ぐちりもの
「だーかーらー、夜のうちに移動って無理言うなっての!夜ってわかる?山賊やら獰猛な動物やらわらわら出てくんだって!昼間のほうが安全かつスピーディーに首都につくんだってば!」
「ならば行かない」
「てめー行きたいのか行きたくないのかどっちだっての!しかもこの量の書物持ってけって鬼か!そりゃあ確かに貴重な資料ばっかってのは俺にだってわかるけどよ、俺の給料は貸し馬車丸ごと一つ借りられるほど余裕ねーんだよ、下っ端の給料なめんな」
ミリスたちの誘いを断ったユノは館中に響く言い争いに顔をしかめた。
よくよく耳を澄まさなくてもわかる、この声と言葉づかいはノクスだ。言い争いはなぜかディアンが入れたがらなかった書庫に続く扉から響いている。さては和解したのか。
扉を開けようとしてユノは少し躊躇した。
時間が経ってから顔を合わせるのは大変気まずい。が、このまま会わないでいることもできない。
「…よし、」
扉の前で小さく覚悟を決めたユノは恐る恐るまだ一方的にうるさい部屋の中を覗いた。
部屋の中ではノクスがこちらに背を向けて胡坐をかいていた。ノクスの正面で頬杖をついて座っているディアンは手持無沙汰に本をぱらぱらとめくってノクスの言い分に渋面を作っている。
けれど実際それより渋い顔をしているのはノクスだろう。髪をかき乱してる後ろ姿を見ると心底困り果てているのがよくわかる。
「あーもー この際貸し馬車はいいとしよう、経費で落ちっかもしんねーし。 でもなーわざわざ危ない夜に出るってのは賛成しねーよ?つーかなんで夜なわけ?」
「答えてもいいが、もう一人を話に入れなくていいのか?」
ちらり、とディアンがノクスの背後に目をやる。その視線を追うようにノクスも腰をひねり…
「お、おはよう、兄さん」
「よ、よーうユノ。 昨日ぶりだな?」
ぎこちなく兄と妹の挨拶が交わされた。
なんとなく変な空気になった書庫を抜け、話合いの場を台所に移したユノたちは茶を目の前にまた気まずい沈黙が流れていた。
お茶受けはユノがなんとなく買ってきていたクッキーだ。屋台で売られていたのでいつもより値段は高めだったが、増量していることを思えばそれなりの相場だろう。
ぱきりと甘みの少なく歯ごたえのあるクッキーを前歯で折って口の中で転がす。
力を込めて噛むとじわりとバターの油と甘みが合わさって口の中に広がった。
クッキーのかけらを飲み込んでずずっと茶をすすり、ディアンはひたとノクスを見据えた。
「さて、教えてもらおうか」
「何をだよ?」
「レオンだ」
びくり、とユノが震えた。先ほどからこの話題をどう口に出そうか思いあぐねていたのだろう、真剣にノクスを見つめる。
ノクスはその強い視線に負けたかのように顔をそらした。
「・・・自分で調べるんじゃないのか?」
「『じゅうしゃ』についてはな。 だがレオン自身が首都に送られどうなるかは教えてもらってもいいだろう?」
ふん、とディアンは鼻を鳴らし、こくこくと頷くユノ。2対1では多いほうに軍配があがる。
はあ、とため息をついて天井を仰いだノクスは俺もよく知らねーけどよ、と前置きをした。
「まあ、軟禁、ってとこかなー、知ってること教えてもらうだけだし。 あとは首輪付けて以下略」
「以下略って何よ」
口をとがらす妹に兄は勘弁してくれ、と大げさに諸手を挙げた。
「こっちにゃあ守秘義務ってのがあるんだ、そう簡単に漏らしてたまるかよ。 それにそのために首都に行くんだろ?」
「そうだけど…」
「俺としてはおにーさんが来てくれればいいし、おにーさんがユノ連れてどんな思惑腹に秘めてようと俺には止めようがない。それでいいじゃねえか。まあレオンっつー『従者』に害は与えないことぐらいは教えとくけどよ」
「…………」
黙りこくったユノを尻目にまたディアンはまた茶をすする。
「それでどうやって俺たちを首都につれて王宮に入れるつもりだ?まさか堂々と俺を皇子とやらに仕立てあげるわけじゃないだろう。しかし客人とするにはこちらの身分はあまりに低すぎる」
「よくぞ聞いてくれました!」
にやり、とノクスが笑い、懐から何やら巻物をとりだした。
くるくると上質な紙を開いていくと立派な文字と想像上のけものと剣が合わさった金色の王家の紋が目に突き刺さる。
万が一にも茶をこぼさないよう、避難させたテーブルいっぱいに広がった巻物には小難しい言葉でいろいろと書き連ねてあった。
ディアンはそれを素早く黙読すると得意げなノクスを真正面から見た。
「どうやら杞憂だったようだな」
「王宮じゃあ最近けものについての研究が盛んでね、しかしなぜかけものに関する研究はあまり進んではいない。ならば国中をめぐって有能な学者を集おうとお考えになられたのが第5皇子サマ。で、その人となりを見たり、知識の量を見たりして使えると思った人材を首都にしょっぴくのが俺の表の仕事」
「『じゅうしゃ』探しとやらは裏の仕事というわけか」
「そうそ、だからこの表を最大活用させて連れて行こうってわけ。 幸い、おにーさんもなかなかの研究者みたいだしなー」
くるくると巻物を巻いて、ノクスは大切そうに仕舞う。
そして乾き始めた唇を茶で湿しながらユノに関しては、と口火を切った。
