なやみもの
なんとか気を取り直してときどき声が擦れるユノをなだめつつ話を聞いたノクスはこの日何度とも知れないため息をついた。
この出来事は一人でも山賊を取り逃がしたノクスの失態だ。その事が重くノクスにのしかかる。
だがしかしこのことで幾つか救われたことがある。
まずこれ以上この場に山賊は来ない、ということ。
ディアンという戦果を取り、それ以上の利益が望めないということがすでに情報として向こうに知れ渡っているだろう。それで馬を潰され立ち往生するしかない自分たちに追い打ちをかける必要性は無いと考えていい。何も考えず全員を伸してしまっていたら帰りが遅い仲間を不思議に思った山賊の応援が来てそれこそ多勢に無勢という状況にもなるところだった。
仲間を傷つけられた報復という線もあるにはあるが、それにしては得るものが少なすぎる。そこそこの頭を持っているのならそんなリスクを冒すようなことはしない。下手をうつと士気が低下する恐れがあるからだ。復讐という甘美な響きよりも即物的な金などの現物のほうが甘く、荒くれ者を束ねるには効果的だ。
そして攫われたのがユノではなくディアンだということ。
ディアンであればノクスは助けないわけにはいかない。大事な研究者であり、皇子かもしれないという可能性がなくならないかぎりそれは絶対だ。それにディアンは男であり、必要なのはその労働力。怪我はしていても殺されるということはないだろう。
もし…もし攫われたのがユノだったならば、ディアンよりも害を与えられていた危険性がかなり高い。肉体的にも精神的にもユノはディアンと比べ脆弱だ。それに自分の立場を考えるとディアンの護送の方が優先順位に立ってしまうかもしれない。そんなつもりはノクスにはさらさらないが。
「おーしおーし大丈夫だユノ 兄ちゃんがいるからな?」
そこまで考え、ノクスはいまだ震えたままのユノを抱きかかえた。ぽんぽんと背中を叩いてやりながら攫われたのがユノではなかったことを心底安堵する。いや、文官という立場からはよろしくは無いのだけれどメリクリス家長男としては泣きたいほどほっとしたのだ。
とにかくノクスの失態はディアンが攫われるという最悪の事態を引き起こしたとともにフォローされてもいるのだ。彼がそこまで考えて行動を起こしたのかは謎だが。
それに、とノクスは考える。
「山賊のアジトも知れて一石二鳥だし! 大丈夫、兄ちゃんがあのおにーさん無事につれてくるからよ」
仕事だしなー、とユノの肩の力が抜けるようにわざと語尾を伸ばす。
なんとかしてユノを落ち着かせなければ、ユノを置いていくことなんて出来やしない。はやくディアンを救いに行かなければもっと遠い場所に移動してしまうかもしれない。どうやら大の大人二人分の重みが幸いしてか、馬の蹄跡がまだ地面に残っていて追うことは簡単だ。
けれど、とノクスの中の心配症の兄が首をもたげた。
まだユノの体調は完全ではない。できるなら安全な場所で休ませたいが生憎馬はまだ眠りの中だ。それに時刻は深夜。どんな危険がユノを襲うとも限らない。それこそ攫われる可能性だってあるのだ。
それにさすがに単身で山賊のアジトに殴りこむのは無謀過ぎる。殴りこみ自体は好みなのだが、自身が不利になる状況は好きではない。殲滅が目的ではないのだから忍びこめばいいとも思うが、忍ぶことなどノクスが苦手とする最もたることだ。闇もよくない。敵の数が把握できなくなる。
諸々を考えて朝と応援を待つのが理想だが、
「それができたら苦労しねーよ」
「ん…」
「おっユノ 落ち着いたか?ハンカチくらいならあるけど大丈夫…」
ユノに聞こえないように声を出さずにぼやくと同時にユノが身じろぎをして顔をあげる。ノクスはユノが少しでも安心するようにいつもの笑顔を心がけて顔を覗き込んで固まった。
常なら涙に濡れているであろうユノの頬は濡れておらず、代わりに痛々しいほど憔悴しきっていた。
頑張って涙を抑え込んでいるのだろう、呼吸は不規則に荒く、小さな胸の中に詰め込まれた不安はノクスがいても解けはしなかったらしい。そのことにノクスは寂しさを感じた。
「ユノ…」
何かを言おうとしてノクスは口をつぐんだ。今のユノにノクスの言葉は毛ほども役には立たない。いっそ泣いていたほうがまだ対処ができた。
黙って布を取り上げてユノを包んだ。荷馬車の中といってもトレ―の半ばの夜はまだ少し肌寒い。そのままゆっくりと抱きしめようとしたときだった。
「あ、やっぱりノクスさんじゃないですか …あ、すいませんお取り込み中で…?」
ばーんと音を立てて荷馬車の扉が開かれ、ぴしりと固まった兄妹を見て一人の青年が申し訳なさそうに首をひっこめた。
「なーんだ妹さんだったんですか いやぁてっきりついノクスさん業務にかこつけて女研究者とやっちゃってるのかと…いってぇ!」
「なあちょっとは黙れよ?もっとたんこぶ増やされて―の?ん?」
「や、やだなーちょっとふざけただけじゃないですかー」
ははは、と空笑いをする青年は改めてユノに向き直った。穏やかな青年だ。けして美しいと言える顔ではないが、柔和で傍にいるだけでほっとする雰囲気を持っている。どこかレオンに似ていた。青年はしゃがみ込み、にこにことユノの目線に顔を合わせる。彼の耳につけられた青い飾りがきらりと月明かりを跳ね返した。
「改めましてこんばんは。 僕、ノクスさんの同僚させてもらってます、クラサ=ビノっていいます。武官ですがどうぞ今後とも御贔屓に」
「してどうする」
いて、とクラサがまた悲鳴を上げる。先ほどクラサが荷馬車に乱入してきたときにノクスが目にもとまらぬ速さで中槍の石突きの部分で殴ったところをまた小突いたのだ。
それより、とノクスは真剣な顔でクラサをむりやり自分に向き直させた。
「お前なんでこんなに遅くなったんだ?昨日中にそこの町で落ちあう予定だったじゃねーか」
「それがですね、前の街で足止めくらっちゃって 怪しいヤツがうろついてるから助けて武官さん!って結構ひどくないですか?警備隊ももうちょっと頑張ってほしいですよまったく」
そう言ってクラサは肩をすくめた。まぁ僕も時間ないんで仕方なくそいつつれてきてるんですが、と前置いてクラサは人影をつれてくる。
深くフードをかぶり、ディアンと似た体系の男。手枷をつけられたその姿はたしかに怪しい。
「え?…えぇ!?」
見覚えのある姿にユノは慌てて布を取り去って駆け寄る。
「フードの人!」
「…おい、なんでユノがここにいんだよ」
前に迷子のユノを助けてくれたフードの男が呟いた。