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一話

 薄く雪の積もった道を荷馬車に便乗して往き、村の入り口で案内役と合流して目的地に辿り着いたのは太陽が真上に昇ってからだった。

 墨染(すみぞめ)僧衣(そうい)錫杖(しゃくじょう)を手に持ち、編み笠を被った僧侶は「林田(はやしだ)」と表札の掲げられた屋敷を見上げて感嘆の声を上げた。

「……でっかい家だなー」

 笠の下から覗く顔はまだ若い。まだ二十を幾らか越えたばかりだろう。だがそれより目を引くのは、笠から覗く黒髪だ。この辺りではまだ僧侶は剃髪(ていはつ)することが当然と考えられているからか、それともこの大きな屋敷の前に立っているからなのか道往く人々の視線は無遠慮なまでに彼に向けられる。

「林田家はこの村の名主を務め、過去には地方官(ちほうかん)も輩出した家だからデカイんだよ。ここに来る前に話しといただろうが」

 そう不機嫌に答えたのはこの辺りではまず見かけない、洋装の青年だった。こちらも僧侶と同じ年頃だがその身なりから貴族か官吏(かんり)か、身分ある人間であると推測される。

「一応この地方で一番大きな家って言われてるんですよ。先代のお若い頃などは行政にも多大な影響力を持っておられたと聞いています」

 そして僧侶と洋装の青年の後ろでにこやかに告げた少年はさらに若い。どう見てもまだ十三、四歳だ。 粗末な着物の端々からは痩せ細った手足が覗くが、決して裕福ではないこの辺りでは珍しいことではない。だがその表情や態度は明るく、粗末な身なりなどやがて誰も気にも留めなくなるほどだ。

 少年は二人の前に回り込み、やはり笑顔で年季の入った門を開けた。

「どうぞお入りください。林田家当主がお二人をお待ちかねでございます」

 屋敷内は古く、廊下を歩くと今にも抜けそうな音がした。確かに外観は立派なだが老朽化が酷い。二人を先導する林田家の奉公人だという少年がこっそり話したところによると、昨今では林田家の権勢は斜陽の一方なのだという。と言うのも前当主は放蕩に放蕩を重ね、そのくせ先々代までのような才覚には恵まれなかったらしい。そうして林田家の財政はすっかり傾き、近隣の村人達からの信用までも失い、今やこの大層な屋敷に奉公にあがっているのも少年と若い女中の二人だけだというからその傾き具合は相当なものなのだろう。

「本当はこういうこと言っちゃダメなんですけどね。俺、一応この家の奉公人だし」

 そうは言いながらも少年は笑っている。おしゃべりで愛想がよい質なのだろう。 

 彼は最近になって林田家に奉公に上がったらしいが、当主も前当主もとにかく人間的に尊敬できない上、人数不足の激務。いずれ別の奉公先を探し出ていくと話した。

「ま、俺みたいなの雇わなきゃままならないって時点で、この家も落ちるとこまで落ちたってことですかねぇ」

 少年は嘆息交じりに言い、長い廊下の突き当たりの襖を前に立ち止まった。

「さ、こちらです。旦那様。お客様をお連れ致しました」

 襖の向こうに声をかけて、少年は廊下に膝をつき、両手で襖を開けて二人を座敷内へと促した。

「ああ、よくいらして下さいました!」

 日の差す広い座敷へ一歩入るなり、やけに明るい声に歓迎される。洋装ではないが、身なりのよい三十がらみの男だ。(まげ)は結っていないが村ですれ違った人々とは比べ物にならない仕立ての良い着物に羽織を纏っていて、この男が例の「人間的に尊敬できない当主」なのだとすぐわかった。

