筆は異世界で目が覚める①
『ぴんぽんぱんぽ〜ん。やあ筆ちゃん、女神ちゃんの治める世界、モンディーノへようこそ!』
『君の「本体」と、必要そうな物はかばんに入れといたから!
説明書ちゃんと読んでね!この世界の常識とか載ってるから!』
遠くで声が聞こえた。
いや、「念」というべきか。
誰かの声で目が覚めるなど、久しぶりの感覚だ。
『あっ、一応死なないようにはしてるけど、面倒くさいから頑張って死なないようにしてよね!』
……いや。
「彼女」の声より、だいぶうるさい。
『君は人になりたいって言ってたからね!人型にしておいたよぉ。感謝してよね~』
だからうるさい。
今鐘いくつだと思ってるんだい。静かにしとくれよ。
『そういうことだからよろしく頼むよぉ。「記録」よろしくねぇ~!!』
やかましい。
なんかこう、イラっとくる。
というか記録ってなんのことだ?
仕方なく目を開けた。
気持ちよく寝ている頭の中に、阿保みたいに能天気な「念」が響いたせいで、寝ざめが最悪だ。
わたしは意識が覚醒した。
今、なにを言われていただろうかと反芻する。
いやよろしくといわれても。
そもそもここはいったいどこなのだ?
どうしてわたしは知らないところで寝ていたんだろう。
途方に暮れて空を見つめる。
少なくとも、さっきまでいた江戸ではない。
そこだけはしっかりとわかる。
だって、江戸にはあんなばかでかい生物はいない。
というかあれはなんだ。鳥か?
それにしては大きすぎないだろうか。
あんなに大きな身体をしているのに、羽が生えていて空を飛んでいる。
速い。
江戸で一度見た竜とどこか似ているが、似ても似つかないくらいに凶暴そうだ。
それに龍神様に羽はついていなかった。
…なんにせよ、なるべく関わり合いになりたくないな。
ゴオォォォォォッッッ!!!!
…あ、火を吹いた。
あの竜(仮)周辺一帯が焼けてしまっている。
こちらの竜(仮)は火を吹くのか。
わたしは火が嫌いだ。筆だから。
あの竜(仮)には、こちらに近づかないでもらいたい。切実に。
燃やされたら困る。
あんな怖い存在を見るくらいなら、起きなければよかった。
起き抜けであるのに、もう一度眠りたい。
もういいや。寝よう。
これは悪い夢かなにかだろう。
もう一度眠ったら、友といた江戸の日々に戻れるに違いない。
そう思いついて、わたしは開けていた目を閉じた。
—?
ちらっと、頭の隅でなにかが引っかかった。
わたしはあのうるさい奴に眠りを妨害された。
そして「目」を開けて、
今、その「目」を閉じた。
「目」?
わたしは筆だ。
室町に作られ、つくも神になった筆だ。
そして、今は猫には化けていない、筆のままであるはずだ。
当然、猫や人にあるような「目」なんて、
「目」なんて、あるわけ…
「ある」
あった。
目も、耳も、口も、ある。
あのうるさい奴が言っていたことを思い出す。
手を動かして、おそるおそる目の前に持ってきた。
この手は、まぎれもない人間の手だ。
思い切って「上半身」を起こしてみた。
筆のときにも、猫のときにもなかった動きだ。
そして下を見下ろしてみた。妙ちきりんな恰好をしている。
そう、変ではあるが着物を着ているのだ。
ここまでで、もうはっきりとわかった。
なんと、なんということだろう。
わたしはついに、人間の身体を手に入れたのだ。
—友に見せたい。とうとう夢が叶ったのだと。
なんだか身体全体が光っている気はするが。
ついでに、なんだか胸の内がすごく熱いが。
生きた人間など、こんなものだろう。
この数百年で初めての人間の姿だ。少し怖い。
しかし、それ以上に、言葉では表せない高揚感があった。
それにしても、この身体が光っているのはなんなのだろう?
今まで見た人間は光っていなかったが。
そう首を捻ったその時、
『ちょっとぉ!』
さっきのうるさい声がまた聞こえた。




