猫又は激怒する
猫又のおしろと河童の太郎視点です。
筆が八兵衛を構いながら、少し早く布団に入っていたとき。
猫又は我を忘れて怒り狂っていた。
川辺で「あ、おしろ姐さん」と声をかけてきたのは、大川の太郎という河童である。
かつて自分を川に引きずり込んだ愚か者だ。
ついでに、見かけたことのあるだけの河童もいた。
名をおめどと名乗った。
『あら、河童じゃないの。まだ生きてんのね』
「へい、お久しぶりで。…あの、実はお筆ちゃんのことでご報告が…」
『…筆がどうしたのよ?あんたまさかまた川に引きずり込んで…』
前科のある河童である。
やりかねない。
思わず目を吊り上げると、太郎はあわてて否定した。
さすがにそんなことはしない。
「ち、違うっすよ!お筆ちゃんにそんなひどいことはしません!そうじゃなくて…」
「お筆ちゃんが死人に死体探しをさせられたって話だよ」
埒が明かないと悟ったのか、口を挟んだのはおめどであった。
助かった、代わりに言ってくれてありがとうおめど姐さん、と太郎が安堵した瞬間。
『…は?』
聞いたことのない低い声が響いた。
恐る恐るそちらを見ると、猫又はぶち切れていた。
おしろは激怒した。
さっきまで「筆にそんなことはしないって、あんた私にはやったじゃないの」とか「毛をぬれねずみにされた恨みは忘れてないからね」とか嫌味を言おうと思っていたのに。
吹っ飛んでしまった。
『ちょっとどういうことよ!!』
『姐さん落ち着いてくださいっす!お筆ちゃんは無事っすから!』
『それは当たり前でしょうが!!』
爪を出して主に顔を攻撃してくる猫又を、おめどと太郎でどうにか宥めすかしながら、彼らは事情を説明した。
筆に聞けばいいのでは?とも思わなくはなかったが。
その場にいたのは自分たちであったし、なによりそれで許される雰囲気ではなかった。
筆の前では拗ねる程度な猫又であるが、彼女(彼?)がいないときは本当に手が付けられない。
すごいうなるし噛みついてくるし爪も立ててくる。
ああ、やっぱりもうちょっとお筆ちゃんをもふもふしておくんだった。
太郎は思わず現実逃避をした。
猫の姿の筆は、元が高価な筆であり、さらに飼い主の八兵衛が念入りに手入れをしているおかげで、とても毛並みが良い。
その小さくてかわいらしい容姿とあいまって、実は人にも妖にも大人気だ。
その柔らかい毛を撫でるためだけに店に来て、必要ないものを買って行く客も後を絶たない。
さらにはあの綺麗な声だ。
人も妖も、あの声で鳴かれたら目尻が下がるのである。
特に妖は、筆が経を読んでいるところを度々聞いている。
その経がますます泥沼にはまるようで、筆を好いていくのだ。
太郎も例外でなく、初めて会ったとき「この声をずっと聞いていたい」と思った。
そしてすかさず猫又にガンつけられた。
どうしてこんなに綺麗な声を出せるんだろう。
皆が疑問に思うが、お筆ちゃんだからで解決した。
解決はしていない。
そういう客たちは用もないのに店に行って買うので、家計がちょっと傾くこともあるようだが、お筆ちゃんに貢げるなら…と皆来ることをやめない。
店主も客の気持ちを理解しており、しっかりとお筆ちゃんの世話に金を回している。
そんな筆は、実は江戸にいる猫たちにも大人気だ。
江戸には猫又はもちろん、普通の猫も大勢いる。
どこかで飼われていたのが野良になったり、どこかに住み着いたり、おしろのように地域猫になったりして、ものすごい数がいる。
店の周りには妖がたくさんいるし、店主も筆を溺愛しているから、普通の猫が寄って来ることはない。
しかし最近の筆は外出することが増えたため、彼らに見つかるのも時間の問題と言えた。
普通のおす猫も、おすの猫又も、筆の姿を見ると夢中になった。
ぜひ自分の番にしたい。
自分の子を産んでほしいと熱烈に追いかける猫が多数である。
さらには、めす猫たちも「あの素敵な方はおすに違いないわ」「ぜひあの方の伴侶になりたい」などと抜かす始末である。
筆はそのことを知らない。
というか、街中でおしろ以外の猫を見たことがなかった。
なぜか?
おしろと、おしろに命じられた妖たちとが、彼らをことごとく遠ざけていたからである。
そんな彼女に、筆に接触することを許されている河童や狐、狸たちは、異例とも言える。
やっぱりもうちょっともふっておけばよかった。
即送っていくんじゃなく、どこかへ連れて行ってから帰るんだった。
河童は後悔していた。
筆が外出するときは誰かが着いて行って牽制するし、筆が店にいるときは店に来る猫どもを追い払う。
今日は筆が店にいると言っていたので、昼寝したあと彼らを威嚇し、いつものように帰ろうとしていた。
そうしたら、筆が幽霊に連れていかれて、死体を見つけて、経を上げたという。
おしろは全身の毛が逆立つのを感じた。
何事もなかったとはいえ、幽霊が声をかけたということは、「筆を連れていきかねなかった」ということだ。
河童は筆には言ってないようだが、道連れにされかかったのかもしれないのだ。
きっとあのとき河童がいなかったら、筆は川に突き落とされていただろう。
水にぬれてもいないのに、おしろは寒気がした。
筆は幽霊を知らないのだから、付いて行ったのは仕方ない、と猫又は思う。
あとでしっかり怒るが。
でも周りはどうして止めなかった。
理不尽だとはわかっていても、ふつふつと湧いた怒りは止めることができなかった。
鈴と櫛にもあとで言っておかなければ。
筆はすぐにふらふらとするから、ちゃんと見張っておかないといけない。
おしろは、やっぱりもう少しそばにいるべきか、それとも護衛を付けるべきかと考え始めた。
もうこの人末期だな、と河童たちは思った。
同時に、江戸に来たばかりの猫又を知っている太郎は、ここまで猫又が絆されるとは、お筆ちゃんってすごいなといっそ感心していた。
そして、その気持ちが十分にわかる自分も、末期だなあと感じていた。
そして後日。
一人の僧侶が、八兵衛のもとを訪ねてきた。




