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これは、私の恋じゃない  作者: ロジィ
うわさとハンバーガー
7/30

 瑞希に先導されるかたちで私たちが入ったのは、駅前のハンバーガーショップだった。

 こういった店に入るのはいつぶりかな。カラフルな店内が珍しくて、ついきょろきょろと見回してしまう。


「ああいうお店の食べ物は体によくないから、千佳ちゃんは食べちゃダメよ。ママがいくらでも作ってあげるから」


 そうやってママは私にファーストフードの類を禁止した。

 中学に進学してママを嘘でごまかせるようになるまで、私はファミレスにもカフェにもコンビニにも入ったことがなかった。

 私が飲み込む食べ物は、既製品以外すべてママの手作り。身体のほとんどがママの手を経たものでできているのだと思うと、それがときどきたまらなく気持ち悪くなる。


「次のお客様、どうぞ」


 カウンター内に立つ女性スタッフが私を見ながら片手を軽く上げた。


「先にいいよ」


 遥に促されてしぶしぶカウンターの前に進み出たものの、ずらりと並ぶメニューはどれも同じように見えて区別がつかない。

 どれがどの値段で、なにをどう選べば注文が完了するんだろう。注文のマニュアルもないなんて。もっと分かりやすくしないと新規客もつかないだろうに。お年寄りや子どもはどうするんだ。

 企業からしたら余計な(そしてたぶん必要もない)心配をしながら、助けを求めて女性スタッフを見たけれど、彼女は無表情にも思える笑顔を返してくれただけだった。

 無言のプレッシャーを感じて、私はどんどん焦ってしまう。

 ああもうそっちで適当に決めてください。

 そう言ったらこの人はどんな顔をするんだろう。そんな妄想に逃避し始めたとき、私の肩に手が置かれ、女性スタッフの鉄の笑顔が崩れた。


「俺はこれが一番好きなんだけど、千佳も同じのにしない?」


 長い指がメニューの上に置かれ、遥の声が私の鼓膜を震わせる。


「う、うん。じゃあ、それで」


 そう答えるのが精いっぱいだった。肩に乗せられたままの遥の手の重さと感触と体温に私の全神経が集中して、心臓が早鐘を打つ。

 遥がそのセットを二つオーダーすると、ぼうっと見とれていた女性スタッフは慌てたようにレジを打った。


「あ、私のぶんは自分で払うよ」


 私が財布を取り出すと、遥は「いいって」と笑った。


「今日は俺が誘ったから。その代わり、次は千佳がおごって」

「……分かった。ありがと」

「持ってくから先に行っててよ。瑞希ちゃん、待ってるみたいだし」


 うん、とうなずいて、私は瑞希が待つ席に行った。


「見てたよー。遥くんめっちゃ優しいじゃん。チッカ、愛されてるぅ」

「そういうんじゃないってば」


――はるかって優しいんだよ。私が困ってたらいつも飛んできてくれるの。


 チーの言ってたとおり、遥はすごく優しい人みたいだ。


――でしょう?


 ふん、と胸を張っているチーの姿が目に浮かぶ。

 そうだね。チーは私にたくさん嘘をついたけど、遥のことだけは全部、本当だもんね。


「ねえ、二人って結局どういう関係なの?」


 遥が席に着くなり、瑞希がド直球の質問を投げつける。

 なにが潤滑油だ。着火剤の間違いじゃないか。

 テーブルの下で足を蹴飛ばしてやったが、瑞希は素知らぬ顔でポテトを口に運んでいる。


「俺と千佳は幼稚園が一緒だったんだよ。そんで、そのときよく一緒に遊んでたんだ」

「へー、幼なじみってやつ?」

「幼なじみっていうにはだいぶ短い期間だったよね。私、こっちに引越してきて何カ月かでまた引越しちゃったから」

「え、なんで」

「お父さんが、ちょっとね」


 私がうつむいて言葉を切ると、なにかを察した瑞希が慌てて「でもこうやって再会できるとかマジ運命だよね!」と、明るい声を上げた。


――お父さんがいなくなっちゃったから。


 転園してきた理由を聞いたとき、チーはそう答えた。

 いなくなった、という衝撃的な言葉に怯んでしまった私は、それ以上追及できなかった。だから、チーの父親がいなくなったのは離婚したせいなのか、死んでしまったからなのか、いまも知らないままだ。

 もしかしたらパパとママは知っているのかもしれない。でも、あの家でチーの話をすることはもう許されない。

 遥は知ってるのかな、とふと思った。

 私が知らない、チーの父親がいなくなった理由を。


「そういえば、チッカ約束がどうとか言ってたじゃん。あれは?」

「それは、私が引越すときに遥と約束したの。大きくなったら星山高校で会おうねって」

「千佳、星山高校の制服着たがってたもんなー」


――とってもかわいいんだよ! わたし、あのせいふくではるかに会うの、楽しみだなぁ。あ、そのときはもちろんカーもいっしょね! やくそく!


