表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
筆だって自分で文字が書きたい~人になりたいのに、異世界で神にされました。~  作者: 嶋田愛那
出会い~江戸編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

22/33

相談屋お筆は悲しみを覚える



知らないとはいえ、筆としての自分を、わたしが信頼するあの人は否定した。


それがわたしには悲しかった。



同時に、気付いたことがある。



わたしは猫の姿に化けて江戸に来てからずっと、猫として生活してきた。

皆が「お筆ちゃん」と呼んで可愛がってくれるのがとても嬉しかった。


猫又に声をかけてもらうまで、ずっと眠っていたのだ。

人に直接笑いかけられ、妖たちと語り合うことができて、舞い上がっていたのかもしれない。


いつしか筆としての自分ではなく、「お筆」としての自分の方が大きいと錯覚してしまっていた。


本体よりも猫の姿の方が快適だと、心のどこかで思ってしまっていた。



だが。



八兵衛のおかげで今、気付くことができた。



わたしは結局猫ではない。

ただの筆なのだ。


いくら猫のような姿をしていても、やはり筆であるという矜持はあるらしいのだ。


猫の姿でいるのは好きだが、それはそれとして。

筆としての自分もまた、「お筆」と同じように認められたかった。



そういう自分に、気付くことができたのだ。



無自覚だったのを自覚したのは、決して悪いことではないはずだ。

むしろいいことに違いない。



なのに。


軸が折れてしまったような。


なんだ、この感じは。




『っ!筆、あんたなんて感情を垂れ流してんのよ!』



遠くで猫又の念が響いている。



『ちょっと、どういうことなの!?』


『姐さん!ようやく来なすったか!』


『実は猫又さんがいない間、店主さんがここに来ていて…』



どこか安心したような鈴と櫛の念も聞こえる。


猫又が来たのだろう。

すぐに帰ることになるはずだ。


猫又がいれば安心なはずなのに、どうしてふたつは焦っているのだろう?







『…で、筆、ちょっと筆!さっさと起きなさい!』


『筆さん、気を落ち着かせて、深呼吸、深呼吸ですよぅ!』


『あんな奴の言葉なんか気にするこたねえよ!元気出せって!』





ああ、騒がしいな。

騒がしいのは嫌いだけど、これは嫌いじゃない。





何度も念が聞こえるうちに、意識が浮上してきた。





『…みなさん、どうしてそんなに焦っているんです?』





知らない間にずいぶんと寝ていたようだ。

なんだか気分がすっきりとしている。





『あんた、やっと起きたのね!』


『筆さん、ようやく起きたのですね』


『おう、おはようさん。心配したんだぜ』





落ち着いてから念を発すると、猫又がこちらをのぞきこんでいるのが見えた。




いまいち状況が飲み込めない。

というか、あれからの記憶がない。





『あの、今は鐘いくつくらいですか?』


『もう夜中よ。まったく、心配かけて、もう』


回向院(ここ)に来たのがお昼過ぎでしたから、だいぶ経っていますね』


『もう人通りもなくなってるぜ。声が聞こえねえ』



事情を説明されて、ようやく合点がいった。


どうやら相当な衝撃を受けたらしく、そのまま返事がなくなったようだ。


一度ならず、二度も気を失ってしまうとはなんという不覚だろう。





『すみません、ご心配をおかけしました』


『本当よ。

それにしてもあのバカ商人、どうやってとっちめてやろうかしら』


『そうだぜ、おれたちの筆を悲しませたとあっちゃあ、常連の妖どもだって黙っちゃいないだろうよ』


()


