相談屋お筆は悩みを聞く②
初めて外出したあの日から、だいぶ年月が経った。
わたしは無理のない範囲で、度々外出するようになった。
化ける練習を重ねるごとに、途中で気を失うことはなくなった。
あの日の八兵衛の狼狽ぶりに呆れた妖の客たちはわたしに、「外出するときは必ず妖の誰かに言うように」と言い聞かせた。
そうすると面倒ごとにならないからと。
ずいぶん過保護に思えるが、これが普通なのかもしれない。
猫として店主をはじめとした人間と関わり、筆のつくも神として店に来る常連客と話す毎日だ。
二足の草鞋ならぬ二種類の墨をつけることに、最初は違和感を感じたが、最近慣れてきたように思う。
あれから私のいる店は、江戸ではちょっとした有名店となり、人と妖でますます賑わうようになった。
それと同時に、少し広くなった店の隅に、わたしの指定席が作られることとなった。
「お筆の相談所」と呼ばれ、巷では知る人ぞ知る場所になっている。
外出しない日は、たいていそこで誰かと話すか、のんびり昼寝をするのだ。
そういう毎日を送っていると、店に来る顔ぶれもわかるというものだ。
人も妖も、江戸に来てそのまま住み着く者もいれば、さっさと出ていく者など様々いる。
そのため、1回土産を買いに来て去っていく者や、頻繁に来ていたのにぱったり来なくなる者だって大勢見てきた。
わたしが言えたことではないが、特に妖はみな時間感覚に疎い。
「また来るよ」といって来ない、なんていうのも日常茶飯事なのである。
それがなんだか寂しく感じることもあった。
常連の狐と、そんな話をしたことがある。
彼女は人に化けて江戸で暮らす妖で、とても美しい女性の姿をしている。
名をおふさといって、生まれは上方であるらしい。
なかなか強い妖であるらしく、昔は団三郎ら狸と熾烈な戦いを繰り広げたと聞いている。
普段は三味線の師範をしているそうだ。かなりの名手で、愛好家の間では人気がある。
それを知った猫又は、最初毛を逆立てていた。
どうしたんですか?と聞くと、震える声で三味線って猫の皮で作るのよと返って来た。
なるほど、それは怖いかもしれない。
『猫又さん』
『…なによ』
『わたしの筆先にも猫の毛が使われていますが…』
『毛と皮では全然違うじゃない』
それもそうだ。
そんなおふさはこの店の化粧品が気に入っているらしく、頻繁に来ては商品を買っていく。
同じく店によく来る団三郎とはいつも言い合いをしているものの、はたから見れば仲がいいように思えるので不思議だ。
彼女は長く生きてきたためか、とてもためになる話を聞かせてくれる。
実際に歳の話をすると怒られるのだが。
よく団三郎がやぶ蛇になっている。絶対にやめようと心に決めた。
猫又も、櫛もそうであったが、女性とは怒るとものすごく怖いのだ。
妖になったからには長生きしたい。
世間話の一環として話したわたしに、茶を飲みながら彼女はほほ笑んだ。
「そりゃああんた、一期一会っていうものだね」
『いちご、ですか?』
「今日会った人とはまた会えなくなるかもしれないから、後悔しないように一度きりの出会いを大切にしようってことよ」
なるほど、と思ったものだ。確かに今日来た客が次は来ないかもしれないし、来るとしてもいつになるかわからない。
だからこそ、一度かもしれない出会いをないがしろにするなと、彼女は言った。
彼女の助言はいつも的確だ。
含蓄のある言葉に感動していると、だいたい店に来ていた団三郎が茶化して
「なんでえ、おふさにしてはいい女みてえことを言うじゃねえか」
「あら狸、あたしは正真正銘のいい女ですわよおほほ」
と火花が散るまでがお決まりの流れであった。
またいがみ合ってる、とげんなりとしながら、わたしはその言葉を反芻した。
わたしの今まで出会ってきた者たち、特に猫又や鈴に櫛などの妖仲間と、飼い主である八兵衛、そして常連の客たち。
おそらく一瞬であるこのときを、後悔しないように過ごしたいと強く思った。
そうはいっても、わたしのやることは客の相談を聞いたり、八兵衛と過ごしたり、たまに遊びに行ったりするくらいなのだが。
『おふささんや団三郎さんと話す時間も、大事にしなければいけませんね』
