八夜目・我は求め行動する。たとえ倒れ伏すともそこに道は残るであろう
時々ふと我に返って考えてしまう事がある。
私は誰でどこにいるのだろう?と。
ビルが立ち並び、車が唸りを上げて行き交うコンクリートの街に住んでいた、高校受験を終えて、やがて来る明日を信じていた女の子?
昏い森を眼下に収める堅牢な黒石造りの砦を中心とした、戦う守り人の街である辺境の城塞都市の城主の末娘で騎士団の守りの乙女?
どっちもまるで夢の世界の登場人物のように、不確かで非現実的だ。
だけど、どれほどの迷いや戸惑いがあろうとも、今ここでやらなければいけない事があるのなら躊躇ってはいけない。
やらなかった後悔はもう十分味わった。
どうせならやって後悔するべきだろう。
「ちょっと!」
「……」
「ねぇ、お願いだから起きて!」
「……」
「頼むから床に突っ伏して笑うのはやめて!」
「……うっ、しかし、あまりにも……くっ、おまえ、きっと伝説になるぞ」
「冗談じゃないわ!そんな伝説まっぴらよ、ああもう、どうしてこんな事になっちゃったんだろう」
「おまえが男に馬乗りになったからだろ?……うっ、思い出すと発作がっ」
「そんなに笑いたけりゃ外でやって!蹴りだすわよ!」
「馬車から落ちたら走らなきゃならないじゃないか、面倒くさいから勘弁しろ」
「……普通の人はまず怪我の心配をするんだけどね。てか、あんた馬車と並んで走る気なの?恥ずかしいからやめてよね」
「なら蹴りだすとか言わなきゃ良いだろうが」
「だって、こんな密室に二人なのに、1人が床に転がって笑いの発作を起してる状況なんか耐えられないじゃない!少なくとも普通の神経の持ち主なら絶対そうよ」
「おまえが笑える事をするのが悪い」
「ちょっと、そもそもはあんたが城門を壊した所から既に躓いてたのよ」
「俺が壊した?老朽化してて勝手に壊れたんだろう?何しろちゃんと破壊防御の技が掛かってたし、俺ごときの力で壊れる訳が無い」
「あんたが気色ばむ兵士相手に堂々とそう言った時には、どうしてやろうかと思ったわ」
「なぜだ?相手はちゃんと信じたぞ」
「あれは絶対信じてなかったわよ、なんか怖がってたし、それまでの態度をがらっと変えたのは命が惜しかったからよ、老朽化で粉々に壊れる訳ないじゃん」
「あの事故のおかげで、ちゃんと話を聞く気になったのは良かったな。悪しき事にも幸いは潜むってやつだ」
「あくまでも事故にする気ね、あんたは気付いてないでしょうけど、あんたがわざとらしく引用とか諺とか持ち出して来る時は絶対は何かをごまかそうとしてる時なのよ」
「素晴らしい慧眼恐れ入る」
「黙れ!破壊魔!……ううん、それどころかあんた、あのなんとかいう大臣に何したのよ!?」
「何も。そもそも城内には城門よりも強力な防術陣が張り巡らされていたぞ。俺に何か出来る訳がない」
「大体、何かするにしてもタイミングってもんがあるでしょうに、なんでうちの悪口を言い出した途端に倒れるのよ?疑ってくださいと言ってるようなもんじゃないの?どういうつもり?前も言ったけど、あたしは喧嘩売りに行った訳じゃないのよ!」
「悪口じゃないぞ、あれは侮辱だ、しかもお館様を名指しで謂れの無い侮辱を口から垂れ流したんだ。きっと精霊神の怒りに触れたんだよ」
「驚いたわ、あんたの口から神様の名前が出るとは思ってもみなかった。食事の時のお祈りだって目を瞑ってるだけで何も考えて無いじゃないの」
「俺の考えが読めるとか、恐るべきは無技の乙女」
「誰でも分かるわ!あんたの口、全く動いて無いんだもの。てか無技ってなによ、無技って!確かに私は技無しですけど」
「褒めたのに」
「どんな褒め言葉だ。いや、またあんたのペースに流される所だったわ。良い事?今後どんなに腹が立っても、人を攻撃しちゃダメだからね?ダメ、絶対!」
「俺は攻撃してないだろ?攻撃といえばおまえがやったじゃないか、大臣に馬乗りになって、……うっ、思い出したらまた発作が……くっ」
「笑いの発作で死んでしまえ!あれは攻撃じゃないわよ、心臓マッサージをしてたのよ。急に泡吹いて倒れるんだもん、びっくりして救命措置に走っちゃったのよ」
