とらわれもの
ほんの少し大人の香りがします。ちょっと苦手かなと思う人は薄目を開けて読んでください。
ディアンはふと目を覚ました。頭が割れるように痛い。
身体ががくがくと揺れている。馬車が動き出したのか、と思ったが、それでは目の前に流れて行く大地の説明がつかない。
それに揺れが痛みとなって直接腹に響いてくる。何よりも馬車はここまで獣臭くないし、手足が縛られているのも解せない。
以上の結果からディアンは自分が荷物のように縛られたうえで馬に直接乗せられているという考えに落ち着いた。
落ち着いたが、この状況は頂けない。だが高速で移動している馬の上から転がり落ちるなと自殺志願者のやることだ。ディアンは大人しくまた気を失うことにした。
次に目覚めたのはほの暗い部屋の中。どこか館を想像させるが、石のざらついた床がけしてそうではないことを物語っていた。
ディアンはゆっくりと身を起こして頭を振った。頭痛はまだおさまってはいない。髪が目を覆ったが、それを振り払うにも後ろ手に縛られてしまっていてはどうしようもない。
ご丁寧に足も胡坐をかいた状態で縛られている。座り心地などきにする連中ではないだろうに、縛ったやつが余程気が優しかったと見える。
伸びもできないディアンは壁に寄り掛かった。できれば早く書物のあるところへ行きたかったが、何しろ目の前は鉄格子。絶望的とはこのことだろうか。
幸いなことにまだ夜らしく、格子のはまった窓から月明かりが差し込んでいる。
その月の傾き具合から馬車が襲われた場所とこの場所はそんなに離れていないことが知れた。
しばらくぼーとしているとがちゃり、と音がして上の方から光が差し込んできた。
闇に慣れた目には眩しすぎる。目を細めているとその光の中から人影がこちらへ降りてきたのがかろうじて認識できた。華奢なそれは屈強な男ではあるはずもなく、近づいてくるにつれ強くなる香水が混ざった匂いにディアンは顔をしかめた。どうせなら果物の匂いの方がディアンは興味をそそられる。
「おや、お目覚めか?あたしはてっきりあと数日は起きないと思っていたよ」
手灯をつけたその女はにこりと艶めかしく笑って見せた。
息をのむほどに赤い髪をしゃらと振り、手灯で目の光をより強くさせた女は鉄格子の前でしゃがみ込むとディアンをじっくりと眺めた。
あまりの視線の強さにディアンは顔を背けたが、女のため息を聞いて目だけよこして見せる。ディアンの視線に気がついたのか、女は自身の華奢な顎に細い指を掛けて小首を傾げた。高く結いあげられた彼女の赤い髪がしゃらりと首を掠める。
「さぁてねぇ、あたしは商品となれるもんがあれば分捕ってきなとはいったが、正直男くらいしかいなかったから持ってきたと言われてもねぇ… みたところ薬にも毒にもなりそうにないのはさすがのあたしでもごめんだね」
「お前は誰だ」
囚われの身の癖に詰問口調のディアンに女は目を見張る、がその驚きは高圧的なディアンの事ではない様だった。
すぐに科をつくり、髪以上に赤い唇を開いた。
「おやまあしゃべれたのか てっきり口が聞けないもんだと思っていたけどまぁこれはこれは」
ふふ、と上品に口元を隠して笑う。がその目は獲物を逃すまいとディアンから離れない。
逃げようともこれでは逃げられないだろうに、とディアンは己の縛られた手足を思ってうんざりした。
「あたしはこの公道に出没するっていう山賊の頭の妻さ。マーサと呼んでくれ」
マーサはふふふとまた笑む。長く強調された睫毛がゆっくりと弧を描き妖しくも美しい雰囲気を作り出した。
「まあ頭はこないだの紛争で死んじまってあたしが山賊の首尾を握ってるんだけどね」
「それを教えて何だという」
牢屋の中出来もしないのにマーサに攻撃でもすればいいのか。半ば投げやりになってディアンは目を閉じた。
マーサが死ねば山賊の足並みがそろわなくなり、ノクスがここへ乗り込む手助けぐらいにはなるだろうが、その前に自分の命が危うい。別に惜しくはない命だが、ユノが首都に行く“言い訳”がなくなる。それに『じゅうしゃ』とけものの関係性もわからなくなってしまう。いろいろと不都合があるのだ。
まぁ聞きなよ、とマーサの声が舞う。
「あたしはさ、別に山賊なんてどうでもいいと思ってるんだ。ただ面白いことが好きでね」
ディアンは目を開ける。いつの間に中に入ってきたのか、マーサが目の前の月明かりの中で微笑んでいた。いくらなんでもすぐ近くにいられると非常に居心地が悪い。ディアンは身じろぎをしてなるべくマーサから離れようと努力する、が平素不器用なディアンの事。どうやったのか横に倒れてしまった。
そんなディアンをくすくすと笑いながらマーサは長い爪をディアンの頬に滑らせた。
「少しは刺激あるかと荷馬車など襲っては見たが、最初はともかくあとからまんねりとしてきてね ・・・ねぇお兄さん」
マーサは猫のように身を縮こませると横に倒れるディアンと視線を合わせる。だがその目は欄欄としていて、ユノを子猫とすると彼女はまるで山猫のようだった。
そしてディアンの薄い唇に自身の人差し指を這わせると子供のように強請る。
「何か面白いお話、 なぁい?」