商人は僧侶と話す
※商人視点です。
お筆が死体と行き会ったと聞いてから数日後。
お筆は、よく遊んでいる白猫のおしろに連れられて出かけていった。
おしろはここ数日、お筆を守るようにべったりしていた。
あんなことがあった後だから、自分の目の届くところに居てほしいのだが。
常連客の団三郎に「あんまりしつこいと嫌われるぞぉ」と言われたので引き下がっている。
彼には娘がいるが、構いすぎた結果「お父さんうざい」と言われてしまったらしい。
同じ轍は踏みたくないものだ。
…お、お筆ちゃんはそのくらいで嫌わないはず。
でも怖いからやらない。
よくお筆が一緒にいるおしろは、この地域を縄張りにしている猫らしい。
江戸行きの荷馬車で出会ってから数日共に過ごしたが、江戸に着いたとたん離れていった。
その後お筆と仲良くしているのを見かけて、まさかお筆ちゃん目当てかと警戒していたが、どうやらめす猫であると知って安堵した。
常連のおふさには「娘を取られそうになった父親の形相だねえ。それとも恋人を寝取られた男の顔かい?」などとからかわれる始末だ。
自分ではわからないが、おしろがめすだとわかっていても、自分より優先される彼女に嫉妬するのは当然のことだろう。
実際、こちらを見て得意げにしているように見えるから、余計に腹が立つ。
だが彼女もかわいい猫だし、なによりお筆がかわいい行動を取ることが増える。
だからおやつをあげたり寝床を貸したり、表向きは親切にするのだ。
それに彼女は、お筆をおすのしつこい求愛から遠ざけてくれている。
そこに関して、あの猫には感謝しているのだ。
周りにはおしろと自分との間にばちばちと火花が散っているように見えると言われている。
大人げなかろうが、仕方ない。
お筆が可愛すぎるのがいけないのだから。
愛する猫がいない店で、寂しく店番をしていると。
いつぞや高価な筆をくださった僧侶がやってきた。
今は江戸にある寺で住職をしており、先日寺を任される身となったらしい。
知っている僧侶ということで、うちの店からもお布施をしている。
「いらっしゃいませ…おや」
「八兵衛さん、お久しぶりでございます」
「これはこれは!回向院のお坊様ではありませんか。お元気そうでなによりです」
「ええ、八兵衛さんもお変わりないようでようございました」
「おかげさまで。本日はどのようなご用向きでしょう?当店はいろいろな品をご用意しておりますよ」
そう聞きながら、私は内心首をかしげた。
うちの店は男性向けの品もあるが、多くは女性向けの小物や雑貨を取り揃えている。
基本的に坊主は女性と関係を結ばないため、うちに来る人間は限られる。
男娼を雇う坊主は多いので、彼ら向けに贈り物を買う人間はいるが。
しかし目の前の僧侶は真面目なことで有名である。
男性とも女性とも関係を持たず、ひたすら修行に励む姿は江戸で尊敬されている。
口さがない人々は、裏の顔はどうだか、などと言っているが。
見た目が美しいため、そういうことを考える輩も多い。
だがその中でもこれといった噂を聞かないのである。
つまり、そのくらい品行方正なお方ということだ。
その方がうちの店になんの用だろう?
恋しい人ができたような顔はしていないが。
むしろどこか深刻そうな顔をしている。
ようやく口を開いたかと思ったら、込み入った話になりそうだという。
ならばと、店を一時閉め、お筆が普段座っている場所へと招いた。
この時間は客入りが少ないし、常連なら店が閉まっていようが声をかけて入って来る。
お筆がいつもいるところだから掃除も行き届いているし、洒落た敷物なども敷いてあるのだ。
出した茶を一口飲み、坊主はとつとつと語り出した。
私は、彼がなぜここに来たかを悟った。
「先日の件はご存じですか?八兵衛さんのところの猫が仏様の前にいた、という」
私が首肯すると、坊主はことの次第を話し始めた。
お筆が行き会ったという死体は、どうやら入水自殺をしたらしい。
なんでも借金で首が回らなくなり、最期はぼろぼろの状態であったようだ。
その借金も、彼の元嫁が真面目に働く彼の金を勝手に使い、こしらえたものだという。
その上、彼女は他に男を作って駆け落ちしてしまった。
愛する人を失い、子どももいなかった彼は、借金を返す気力もなく逝ってしまったらしい。
すっと胸が冷えていくのを感じた。
こみ上げてきたのは、その死人への同情ではなく、お筆が危ない状態だったのだという確信だった。
薄情だとは、自分でも思う。
「それで、坊様はどういうご用件なのでしょうか」
自然と声が掠れた。