「心臓“投石”?」
「マッサージっていうのは例の昔の世界の言葉よ。ええっとね、心臓が止まった人の心臓を刺激してまた動かしてあげる事……かな」
「心臓?なんか左胸を押してただろ?」
「う、昔の世界じゃ人の心臓は左にあったのよ。うっかり訓練のままやっちゃって」
「えらくバランスの悪い体だったんだな」
「いいから、ともかく蘇生しようとしてただけだから、攻撃じゃないからね」
「おまえが馬乗りになって足の殆どが顕わになってたから、王や大臣連中は喜んでたぞ」
「うぇっ!?そんな事になってたの?道理で誰も手伝いもしなけりゃ止めもしないと思ってたのよ、あんたどうして注意してくれなかったの?」
「記録士がスケッチを撮ってたし、せっかくだから後世に残るのも良いだろうと」
「えっ!?……ちょ、馬車停めてぇええええ!!何で早く言わないのよぉおお!!」
「どうどう」
「変ななだめ方するな、ああっ、もうきっと編纂所送りになってるわよね」
「そうだな、外報に載るかもしれんな」
「終わったわ、あたしの人生はもう終焉を迎えました」
「まぁあれで懲りて当分は無茶は言って来ないんじゃないか?」
「何をどう懲りるのよ?懲りるのはむしろ私じゃないの?とんでもない恥をかいたんだし。そもそももう既にお父様から通達が来てたって言うんだから恥の上塗りよね」
「さすがはお館様だ、先を読んでいらっしゃる」
「どうせあたしは今しか見えていません。バカで愚か者で恥ずかしい娘ですよ」
「なんだ?いつもの過剰な元気はどうした?落ち込んでいる姿がおまえほど似合わない奴もいないだろうに」
「あたしだって落ち込む事だってあるわよ。昔は毎日のように落ち込んでたし、むしろ暗いのがデフォだったわ」
「また昔の話か、謎言葉を発するのはいい加減にした方が良いぞ」
「何よ、どうせ私はやる事成す事全然駄目なのよ、今度は後悔しないように頑張ろうって思ってたのに、何もかも空回りばかり」
「そうか?」
「そうなんでしょ、何よ、笑い転げてたくせに」
「ちょっと外の空気でも吸って、気分を変えてみたらどうだ?」
「なに?どうしたのあんた、気遣いをする姿とか、なんかちょっと怖いんだけど、そうやって爽やかに笑ってる時に碌な事考えてる事なかったし」
「落ち込んだ末に疑い深くなっているんだな、とにかく今見ないと後悔するぞ」
「え?……ちょっとこんなとこに魔物とか来てないわよね?ちょ、大丈夫なの?うちの馬は戦闘用とはいえ一頭じゃ辛いでしょ?あんた無茶な技持ちなんだから助けてあげるのよ……って、あ、あれ?」
「良かったな、合流する前に顔を拭く間ぐらいありそうだぞ」
「なんでうちの騎士団がこんなとこに来てるのよ!ちょ、もしかして全員?砦の守りはどうなってるの?」
「おまえが心配だったんじゃないか?何しろ騎士団の守護乙女、癒しの姫だしな」
「そんな、結局あたし何の役にも立てなかったのに」
「そうだな、全く不思議だ。おまえなんかを有り難がって担ぎ上げてるんだからな」
「……っは!そうだ、顔!顔!情けない顔になってない?」
「いつも通り餌を貰えない子犬みたいな顔だ」
「何よ、それ!ああ、やばい!ええっと、確か濡れ手拭があったわよね」
「化粧も落ちるな」
「っぎゃあああ!どうしよう?」
「安心しろ、行軍時におまえのスッピンなんざみんな見慣れてる」
「あ、ああ、そうか!もうみんなとは臭い仲だもんね」
「面白い言い回しだな。それも昔のチキウとやらの言葉なのか」
人と人との争いに魔物を利用しようとした王がいた。
生け捕りなど出来るはずもない魔物を生け捕れと命を出し、最果ての砦に危機を招いた。
それを憂いた癒しの姫は、護衛士である光の君のみを供に都へと上り、王と諸卿に理を説いたと言う。
その際、激昂した二人は城を破壊し、大臣を昏倒させたという逸話が残っているが、彼女の伝を伝える者達からは、自らの正当性を主張する為の王侯貴族の捏造であると、ほとんど無視されているエピソードであった。