表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/7

五話

「喜兵衛も要蔵もイヨも死んだ」

 コウは妙に大人びた表情を浮かべ、淡々と告げた。

「林田の家も終わりだ」

 また一歩、コウは前へ踏み出した。

「お前が殺したのか?」

 タギの低い声にもコウは表情一つ崩さない。

「そうだ」

「辻堂は?」

「さぁ? 気になるなら見てくればいい」

 興味がないとでも言いたげに言い捨て、コウは嘉江のすぐ目の前まで行き、顔を近づけた。幼い頃はコウのほうがほんの少し高かった背も、今や嘉江のほうがほんの少し高くなってしまっている。

「俺を、覚えている?」

 ごく至近距離でそう尋ねたコウの声は、本性を見たと思った鬼とは思えないほどに弱々しいものだった。

 嘉江は茫然と言葉を零した。

「まさか、本当に兄様……?」

「助けてと言ったら、助けるって約束しただろう?」

 風が強く吹き、二人の間を雪が舞った。

「カエはもう自由だ」

 嘉江は目を見開いて茫然としていたが、やがてその場に崩れ落ちるようにしゃがみ込んでしまった。

「カエ!」

 コウが手を伸ばすが、嘉江は拒む様に両手で顔を覆った。

「私の、私のせいで、兄様が人を殺してしまったの……?」

「カエのせいじゃない。俺が望んで」

「でも私が助けてなんて言ったから! だから昔は村の人たちに殴られて、今度は人殺しまでさせてしまった! 私が、私がいたから……っ」

 嘉江は錯乱したように髪を振り乱し、かぶりを振った。

「カエ……」

 手を伸ばしたまま、コウは酷く悲しげに顔を歪めた。

「ごめん。お前にそんな顔をさせたくてここにいるんじゃないのに。ごめん、カエ。ごめん」

 尚も嘉江はかぶりを振る。

「違う、違うの! 兄様が約束を覚えていてくれたことは嬉しい、私を忘れずにいてくれたことも、本当に嬉しい。だけど……」

嘉江は顔を覆っていた手を下ろし、改めてコウを見上げた。返り血に染まったその姿を。

「私なんかのために、兄様に血を浴びてほしくはなかった」

 その切れ長の目から、涙が零れ落ちる。

「優しい兄様に、そんなことをさせてしまった」

 はらはらと涙は薄く積もった雪に落ちていく。

「なのに、嬉しいと思ってしまっている私がいる。兄様にそこまでしてもらえる自分が幸せだと思ってしまっている、どうしようもない私がいる!」

 そう叫んだかと思うと、嘉江の声は嗚咽に飲まれた

 コウはそっと跪いて嘉江を抱きしめた。

「何で、こんな風になってしまうんだろう」

 雪が世界を白く染め上げていく。

「何で、俺はお前をこんなに泣かせているんだろう」

 全て全て、白に支配される。

「やっぱり鬼じゃ、お前を幸せにすることなんてできないのか……」

このまま消えてしまえばいい。白に飲みこまれて、二人で雪に溶けてしまえればいい。

「そんなこと、ない……私は兄様に出会えて、とても幸せ」

 嘉江が顔を上げると、結われていた長い白髪が解け、風に舞った。

「こんな私はきっと近い将来、地獄に堕ちる。それでも私は兄様と過ごせたことが何より幸せ。兄様に想ってもらえてとても幸せ」

 嘉江はタギを見て、深く頭を下げた。

「どうか、見逃して下さいませ。裁くのでしたら兄様ではなくどうぞ私を」

「……奥方はともかく、そっちの鬼は既に三人殺している。鬼でなくとも放置はできない」

 タギは音を立てて錫杖をコウに向けた。

 コウは嘉江の肩を抱くようにして黙ってタギを睨んでいたが、やがて小さく口を開いた。

「カエの寿命は、どれくらい残っているんだ?」

「……兄様?」

「カエの最期の瞬間まで、側にいたい。それが叶えば俺の命はお前が絶て。逃げたりしないと誓う。だから頼む。もう少し時間をくれ」

 地に手をついてコウも嘉江に並んで深く頭を下げた。

 頭を下げればいいという話ではない。コウがしたことは決して許されない罪だ。

 たとえどんな理由があろうとも。

