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泡沫に消えて、

作者: S,M

夏。


私は夏が嫌いだ。

脳髄を溶かすかのような、湿気を多く含む東京の熱気が、私は一番嫌いだ。


今日も学校で、隣の席のまだ馴れないどうでもいい男子に弱音を吐く。


「死にそう....」

「そのままで大丈夫。」

「酷い....」


体を動かす気力もない私を、うちわで扇いで1人暑さを和らげている男子に脇腹をペンで突かれた。

「がはっ」

これは正直痛い。


右に視界を回すと、自慢気な顔でペンを回す男子。

胸の底から負に似た感情が湧いてくる。悔しい。

うちわを奪い、仰ぎながら汗っかきの先生が板書する黒板をノートに移す。

暑さでやられてしまったのか、何度も確認したその範囲も全然頭に入らない。

メガネをかけ直し、負を混ぜた声を上げた。

これで少しは悔しい感情も和らぐであろうと信じてうちわを力任せに扇ぐ。


そんな、まだ青い一年生。


〜・〜・〜・〜・



食欲の秋ともスポーツの秋ともいうこの秋は、実はなんでもできるんじゃないか?と幼い頃は小さいながらに頭を回していた。

食べれるし、体を動かせるし、絵を描けるし、意欲も出るし。


やっと心地いいぐらいの肌寒い風が吹くこの季節。

隣に見知ったどうでもいい男子を一瞥しながら、赤に染まった帰宅路を歩く。

なんでこいつと学校から家に向かう方向が同じなのだろうか。


「もうそろそろ冬だな。」

「雪積もるかなあ」


適当に、彼奴が機嫌を損ねないような言葉を吐く。

その問いにこの答えは、在り来たりではあるがパーフェクトだろう。機嫌を損ねず一番安全で、当たり感触のない言葉だ。

ちなみに、去年は2月頃になってやっと積もった。


「今年は難しいだろうな」

「....そっか。」


空色のメガネをくいっと上げて、バックを背負い直し、木の向こうのお洒落な店を覗く。

【大切なあの人と....】と、カップルや片思い人が釣れそうな文句を掲げたポスターをみて、歯軋りをする。

むかつく。


「お前はさ、好きなやつとかいるの?」


反射的に彼を足を止めて吟味に見る。


緑にチェック柄をしたマフラーを鼻まで上げて、私とは違う赤いメガネをかけたその彼は、真顔で前を見ていて、私を一瞥しようともしていなかった。

きっと、巫山戯でも真面目にでも聞いていない。ただのその場凌ぎであろうか。


確かに、無言で帰宅路を横に並んで歩くのは、とてもやり過ごし難いだろう。

きっと、やり過ごし難い。

私は少し駆けて横に並び、前をみて一番面白みがあるであろう言葉を投げた。


「ふふ、教えないよ。」


少し笑いを含んで、これで終わり。

これでいるのかいないのかが想像できる。

面白いだろう?


彼は私をみて、歩みを止める。

私も、一応止まる。

自分よりも高い彼を見上げる。


「なに?」

「....いや」


大きい手を私の頭に被せる。

確か彼は....剣道をしていたと聞いた。

強かったのに、高校に入った途端やめてしまったと聞いた。

なぜ自分からその秀才から、逃げるような真似をしたのか、私には理解しがたい。

私だったら、途中でやめたくなっても、嫌でも続けるのに。


「頭に紅葉が乗ってる」


そう言って紅葉を取る彼は、取った紅葉を片手に歩き出した。

そういえば、彼は道端に置かれた、飲み干された缶をゴミ箱に入れないと気が済まないほどに清潔症だったな。


「なんだ、そんなことか」と吐き捨てて私は隣を歩く。

お願いだ神様。あなたがいるのなら、どうかこの言葉を聞いてくれ。

ずっと、静かで幸せに過ごしたい。


そんな、寂れた3年生。


〜・〜・〜・


「お前は高校卒業しても何も変わってないよな」

身長も、外見も。

他の同級生は大人なのに、お前だけは外見が中学生のままなんだ。

おかしいよな?


