冥土の土産にラブラブエッチ〜不治の病って本当ですか〜
「まあ、ロレンツェン夫妻は今夜も仲睦まじいこと」
「ええ、本当に……マリィベル様は初めて見るビリジアンのドレスだわ。淡い金髪だからかしら…百合の花が歩いているようね」
「ええ、ほんとうに楚々として!……でも大きな声では言えませんけど、亡くなられたマリウス様のほうが、マリィベル様とはお似合いだったように思いますわ。お名前だって揃えたかのようでしたのに」
「…そうでしょうか?わたくしはディミトリ様の方がお似合いな気がしますけど。…マリウス様はちょっとたおやかすぎて…従軍していた時期があったからか、ディミトリ様はほんとうに堂々とした体格で素敵!…あら?これは私の好みの話でしたわ。ほほほ…」
「いえいえ、ほほほ…」
御婦人2人が扇で口元を隠しながら興じるひそひそ話。夫ディミトリに聞こえているのかは分からないが、地獄耳のマリィベルにはしっかりと届いていた。
しかしながら、そのひそひそ話をマリィベルの方は気にしていない。
小さい頃からの婚約者だったマリウス・フォン・ロレンツェン公爵子息が、落馬で大怪我を負い、その長い療養の果てに亡くなったのは一年ほど前のこと。
そんな事情により、繰り上がる形でマリィベルの婚約者となったのが、ロレンツェン家次男のディミトリだった。御婦人方達が話すように、マリウスとディミトリは全く似ていない兄弟だった。母親似のマリウスと父親似のディミトリと言ったところか。
「マリィベル様はどう思われているのかしら…?私だったらしばらく落ち込んで立ち直れそうにないわ…」
「…そうね、実際のところどうなのかしら…お子もまだですものね」
御婦人たちの話がまた始まる。その時、腰に回されたディミトリの太い指先がぴくりと動いた。
はっとしてマリィベルが視線を上げれば、ディミトリと目が合う。いつものようにその濃い緑の瞳からは何も読み取れない。マリィベルにだってディミトリがどう思っているのか、さっぱり分からないのだ。
夜会では、お互い仲睦まじいようにそつなく振る舞っているが、実際の夫婦生活は淡白そのもの。実のところ、マリィベルはそれが悲しく寂しいのだ。
見目麗しく少々傲慢、人の心の機微に疎かったマリウスよりも、穏やかで堅実な性格なディミトリの方がマリィベルは好ましかった。たおやかな男性よりもがっしりとした猛々しい男性の方が好みであることも、その時になってようやく気づいたのだ。
しかし、亡きマリウスのことを考えれば、あまり積極的に出るのもはしたない気がして躊躇われる。移り気な女だとディミトリに軽蔑されるのは避けたかった。マリウスには、そんな感情を抱いたことすらなかったのに。
古い友人達が話す夫婦生活は総じて満ち足りたもののように思えた。閨事の話になると、皆、少し恥ずかしげにしながらも、とても幸せだと言う。マリィベルはそういう時に水を向けられても、恥ずかしがる体で何も話すことはなかった。否、話すべきことがなかった。その様子が友人たちの想像を掻き立てるらしく、あれこれと聞かれるが、困ったマリィベルはやはり黙するしかない。つまらない自尊心と言われればそうなのだが、その場で相談しようとはとても思えず、茶会はおおむね静かに終わる。
「……マリィベル?調子が悪いなら、今夜はもう退出しようか?」
「……はい。少し気分が優れなくて…お気遣いありがとうございます」
ディミトリはどう考えているのだろう?結婚初夜は無事に完遂して、週に一度はベッドを共にしている。それなのに、ディミトリもマリィベルもお互いの裸を見たことがない。最近はマリィベルの顔を見たくないのか、夜着を着たまま後からがお約束になってしまった。昨晩など、思わず漏れた声が嫌だったのか大きな手で口元覆われてしまった。亡くなった兄の婚約者と結婚するようにと言われて、ディミトリにも飲み込みきれないものがあったのだろう。特に他の女性を囲っている様子もないが、かと言ってマリィベルとの関係を深めたいとも考えてはなそうだ。とくにぶつかることも理不尽なこともないが、それはそれで孤独なものである。
