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転生王子の元上司


本編には入りきらなかったハーシェリクの前世、早川涼子についての短編です。

全力で主人公アゲアゲな話です。(笑

本編を読まなくても大丈夫……だと思います。

現代の話なので、ハーシェリクや筆頭達は出てきませんのでご注意ください。




「社長、少々席を外します。」


 そう言って携帯を片手に秘書に片手を上げて見送った男は、火葬場の一角に設けられた喫煙所で一人煙草をふかす。


 彼はとある上場企業の社長を務める男で、今日は社員の葬式に出席していた。


(まさか、彼女がこんなに早く逝くとは……)


 その別れはあまりにも早く、遺族の悲しみは深い。御経の響く葬儀では涙が堪えきれず、だが大声で泣くことも出来ない親族達の振るえる背中は、赤の他人である男でも辛く見えた。


 彼女の死因は交通事故での頭部強打によるくも膜下出血。医者によれば即死だったということだ。


 男は今日の主役となってしまった社員の事を思い出す。



 その社員の名は早川涼子といい、本社の事務職をしていた女性だった。


 彼女はその男がまだ人事の部長だった時に採用した新入社員の一人で、とりわけ成績がいいわけでも容姿がよかったわけでもないが、なぜか存在感のある社員だったと記憶している。


 そんな彼女が本社に配属されたのは、総務部の事務員が急な退職となった為の人員補給だった。元々新人は支店へ配属されるのが常であったのに、その事務員は三月の下旬に急な退職願を提出したのだ。理由と尋ねれば婚約者が海外出張に行くため、結婚しついていことにしたということだった。目出度い事だが手放しでお祝いできるわけない。もちろんすぐに人員を確保することが出来ず、仕方なく今年入社の彼女に白羽の矢がたった。


(あの時は、彼女には悪い事をしたな……)


 男はその時のことを思い出し苦笑いする。


 初出勤で出社してきた彼女が遭遇したのは、悪い意味で緊張感のあるピリピリとした雰囲気の職場と、結婚で頭にお花が咲いて教え方がお世辞にもうまいと言えない先輩と、山のような引き継ぎ業務。引き継ぎは短期間で十分とはいえず、残された彼女は毎日に必死にこなしていたことを彼は知っていた。


 もしかしたらすぐにやめてしまうかもしれない、と懸念するほど彼女の業務は新人には膨大な量だった。否、新人でなくても、逃げ出したくなるような量だった。しかし彼女は、多くの失敗を重ねながらも乗り越えた。一年を乗り切れば、会社にいなくてはならない欠かせない人材となっていた。


 それだけなら、社長自ら葬儀に出ることはない。単なる一社員だったら電報と花を送って終わっていただろう。だが男にとって彼女はとても印象深い、そして心の底から惜しいと思える人物だった。


 彼女が入社して四年目に、男が人事部から総務部へ異動となった時だった。


 その頃には総務部も大分落ち着き、むしろまだ四年目だというのにお局のような立ち位置を確立し始めた彼女が、部の雰囲気を明るいものとしていた為、とても居心地がよかったことを覚えている。彼女に聞けば部内の業務どころか、他部署の業務でも支店業務でも明確な答えが返ってきた。


 そのことについて褒めれば「仕事ですから。」と人当たりのよい微笑みを浮かべつつも、当然のようにかえってきた。さらに同じ職場で仕事をしてみると、仕事も経験を積んだ為素早く的確で、滅多な事で失敗は無い。むしろ先を予測して動く彼女は、例え失敗したとしても業務に支障をきたすことは全くといっていいほどなかった。彼女を採用してよかったと心から男は思った。


 それに彼女は何かと周辺に気を配ることも忘れていなかった。先輩の仕事をさりげなく手伝い、後輩の面倒見もよく、資料作成を依頼すれば頼んだ以上のものを準備する。


 またその人柄か各支店員から支店長、エリア長と様々な人間に頼られている。それを嫌な顔せず受け答えし、身を粉にして働く彼女の印象はよかった。


 だが彼女の優秀さは仕事だけではない、と男は振り返る。



 ある時、通りがかった給湯室で女性社員達の話し声が聞こえた。業務時間内だがさほど目くじらたてるほどでもない、と思い通り過ぎようとしたが、どうやら物々しい雰囲気だった為足を止めて聞き耳を立てると、どうやら一人の新人女性社員が、先輩社員達に囲まれているようだった。会話を盗み聞いていればその新人は総務部に入った少々天然ぎみの美人な子で、どうやらそれで男性社員にちやほやされるのが気に食わない先輩社員達に、新人は掴まってしまったようだった。


