
「お一人で片づけていらゃっしゃるの?でしたら、私も手伝いますわ」
「いや、ダリスが手伝ってくれているから。大丈夫だ。ありがとう。キャロル」
「そうですか。何か手伝えることがあればおっしゃってくださいね」
「そうだな。なら、放課後お茶を入れにきてくれると嬉しい」
キャロルはぱっと花が咲くように笑って承諾した。
(こうやって話しているとキャロルは何も変わっていない。キャロルの魔力の強さに嫉妬するなんて。俺は情けないな)
「どうやら、仲直りしたみたいですわね」
アメリアは人目に付きにくい端っこの席で、ダリスと食事をしながらキャロルたちを見守っていた。
「ああ、そのようだね。僕たちも仲直りしないかい?」
「あら、何か仲たがいするようなことがありましたかしら」
アメリアはくすりと笑う
「しいて言うなら、ユーリ嬢のこととか」
「あら、ダリスはあんな頭の悪い子が好みでしたの?」
まさかとダリスは苦笑いした。
「どうせあなたのことですもの。王子に悪い虫が寄り付くのを監視でもしていたんでしょ?」
「さすがはアメリア。話が早くて助かるよ」
「それにしても、王子はどこまで本気でしたの?またユーリにおぼれたりはしませんの?」
「本気というより、現実逃避できる場所が欲しかっただけだよ。多少甘言におぼれそうにはなってたけどね。今回の事故でそれもなくなった。だいぶ、反省しているよ」
「それはそうでしょうね。本当に大切な者を失いかけたんですもの。あれでユーリの味方をしようものなら王子の将来は最悪でしたでしょうに。まあ、それはそれで見ものかもしれませんでしたけど」
アメリアの辛辣な言葉に、ダリスは苦笑した。
しばらくは何事もない日々が続いた。
(どうしてよ。どうして、ギルバートもダリスも戻ってこないのよ)
ユーリは一人、イライラしていた。
(そうだわ、あたしには強い魔力が宿ってる。それを使わない手はないわよね。でも、直接対決なんてしたら、あたしの評判が落ちちゃうわ。どうしたら、キャロルを悪人に仕立て上げれるかしら)
「どうしたの、うかないかおだね。ユーリ」
「ハリス様、わたしキャロル様が怖いの。私確かにキャロル様に突き落とされたのに、誰も信じてくれなくて。次は何をされるのかと思うと体が震えてしまいます」
「大丈夫、君にはもう手出しさせないよ」
そう言ってハリスはユーリをぎゅっと抱きしめた。ユーリもすがるように抱きしめ返した。そして、そっと口づけを交わす。
(ああ、そうか……)
偶然、その現場を見たグレンは己が失恋したことを知った。
(ならば、潔く身を引こう)
グレンはその日から、ユーリに近づかなくなった。
「もう、我慢ならないわ」
ユーリは図書館で一人つぶやく。そして、呪いに関する本を片っ端から読んでいった。誰にも悟られずに人を殺す方法を探していた。しかし、どの本にも具体的な魔法の使用法は書かれておらず、注意喚起ばかりだった。それは、呪いの魔法が禁術であるため、方法を記した書物は王宮にしかなかった。
腹いせに魔法訓練の日に、クラスメイトたちの魔法を妨害した。完全な八つ当たりだが、誰にもばれはしなかった。これなら、キャロルの魔法の妨害ができるかもしれないと気が付き、合同練習の日を待つことにした。そして、合同練習の日。その日は炎の魔法を使うため、万が一のときのために治療師も付き添っていた。
「今日は飛び回る的を炎で撃ち落とす訓練をします。各クラス一列に並んで総合点を競います。一人の持ち時間は五分です。みなさん、頑張って的を撃ち落としてください。では、はじめます」
(ふふふ、始まったわ。みんな必死ね。先生たちも魔法使用者から目を離さないし、これなら妨害は十分にできるわ)
ユーリは自分の番になると、適当に飛び交うまとを五個ほど落として終了した。キャロルの番が来ると魔法返しの結界をこっそりと飛び回る的に展開した。そして、キャロルが誰よりも早く複数の火球をねりあげて放つ。だが、的にあたった瞬間、火球ははじき返された。とっさにキャロルは土魔法で壁を作り、火球を防いだ。
