あにきもの
かつて皇子は5人いたのだと聞いたことがあった。
病弱だった第1皇子はまだ若いうちに病気でなくなり、
気性の荒い第2皇子は王家のしがらみに嫌気が差して国を放浪中。
幼くとも賢いと有名だった第3皇子は何者かに拐かされ、行方不明に。やがて亡くなったとされた。
皇太子でもある第4皇子は日々王族としての職務を全うし、
最後の第5皇子はその補佐として陰ながら支えているという。
それもこれも街に流れる小さな噂話。王族なんて日々の生活では税収以外あまり関係はなく、ユノは一生その姿さえも見ることはないと思っていた。
「・・・第3皇子?」
ディアンは警戒しながらも言葉を反芻した。
ノクスはかしこまりつつ慎重に口を開く。
「そうではないとは言わせませんよ。見たのは一瞬でしたがその漆黒の目は王族、それも直系独特のもの。さらにその御姿から判断すると10年前に拐された第3皇子のシ―ラティウス殿下しかいらっしゃいません。なにより」
ノクスの目がひたりとディアンを見据える。
「王宮に飾ってある幼いころの第3皇子の絵が成長した姿にそっくりです。これで別人はあり得ないと思われますが」
ユノはただわけも分からず茫然としているだけだった。兄は一体何を言っているのだろう。ディアンが皇子だなんてそんなことあるわけがないじゃないか。
妹の混乱をよそに兄はただただ言葉を紡ぐ。
「貴方が何故このような場所にいらっしゃるのか、生きていたなら何故今まで姿を現さなかったのかは分かりません。ですがこのような場所よりも貴方にふさわしいところがあるでしょう。・・・王宮にお戻りいただけませんか、殿下」
ノクスの言葉にディアンはゆるりと動いた。
すたすたと跪くノクスと立ちすくむユノの近くまで来て落ちていたバスケットを拾って中身を確認する。
何も異常はなかったのか黙ったままパタンとバスケットのふたを閉じるディアンにしびれを切らせたのか、ノクスが身じろぎする。
「殿下」
「違う」
呼びかけるノクスにディアンは見もせずに否定した。
「俺は少なくともその殿下とやらじゃない。ディアンだ」
「・・・あくまでもそうおっしゃるのですね?」
ゆらりとノクスが立ちあがる。その様をディアンはただじっと見ていた。ユノは何をしたらいいのか分からずおろおろと状況を見守る。
何とも言えない空気のなか、ノクスはにゃはっと破顔した。
「殿下じゃなくてただの一般市民ならもう敬語使う必要ないよなー?あーもうやだやだ敬語とか。10歳老けこんだ気分になるよ全く。そもそも身分が上だったら敬語つかえってあれじゃね?職権乱用じゃね?どうせ言ってることは同じなんだからぱーって言っちゃえば楽なのになー」
「・・・ちょっとノクス兄さんそれはあんまりじゃあ」
あー肩こったと首を回すノクスにユノが力なくつっこむ。そうだ、こういう人だった、この人は。
さっきまでの緊迫とした空気などお構いなしにディアンに話始めたノクスにユノはため息をつくと先に帰ってるね、と言葉を残して扉から出て行った。
ユノが出て行ったことを確認するとノクスは改めてディアンに向き直った。
「どうも、さっきはすみませんね。俺はノクスだ。気づいてると思うけどユノの兄でね。まあ宜しく頼むよ」
そういって差し出された手をしかしディアンは無視する。冷たいなーとノクスは苦笑し、手を降ろした。
「まあ冷たさなら俺の同僚も負けてないけどなー。ああでも向こうは少しぐらいかまってくれるけど」
「何の用だ」
くだらない雑談を始めようとするノクスの言葉を切り裂き、ディアンが問う。
わざわざ妹をあきれさせ先に帰らせておいてまだここに残るのだから何かあるのだろう。
ノクスはああ、と頭を掻いてから本題を口に出す。
「いやあ俺ちょっとさがしものしていてね。最近ここでそれ関係の本ばかり買われているって噂で聞いてまあちょっと見させてもらおうと」
「けものか」
「そうなんだけど。えっ本当にここなのか?けもの関係の本ってたくさんあって玉石混合だから集めづらいんだけど」
驚いて目を丸くするノクスにディアンはちょっと待ってろと言って奥の部屋へ行き、数冊の本を抱えてきた。
どさどさと腕の中に落とされた本をぱらぱらとめくってノクスはカッと目を見開いた。
「ちょっとまてよ・・・この本国立図書館にも置いてない奴・・・!この資料も見たことない・・・!」
「必要なものがあればいえ。持ってきてやる」
「あ、中には入らせてもらえないのね・・・」
ぎらりと眼光で凄まれてノクスはあははと乾いた声を出す。どうやら完全に警戒されているらしい。
「用がないならさっさと帰れ。俺は暇じゃない」
「はいはい、また数日の後に来させてもらいますー。あ、あと最後に質問が」
「なんだ」
外に出ようとしてふいに振り返ったノクスにディアンが答える。どうやらノクスがちゃんと出るのを見るまで動く気はないらしい。
ノクスは肩をすくめてまあなんでもないんだけどさ、と前置きをして聞く。
「赤い目の人間、みなかった?」
顔には笑顔が張り付けられているが青い目はディアンを捉え、その動作におかしいところがないか冷静に分析している。
ディアンはその目に動じずに見てない、と答えた。
実際館から外に出たことはあまりないのだから人間自体ユノ、レオンを除けば見ていない。
ディアンにおかしなところがないと判断したのか、ノクスはそう、とそっけない言葉を返し、館から出て行った・・・と思うとものすごい勢いで引き返した。
「ごめん、これがほんとのほんとに最後。ちょうききたいことあるっす!」
「・・・さっさといえ」
うんざりしたようなディアンの言葉にノクスは先ほどと同じくらいの笑顔でディアンに聞く。
目は笑っていない。
「うちの妹とどういう関係?」
「・・・・・・・・・」
ディアンは沈黙だけを返してパタンと館からノクスを閉めだしたのだった。