七夜目・遠き道程を歩む者、幸いあれとなんじに言う
生物は欲望によって生きていると言っても決して暴言ではあるまい。
だが、生物の頂点に立った人類の、複雑で多岐に渡る欲望は必ずしも生きる事に繋がらない場合がある。
その一つの究極の形が戦争だ。
己の持たない物を他者が持っているという事を許容出来ず全てを欲する。あまりにも単純で愚かにも思えるその理由で、人は幾度も争い、殺しあった。
あまつさえ、いつそういう争いが起こっても有利に立てるように、その為の準備さえするのだ。
おそらく、ほんの子供ですら、それが間違いだと指摘出来るだろう。
しかし、人が国という集団を作って以来、その間違いは正された事はない。
「ちょ、聞いた?」
「主語の無い話を理解出来る程俺は天才だと思われていたのか?期待を裏切って申し訳ないが……」
「うっさい!長々と嫌味を言うのをやめい!」
「言われるのが嫌なら少しは常識的な言動を試みれば良いものを」
「うう、いや、そういうのはどうでもいいのよ!騎士団から重傷者が出たって!」
「そりゃあ仕事柄そういう事もあるだろう、連中も覚悟はしているはずだ」
「それが違うのよ!魔物を生け捕りにしようとして無理をしたせいなのよ、手足を失った人が出て」
「それは初耳だな、生け捕りとか無茶な話だが、どういう経緯でそうなったんだ?」
「私も全然聞いてなかったから、お父様を締め上げたら……」
「お前、お館様に何をやってる!正気か?」
「ちょ、苦しい、離せ、この馬鹿!……あんたお父様とお兄様の事になると眼の色が変わるわよね」
「命の恩人だからな」
「意外な義理堅さにびっくりだわ」
「俺は恩も恨みも忘れないぞ」
「恨みは忘れなさい、怖いから」
「とりあえずそれ相応の報いを受けてもらったら忘れても良い」
「極上の微笑みを浮かべながら言うセリフがそれ?震えが走るわ。ってか、あたしに恨みとかないでしょうね?」
「おまえは友達だからイラっときたらその場で返す事にしてる」
「……ね、それって喜ぶ所なの?ちょっとあんたの友達の定義を知りたいんだけど、知ったら怖くなる気がするから聞きたく無いような気もするし、……いや、いいわ、聞かないから。それより、ほら!騎士団が無茶な任務をやらされた話よ!」
「おまえ、話が逸れすぎだろ」
「誰のせいよ?まぁ良いわ。ともかくお父様に丁寧にお願いして聞き出したら、どうも中央のお偉いさんが関わってるらしくてさ、こうなったらもう直談判じゃない?あたしはこれでも騎士団の守護者なんだし」
「本当に丁寧にお願いしたのか?さっきおかしな事言ってなかったか?」
「あんたのツッコミ所はやっぱりそこなのね、ううん、分かってたけどさ。まぁとにかく、そういう事だから私ちょっと中央へ行って来ようと思うんだ」
「そうか、今から行くのか?」
「すごくあっさりしてて拍子抜けしたんだけど、不安とか無い訳?馬車使って確か10日以上掛かるとか聞いてるし」
「王城がある都市は壁すらないし、家は泥を固めた見た目重視の物ばかりと聞いている。城ですら強度より見た目で造られてるとの事だ。制圧するにしても破壊するにしてもここよりは楽なんじゃないか?」
「ちょっと!あたしは別に戦争しに行く訳じゃないから、変な事言わないで!てか誰かに聞かれたらどうするの?今のあんたマジだったでしょ?」
「一度あっちの騎士団が手合わせに来た事があっただろ?酷いもんだったぞ、あれなら俺1人でも……」
「だからヤメテ!!ちょっと、マジで考えないで!違うから、直談判ってのは武力行使じゃないから、騎士団引き連れて行く訳でもないし、あたし1人で行くの」
「お偉い連中がおまえのような小娘の話に耳を傾けるとは思えないな」
「だからといって武力行使はダメでしょ?良い事?私たちはこの地で人の地に影が迫るのを防いでいるのよ?守る立場なの、分かってる?」
「何から何を守ってるのか、怪しいところはあるけどな」
「とにかく話し合いに行くんだから、絶対に攻撃はダメだからね」
人の欲望が潰えないのは種族としての盛隆の証ではある。
しかし、それはまた自らに痛みを強いる自傷の道への入り口でもある。
戦場で理性を説く者があざ笑われる事は正しいだろう。
だが、その一方で、戦場に人々を送り出す者に理性が無いのは悲劇である。
大勢に異を唱える者を勇者と言うか愚か者と言うか、それは歴史の中に綴られた物語に任せるしかないのかもしれない。