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桜鬼  作者:
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 足音が近づいてくる。

 御神木に魅入られたように立ち尽くしていた遥が振り返ると、章二が追いついてきていた。

 司が無言で問う。章二は首を振った。

「誰だ?」

「幸太の親父だ」

 遥にその会話の意味は全く分からない。司と章二にもそれは分かっていた。が、あとで分かるだろう、と今はその話を言葉少なに進める。

「川端に狂い咲きがあった。幸太の親父が気がついて、みんな近づかなかったが、親父は近づいちまってたんだよな」

 司はうなだれるよう日を見下ろし、桜の木を睨み据えた。章二は唇を白くなるほど噛みしめる。

「それで?」

「だめだった。妙がやられた」

 司ははっと顔を上げ、信じられないと言うように首を振る。しかし、歪んだ章二の顔が何より雄弁に、それが真実であると告げた。


 重い沈黙がどれほどの時間おおっていただろう。司はようやく、思い口を開いた。

「遥達が来たのは十年前の鬼月だった。だから村に大人達がいなかったんだ。人の精気を吸わず、猛烈な飢餓に耐えるために大人達はばらばらに、ここよりさらに山奥に潜む。僕も、今度の鬼月には村を出る」

 睨むような、縋るような目で御神木を見ながら司はそう言う。章二は何も言わずに顔を背けた。

 司はしっかりとした足取りで御神木の前に立ち、何かにつき動かされるようにその後について一歩後ろに立った遥は言葉を見つけかねていた。信じられる話ではない、と理性は言う。しかし、どこかにそれを信じている自分がいる。いや、それを知っている自分がいる。

「悠」

 はっと遥は顔を上げた。

 司の声に応じるように、御神木の反対側から少年が姿を見せた。確かに悠の面影がある。が、どこかおぼつかない。

「遥?」

 驚いたようにそう呟いた悠は、司に目をやり、そして納得したように頷いた。司が話すには辛すぎるだろう。悠が代わって口を開いた。

「十年前、僕は里に下りる途中で山から下りてきてしまっていた桜鬼に捕まったんだ。すごい力で引きずり込まれた。僕たちを送ってくれていた少年はそれを追いかけ、遥は結局一人で取り残された。遥はなんとか山を降り、僕は…」

 悠の言葉を聞きながら遥は思い出していた。確かに自分も桜鬼を見た。村の少年は振り返るな、と叫び、背中を強く押した。怖くなった自分は、悠がいなくなったのにも気付かずに少年に押し出された方に真っ直ぐ走ったのだ。嫌な匂いがした。さっき、嗅いだのと同じ匂いが……。

「人の精気を吸うには手順があるんだ。まず、自分の血を相手に飲ませてからでなければ拒絶反応を起こし、吸われた方は当然だけど、吸った方も塵となって消えてしまう。あの時の桜鬼と少年のように」

 遥ははっとして司と章二を見る。さっきの会話。では、あの妙が…と、こみ上げるものを遥はぐっとこらえた。知らず、手が口をおおう。

 悠はそんな遥の様子を痛ましそうな目で見つめ、司が代わって口を開いた。

「そしてそれは掟では子を身ごもった女にしか許されていない。相手はその父親に限られる」

「そんな…!」

 淡々とそう言う司を遥は混乱した頭で見つめた。だが、その哀しさも辛さも、当の司達が一番分かっている。いや、彼らは当事者なのだ、と遥は悟り、それ以上それに触れることはできなかった。

 代わりに、その目を悠に戻す。

「悠は…どうなったの?何で帰ってこないの?」

「遥、鬼にならずにすむ方法が一つだけあるんだ」

 思い詰めた目の遥に悠は言う。あまりに哀しすぎるその方法を。

「最初の鬼月が来る前に、真実心許せる者の精気を吸うこと。さすればその者、人として生きられる」

 遥はきつく口を引き結んだ。大事な人を代償としなければ人になれぬ哀しい鬼。そういう事なのだ、と遥は知る。だから、きっと鬼になる道を選び、そして次第に村の人は減り、長い時間をかけて消えていくのだろう。

 しかし、冷めた部分で、それは悠と何の関係がある、と思う自分がいた。何となく、察しはつけながら遥は悠と司、そして章二の顔を見比べる。

 悠はにこっと、遥の見慣れた顔で笑った。

「遥、あの後僕は気がつくと司の家に寝ていた。最初はショックで何があったのか忘れていたけど、そのうち山で何があったのか、全て思い出したよ。そして、村の人達が僕に今、遥が聞いたことを話してくれた」

 うん、と遥は頷き、先を促す。

「村人は御神木に祈って鬼になった。そして、僕はだったら、と、御神木と取引をしたんだ。僕は、大好きな友達がいずれ鬼になるのに怯えながら生きるのが、単純に嫌だったんだ」

 子供の感情だ。深い理由なんてないのだ。悠は消えてしまいそうな顔で笑う。

「村人は御神木の声が聞ける。だから、司に言ってもらったんだ。僕が御神木と一緒にいるから村の人を普通の人にしてくれって。でも、僕一人じゃ無理だった」

 不意に遥は思い出す。桜の下には人の死体が埋まっているのだと。その血を吸って桜は美しい桜色に染まる。

 人の精気を吸った桜はさぞ美しかろう。

 悠がすまなそうに言った最後の言葉を否定するように司と章二は同時に首を振り、司が言う。

「でも、そのおかげで僕たちはこの年まで鬼にならずにすんだ。本当ならもう何年も前になっている」

 司は悠に向けていた目を遥に移し、そして御神木を見上げた。

「悠は十年前からこの御神木の精なんだ」

「だから帰らない。お母さんたちに悪いとは思うけど、でも僕はもう、ここを選んだんだ」

 遥はじっと、御神木を見つめた。

 何をどう思っているのだろう、と自分に問いかける。不思議だった。自分はもう、悠がそれを選んだ時のように、単純に、刹那的な感情で生きるほど子供ではないはずなのに。なぜだろう。これも、村の不思議な力の作用なのだろうか。

 随分長く、遥は黙り込んでいた。やがてその目を村の方に向ける。黄昏時の村は暗く沈んで見える。全てを聞いたせいか。あの夢のような村はそこにはない。あの少年は塵になり、妙も塵になってしまった。哀しみに沈んだ村だ。

 遥は悠に顔を向け、消えてしまいそうな笑顔を向けた。









      *      *      *








 山奥のさらに奥、人の立ち入らぬ、地図にも載らぬ桜咲く村の御神木には今、二人の童姿の精がいる。

 その村にはもう、哀しい鬼はいない。桜鬼は長い呪縛を解かれ、稚児と戯れる少年と少女の精が今はいるのみ。 

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