こんな虚ろな実態でも、いつか妊娠するかもしれない。でも、その先に満ち足りた夫婦生活も家族生活も無いように思える。マリィベルはそれがとても悲しいのだった。ひっそりと伏せられた長いまつ毛がふるりと震える。その様子をディミトリが気遣わしげに見つめていた。
◇
あの少し寂しい夜会から早数日。マリィベルが友人達との晩餐会から帰宅すると、家令のクレインから
とても大切な話があると話しかけられた。いつも落ち着いたクレインが少し取り乱しているように見える。
「奥様、突然お時間をいただき申し訳ありません」
「いえ、いいの。大切なお話なのでしょう?」
「はい、実は‥ディミトリ様に病の兆しがあります。本日、不調そうでしたので医師のデュプレ先生に診ていただいたのですが、心臓の脈拍に明らかな異常が認められたそうです。まだはっきりとは分かっていませんが、もしかしたら不治の病かもしれないと…」
「……そんな」
「まだ確定ではありませんが…とても大切なことです。ディミトリ様からもお話があるそうですので、これからお部屋をお訪ねください」
マリウスも亡くなり、その弟のディミトリまで…自分こそが疫病神なのではないかとマリィベルの顔が曇る。対して、側に控えていた侍女キアラの目がキラリと輝く。
「それでは、せっかくですし薄くお化粧いたしましょう!」
「でも、お待たせするのは…」
「いいんです!そのほうがディミトリ様も喜びますもの」
もう後は眠るだけと思っていたのに雲行きが怪しくなってきた。ディミトリから一体どんな話があるのだろう。ロレンツェン公爵家のことを考えれば、跡取り問題あたりだろうか。マリィベルにはまだ妊娠の兆しはない。努力でどうこうできるとも思わないが、とにかくできる範囲のことをしよう、そんな話に違いない。
◇
結婚してから半年。思い返せば、ディミトリの部屋の寝室に入るのは初めてだった。あの味気ない夫婦の時間は、続き部屋の間にある無駄に豪華な主寝室でと決まっている。お互いの部屋を行き来する親密さも、そのきっかけも掴めないままここまできてしまった。
今になって夫の部屋はこんな風だったのかと観察しながら、奥の寝室へと入っていく。
ディミトリはさすがに気落ちしているのだろう。なんと声をかけようか?
マリィベルから見たら、今日も昨日もディミトリは顔色も良く元気そうだった。共にした食事は普段通り沢山食べていて、その嬉しそうに食べる姿に病の影など見当たらなかった。ということは、マリィベルが外出してから急変してしまったということだろう。マリウスの時だってそれは突然だった。運命というのはかくありきかもしれない。
そっと足を踏み入れたディミトリの寝室。広いベッドの上でクッションにもたれ、ディミトリは寛いでいた。いつもはしっかりと撫でつけているアッシュブラウンの髪も崩れて新鮮だ。その表情は意外にも明るい。
「!…マリィベル、こちらへ」
誘われるまま、マリィベルがベッドへと上がる。ディミトリが部屋の隅に控えていた従僕達に退室を命じた。マリィベルが少し緊張しながら視線で促すも、ディミトリはなかなか口を開かない。急かすべきではない。ディミトリの気持ちが決まるまで待たなければ。
「……クレインから聞いたと思うが、不治の病かもしれない」
そう言いながら、ディミトリがマリィベルの腰に太い腕を回して引き寄せてくる。心細いのだろうか。マリウスも痛みが強くなる夜には、手を握ってほしいと甘えてきたものだった。人肌の温かさが痛みや死の恐怖を和らげるなら、いくらでも差し出してあげたいとマリィベルは思う。
「……俺がいつまで持つかはわからない。俺が死んでも、君の生活はロレンツェン家が保証する……それに、未亡人になった君に求婚する男が山ほどいるはずだ。君のお眼鏡にあう男が一人はいるだろう」