「学者のなかにはめんどくさい要求するやつもいてなー、生きる知識だからなるべく意に沿うようにはしてんだ。で専用の侍女をつけてくれ、っていうのは日常茶飯事。学者自らが持っていくってんだったらこっちも新しく侍女雇わないで済むし、ユノも知らない家で花嫁修業しないで済むしで一石二鳥。信頼のある俺の妹ってこともあってまあすんなり通ると思うぜ」
「まて、それはいい。花嫁修業っていうのは何だ」
「え、ディアン知らないの?」
ユノが驚いた声をあげた。隣に座るディアンはというとじろりとユノを見下ろすばかりでうんとも言わない。
これはさっさと教えろということか。ユノは首を傾げた。
「んーと男が学校や仕事に行く間の家事や畑仕事は主に女子どもが担当するの。でも男の子はすぐ学校に行ってしまうし、娘ばかり家にいてもあれだから世間を知るためにも他の家庭にお手伝いとしてお邪魔させてもらう、って母さんが言ってたわ。でそのことを花嫁修業ともいうって」
「おーさっすがユノ!そうそうそんな感じ。まあ俺としては可愛い妹を知らない野郎の家に預けるよりかはおにーさんとこで侍女でもやっていてくれた方が安心ってわけ。王宮にまで連れていくのは反対したいトコだけど本人が覚悟きめてんだったら俺も腹くくるしかねえわな」
カカカと笑ったノクスはユノの頭をなでてやろうと手を伸ばしたが、ユノの強張った顔を見てふと腕を下ろした。そして何事もなかったかのように腹減ったなーなどと嘯いて今度は財布を取り出すとにっかりとしてユノの前に銀貨を置いた。
「で、ユノ、金やるから屋台でミルティーユ(※ジャンクフードの一種 クレープに似て、すりつぶした穀物をミルクで解いて薄く焼いた生地に蒸した鶏肉と甘辛い味噌が入っている)買ってきてくんね?むしょーに食べたくて仕方ないんだわ」
「へ? 嫌よ、自分で行ってきてよ」
「そーいわずにー ほれ、銀貨一枚ありゃ足りんだろ?余ったので何でも好きなもん買ってきてもいいぞ」
「…外に行くのならミルクも頼む。今日の分が無くなっている」
「でも…」
なぜ私が、と言いたげな顔を隠しもしないユノをノクスは追い立てる。
「ほら、早く行かないと一番旨いとこが売り切れちまうじゃねーか。いったいった」
「…しょうがないわね… 銀貨全部使っちゃうから!」
「おーおー 好きにしろー」
ギィバタン、と玄関の扉が閉まる音を確認してディアンは改めてノクスに向き直った。
「で、本当のところはどうなんだ、花嫁修業とやらは」
「本当も何もユノが言ったとおりだ」
苦笑しつつノクスは言う。さすがに今回は露骨過ぎたらしい。さすがに金まで出して妹の席をはずさせるのはまずかったか。
「ただ、その“お手伝いさん”に手え出すロリコン野郎の多いこと、多いこと。そのことを皮肉って“花嫁修業”なんて名前もついちまっただけの慣習さ。まあ中にはそのことを見越して裕福な家庭で働いて既成事実を求めるお手伝いさんがいたりすっけどよ。もともとはユノが言ったことに加えて一つ屋根の下で暮らし、その家庭のことを学んで男女の愛を深めるためのもんだったっていうけどな」
「過去の慣習や儀式が時代を経て別物になりかわるのはよくあることだ」
「そーなんだけどなー」
はあ、と息をついてノクスはもうすっかり冷めてしまった茶を呷った。
ぬるいと呟いてぐったりとテーブルにうつ伏せる。
「…今から俺の独り言」
「…………」
「俺さあ、今一番大切なのは家族なわけ。特にユノは可愛くて可愛くて仕方ない、それこそ癒しなわけよ。でさぁ、男ってあれじゃん、好きなやつにはいいところしか見せたく無いじゃん。間違っても怖がられたくないわけよ。けど昨日ヘマしちまって見事にユノに対する俺の信頼感0。それどころかレオンって『従者』を捕えてからはなんていうの、敵意?を向けられちゃったらさぁ。さすがの俺もまいっちまうわ」
「…………」
「俺だって王宮で働いててしかも皇子サマの近くにいる以上敵はいんの。そいつらの敵意とか害意とかもうユノとのと比べたら屁でもないね。あいつらが針だとしたらユノのはあれだ、何億もの剣に刺されてるみたいな?それでもさあ」
「…………」
「嫌いになれねーんだよ、つーか無理。嫌いになれたら俺自分を信じられないってくらいにやばいの、病的ってこーゆーこというんだなってくらいにやばいの。わかる?でその大好きな大好きな妹をだよ?俺を目の敵にしてる王宮なんかにつれてけますか。俺の弱点を虎視眈々と狙ってるやつらにほいこれが俺の弱点ですって晒せますか。無理だろ。馬鹿だろ」
「…………」
「まあそれがユノが王宮に来ること反対の理由の一つ。でもう一つはユノを傷つけられたくないんだわ、肉体的にも精神的にも。まあ今んとこ傷つけてるのは俺なんだけどよー…」
ノクスは自虐的に嗤うと顔をあげてディアンを見上げた。
「で、だ。おにーさんに願いがある」
「なんだ、独り言は終わったのか」
「終わったけど終ってねーよ」
そして伸びをして背筋をぴんと伸ばす。
「守ってくれとは言わない。でも見ててやってくれ。手を貸すのも貸さないのもおにーさん次第。ただし手え出したら殴る」
ディアンはただ片眉をあげただけだった。