 とても子供じみたことに男はため息を禁じ得ない。だがそのまま放置することも出来ず、だからと言って下手に口出ししては悪化させてしまうと考えあぐねいていると、彼女は現れた。


「部長、いかがなさいました?」

「早川君……」


 振り返れば書類を抱えた彼女が首を傾げながら近づいてくる。そして来ると途中で給湯室の会話が聞こえたのだろう、苦笑を漏らした。


「書類を持ったままいなくなったと思ったら、そういうことでしたか。」


 男はもしかしたら彼女は止めてくれるかもと期待する。だがそれはすぐ否定した。

 彼女は四年目だといっても給湯室の社員達はそれよりも先輩だ。普通の人間なら火の粉をかぶりたくないだろうと男は思った。仕方なしに男が動き出そうとした瞬間、彼女はお男の予想と反し給湯室へと入っていく。


「探しましたよ、山田さん。」


 さも当然のように彼女が新人の名字を読んだことが男の耳に届く。


「新人なのに油を売っていてはいけませんよ。……それとも他に問題ありました?」


 柔らかい口調で言う。だが柔らかい口調なのに、周りの気温が数度下がったようなきがしたのはなぜだったのか。


「みなさんもいつまでも油を売っている暇があったら、仕事に戻っては?各部の部長方々がお探しでしたよ。」


 彼女の言葉にざわめくが、どうやら立ち去る気配はない。

 その様子に彼女の深いため息が聞こえた。


「子供っぽいことをしている暇があったら、仕事したらどうです?」


 神経を逆なでするような彼女の物言い。いつも温和な雰囲気の彼女からは考えられない言葉だった。そこであえて彼女がそう言い、敵意を自分に向けたのだと男は気が付く。男の予想通り、先輩社員の標的が新人から彼女に向いたのがわかった。前々から生意気だと思っていたなど難癖付けられているが、それを遮るように彼女は再度ため息を漏らす。


「いい加減にしてくれませんか?」


 氷のように冷たく怜悧な口調だった。先輩たちの攻撃、ならぬ口撃がぴたりとやむ。


「彼女は私の後輩です。もし彼女に落ち度があるというなら、まずは私を通して下さい。それが正当なことなら、私が責任もって彼女に指導します。」


 だけど、と彼女はつけ加える。


「また子供じみたことだったら、私も相応のことをお返しします。」


 そしてそのままぼそぼそと聞き取れない声で呟いたかと思うと、慌てふためく足音が聞えた為、男は慌てて姿を隠す。社員達が行った事を確認し再度戻ると、新入社員がすすり泣く声が聞こえた。


「早川さん、巻き込んでしまってごめんなさい……」

「山田さんが気にすることじゃないよ。何かあったらすぐに私にいいなさい。」

「だけど……」

「だけどじゃない。新人は先輩を頼るものよ。そして私をうまく掌で転がすようになんなきゃだめよ!」


 新人の泣き笑いのような声が聞こえ、男は安堵する。「落ち着いたらもどってきて」と言って彼女が給湯室を後にし、心配そうな男、つまりは自分の上司に頭を下げた。


「部長、申し訳ありません、少々彼女に時間をあげて下さい。」

「それはいいが……大丈夫かね?」


 やはり自分が出ていくべきだったのでは、と男は思う。後輩を助ける為とはいえ、挑発することなった彼女が、次の標的になるのではと懸念した。だが彼女は朗らかに笑う。


「大丈夫です。それに仕事よりも他の事に励む彼女達には、私も少々思うことがありましたので。」


 なにも問題ないと彼女はいい、その言葉通りその後何も問題は起きなかった。


 そういえば職務を引き継ぐ時、前任者に言われたことを思い出す。


「早川さんを本気で怒らせてはいけない。後、彼女が怒った時は、絶対相手に落ち度がある。」


 そう真顔で言われたが、彼女はいつも朗らかで怒ったことは一度もなかった為、すっかり失念していた。つまり彼女が怒る時は、相手がそれ相応のことをしでかした時ということだ。


 彼女だけは怒らせないようにしようと男は誓った。


「まあ彼女が怒る時は、決まって他人の為だったな。」


 紫煙を吐きながら男は苦笑いを浮かべる。他人の為に例え目上の人間だったとしても、怖気づくことなく彼女は理路整然と言葉を紡ぐ。彼女が見かけによらず、芯の強い人物だと男は思った


 そういえば、と男は思い出す。


 ある時、彼女は課長と支店長候補の男性社員と共に支店視察へ出かけたこともあった。彼女は事務関係の監査の補佐としてついていったのだが、現地で課長がまさかの盲腸で入院、代理で支店長候補の男性社員が支店視察を行き、つつがなく支店視察を終えた……と思われたが、その後現場の支店長曰く、「あの支店長候補はだめだ。早川さんのほうが支店長になったほうがいい。」という本気とも冗談ともとれる報告を受けた。


