序
この話は単品でもお読みいただけるようになっていますが、『三ツ世巡り』、『三ツ世巡り 幕間』の続編となっています。
石畳を規則的な足音と衣擦れの音が這ってくる。それは丁度彼の目の前で止まった。
そして格子の向こうの男が敬礼する気配。
だが足音の主はそれに答える気配すらない。ただ隠す様子など微塵もない怒気を全身から滲ませて見下ろしていた。
「――顔を上げなさい」
言われるがまま顔を上げると、切れた唇や腫れた顔が痛んだ。
そうして大きな黒い瞳と目が合う。見慣れたその顔を見ると、んだか無性に可笑しくなってきてしまい、勝手に顔が弛んだ。
その様を見た大きな黒い目は不機嫌に細められた。
「何が可笑しいの?」
「色々?」
茶化すような物言いが気に入らなかったらしく、彼女はますます不機嫌に顔をしかめた。
「辻堂から聞いたわよ。莫迦じゃないの」
「否定はしないよ」
怒りに満ち満ちた声音だが、慣れ親しんだその声に気が安らぐ自分がいた。
だがもちろんそれは彼女の神経を逆撫でるだけだ。彼女は届くわけもないというのに、常のように張り飛ばそうとその香り豊かな白く細い手を振り上げた。
「のっ、臨様!」
鉄格子の向こうの男がさすがに制止し、彼女は唇を噛みしめ手を下ろした。そして絢爛豪華な古式ゆかしい着物をまとったまま、仁王立ちして見下ろしてくる。形のよい細い眉がひそめられ、豪奢な着物が汚れた石畳につくことも厭わず彼女は格子を握り、目線を合わせてきた。
「あんたが何も持たない一介の人間だったなら、極刑ものだわ」
「そうだな」
「隙間風も吹かない、布団も畳もある牢になんて入れてもらえないのよ」
「うん。俺は運がいいな」
口から流れるままに言葉にして答えていると、やがて彼女は絞り出すように言った。
「……その時折思い出したように死にたがる癖、何とかしなさいッ」
その言葉にやんわりと笑むことで応えると彼女は強く鉄格子を握りしめ、また「莫迦」と呟いた。
やがて散々彼女に無視され続けた男によってほぼ強引に追い出されていく彼女を虚ろに視界に映しながら、小さく息を吐いて目を伏せた。
後悔はしていない。
そう思いながらぼんやりと、自らがこの場所に至るまでの経緯を夢心地に思い返していった。