 藍色のブレザーに、白と黒のチェックのスカート。ありふれたデザインだし、これよりかわいい制服なんていくらでもある。だけど、チーがこの制服の話をするときはいつも目を輝かせていた。


「私、この制服を着て遥に会うの、すっごく楽しみにしてたんだよ」


 右側に軽く首を傾けながら遥に笑いかける。何度も練習したチーの癖だ。

 遥がかすかに目を見張って、ストローの先から口を離した。


「……うん。よく似合ってる」


 嘘だ。

 私にはあんまり似合ってないことくらい、ちゃんと分かってる。


「あーいいなぁいいなぁ、めっちゃロマンチックじゃん! しかも約束の相手が遥くんとか羨ましすぎ! あーもう、あたしも昔どっかでイケメンと約束交わしてなかったかなぁ」


 足をバタつかせる瑞希を横目に、やたらと塩気の強いフライドポテトをかじる。

 さっき、オーダーに困っている私を助けてくれたこの人は、チーが話していたとおり、すごく優しい人なんだろう。

 私は、これからこの人を騙していくんだ。

 覚悟していたことなのに、胸がちくりと痛んだ。

 バカじゃないの。もうとっくに、どうしようもない嘘つきのくせに。

 胸に走った痛みをごまかすように、私はハンバーガーを手に取った。

 バンズに二枚のパテとチーズ、それに細切れのレタスが申し訳程度に挟まっている。持ち上げて口元まで運ぶあいだにレタスがぽろぽろとこぼれ落ち、はみ出たソースが指先を汚した。

