魔法学園入学式
魔法学園も入学式を終え、在校生は教室へ戻り、新入生は寮へと向かう。割り当てられた寮の個室で荷解きをし、明日からの授業に備えるのだ。
「どうした?」
振り返ると この国の第二王子、オスカー・デ・バスクードが立っていた。オスカーは漆黒の髪に銀色の瞳、長身で俺より頭ひとつ高い。
「…いや。別に。」
力なく言って視線を見ていた池に戻す。本来であれば、入学式が終わったのだから、すぐに公爵家に帰るべきだろう。王家ほどでは無いが、公爵家も暗殺される危険は常にある。しかし、昨日の父上の話からまだ立ち直れていなかった。まあ、父上の話だけでは無いのだが。
「別に、なんてお前が言うのは珍しいな。まだ始まってもいないのに、ホームシックか?」
綺麗な顔の口の端を歪めて、レイモンドが腰掛けているベンチの隣にオスカーが座る。
その顔をまじまじと見て、深いため息を吐くレイモンド。
オスカーとは顔馴染みだ。小さな頃から王城に連れられて来ていたので、第一王子のアルフレッドとも、第三王子のダニエルとも顔馴染みだ。皆、王家の血を引くに相応しい麗しい顔面をしている。
その中でもオスカーの顔が一番好きだった。
いかにも王子然とした柔和な第一王子のアルフレッドが金髪碧眼なのは、王妃がアクアベートから出た令嬢だからだ。王妃は三大公爵の中から選ばれる。そして王女は三大公爵へ嫁ぐか、外国との和平の為に嫁ぐかだ。
オスカーの母上は隣の国の王女で、ダニエルはシュナウザーの分家の令嬢だった。シュナウザー家の特徴は焦茶の髪に真っ赤な瞳、ダニエルはその特徴をよく受け継いでいた。
「俺の顔を見てため息をつくなんて不敬だな」
「何か用か?」
もう一度、今度は更に大きなため息を吐きながら問いかける。
「別に。用なんかない。いつも、ウチの王子様より王子らしいお前が、一人ポツンと座ってるなんて、何事かと思っただけだ。」
王子であるオスカーが云うウチの王子様はアルフレッドの事だ。やや頼りないが 王妃の子供であり、次期国王と囁かれている。それが気に入らないのか、それとも生まれ着いた気性か、オスカーは皮肉屋だ。だが、隣国の特徴が現れた美しい黒髪と眩い銀目の前では、誰もが恍惚となる。俺もその内の一人だ。
「俺だって一人で居る時もある。」
「ほお?常に令嬢や狸共に囲まれてるお前が?」
「狸なんて言うものじゃない、誰が聞いているとも限らないんだから。解ってる筈だろう、オスカー。」
「ハイハイ、お前は何時だって正しいよ。その内、一本残らずハゲあがっちまうんじゃないか?俺は心配だよ。」
オスカーがニヤニヤしながら憎たらしい事を云うのも、いつもの事だ。だから、それは良い。問題なのは自分自身だった。
どうして、こんな事になったのだろう…。
昨日からずっと頭が混乱している。周りにはそうとは見られて居ないが、レイモンドはずっと上の空だった。幼い頃から次期当主として厳しい教育を受けて育ったレイモンドは冷静沈着、成績優秀、魔力も強大で、王太子に相応しいと言う者も現れるくらい優秀だった。
「……」
何時もならオスカーに一言二言返すレイモンドが、黙ったまま また池を凝視している。
余りにおかしな様子にオスカーは不安になった。何か問題が持ち上がっても即座に解決し、常に微笑みを浮かべ、オスカーの顔が好きで、多少の事なら無理も許してくれるレイモンドが、今はまるで壊れた人形のように見える。
レイモンドが黙ってしまったので、内心ドキドキしつつも、大人しく隣に座ったままでいる事にした。
◇◇◇◇◇
レイモンドは、父上の話をもう一度、思い返していた。常であれば、会話の途中に意識を飛ばすことなど無かったが、異常事態である。早急に結論を出す必要があった。それに、オスカーの顔を見た事で、少し心が軽くなっていた。イケメンとは心の栄養である。
先代アクアベート公爵は、事故により他界した。
公爵位を継ぐべく手続きをしている内に、俺が産まれた。父上と母上は貴族の中でも珍しい恋愛結婚で、母上以外は誰も愛さないと公言する程仲が良かったらしい。
しかし母上は、俺を産みおとすと同時に亡くなった。昨日、父上から聞いたように、その悲しみは海より深かった。しかし、俺を次期当主として立派に育てようと、母上に代わり決意したが、なんと産まれてきたのは「女子」だった。
公爵を継げるのは「男子」のみ。
世継ぎをつくるなら、後妻を貰わなければならない。しかし、父上はそうしなかった。禁術とされる「入替の指輪」が手元にあったせいもあるのだろう。父上は、赤子にそっと指輪を嵌め、後継者として俺を育てる事にした。
何も疑わずに生きてきたのに、突然知らされるこっちの身にもなって欲しい。男女を入れ替える変身魔法は有るが、その効果は長くても一時間が限界だ。そんな指輪の話は聞いた事もない。にわかには父上の話を受け入れる事が出来ない。冗談を言っているか、疲れのせいで少しおかしくなってしまったのでは無いか…俺は父上の精神状態を疑った。
どんな心境の変化があったのかは分からないが、父上は数年前に後妻のメリーニを貰い受け、やがてローランドが産まれた。だが、ローランドは生まれながらに病弱で、うまく育たないかも知れないと言われていた。癒しの法であるダーニー家の力も借りながら養生している内に、今ではすっかり元気になった。
ローランドが、あのまま歩く事すら出来ずに居たら、父上はこの話を俺に一生しなかったかも知れない。
しかし、ローランドと云う後継者を得て、やっと自分の罪について語る気になったようだ。
なんて狡いんだろう、さすが『公爵』と云うところか。
父上は、指輪を外すと、元の体に戻ると言った。
父上の精神状態を疑っていた俺は、そんな馬鹿なと思ったが、それで父上の気が済むのなら…という軽い気持ちで指輪を外した。
すると体から煙が上がり、頭が割れるように傷んだ。ガンガンと打ち鳴らす痛みの中で、声が聞こえる。
(…どうして…)
蹲るレイモンドに公爵が慌てて駆け寄る。
(…どうして…私の…)
痛い痛い痛い、頭が粉々になりそうだ。
(…どうして、私の推しは死ぬのだろう…!)
