三夜目・囁きは胸に落ちる
産まれる前の話を昔と言って良いのか分からないけれど、昔私は失敗をした。
それは最初、おそらく好意から始まったのだと思う。
友達を作れずに一人ぽつねんとしていた私に、女の子のグループのリーダーらしき子が話し掛けて来たのだ。
今となってはその言葉の詳細は忘れてしまったけれど、何か簡単な問い掛けだったのだと思う。
でも、私は彼女に言葉を返せなかった。緊張のあまり固まってしまったからだ。
それを彼女は拒絶だと受け取った。
そのすれ違いは、集団での無視を経て、物理的な嫌がらせに発展した。
もし、あの時私がちゃんと返事をしていたら、彼女の好意は暖かく昇華されて、誰も不幸にならなかったはず。
その後悔が今の私を形作る。
逃れようのない戒めのように、私の心を縛っているのだ。
辺境の騎士団には季節毎の重要な役割がある。
冷夜が終わり花の香が大気を暖め始めると、人々は恵みを求めて深淵の森に踏み込む。
それはほんの入口ではあるにせよ、凶暴な獣や、一つ間違えば影の大地の魔物とすら遭遇するかもしれない危険を秘めた場所だ。
騎士団はそれらの危険を減らす為に、季節の変わりに狩りを行う。
獣ならば危険はさほどのものはないが、魔物に出会えば死者が出かねない。
いや、魔物が出れば死者を出さずに済む方が奇跡なのだ。それ程に人と魔物の力量は違う。
城主を始めとするこの地を治める血族には、彼らに命ずる義務がある。
“必要ならばその命を捧げよ”と。
「どうしよう」
「あ?初めてのお仕事だろ、せいぜい張り切って命じれば良いんじゃないか?」
「怖いの、自分の言葉に責任を持つのが私は怖い」
「はっ、逃げるの?お前が?言ってやれば良いじゃないか、『私の為に死んで来なさい!』ってさ、正に連中の望んでるのはそれだ。相手の望みを叶えてやるのが支配者の勤めだろ?」
「そんなの変よ!」
「変じゃねぇよ、分かってないのはお前だ。騎士ってのは死ぬ“理由”を求めてる生き物さ、民の為に死ね、敬愛する領主一族の為に死ね、その言葉を待っているんだよ」
「武士道みたい」
「芋殻がどうしたって?」
「なんでもないわよ!とにかく私はそんな事言ったりしないから、騎士の人たちだって領民には違い無いじゃない」
「はぁ?何言ってるんだ?騎士は騎士だ、領民じゃねぇよ。連中が聞いたら怒るぞ」
「怒っても良いわよ、とにかくそんな事私は言わないからね!ちゃんとみんなが無事に帰って来るように励ますような言葉を贈るんだから」
「そうか、まぁ頑張って内容を考えろよ」
「え?ちょっと、あんたもなんか考えてよ」
「だから『私の為に……』」
「違うわ!ぼけえ!」
「あ~、言いたかないが、そろそろ時間だぞ」
「えっ!?あああああ!!どうするのよ!」
「ご自由に、姫さま」
「馬鹿!死ね!この腹の中まっくろくろすけ!!」
「俺には死ねとか平気で言うくせに」
「あんたは殺したって死なないでしょう!」
「うっ、……くっ、苦しい……」
「ちょっと、笑いすぎよ、何痙攣してんのよ!」
「駄目だ、笑い死ぬ、息が出来ん」
「良いわ、今ここで引導を渡してあげるから」
「だって、おまっ『私の為に生きなさい!』って、ひぃ、死ぬ……苦しい」
「仕方ないでしょ、露台から下を見たらみんなが私を期待の篭った目で見てるし、緊張して何も思い浮かばなかったんだから!あんたのあれだけ頭に浮かんだけど、あれを言う訳にはいかないじゃない!だからちょっと変えて……」
「そもそも威厳も何もない、どっかの子犬か子猫みたいな雰囲気のお前があんな事言うもんだから、もう凄い違和感が」
「そ、それなら笑ってすませてくれれば良かったのに、みんなも」
「あ~、あいつらもまさか感極まって泣き出すとは思わなかったな、あれには俺も驚いた」
「騎士の人たちって純粋なのよね、あんな風になって今更訂正も出来ないし」
「単純で扱い易いよな、連中」
「ちょっと、何爽やかな笑顔で黒い事言ってるのよ!怖いからやめてって言ってるでしょ!」
「うんうん、癒しの姫君は言う事が違うね」
「ぎゃああああ!ダメ!そんな呼び名は忘れて!」
「『我ら癒しの姫君の御心に守られしゆえ、魔物などに遅れなど取りはしません!』とか隊長も健気だね」
「やめろって言ってるのが分からんのか!ボケナスが!」
「癒しだって、ぷっ」
「あんただって天上の光の君とか言われてるじゃないの」
「強くて美しいって意味だろ?人は見掛けに惑わされる生き物だから仕方ないよ」
「ぐううう!苛つく!そのムダにキラキラしてる髪を全部引っこ抜きたい!」
「おお、癒しの姫君よ、そのような乱暴なお言葉を……」
「うっさい!黙れ!そもそもあんたがあんな事言うから!あああ!!もう、どうしよう!」
時に人は一つの言葉に心動かす事がある。
最果ての地、魔物の地にほど近い、常に死の隣に位置するその場所で、人の心を支え続けたのは、真に強き言葉の支えがあったからだろう。
守護者は常に彼らの元にあった。それを証明するかのように、長い歴史の中、その一族は一度としてその地より退いた事は無い。