いがみ合っている2人に声をかけると、嫌そうに顔を見合わせ、きまりが悪そうに笑った。
息ぴったりである。実は本当に仲がいいのかもしれない。
「というか、ぱったり客が来なくなる原因ってよお…」
「しっ、それは言うもんじゃないよ」
と彼らがひそひそと話していたのを、筆が知ることはなかった。
ここの店主、八兵衛はというと。
店が大きくなるにつれ、これまでよりも多くの仕事に追われている、のだが。
「お筆ちゃん、疲れていないかい?魚の干物があるよ」
「お筆ちゃんは今日も可愛いねえ。君の前では玻璃だってただの石ころさ」
「お筆ちゃん」
「お筆ちゃぁぁぁん」
「…にゃぁん」
あの外出騒ぎ以降、ますます手に負えなくなっていた。
てきぱきと仕事をこなしつつ、看板猫にあれこれと世話を焼く八兵衛に、面と向かって嫌味を言う人間はいなくなった。
というより、ドン引いて言葉も出なくなったと言うべきか。
わたしに声をかけてでれっとしている店主から視線をそっとそらし、足早に通り過ぎていく姿に、なんか申し訳ないなと思うばかりである。
あれから仲良くなった大川の河童の情報では、「猫を飼うと商売がうまくいくのでは??」と考えて、猫を飼い始める商人も多いらしい。
結果、猫を可愛がりすぎて仕事が手に付かなくなり、家内に怒られるようだ。
しょうもないことこの上ない。
わたしは八兵衛に可愛がられることに気恥ずかしさを覚えながら、一期一会という言葉を大切にして甘受しているのだ。
『…筆よお、嫌ならたまに無視してもいいんでないか?』
『さすがにここまで来ると、あの店主さんも変態じみてますよぅ』
と心配してくる友人(友物)に、わたしは乾いた笑いしか浮かばなかった。
嫌ではないのだ、嫌では。
ただちょっと、いやだいぶうっとうしいだけで。
櫛はあの一件以来、店主にだけ辛辣になっている。
おっとりとした口調からは想像できないので、毎度驚かされるものだ。
げに女性は恐ろしい。
櫛が女性かという論争はいったん置いておいて。
そして、江戸に来た当初とは決定的に異なることがある。
それは。
「お筆ちゃん、もう夜は寒くなってきたねえ。今日も一緒にお風呂に入ろうね」
「お筆ちゃん、今日も一緒に寝ようねぇ」
「…にゃお」
毎日と言っていいほど八兵衛と一緒に風呂に入り、共に布団で寝ていることだ。
前は蔵で寝ていたわたしだが、この店主、なぜかそれに気付いていたのである。ちょっと毛が逆立った。
八兵衛はきれい好きのようで、最初猫の姿のわたしを桶で洗った。
あれ、そんなに汚れてないな、と首をひねっていたのは余談である。
当然だ。わたしは筆なので。
外出騒ぎの後に過保護が増してからは、一緒に風呂に入って寝ることが日課のようになった。
『猫は水が嫌いだって聞くが、おめえさんはどうなんだい?』
『わたしはそこまで嫌には感じませんねえ。むしろお風呂はあたたかくて好きですよ』
『同じ猫の姿でも、猫又さんとはやはり違うんですね』
『猫又さんは、風呂という言葉で一目散に逃げていきますからね』
『ふふ、私はお二方が一緒に入ってもおかしくないと思いますけどね?』
櫛がからかうのは聞かなかったことにした。
この店の奥には居住空間があるが、そこに五右衛門風呂があるのだ。
わたしは猫の姿ではあるが、この風呂をとても気に入っているので、八兵衛を振り払うことなく大人しくしている。
猫又に言うとこの世の終わりのような顔をされたが。
鈴や櫛は嫌ならそう示せと言ってくれるが、一緒に風呂に入るのも一緒に寝るのも、八兵衛が相手ならば嫌ではないのだ。
化けるのが上達してからは、筆に戻らずともよくなっていたので、蔵に戻る理由がなくなったということもある。
これって大丈夫なのかな、とは少し思うが。
団三郎が「お筆ちゃんがいるから、八兵衛さんに嫁さんは来ねえだろうなあ」
などと言うのには無視した。
わたしのせいではない。断じて。
…わたしのせいではない、はずだ。
そして、相変わらず看板猫として仕事をしていたある日のこと。
「にゃあ、んなあ」
「んにゃお」
「なぁ」
「…お筆ちゃん、いったい誰と話しているんだい?」
やらかしてしまった、かもしれない。
だんだん店主さんの愛が重くなってきています。
恋愛要素はないです。たぶん。