なんて


ずっと知ってたよ。

昔から。ずっと。

私はまた情のない笑顔を貼り付けた。


「なんでだろうね」


なんて


「嘘ばっか」


なんて

どうでもよかったあなたは泣きながら私の手を握りしめるんだ。

「教えてくれよ」と、

「一人じゃないんだ」と、

君とは10年しかいないのに、それすらも愛おしく感じてしまう。

私は胸が熱せられて、苦し紛れにごめんねと呟いた。


それを見た彼は、驚いて涙を拭う。

彼と住むこの家は、とても暖かくて居心地がわるい。

私が早くこの家から出れば、私は傷つかずにすむのだろうか。

早くここから離れて、彼を忘れれば解決するのだろうか。


答えは否、だ。


私は彼に情が湧いた。その情はとてもネバネバしていて、ネットリしてとても熱いもので、私がその熱さを感じるのは場違いだと思う。

私はここにいてはいけない。

でも、彼と離れたくはない。


だからこの寒い冬、私は彼が亡くなるまでずっと寄り添うと決めた。

すっかり大人になった彼を見上げて、心からの笑顔を向ける。



もしもお伽話の人魚が私だったなら、彼女はどうしただろうか。

彼に別れを告げず泡沫となり消えるのか。

そのまま黙って幸せに生きるか。

それとも真実を伝えて泡沫となり消えるのか。

考え出したら止まらない。

が、私が人魚だったなら、黙って幸せに生きるだろう。

でも、彼は鈍くはない。

高校時代は学年上位にいた程だ。

きっと中年に入る前に、察してしまうだろう。

その時私は改めて考えるとしよう。


〜・〜・〜・


花見の日。

私は彼とまた喧嘩をした。

「どうして教えてくれないのか」と、大声で。

まるでギターの弦並みに張っていた勘忍袋の尾が、とうとう呆気なく切れたかのようにプツンと。

逆に、ずっと一緒にいて、なぜ黙っていたのかぐらい察してほしい。

女の心はいつもデリケートなのだ。


空色のメガネのブリッジを上げて空を見上げる。

そういえば、初恋はいつも春だったかなと遠い昔を思い出す。

いつの時代も、出会うのはいつも似た人だったなと。常人からしたらふざけた思考をぐるぐる回す。


たとえその土地にビルが建ってあってもなくても、人間は人間なんだとずっと見守ってきた。

川に落ちたら、私はずっと水の中で苦しめるのだろうか。

時をぐるぐる回って、同じ時を生きることができないといつも泣いてしまう。

この感情がなくなればいいのにと、いつも情を沸かせまいと過ごした。


なのにいつも彼に似た彼に捕まる。


殺してくれよ。なんて

死なせてくれよ。なんて


過ぎた時を後悔して今の私を殺した。もう嫌なんだと。


私は立ち上がり、ビルの屋上の、手摺の向こうに立つ。

やっとこんなに高い建物が建ったんだ。

私が溺死以外で、唯一死ねると思う手段。

逃げたかった。こんな現実から。

靴を脱いで、セーラー服を靡かせる。

後ろから皺だらけの手が私を救う。


嗄れた声で「逝かないで」なんて言って。


それはまるで高校時代から何も変わらない。

いつの時代も、キミはずるい。

喉の奥が焼けるような感覚とともに、土砂降りの雨が降る。

さっきまでは晴れていたのに。これは驟雨だろうか。それとも夕立だろうか。

どっちでもいいけど。


子一人、孫一人いないで、ただただ飽きずに私の横で笑っていた彼は、もうすっかり老人になっていた。

なのに私は中学生のまま。

50年前も、100年前も1000年前も。

ずっと私は知ってたんだ。


私が死ねないなんて。


彼は絶対生まれ変わる。

私を一人にしまいと、幼い頃から私を探す。

私はそれが嫌だった。

まるで私は彼の枷のようで。


神様、もしあなたがいるのなら、私の願いを聞いてください。

なんて戯言を吐いて、雨に体温を奪われたあなたの手を握りしめて、泣き叫ぶ。


ああ、またあなたは死んでしまったのね。

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