『でも猫又さん、鈴さん。さすがに死なせるのはまずいですよねえ』


『え、ちょっと待、』


『そうねえ。最悪、妖退治が始まるわよ』


『ちょびっとした嫌がらせに留めるしかねえなあ』


『あの』


『こう、たんすの角に足をぶつけるとか』


(ばく)さんあたりに悪い夢を見せてもらうとか』


『あの、皆さん!』



猫又、鈴、櫛から不穏な言葉が聞こえた時点で、よくない事態が起きそうな気がした。

皆が怒っている原因はたぶん、八兵衛だろう。



『なによ筆。心配いらないわ、証拠は残さなくてよ』


『いや怖いですって。

どうして皆さん怒ってるんです?』


『なんでってそりゃおめえさん、あの店主に酷いことを言われたろう?』


『筆さんが悲しむようなことをした人間を、許せるわけがないです』



予想は当たった。

うぬぼれじゃなくてよかった。


よかったが。

さすがに、嫌がらせなどはしてほしくないのだ。


絶対に止めなければ。



『あの、わたしのために怒ってくださるのはとても嬉しいです。でもそのおかげで踏ん切りもついたので、わたしはそんなに怒っていないんです。だから』


だから、祟るとか嫌がらせとかは極力しないでほしい。

ただ事では済まなくなってしまう。



『…でも、あんただって怒ってるでしょう?』


『そりゃあちょっとは腹が立ちましたが。でも面と向かって言われたわけではありませんし。それに』


『それに?』



猫又が凝視してくるのが、ちょっと怖い。

目がかっ開いている。




『…皆さんにそんなことはさせられませんよ』




人間が人間になにかするのとはわけが違う。

(あやかし)が人間に危害を加えるということは、妖と人間が築いてきた関係に、亀裂が生じるということだ。


人の中で暮らす妖に、そんなことはさせられない。

わたしは人と妖が集う、あの店の雰囲気が好きだ。



だからこそ、止めてほしい。



うぬぼれだと言われれば、それまでだが。



『…わかったわ』


『しょうがねえな、(ほんにん)がそういうんだもんな』


『くっ…筆さんに知られないようになんとか…』


『…櫛さん、聞こえてますからね』



というか、櫛はこういう、苛烈な発言をする性格だったろうか。

普段おっとりとした口調のぶん、案外こういう方が怒ると一番怖いのかもしれない。


櫛だけは怒らせないようにしよう。


わたしはそう心に決めた。



『いいんです。そのおかげで踏ん切りがついたのですから』


『…踏ん切り?なんの話よ』




猫又は訝しむように片目を細めた。




わたしは眠っていた間に考えていたことを話した。



猫に化けていて、筆の自覚が薄くなっていたこと。

今回の一件で、自分には筆のつくも神だという誇りがあるのだと知ったこと。


人とは話せなくても、妖と話すことはできる。

自分を筆として認めてくれる存在はいるのだ。


そのことに気付くことができたのは、やはり商人のおかげなのだ。





話し終わった後、あたりは静寂に包まれた。


ややあって、鈴と櫛が念を絞り出した。



『なるほどなあ。自分が自分であるための確信ねえ』


『確かに、私が櫛であるというのを誰かに認めてもらうのは、嬉しいことです』



猫又は話をしている間、なにかを考えていたようだった。


そして猫又は、盛大に息を吐いた。


もしかして、嫌われただろうか。

そんな不安がよぎった。


ずっと猫又には、猫でいた方がよい、人とあまり慣れ合うものではないと言われてきた。

それを守らず、人に心を許そうとしたのだ。

きっと呆れてしまっただろう。



『あの、』



すると猫又は顔を上げて、さっきとは違う、明るい念を発した。



『馬鹿ねえ筆。そんなの思って当然じゃないの』


『猫又さん…?』


『自分が自分でありたい、認められたいと思うのはみんなそうよ。そしてわざとじゃなくたって、自分を否定されたら悲しいの。それって当たり前よ』


『あたり、まえ』


『そうよ。だからあんたもそんなに難しく考えないの!

それにね。あんた、それでもあの店主のところに居たいでしょう?』



図星だった。

筆の姿が怖いと言われようと、あの頼りなくて優しい店主のところに帰りたいのだ。



でも、たぶん帰ることはない。

妖とばれたくない。

あの人にだけは、嫌われたくないのだ。



そう思っているのを、容易く看破された。



言葉も出ないわたしに、猫又は言った。

さっき嫌がらせがどうのと言っていたときとは違う、優しい口調だ。



『あんたがあいつを庇ってるなんて、私にはお見通しなんだからね。

いいじゃない、猫として仲良くしたって』



いいじゃない。

猫として仲良くしたって。



いいじゃない。



猫又の言葉が、心に沁みこんでいった。



『いいんでしょうか』


『いいのよ。言ったでしょう?妖に囲まれてるのを知らない奴に、あんたの正体なんてわかりっこないわ』



だから、気の済むまでそばにいたらいい。



そんなことを言われるなんて、思ってもみなかった。



『…わたしは、猫として可愛がってくれるあの人のそばにいたいです。そして、わたしを筆とわかってくれる皆さんとも、仲良くしていたいんです』


『それなら、あの店はもってこいですよね。筆さんがそう言うのなら、私は反対しません』


『そうだなあ。いいじゃねえか、人だっていろんな顔を持ってるもんだ。おめえさんだってそうすりゃいいさ』



『はい。…帰りましょう』



そしてわたしは今度こそ、猫の姿で「家路」に付くのだった。






いや。


「おうお筆ちゃん。探したぜえ」


正確には、化けてから前には進めなかった。




エリクソンの「アイデンティティの確立」がこの話のテーマです。

無事にSAN値回復しました。


ここまで読んでくださりありがとうございます!

ぜひとも高評価・ブックマーク等よろしくお願いします!!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