 例外を認めれば秩序は綻び、やがてそこから崩壊しかねない。故に権限を与えられた者は、情に流されることなく何よりも秩序を重んじなければならない。

 そう教えられたのはいつのことだったか。それが性に合わないと気付いたのは、一体いつだったか。

 タギは錫杖を握る手に力を込めた。

「……奥方の寿命は、解毒効果のある薬を投与しても半年、何もしなければひと月もつかもたないかだ」

「私は薬などいりません。いりませんのでどうか残る時間を兄様と過ごさせて下さい……! お願い致します!」

「カエを看取ったならばこの首は必ず差し出す。だから頼む!」

 二人は揃って地に額をこすりつけて頭を下げた。

「――先に一つ答えてくれるか?」

 タギは静かに言った。

「お前は生粋の鬼について知っているか?」

「生粋の鬼……?」

 コウが訝しげに顔を上げた。

「ああ。人間が鬼になった奴でなく、最初から鬼の奴。知らないか?」

「いや……そんな話は聞いたことがない」

 困惑したように答えるコウに、タギは息を吐いた。

「そう、だよな。前に会った鬼女の姫さんもそう言ってたしな」

 ひとりごちて、タギはコウと嘉江に背を向けた。

「早くどっか行けよ。俺がぼーっとしている間に」

「……え」

 タギは背を向けたまま言った。

「俺が薄らぼんやりしている間に奥方は鬼に攫われた。だから、早く行け」

 コウと嘉江は唖然とした表情を浮かべていたが、すぐにコウは嘉江の手を取り立ち上がった。

「……恩に着る」

「恩返しを期待してるよ。鬼の恩返しなんて聞いたことないけどな」

 タギは軽い調子で言ったが、コウは真剣そのものの声で言った。

「俺の首は必ずお前にくれてやる。どこへ行けばいい?」

「どこって言われてもなー……ああ、俺の名前は四境山多儀」

「シキョウザン、タギ……」

 耳に馴染まない名前にコウと嘉江はどこか困惑したようだったが、タギは気にせず続けた。

「その名前を出せば、地方府程度の機関なら話が通る。四境山多儀に鬼殺しを頼みたいとでも言えよ。そうすれば多分会える」

「……わかった」

 背後でコウと嘉江が立ち上がる気配がした。

「約束破ってみろよ? 三つの世を全部回ってでも必ず取っ捕まえにいくからなー」

「三つの世?」

 何のことだと言いたげなコウの気配が伝わってきたが、タギは相変わらず背を向けたまま手をひらひらと振っただけだ。

「俺の地元の民間信仰。気にしなくていいから早く消えろって。わざと逃がしたなんて知れたら俺の首が飛ぶ」

「そう、だな。礼を言う。タギ」

「本当に……有難うございます」

「あーそういうのはいいよ。美人の未亡人に会えたから奥方は全部チャラ。鬼のほうは次に俺の前に現れる時は土産に酒でも持ってこい」

 面倒くさそうにタギは頭をかいた。だが決して振り向くことはない。

「……このご恩、決して忘れません」

「いいっすよ、忘れても。俺は美人には優しいんで」

「ふざけた男だな。これで僧侶とは到底思えない」

 コウの呆れ交じりの声に、タギは楽しげに言った。

「俺は生臭破戒似非坊主(なまぐさはかいえせぼうず)らしいんで」

「何だ、それは。本当にお前、僧侶なのか?」

「一応は。もういいから早く行けって。いつまで俺はぼんやりしてなきゃいけないんだよ」

「……そうだな。行こう、カエ」

「はい。兄様」

 背後で強く風が吹いた。ふと顔を上げれば、雪は今にも止みそうだった。

 タギは空を眺めながらその場に立ち尽くしていた。

 遠くで寺院の鐘が鳴るのを聞き、タギは背後に振り返った。

 そこには薄ら積もった雪上に二つの足跡が残るばかりで、それ以外は何もない。

「……さすがに冷えたな」

 ずっと雪の降る中、外にいたのだから当然だが。

 さてこれからどうするか。

 少し考え、まずは暖を取ることにした。 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