◇◇◇◇◇
「レイ?」
ちっとも動かないレイモンドに、オスカーはそっと声をかけた。深い海のような瞳に散らばった金色が、ゆっくりとこちらを見る。
「おい、大丈夫か?」
「君が俺の心配をするなんて、珍しいな。」
「そりゃ、お前がお前らしくないからだろ。なんだよ、本当に何かあったのか?」
明らかに何時もと違うレイモンドに、オスカーはどうしたらいいのか分からない。
「君は…」
「うん?」
「君は、俺が守るよ。」
オスカーの顔を見ながら、ハッキリと宣言したレイモンドに、オスカーはその銀の瞳を見開く。
「…それは…俺を次期国王にするって話か?」
「そうじゃない。」
「違うのかよ!」
王子の数だけ派閥はある。有力と見なされているのは、第一王子のアルフレッドだが、誰を王太子にするかは、国王が決める事。王子に産まれたのなら、誰だって国王になりたいものだ。
レイモンドを王太子へ、と云う声も聞こえる中で、レイモンドがオスカーに着いてくれるのであれば、王位に誰よりも近づく。積極的に動いては居ないが、オスカーに野心が無い訳でもない。
「なんだよ、じゃあ、護るって何?」
唇をとんがらがせて文句を言う姿は、子供らしくて可愛い。
今はまだ可愛いが、いずれオスカーはアルフレッドの暗殺を企てオスカー派は一網打尽にされてしまうのだ。それだけでなく、オスカーは魔力暴走して魔王となり、国を混乱に陥れ、やがてアルフレッドと聖女と呼ばれる異世界転生者に滅ぼされてしまう。
そう、ここは、『花の乙女と七人の勇者』と云う乙女ゲームの世界なのだ。
「冷えて来たね、そろそろ帰ろうか」
すっと立ち上がったレイモンドにオスカーが問いを重ねる。
「おい!さっきのは何なんだって!」
「明日から授業が始まるだろ。色々言ってくる奴も居るだろうし、姑息な真似をする奴も居る。」
「そいつらから俺を守ってくれる訳?ウチの王子様じゃなく?なら、やっぱりアクアベートは俺に着くって事でいいんじゃねーの?」
腕を組んで不遜な態度を崩さないオスカーに、諭すようにレイモンドが言う。
「俺はまだアクアベート公爵じゃない。どこに一票入れるかは父上が決める事だ。」
まだ不満そうな顔をしているオスカーに手を差し出して、立ち上がらせる。
「さ、もう戻ろう。従僕達が心配する頃だろ。」
「ふん。」
雑談しながら馬車止めまで行き、オスカーは王城へ、俺は王都のアクアベート家へと戻った。
部屋で寛いで居ると、ロイがやって来た。いつも側にいるのに、用事があるとかで馬車止めに行くと、別の者と代わっていた。
「レイモンド様」
「どうした?その箱は、贈り物か。誰からだ?」
ロイは大きなリボンのかかった箱を両手で持っている。今日が魔法学園の入学式だったので、誰かからの入学祝いだろう。お返しを送らねば。
「はい。私からのお祝いの品でございます。」
「ロイから?」
「はい、どうぞ改めください。」
ロイからの入学祝いは既に貰っていた。金文字でネームが入った万年筆だ。かなり高価なものだったので驚いたが、まだあると言うのか?ロイの給料も、別に低くは無いが、随分 散財させているようで気に掛る。
「もう貰っているのに、すまないな。ありがとう。」
微笑んで受け取り、箱を開けて絶句した。
そこには春の色を散りばめた美しいドレスが入っていたのだ。いやいやいやいや…ちょっとまて。
「レイモンド様は令嬢にもなれますので、既製品ですが、取り寄せました。」
いやいやいやいや…。
「…令嬢になる気はないよ?」
口がうまく動かない。
今朝、ロイに父上との話を説明し、一見は百文にしかず と云う事で、実際に指輪を外してその変わり様を見せたのだ。
「しかし、公爵様はその選択肢を示されたのでしょう。であれば、従僕である私もその選択肢を示すべきだと思いました。選ぶのはレイモンド様です。」
なるほど。
普通、こんな話を聞いて畏怖しない者など どれ程居るだろうか。ロイはそんな奴じゃ無いと思ったからこそ、打ち明けた訳だが、こう出るとは思いもしなかった。
「…ありがとう。その忠心に報いると誓おう。」
「私は、レイモンド様が嫁ぐ時も一緒に参ります。」
「誰が嫁ぐか!!!!」
真面目な顔で言うロイに、声を荒らげるレイモンドだった。