商人は窮鼠になる
商人視点です。
「おい、誰かいるのか?」
商人は恐々と荷馬車に声をかけた。
彼は上方と江戸を往復している商人だ。
商人は十五のときに商売を始めた。ようやく、少し板についてきたところだ。
最近ではいくつかの大店も、仕事を任せてくれるようになった。
彼が奮発して買った荷馬車の中には、江戸で売るつもりの商品や、自分が使う仕事道具が積まれている。
最近、なんだか妙な気配がしていたので、少し警戒していた。
もしや、物の怪にでも取り憑かれているのだろうか。
上方で坊主にもらった、あの筆のことを考える。
あんなに高級そうな筆を、ただでくれる人間がいるわけがない。
それにあの筆を使っていると、なんだか背筋がぞわぞわとしてくるのだ。
考えすぎだと、他の人は言うのだが。
だから、ここ数日はその筆を使わず、荷馬車の中に入れている。
商人は元来、相当な怖がりであった。
しかし、その勘は意外と外れていないということを、本人も周りも知らないのだ。
あの筆は怖い。
江戸に着いたら、早いところ質に出そう。
そう思いながら辺りを警戒していたところ、宿場町を通り抜けるあたりで、荷馬車の中から声がしたのだ。
もしや、最近多いという盗人だろうか。
思い過ごしかと思ったが、通りすがりの野菜売りも聞こえていたようで、商人が焦っている間に岡っ引きを呼んできてくれた。
なんだなんだと、周りからも野次馬が寄ってくる。
「ああ、ありがとうございます。すみません、私の思い過ごしであれば良いのですが…」
「なに、困ったときはお互いさまだよ。もし盗人であったら大変でさぁ。」
野次馬が見つめる中、私は恐る恐る荷馬車の扉を開け、中を見た。
荷馬車には、誰もいなかった。
声がしたときとは違い、しいんとしている。
「おかしいな、確かに声がしたんだよ」
「誰かが出てきたりもしてねえぜ」
「隠れられるような場所もないぞ」
野次馬たちも、首をかしげながら荷馬車を見渡した。
いけない。他の人に入られて、大事な商品が傷ついたりしたら困る。
この世は、親切な人ばかりではないのだ。
「どうやら、私の気のせいだったようですね。お騒がせしました。それでは…」
私は荷馬車が安全だとわかると、すぐに馬を引いて歩き出そうとした。
歩き出せなかった。
背筋がぞわぞわしている。これはいけない。
「おい、ちょっと待てよ兄ちゃん」
いつも間にか囲まれていた。
さっき人を呼びに行った野菜売りを含めて、周りにいた人間が私と、私の荷馬車に立ち塞がっている。
「あ、あんたたち、どういうつもりだい!」
私が慌てていると、
「だってよお、なあ?」
「俺らの手を煩わせたんだぜ?ちょっとくらいおこぼれがあったって罰は当たらないよな?」
にやにやしながら、男たちが荷馬車と自分の周りを囲んでいる。
それを見回して、私はようやく気づいた。
この人たちこそ、悪人であったのだ。
この前から感じていた妙な気配は、どうやらこの盗人たちだったようだ。
善人のふりをして近づくなど、なんと卑怯な。
金子をばらまいたら見逃してくれるだろうかと考えていると、野次馬の1人に突き飛ばされた。
為すすべもなく地面に転がされる。
「へへ、ちらっと見ただけだが、ずいぶん上等な品があっただろう?俺たちがもらって、有効活用してやるよ」
「っ、誰か!盗人だ!助けてください!」
「助けてください!盗人がいます!」
私は必死に声を上げた。
「馬鹿が、誰も助けになんか来ねえよ。さっさと頂戴してずらかろうぜ」
そう言ったのは、岡っ引きの格好をした男だった。
まさか、岡っ引きもぐるなのか。
必至に見渡すと、いつの間にか大通りに人はいなくなっていた。
商人は頭が真っ白になった。
どうしよう。このままいたら、殺されるんじゃないだろうか。
そんな考えすら頭に浮かぶ。
それに、大事な商品を取られたら、生きていくことはできない。
盗人の1人、野菜売りの格好をしている男が荷馬車の扉に手をかけた。
ばん!
すると荷馬車の中から扉が勢いよく開いた。
ぶへっ、という声がして、盗人がよろけた。
「な、なんだあ?」
やっぱり誰かいたのだろうか。
しかし、九死に一生を得た。
早いところ、荷馬車を引いて逃げなければ。
そう思ってなんとか立ち上がったとき、それは外に飛び出してきた。
「に“ゃあああっ!にゃん、なあああお!」
真っ白な毛の猫だった。




