おこりもの
そのときまでディアンは楽しんでいた。
本に囲まれ、勝手に決められたとはいえ自分が生まれたことを祝ってもらい、あのけものが好んだという料理も食すことができた。しかもそれが自分の口に驚くほど合ったのもあって満腹からくる充足感に包まれていた。
いったい誰が不機嫌になろうというのだろうか。
しかしその幸せも台所がにわかに騒がしくなるまでのこと。
幸せな時間を邪魔者によって壊された不快感。
安全な場所にずかずかと押しいれられた気持ち悪さ。
様々な感情がディアンの中で入り混じり、それは怒りという形をとって表面に現れた。
「そこでなにをしている」
踏みしめた木の床がみしり、と音をたてたような気がした。
現れたディアンはどう見ても怒り心頭といった風情で
ユノはまずい、と体を硬直させた。
母のけもの祭りの時の習慣は知っていたし、近所におすそ分けを持っていくのは本来ユノの仕事だった。
ユノがいないとなると母がそれを頼むのは幼い兄妹を除いてはノクス以外にあり得ない。
さらに普段あれだけディアンに興味を抱いているノクスがそれを口実にしてこの館に殴りこんでくるのは容易に想像がついた。
けれども
(ノクス兄さんったらせめてディアンに贈り物を渡す時間ぐらい待ってほしかったわ)
さっさと渡さなかった自分を棚に上げてユノはぎゅっと袋を握って諦めたようにテーブルの上に置いた。
ディアンはどうやらご立腹だし、元凶の兄は冷や汗を浮かべながらけらけらと笑っている。
レオンに至ってはかちりと固まったままだ。
頼れるのは自分しかいない。
「やだおにーさん超怒ってるー☆ ほらほら笑って笑って?笑顔の方がかっこいいよ?」
「・・・・・・いいたいのはそれだけか」
「いやいやいや俺おすそわけ持ってきただけだって!誓って何かしに来たわけじゃないし!」
「・・・本当だと言い切れるんだろうな?」
「そりゃあ噂のレオン君見たかったし? あと愛しの妹が野郎ばっかの場所にいるのもあれだから連れ出そうかと」
「・・・・・・・・・」
「やだ黙んないで!怖いから!」
「・・・ふっ」
ざけるな、とディアンの口から感情が言葉となってノクスにぶつかるその前にユノががっしりと後ろからディアンに抱きついた。
いや身長差のある二人ではむしろしがみついたようにしか見えない。
しかしディアンはその衝撃に怒りが抜け、むしろいつもより密着する暖かさに内心慌てふためいたようだった。
がつ、と勢いよくノクスと額を打ちあい二人して床にうずくまる結果となった。
ユノはというとすぐにディアンから飛びのき、仁王立ちして二人を見下ろす。
「ディアンはぴりぴりしすぎよ!いくら台無しになったからってそこまで態度に表すのは大人らしくないわ! そしてノクス兄さんは人のことをちゃらかしすぎ!連絡無しで来たなら来たでお邪魔しますの一言もないの?」
そして涙目の二人にさらに一喝。
「ちゃんと謝りなさい!」
「・・・悪い」
「・・・こっちもすまなかった」
ぼそぼそと謝罪の言葉が両者から流れ、ユノはよろしいと満足そうに鼻を鳴らすと今の今まで空気になりきっていたレオンに心配そうに駆け寄る。
「で、レオン?大丈夫?」
「エ、エエ。ちょっと驚いてたダケデ。ユノさんはすごいですネェ、お二人を止められるナンテ」
「さすがにディアンは怖かったけど、まあ仕方ないわね・・・ ちょっとノクス兄さん!それ置いたらさっさと家に帰りなさいよ?」
「はいはい・・・ にしてもおにーさん石頭。めっちゃいてぇ」
「自業自得でしょ?」
「おいユノ?お前いつから兄ちゃんに冷たくなったんだ?」
「知らない」
ぷい、とノクスから顔を背けるユノ。そんなユノにノクスはやれやれと首を振った。
ディアンはというと一言も言わずに立ちあがってひたすらじっとノクスを監視している。
幾分かそがれたものの、ノクスに対する怒りは収まっていないという意思表示だろう。
レオンは心配そうにノクスのこぶを見て適当な布を冷たい井戸水に浸し固く絞った。
「とりあえずこれで冷やして・・・ああ、ユノさんお願いシマス」
「いや、俺がそっち行くし。これもついでに渡すし」
「イエイエ。そこに置いてくれれば後でしまっておくのでお構いナク」
ノクスがまだ手に持ったままだった容器を掲げて見せるとレオンは勢いよく首を横に振った。
そしてじりじりと近づこうとするノクスと距離を取ってまた自分もじりじりと動く。
ノクスの顔が面白いおもちゃを見つけたと言わんばかりに輝く。
「やだなぁ、同い年だし仲良くやろうぜ?」
「イエ、身分が違いマスシ」
「そんなこと俺は気にしないし!」
「俺が気にするんデス!ってうわあ壁!」
「ふっ 隙あり!! 気になってたんだよなぁその髪!!」
「やややややめてくださいッテバ!ほんとうニ!!!」
「ちょ、ちょっとノクス兄さん止めてって! レオン嫌がってるし!」
「・・・追い出してもいいか?」
外野のことなど気にせずにノクスが素早い身のこなしでレオンを壁に追い詰め、はらりとその長い前髪を払いのける。
「ほーら別に悪い顔してるわけじゃ・・・!?」
隠れていたレオンの顔が一瞬だけ光に浮かび、すぐに伏せられた。
そしてそのまま壁に体重を預けて体制を低くするとノクスに足払いを掛ける・・・がひょいとかわされ、足を引っ張られ無理矢理に床に押し倒された。
強かに頭を床にぶつけたレオンは痛みに呻いてすぐに起きあがろうとするが胸の中心に勢いよく膝を押し付けられて息を一瞬呑みこんだ。
げほげほげほと咳き込むレオンの前髪をノクスが無表情に掴もうとした、が。
がくりと後ろから襟首を掴まれ引き倒される。
逆さまの世界に影をつくっているのはディアンだ。
「・・・追い出す、といったのが聞こえなかったのか?」
ノクスは黙って身を捻ってディアンから逃れようとするが下から抗う力より上から押し付ける力のほうが強い。
どうあがいてもディアンに押さえつけられると悟ったのか、ノクスは軍服のポケットの中からナイフを取り出した。
傍観していたユノが軽く息を詰め、ディアンは警戒してノクスから距離を取る。
「兄さん、いくら怒ったからって刃物なんて・・・!?」
「・・・傷つけたりはしねーって。 何勘違いしてんだユノ」
弱弱しく笑い、ノクスは倒れたままのレオンに向き直る。
レオンは血相を変えて両手を使いノクスから逃げだそうとするが、それはいとも簡単に片手で押えられる。
ナイフを持った手がレオンの顔の前で一閃される。じゃき、と音がして一瞬後にばさりと黒いものが床に落ちる。
「よお、 明るい世界はどうだ?レオンさんよぉ」
ノクスは無表情に自分を睨む憎々しげな赤い目を見つめて静かに言った。