初めて広い胸のなかに抱き込まれ、マリィベルの力が抜けていく。ディミトリがなにやら色々言っているが、マリィベルはもうそれどころではない。友人たちの言う『とても幸せ』の一端を噛み締めている。ディミトリの大きな掌から熱が伝わって、体がぽかぽかとしてきた。こんなふうに抱き締めてくれるなら、お願いすれば、キスくらいならしてもらえるかもしれない。どんな病なのか分からないけど、伝染る類ではなさそうだし。
「…それはどうでしょう?でも…なんだか信じられません。顔色も良いですし、むしろ晴れやかにみえます……脈拍に異常があると聞きましたけど…あっ…ちょっと失礼」
脈拍の異常だと言うなら医学の知識などない自分でもわかるはず…そう閃いたマリィベルが、ディミトリの左胸にピッタリと耳をつける。
一一一ドッ、ドッカン、ドッカン、ドッドッコン、ドッ
「…確かにリズムが変ですね…?」
「うん…」
ディミトリの脈拍は確かにおかしかった。耳を離して探るようにディミトリを見つめると、いつになく真剣な瞳と目が合う。
「……君に頼みがある」
「……はい、私にできることでしたらなんでも」
マリィベル心からの言葉だった。それにしても、もっと悲壮感が漂っていてもおかしくないのに、どうしてディミトリはこんなにも燦めいているのだろう。硬い掌が今度はマリィベルの首筋を包み込むように擦ってきた。
「………んっ」
思わず漏れる声。いつかの夜のことを思い出し、マリィベルが口を噤み身を離そうとしたが阻まれる。さらにぐいと引き寄せられて、その荒っぽい調子にときめいてしまう。いや、そんな場合ではない。問うように見つめると、ディミトリがゴクリと生唾をのみ込む音がする。くわっと目を開きそして重々しく話を始める。
「……ラブ…ブ…ッチだ」
しかし、ディミトリの声が小さくてよく聞こえない。
「え?」
「……ラブラブエッチだ」
「え?」
聞き間違いかしら?
「君とラブラブエッチがしたい!」
「……え!え?!」
聞き間違いじゃなかった!
「俺は!世の仲良し夫婦がしているというラブラブエッチを君としたい!」
「あ、ぅ……そんな何度も…」
マリィベルは俗な言葉に慣れていないのだ。もう聞いているだけで視線が泳いでしまう。
「あっ!照れてる!?」
「……っ」
「死んだ兄さんにも君にも遠慮していたが、俺も死ぬとなったらもう取り澄ましちゃいられない。冥土の土産と思って協力してくれ!今夜だけでいいんだ!」
「冥土の土産…」
「冥土の土産にラブラブエッチだ!」
「うっ‥‥」
「可愛いなあ…こんなので恥ずかしがって」
ディミトリがずいと顔を近づけてきた。こんなに距離が近いのは結婚式の誓いのキス以来。恥ずかしい言葉を連呼しているのはディミトリなのに、どうしてマリィベルのほうがいたたまれない気持ちになるのか。頬も耳もじわじわと熱くなってくる。
「できることならなんでもと言ったろう?ちょっと優しくしてくれるだけでいいんだ。兄さんの10分の1でいいよ…君が嫌なのはわかってる。あのたおやかな兄さんと結婚するつもりが、まったく逆方向の弟の妻になっちゃって……辛ければ目を瞑って兄さんのことを思い浮かべていてくれ」
マリィベルの頭には沢山の言葉が渦巻いていた。それなのに、何一つとして口をついて出てこない。伝えるべきことのひとつさえ。
「マリィベル、だめだろうか」
これがディミトリの本音だったのか。本音だったのなら…
「………」
「………なあ、一度だけでいいんだ。婚約者を亡くした君の気持ちを考えると打ち明けることすら憚られたが、俺は君が好きだ。はっきり言って、もうとんでもなく好きだ。あの淡白な儀式もそろそろ抑えが利かなくなってきている」
「そ、それは…その……でも、心臓は大丈夫なんですの…?」
「無論、それで死んでも本望だ!!」
「…!」
「腹上死こそ最高の死に方だ!!」