「ささ、どうぞお座りください」

 勧められるがままに腰を下ろすと男は深々と頭を下げた。そして隅に控えていた女中らしき若い女とその隣に座したで愛想のよい少年もそれに倣った。

「ようこそお越し下さいました。私が林田家当主の要蔵(ようぞう)でございます。この度は遠方までの御足労、痛み入ります」

 深く下げ過ぎて逆に卑屈な感のある要蔵に対し洋装の男は軽く頭を下げ、淡々と答えた。

内務省(ないむしょう)地方監査官(ちほうかんさかん)辻堂(つじどう)と申します。そしてこちらが」

 辻堂は目線だけを隣に座る僧侶を向けた。

多儀(たぎ)。『鬼殺し』です」

 タギはにっと目を細め、言葉を打ち切った。

 短い挨拶に要蔵は顔を上げて少しばかり困惑の表情を浮かべたが、すぐまた低頭した。

「御多忙な官吏の方にわざわざこのような辺境の地までいらしていただき恐縮です」

「いえ。大帝陛下と国家と人民に仕えることが我々官吏の務めなので。それよりもお話を伺いたい。こちらの前当主が鬼に殺害されたという話ですが」

「はい。もう一月ほど前のことではありますが……」

 要蔵はようやっと顔を上げ、ゆっくりと話し始めた。


 それは年の暮の近づく頃の朝だったという。

 この屋敷に仕える女中が林田家の前当主・林田喜兵衛(きへえ)朝餉(あさげ)の支度が整ったと知らせに行った際、屋敷の奥の喜兵衛の寝所の外から声をかけた。だが返事はなく、中を確かめてみても布団の上にその姿はない。(かわや)にでも立ったのかと思い、女中は先に喜兵衛の妻である嘉江(かえ)の元へ朝餉を運ぶことにした。そして朝餉を手に庭に面した廊下を通りかかった際、ふいに庭に目をやると喜兵衛が仰向けに倒れていたという。女中の悲鳴によって要蔵や少年が駆け付けたが、喜兵衛は既に絶命していた。その手足や首を異常な方向にひしゃげて。

 明らかに異常な事態にすぐに駐在所に通報し、隣村から警官が駆け付けたがそれ以上どうなるともなかった。

 ただ、喜兵衛は何者かによって殺害されたのだとただそれだけが確かであると言われたのみだった。


「警察の話では、父の体はあり得ぬほどの強力で捻りつぶされたことは確かだろうと……」

 そこまで言って要蔵は目を伏せ、口を噤んだ。

 座敷内が重い空気に包まれる中、タギの軽い口調だけが軽い。

「ああ、それで鬼の仕業じゃないかって?」

 真剣みの感じられないタギの調子に辻堂がたしなめるように睨みつけるが、彼は気にも留めず先を続けた。

 要蔵は口元を押さえ小さく頷いた。その顔色は悪く、これ以上深く聞ける雰囲気ではない。どうしたものかとタギが何とはなしに奉公人達の方を見た時、あの愛想のよい少年と目が合った。

 彼は主の様子を見て、これ以上は無理だと判断したのか代わりに口を開いた。

「この辺りには昔、鬼が住んだそうなのですよ」

「へぇ」

 鬼が昔住んでいた……よくある話だ。

 よくある、噂話の域を出ないただの与太話のひとつか。タギは冷めた心地で思ったが、少年は続けた。

「奥方様がお輿入(こしい)れなさった村の辺りでしたかね、随分昔に飢饉(ききん)があって。その際に口減らしに捨てられた子供が飢餓(きが)の苦しみと周囲への憎悪から鬼に変じ、時折村人を襲うようになったとか」

「その鬼に実際に襲われたっていう人間なんかは?」

「いますよ……えーと、五十年くらい前までは山に入ると鬼に襲われるとか言われたって俺も聞いたことがあります」

「じゃあその五十年間は、その鬼は何もしてないってことか」

「まぁそうなっちゃいますね」

 何でもないように少年は答えた。

 この少年、タギと通じるところがある、と辻堂は胸の内でひそかにため息を吐いた。

 そんな辻堂の胸中など知る由もなく、二人は会話を続けた。

「でも昨今は何もなくとも、現実にかつて被害はあったそうなので、年配の方は今も鬼を恐れていますね。五十年前なら当時のことを覚えている人も少なくないですから」

「確かにその通りです」

 要蔵は相変わらず口元を押さえながらだが相槌を打った。

「そのせいか母も、父のことがあって以来どうにも何かに怯えるかのようでして」

「母っていうと、喜兵衛さんの奥さんの? そういえばこの場にはいらしてないけれど、お加減でも?」

「はい。もともと病がちで奥の間からは滅多に出てこぬ人なのですが、父のことがあってからはあまり食事も取らず……」

「奥方にお会いすることは可能ですか?」

 辻堂の言葉に、要蔵は女中に目をやった。

「イヨ。母上の様子を見てきてくれ」

「あ、はい。かしこまりました」

 イヨと呼ばれた女中は落ち着きなく座敷を出て行った。

 そして彼女が戻ってくるまでの間、辻堂とタギは帝都や国政についてなど質問をしてきたり、見ている方が呆れるほどあからさまに辻堂に媚をへつらったりとしていた。

 なるほど。確かに出来た人物ではないらしい。イヨという女中のほうはともかく、少年の身なりなどは寒さを凌げるのかというほど薄く粗末な着物だし、何より丈の合わない着物から除く手足や首などは枝のように細い。きちんとした食事を与えられているのかも疑わしいものだ。