 曰くその支店長候補の男性社員は、要領の得ない指示したりオロオロしたりするばかりで支店員の混乱を招くだけだった。しかし彼女はそんな男性社員の補佐をしつつ、支店員へのカバーや支店の問題や改善点を指摘、さらには支店の要望までまとめていた。もちろん自分の仕事の事務の関係の監査も完璧にこなしている。


「早川さんはまだ若いですが、経験さえ積めば優秀な管理職になれると思いますよ。」


 この会社で支店長以上の管理職に女性の登用は狭き門。だがないことはない。現に女性の中でも上に行こうとするものはいるのだ。


 それに本人は意識していないが、彼女は男女年齢問わず人望も厚い。元々面倒見もいい為、後輩に慕われるし、真面目な性格は年配からの受けもいい。異性からも実は好意をよせられてはいたが、いかんせん本人にその意思がない為、討死する者が多かった。否、今考えれば意識的に恋愛対象をつくらなかったのかもしれない。


 能力も高く、機転もきき、人望も有り、気配りもできて人当たりもよく、さらに己を持っている。


「早川さん、支店長とか課長とかになってみる気ない?」


 そう忘年会の席で彼女に酒を注ぎながら言ってみたことがあった。彼女は一度目を見開いたが、酔っている為冗談だととりケラケラと笑う。


「部長、私は管理職に向いていませんよ。それに今の職場が丁度いいんです。」


 そうためらいなくいった。普通なら期待されて張り切る場面を、彼女は首を横に振った。


(それが彼女の欠点だったな。)


 短くなった煙草を消し、新しい煙草を取り出して加えて火をつけ、肺いっぱいに住み込み吐き出しながら、男は苦笑を浮かべる。


 彼女は人望もあり、性格もよく、能力もあり、向上心もある。だが全くと言っていいほど『野心』がない。自分に与えられた範囲の中で、最善を尽くす。逆に言えば誰かを蹴落としてまで、上に行こうとする意志はない。


 それは会社の社風のせいもあったと男は考える。


 もし彼女が男だったら、きっと会社でも瞬く間に出世したであろう。与えられた中で最善を尽くし、結果を出す。そしてさらなる高みへ進むだろうと簡単に想像が出来た。だが女性だから、その機会は本人が望まぬかぎり、この会社では起らなかった。


 男が社長に就任した時、有能な彼女を秘書へとも考えた。しかし彼女は首を縦には降らなかったのだろうと安易に想像できた。彼女は現状に満足してしまっていたし、彼女が部署からいなくなることは多大なる損失だった。


 ふと視線を動かせば火葬が終わったのだろう、控室から親族達が出てくるのが見えた。その中には、平日だというのに休みをとってまで葬式に参列した社員達もいる。もちろんあの時に助けてられていた山田という女性社員も。通夜にも直属の上司だけでなく、エリア長も参列したと聞いた。社長である男もスケジュールを無理やりなんとかして参列した。


(もし彼女が男だったら……)


 煙草の火を消し立ち上がりながら男は考える。


 もし彼女が男だったら、迷いなく己の片腕にしていただろう、と男は思う。彼女はそれほど期待してしまうほど、有能で優秀で、人を惹きつける人間だった。


 だがそれも男の妄想でしかない。現に彼女は女性で、そして不幸な事故でこの世を去ってしまったのだから。


 明日から、彼女がいなくなった穴を埋めるのに、人事部は苦労するだろう。それほど彼女は会社にとって、必要不可欠な存在だった。


「……本当に、残念だ。」


 そう彼女の元上司は、彼女に最期の別れを言う為に、喫煙所を後にした。





ハーシェリクの前世の元上司が、早川涼子の葬儀での話でした。


本文ではとても主人公の評価がバカ高いですが、実際は涼子は残念なオタク干物女です。

仕事が早いのも残業して(オタクな)趣味の時間が減るのが嫌だからです。

しかも効率をとことん突き詰めるオタク女子です。仕事が効率的に出来ると内心ガッツポーズします。

出世したくないのも趣味が出来なくなるのが嫌だからです。

面倒見がいいのも下に妹達がいる長女だからです。

異性への興味は「二次元に限る」という人間だからです。

とっても残念ですね、だがソレガイイ。


さてそんな残念オタク干物女が、転生して「男」となり、その上「立場」を手に入れました。元上司がもしも、と考えた状態に(強制的に)なったのです。


そんな彼女(彼?)がどういう物語を紡いでいくかは、本編を楽しんで頂ければと思います。


2015/06/01 楠 のびる

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