クロス教官が駆け寄る。
「大丈夫か」
「はい……」
「どうした?」
「わかりません、なぜか火球がはじかれて……」
「すぐに調査官を呼べ!」
クロスが叫ぶと控えの教官が転移して調査官を連れてきた。訓練は中止となり、生徒はクラスへ戻された。
調査官は魔法返しの結界張られた痕跡があると答えた。
「誰の魔力か検知はできそうか」
「いえ、ですが魔力返しの結界は上級の魔法です。この学院でそれも一年生でそれが使えるのはキャロル様とユーリ様、あとは防御魔法だけに秀でた何名かだけです。キャロル様の魔力とは色が違いますから、おそらくそのうちの誰かでしょう」
「確定はできないということだな」
「さよう」
「わかった。事故として報告を頼む」
「了解しました」
それから、またキャロルに対する悪意の噂が流れた。コントロールできない火球をいくつも作って生徒を危険にさらしたと。
だが、今回の噂はすぐにかき消えた。一年生は特に信じなかった。炎はすべてキャロル自身に跳ね返ったのだ。誰も怪我もしていなければ、危険にもさらされていない。
放課後、約束通り生徒会室でお茶を入れるキャロルを心配そうにギルバートは見つめる。
「どこにも怪我はしていないんだな」
「はい、とっさでしたけど土魔法で防げたので」
キャロルは何でもないことのようにさらりと言う。普通なら魔法がはじき返された時点でパニックになるものなのだが、彼女はいたって冷静に対処していた。そういうところに、自分は嫉妬していたのだと再確認してギルバートは、深く反省した。
「たしか防御魔法に魔法返しの結界ってのがあるんだよね」
ダリスは紅茶をすすりながら、そう言った。
「ああ、あれは厄介な魔法だな」
「まさか、今回その魔法が使われたって思ってるんですか?お二人とも」
「その可能性が高いと思おう」
「でも、あの魔法は使ったほうにもダメージがあると聞いていますが?」
「そうだね。一日くらいかな。動けなくなるらしいよ。あと稀に吐き気や頭痛ですむこともあるそうだね」
「お詳しいのですね。ダリス様」
キャロルが感心したようにダリスを見ているが、ダリスはギルバートの冷ややかな視線に苦笑する。
(僕にやきもちを焼くくらいには正気にもどったってことかな)
そのころ、ユーリは吐き気と頭痛に襲われていた。医務室に行ったが、治癒魔法が効かないと驚かれた。そして、とりあえずベッドで横になっている。
「治癒魔法が効かないなんて……」
ハリスは青い顔をしてユーリの手を握っていた。
「病の場合は、治癒魔法が効かないこともあるからね。頭痛と吐き気止めは処方したよ」
「でも先生。ユーリはこんなに苦しんでるのに。何とかならないんですか?」
「うーん。キャロル嬢なら治せるかもしれないな」
「なぜ、その名前が出るんですか!彼女は、ユーリを害した女ですよ」
「助けたの間違いだろう。それに、彼女は過去に流行り病をしずめたことがあるからね」
どうするよびだそうかと治療師は言うが、ユーリもハンスも首を横にふった。そして、ユーリはハリスに支えられながら、医務室を後にした。
「寮へ戻って休めばきっと大丈夫ですわ」
「本当に?僕は君が心配でたまらないよ」
「ありがとう、ハリス。あなただけが私の味方だわ」
「ああ、そうだよ。僕が君を守る」
(何で、こんなに頭痛や吐き気がおさまらないのよ。治癒魔法も効かないなんて……)
ユーリはその日一晩頭痛と吐き気に悩まされた。あくる日は、体がだるく学院を欠席する。
その間に、ユーリは必死で考えた。
(確か、王子とキャロルが婚約した理由は、キャロルの強い魔力のせいだったのよね。だったら、キャロルがいなくなれば、魔力の高いあたしにだってチャンスができるはず。問題はどうやって、キャロルを消すかだわ)
このとき、ユーリは知らなかった。ハリスが密かに動いていることを。