「実は明日、その方の葬式を行うのです。そこで、八兵衛さんにもぜひ、参列いただきたいと思いまして」
自分の片眉が上がるのがわかる。
借金まみれの男の死体であれば、まず無条件に無縁仏行きである。
葬式代というのはまとまった金が必要であるから、他の人間と一緒に供養されるのだ。
私の疑問がわかったのか、坊主は苦笑いした。
「亡くなられた方はたいそう人徳のある人でして、いろいろな人が借金を工面し、葬式代まで出すことになっているのです」
数日かかったのはそのためだと。
私はその説明がどこか引っかかった。
「そんなに助けてくれる人間がいるのなら、どうして死ぬ前に助けなかったんです?」
そうしたら、身投げすることもなかったではないか。
私の質問に、僧侶は眉を八の字にした。
「ええ、私もそう思うのですが。…奥様がいなくなられてから、会話もままならないほど衰弱していたようで…」
援助を申し出る人がいても、必要ない、大丈夫だと取り合わなかったという。
そういう境遇であれば、自暴自棄になってしまうのもわかる、かもしれない。
私も、お筆がいなくなったら同じことをしかねない。
「なるほど、わかりました。他ならぬお坊様がおっしゃるのです、私も参列しましょう」
そう返事すると、坊主はほっとしたように表情を緩めた。
「ありがとうございます。…それで、なのですが」
「もしよければ、お筆さんも一緒に参列してはいかがでしょうか?」
私は紡がれた言葉に唖然とした。
いやいや。
どこの世に、猫を葬式に参列させる人がいるだろうか。
この人は、私が葬式でも一緒にいたいくらいお筆と離れたくないと言うと思っているのか。
思っているが。
「いえ、ご心配には及びませんので、私1人で…」
「いえ」
すると僧侶の目がかっと開いた。
さっきよりも強い口調で説得されたことにも驚いた。
「そう言わず。お筆さんがいなければ、彼はあのまま見つからなかったやもしれません。
…犬や猫はそういう存在に敏感だと言いますから、お筆さんももしや、彼の霊魂を感じ取ったのではないでしょうか」
もちろん推測ですが。
あの日、彼女が出て行く前に、そう言った素振りはありませんでしたか?
そう問うてくる坊主に、私は冗談だと笑い飛ばせない雰囲気を感じた。
だが嘘をつくのも憚られる。
そんな空気を彼は出していた。
この御仁がこうも強気に出るとは思いもしなかった。
「…確かにあのとき、お筆は誰もいないところに向かって鳴いていました」
まるでいつも相談に乗るように。
そう言いながら坊主の方を見ると、彼は頷いた。
「彼の霊魂をお筆さんが見つけて、死体を探し当てたと思ってもいいと思うのです。もちろん確証はありませんが」
だから。
だから、お筆をどうか参列させてあげてほしい。
そう真摯に願ってくる坊主に、私は首を縦に振ることしかできなかった。
馬鹿馬鹿しいと一蹴することならできる。
だが、そうさせない強さが、彼の目にはあったのだ。
彼は商人であっても、上手くやっていけるだろう。
葬式の話はそこで終わり、軽い世間話をしてから彼は席を立った。
私も立ち上がって別れの挨拶をする。
「ではまた明日に。どうもお邪魔しました」
「ええ、今後ともよろしくお願いいたします」
ふと、彼が勝手口に歩み寄る足を止めた。
忘れ物だろうかと思って席を見ても、なにもない。
静かにこちらを振り返って、まっすぐに私を見た。
「八兵衛さん」
「はい?」
「本当はわかっていらっしゃるでしょう?」
「…なにがでしょう?」
とぼけてみるも、彼は引き下がらない。
先ほどの有無を言わさぬ目でこちらを見つめ、彼は言った。
「あなたも、本当はわかっているはずだ」
私は閉口した。
ずっと知らないふりをしていたことだ。
ましてや、付き合いの長い坊様である。
わからないはずがない。
「お筆さんも、彼女と一緒にいる白猫のおしろさんも」
本当は。
ずっと覚悟していたのだ。
「坊様!」
彼がなにか言う前に、私は声を上げた。
「誰がなにを言おうと、あの子たちは猫で、私のかわいい隣人です。それだけは変わらない。そうでしょう?」
断言してみせると、彼は軽く目を瞠った。
そして感慨深そうに頷いた。
「ええ、ええ。そうですね。そうでした。やはり」
貴方に任せて正解でした。
晴れやかな笑みを浮かべて、坊主は去っていった。
しばし呆然としたあと、私は何事もなかったかのように店を開けた。
早くお筆が帰ってくることを願って。
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