……これ、ちょっと大きすぎない? しかもなんて食べにくい……。


「下手くそ」


 遥がくすくすと笑っている。恥ずかしくなって、かぁっと顔が熱くなった。


「ちまちま食うからだろ。もっと勢いよく、ガッといかなきゃ」


 遥は外見に似合わぬ豪快さでハンバーガーにかぶりついた。口の端についたソースをぺろりと舐め取る舌先の鮮やかな赤に、心臓がどきりと音を立てる。


「こうやって食うの。やってみ?」


 促されるまま、見様見真似でハンバーガーにかぶりつく。

 咀嚼すると、肉とチーズの塩気と旨味、レタスや玉ねぎのしゃきしゃき感、マヨネーズソースのわずかな酸味、そして小麦の香りと素朴な味が口の中で一つにまとまっていく。

……あれ、美味しい、かも。


「やっぱり下手くそ」


 遥の指先が私の口元をなぞる。思わず体が強ばって、レタスがまたひとつトレイの上にこぼれ落ちた。


「口の周り、ベタベタ」

「え」


 慌てて口を拭うと、茶色いソースがべったりと紙ナプキンを汚した。

……つまり、これがついてたってこと? あり得ない。あり得ないでしょ。


「これは特訓が必要だな」


 遥がぺろりと指先を舐める。

 あの、それは、さっきまで私の口元についていたもので。それは、つまり、その、いわゆる――。


「あーもう! 目の前でいちゃいちゃしないでー!」


 その叫びに瑞希の存在を思い出す。


「遥くんちょーイケメンだしチッカもかわいいし二人がいちゃついてるのぜんぜん見てられるけどでもやっぱり見てらんない。恥ずかしすぎてもうムリ限界許してお願い」


 なんだこの人。

 瑞希の支離滅裂な叫びに、周囲の視線が集まってくる。


「み、瑞希。あの、ちょっと声が大きすぎるっていうか――」

「うわぁぁぁ泣きたくなるぅぅぅ」

「なんかごめん」

「やだぁー! 謝られるとミジメになる!」

「はは、千佳の友達っておもしろいね」


 遥が楽しそうに笑った。


「……でしょ?」


 なんとか浮かべた私の笑顔はだいぶ引きつっていた気がする……。


******


 ハンバーガーショップを出て腕時計を見ると、四時半を回った頃だった。

 門限には間に合いそう。あとは間食したのがバレないように、なんとか夕食までお腹を空かせておかなくちゃいけないな。


「じゃあ、私たちは電車だから」

「遥くん、また明日ね!」


 遥に手を振って、私と瑞希は駅に向かった。

「千佳」と呼び止められて振り返る。伸びてきた遥の指先が私の前髪をすくい取った。突然すぎて避けられなかった。あらわになった額にかすかな風がよぎる。


「ああ……よかった。消えたんだ」


 私はじりっと体を引いて遥の指先からさりげなく逃れ、右手で前髪を押さえる。


「えー、なになに?」

「瑞希ちゃんには秘密。ね?」


 遥は人差し指を唇の前に立て、ふわりと笑った。私もそれに合わせて一緒に笑おうと思った。けれど、唇はうまく動いてくれなかった。体の真ん中で心臓が嫌な音を立てている。


「うあー気になるぅー! よし、もう一軒行こ!」

「じゃあ私は先に帰るから」

「あああー待って待って」


 瑞希がバタバタと私のあとを追ってくる。

 改札を通った私たちに遥が手を振ってくれた。それに手を振り返してエスカレーターに乗ったが、上昇速度が遅すぎてもどかしかった。遥の姿が見えなくなると、私はホッと息をついた。


「ねえねえ、さっきのってなに?」

「教えない。瑞希はあっちの路線でしょ。じゃあね」


 もう! と膨れている瑞希を置いて、私はホームに向かった。ちょうど入ってきた電車が風を巻き上げ、私の前髪がなびく。

 教えないんじゃない――知らないんだ。

 誰もが間違うくらいそっくりな見た目をしていた私とチーには、ひとつだけ大きな違いがあった。

 それは、チーの額の右上にあった五センチくらいの傷。

 赤い肉がミミズみたいにぷくっと盛り上がっていて、触るとちょっとぷよぷよしていた。

「痛そうだね」と顔をしかめた私に、チーは嬉しそうに笑った。


――これはねぇ、わたしとはるかのひみつなの。


 なんでも話してくれて、名前さえも私と分け合ってくれたチーが、それだけは最後まで教えてくれなかった。

 でも、遥は知ってるんだ。

 私の知らないチーが遥のなかにいる。

 私のなかにいるチーが急に不確かなものになったような気がした。


******


「うぇー、うまくいってんの?」


 瑛輔くんが、参考書の隅に落書きをしながら驚きの声を上げた。落書きは瑛輔くんの癖だけど、私の参考書でやるのはどうかと思う。

 今日のおやつはガトーショコラ。瑛輔くんのぶんも食べて、口の中にまとわりついたこってりした甘さをダージリンで流し込んだ。

 このあとに待っている夕食を思うと憂鬱だ。でも、私の食事の量が減るとママは心配してすぐ「病院に」とか言い出すから、そっちもしっかり食べなくちゃ。

 このままじゃ太っちゃうな、と机の下でお腹をさする。


「絶対ムリだと思ったんだけどなぁ」

「残念でした」


 あれから遥とは一緒に帰ったり、廊下ですれ違ったときにちょっと立ち話をしたりするようになった。……まあ、ほとんど瑞希も一緒にいるから二人きりではないけれど。

 今のところ、子ども時代の知り合いとして私と遥の距離はごく自然に、かつ順調に縮まっていると言えるだろう。


「でもぴーちゃん、その割にはなんだか浮かない顔してるけど」


 さすが瑛輔くん。するどい。


「私、チーのことなら、なんでも知ってると思ってたの」


 チーとカー。

 私たちは二人で一人、だったから。


「でも、遥は私の知らないチーを知ってるんだよね」


 チーはとてもおしゃべりだったから、私はいつも聞き役だった。

 いろんな話を聞いたけど、一番よく話していたのは遥のことだった。


――カーはだれか好きな人いる?


 パパとママかな、と答えた私に、チーはくすっと笑ってみせた。ほんのちょっと大人びた笑いかただった。


――カーは知らないんだ。「好き」には特別な「好き」があるんだよ。私は好きな人いるよ。ふじわらはるかっていうの。わたし、はるかのこと、すごく好き。


 特別な「好き」。

 チーは遥にどんな顔を見せていたんだろう。

 私が知っているチーと遥が知ってるチーは同じ人間なのに、どこかうまく重ならない。


「そりゃ、好きな相手の前と友達の前じゃあ見せる顔も違うよな。しかも初恋相手って特別だし」

「瑛輔くんもそうだった?」

「ノーコメント。さて、と、休憩は終わり。授業再開」


 逃げたな、と思いながら、しかたなく参考書に視線を落とす。瑛輔くんが描いた、猫のような犬のような生き物が二匹並んで私を見上げていた。

 遥の初恋相手って、やっぱりチーだったのかな。

 そんなことを考えながら、英文を読み上げる瑛輔くんの声を聞いていた。

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