「なっ‥!!」
「俺が死ぬまでの間だけだ。冥土の土産を授けると思って受け入れてほしい。何でもしてくれると言っただろう?嘘だったのかっ?!」
さっきは今夜だけと言っていたのに、死ぬまでにちゃっかり更新されているではないか。
「う、うそではありません…わかりました」
お互いが死んだマリウスに気を遣い、すれ違っていたことが分かった今、もう二人を隔てるものは何もない。ベッドの上ですることは一つ。そう、ラブラブエッチである。
「あの……わたし、マリウス様のことを尊敬しておりましたわ」
嘘である。でも少しは死んだ婚約者に花を持たせてあげたい。
「そうか‥‥」
「……でも、わたし…」
「でっ…でも?!」
食い気味のディミトリを見て、マリィベルの心にいたずら心が湧いてきた。気持ちが通じ合うこと待ったなしのこの状況。ディミトリがどんな反応をするのか知りたいのだ。
「いえ……私のお願いもきいてくださいますか?」
「ん?うん…でも恋人を作りたいとかはだめだ、絶対」
「……じゃあ…キスしてください」
「………」
ディミトリの口角がひくりとしてニヤけそうになっている。
「……だめですか?」
ダメ押しとばかりに、小首をかしげ上目遣いに見つめてみる。ディミトリががらがらと崩落していくのが伝わってきた。これがマリィベルからディミトリへの全ての答え。どうか分かってほしいと瞳に力を込め見つめる。
そう、まだこの時、マリィベルはラブラブエッチを侮っていたのである。ディミトリの気持ちを、書いてそのままの通り身を持って教えられてしまったマリィベル。翌朝目が覚めてから、今度はディミトリからの無駄にいい声での愛の囁き攻撃を受け、こちらも陥落させられてしまった。
そもそもマリィベルだってディミトリのことは好ましかったのだ。二人はただすれ違っていただけ。昨夜のことはマリィベル渾身の演技かと思いきや、本心であることを教えられたディミトリはやっぱりにやりとすることが抑えられず、唇を引き結んだり噛んだりしながらマリィベルの言葉を噛み締めていた。そしてひと言。
「………死にたくない」
二人の間に重くのしかかるような沈黙が落ちる。どちらからともなく再び身を寄せ合い、静かに口付け合い、時折離れては見つめ合う。この時間が永遠に続けばいいのに。
◇
「それが、不治の病ではなかったそうです」
二人の思いが通じ合った翌日、家令のクレインが淡々と語り始める。
「なっ!」
「まあ、よかった…!」
マリィベルが心から安堵する。
「全くの健康体だそうです」
「そんな……そんな適当なことがあっていいのか…?あの医師を登用するのはやめるべきだ。そうだろう?」
反して、ディミトリの方は納得いかないご様子。
「いいえ、その必要はありません…そうでしょう?今、何かお困りですか?…?おや?昨日よりもなんだか距離が近いですね、お二人とも」
「「!!」」
「仲が改善したようでなによりです。医師については勿論問題ありません。そのご様子をみれば、むしろ待遇を上げるべきかと」
クレインがにやりと笑った。医師のアーネスト・デュプレは自宅の書斎でくしゃみを一つ。二人のために一芝居打った功労者は、再び読書に勤しみ始める。
一方こちらは、天国で平和な毎日を送るマリウス・フォン・ロレンツェン。穏やかな日差しの中、蝶が舞い四季の花々が咲き乱れる庭園では、ゆったりとした時間が流れている。
その美しい庭園の最奥、祈れば地上の何もかもが映し出されるという聖なる泉を、マリウスはしっとりと見つめている。そこに映し出されているのは、弟に組み敷かれ身悶えしているかつての婚約者マリィベル。己の意外な嗜好に戸惑いながらも、淫靡な鑑賞ごとがやめられない。まったく困ったものだ。さらさらとした黒髪をゆったりとかき上げる。その物憂げで官能的な様子を東屋の影から見つめ、ため息を付く天国の御婦人達がいたとかいなかったとか。
〜おしまい〜