 辻堂は適当に受け答えをしていたが、やがて答えることすら億劫になってきたらしく次第にタギや少年にも話を振って来るようになってきた。

 そんな会話の中で実のあるものと言ったら、愛想のよい少年の名前はコウというのだということくらいのものだったから、恐ろしく無駄な時間だった。特に辻堂はそう思ったらしく、次第に言葉の端々に棘が増えていったというのに要蔵は全く気付かずに尚も媚を売ってきたからある意味かなりの大人物だ。

 やがて辻堂が表情までうんざりとさせた頃になって、ようやくイヨが戻ってきた。

「あの、奥方様がお二方にお会いになられると……」

「そうか。それはよかった。ではすぐに母上をここへお連れして」

「いえそれが……」

 イヨは言い淀んだ後、要蔵の機嫌を伺うように彼を見上げた。

「床から起き上がるのはお辛いので、お二方をお部屋へお連れしてほしいと……」

「何?」

イヨの言葉に要蔵は腰を上げ、語気を荒げた。

「何を言っている? 官吏の方々をわざわざあんな薄汚い離れなどにお連れしろというのか!?」

「で、ですが奥方様が母屋までお越しになるのは辛いと仰って……」

「そんなことは知るか! 無理矢理にでも連れてこい!」

 目を血走らせ、まるで別人のように要蔵は怒鳴り立てる。

 イヨは身を竦ませ、怒声を受け続けていた。

「あー別に俺らが行くからいいよ?」

 割って入ったタギの声に、要蔵は慌てて頭を下げた。

 大した変わり身の早さだ、とタギと辻堂は目を見合わせた。

「いえ、このような辺鄙(へんぴ)な村までお越しいただいた上に、わざわざ離れまで足を運んでいただくわけには……」

「別にいいって。な? 辻堂」

「構わない。それで離れとやらはどちらに?」

 辻堂は冷ややかな視線を要蔵に向けた。

「あの、ですが……」

「それとも俺らが御母上に会いに行くと、不都合でも?」

 猫のような笑顔でタギは要蔵を見た。その笑みの下に鋭い牙をちらつかせて。

「……っいえその、そのようなわけでは」

「じゃーいいじゃん。さ、行こう」

「そうだな」

 タギと辻堂はそれぞれ立ち上がり、イヨとコウを見た。

「とりあえずどっちか、奥方サマのところに案内してくれない?」

「じゃあ俺が行きます」

 名乗りを上げたのはコウだった。

「よろしいでしょうか? 旦那様」

 要蔵は不満を顔に滲ませながらも頷いた。

「……くれぐれもお二人に無礼のないように留意しろ」

「はい」

 コウはにこりと笑い、こちらですと言って座敷を出た。そしてコウを先頭にして一度屋敷を出た。空気が冷たく吐く息は白い。空はいつの間にか灰色がかっており、今にも雪が降り出しそうだった。

「奥方様は離れを自室としておられまして、一度外へ出て庭を通らなくてはいけないんです。面倒だとは思いますがどうか御容赦下さい」

 コウは申し訳なさそうに頭を下げた。

「いや、一応仕事だからお気遣いなく」

「別に謝罪される事ではない」

 軽い調子のタギと冷たい物言いの辻堂を前にコウは軽く笑い、改めて「こちらです」と言って庭へと向かった。

 外に出てみれば庭は広く、一部に木の棒と綱で丸く囲ってある場所がある。

 コウは何も言わないが、おそらくそこが喜兵衛の死んでいたという場所なのだろう。ただ囲まれただけの場所は、言われなければ何があったのかなど想像もつかない。

 庭には赤や白、薄紅(うすべに)色の寒椿(かんつばき)が咲き誇り、センリョウやマンリョウが小さな赤い実をつけ、威厳溢れる姿の松の大木が植わっている。その外れには石で丸く囲われた花壇のようなものがあり、花が咲いている物は少ないが、この北の地方では見かけない珍しい植物が育てられているようだった。

 コウが言うには要蔵は珍しいものが好きで、小さな花壇で育てられている植物も異国産の物や、この辺りではなかなか手に入らない希少な物ばかりなのだという。

 そんな庭を通り過ぎ瓦葺(かわらぶき)屋根の、離れと言うよりまるで土蔵のような建物の前に辿り着いた。 

 小さな窓、頑丈な造りの扉。まるで牢獄のようだ。

 林田家の離れに関する第一印象はそれだった。

 タギがぼんやりと離れを眺めていると、コウが白い息を吐きながら頑丈そうな木製の扉を叩いた。

「奥方様。コウです。お客様をお連れしました」

 それから錆びたような鈍い音を立て、扉が開かれる。

「どうぞお入り下さい」

 深々と頭を下げるコウの前を過ぎ、タギと辻堂は離れへと足を踏み入れた。気づけばいつの間にか雪が降り始めていた。


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