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これは、私の恋じゃない  作者: ロジィ
二人の「ちか」
5/30

 玄関でチャイムが鳴り、ぱちっとまぶたが開いた。

 急速に意識が戻ってくる。いつの間にか眠っていたらしい。


「まあまあ先生。いつもありがとうございます。今日はパウンドケーキをご用意してあるんですよ。よろしかったら、授業の前に少し召し上がりません?」

「お誘いはありがたいですけど、まだ仕事もしてないのにそれはちょっと。親父にも怒られちゃいますし」

「そんな堅いことおっしゃらず。さあどうぞどうぞ」


 ドアの向こうから聞こえてくる会話に苦笑する。まったくもう。世話が焼けるんだから。

 ベッドから飛び降りた勢いのまま部屋を飛び出すと、一気に階段を駆け下りた。


「先生、待ってたんですよ。新しい教科書、一緒に見てほしくって」

「千佳ちゃん、そんないきなり……桜田先生に失礼よ」

「いやいや。それが仕事ですから。じゃあ、予習も兼ねてざっと目を通そうか」


 階段を上がりながら、私たちはママに気付かれないよう、こっそりと視線を交わし合う。

 それは共犯者の合言葉。


「……あー、助かった。ぴーちゃん、サンキュ」


 部屋に入ってドアを閉めた瞬間、瑛輔(えいすけ)くんが、ホッとしたように漏らした。


「もう、瑛輔くん、そんなビジュアルで気弱すぎ」

「それとこれは関係ないだろ。人間性の問題だよ」


 瑛輔くんは、シルバーアッシュのツンツン頭をがりがりと掻いた。

 派手な頭髪に、卑猥な英単語が羅列された穴だらけの長袖Tシャツに赤いレザーパンツ。

 そんなパンキッシュなスタイルに身を包んだ、私より五つ年上の瑛輔くんは、有名大学医学部の学生であり、総合病院の院長の一人息子でもある。

 R製薬という製薬会社に勤める私のパパと瑛輔くんの父親が仕事を通じて仲良くなったのが縁で、瑛輔くんは三年前から家にやってくるようになった。

 初めて瑛輔くんが来たときのことを思い出すと、今でも笑いがこみ上げてくる。

 長い金髪を後ろで結わえ、あちこち鋲が打ち込まれたジャケットに膝小僧が丸出しになるダメージジーンズ、歩くたびにじゃらじゃらとぶら下がったチェーンが鳴る、そんなスタイルで現れた青年が、


「初めまして。桜田瑛輔です。ふつつかものですが、よろしくお願いします」


 と、うやうやしく差し出した高級和菓子店の菓子折りを、愕然とした表情のママが受け取るというカオスな状況だったからだ。

 ママは「あんな人と千佳ちゃんを二人きりにするなんて」と抗議したが、パパは「彼は優秀だから」と言って取り合わなかった。

 たしかにパパの言うとおり瑛輔くんは優秀で、家庭教師としても超一級の人物だった。

 もともと私の成績も悪くはなかったけれど、星山高校の新入生代表にまでなれたのは間違いなく瑛輔くんのおかげだ。

 あれだけ瑛輔くんを拒絶していたママも、今ではすっかり瑛輔くんを信頼しきっている。瑛輔くんは、天性の人たらしなのだ。

 けれど、瑛輔くんが私にとって他の人と違う存在になったのは、出会ってすぐに私を「ぴーちゃん」と呼んだからだ。


「籠の中の鳥。だからぴーちゃん。でしょ?」


 嘘が通用しない、本当を見抜ける人。だからこそ上手に嘘が付ける人。

 だから私は、目的達成のために瑛輔くんを共犯者に選んだんだ。

 私の目的は二つ。

 星山高校で再会するというチーと遥の約束を守ること。

 そして、チーの初恋を叶えること――つまり、遥にチーを――チーとして(・・・・・)私を好きになってもらうこと。


「んで、ぴーちゃん。首尾は?」

「バッチリ」


 今日のできごとをすべて報告すると、瑛輔くんは「うへ」と変な声を漏らした。


「死んだ友達の初恋を引継ぐなんて、絶対ムリだと思ったんだけどなぁ」

「ちょっと。協力者がそういうこと言わないでよ」


 私がにらみつけると、瑛輔くんはがりがりと頭を掻いた。


「いやいや。俺、けっこう頑張ったと思わない? 探偵事務所でバイトしたことある後輩使って、遥くんの写真もゲットしたし、志望校が星山高校だってことも調べ上げたんだぜ?」

「それは瑛輔くんじゃなくて、その後輩さんが頑張ったんでしょ」

「俺は完璧なシナリオを作ってやったろ」

「あれが完璧? 結果としてうまくいっただけで、三流ドラマみたいにベタな演出で、私、最初っからおかしいと思ってたし。スピーチの途中で『……遥』なんてさ。ダサすぎ、クサすぎ、時代遅れすぎ」

「えー。ぴーちゃんだってイケると思ったから乗っかったんでしょ?」

「仕方ないでしょ。どうせ私みたいにロマンの欠片もない女は、押しかけるくらいしか思いつきませんから」


 瑛輔くんに協力を持ちかけたとき、「どうするつもり?」と聞かれた私が「同じ高校に入って話しかければどうにかなると思う」と答えたら、瑛輔くんは全身全霊で「信じられない!」」と叫んだ。


「ぴーちゃんってロマンの欠片もないね。それで人の心をどうこうしようなんてぜったい無理」


 かくして遥に近付くためのシナリオは瑛輔くんが担うことになった。

 新入生代表に選ばれた美しく成長した幼なじみと全校生徒の前で感動の再会……。初めて読んだときはピンクのお花が飛び回るような甘ったるい世界を私が演じるのかと青くなった。

 しかし瑛輔くんはこのシナリオに絶対の自信を持っていたらしく、はっきりと言い切った。


「恋の始まりとは予想外の出来事から始まるんだよ。食パンくわえて遅刻遅刻~! からの衝突アーンド転校生! みたいなさ」

「ちょっと何言ってるか分かんない」


 結局押し切られるかたちで私は瑛輔くんに従うことなり、受験勉強と並行して演技指導も行われた。

「もっと切なげに!」「ここは声のトーンを落として!」と、授業よりもずっと熱が入っていた気がする……。

 なんとかうまくいってよかったけど、ちょっとだけ癪に障るのはなぜなんだろう。


「とにかく、本当に大事なのはここから。どうにかして遥に私を好きになってもらわないと。なんかいい案ある?」

「うーん……」


 瑛輔くんは目を閉じて腕組みをすると、ぴん、と人差し指を立てた。


「一つ、これだってのはあるよ」

「なに?」

「ぴーちゃんが遥くんに恋すること」

「は?」


 呆れた声を出した私に、瑛輔くんは「これだからなぁ」と呟いた。


「本当に自分を好きになってくれた相手ってのは、多少なりとも魅力的に見えるものなんだよ。ぴーちゃん」

「でもそれは無理。私はぜったい遥を好きにならない。これは、チーの恋なんだから」

「一生自分に嘘をつき続けるのはキツイと思うけどなぁ」

「いいの。私、嘘は得意なの」


 そう、私は最悪の嘘つきだから。

 誰かの大切なものを簡単に奪ってしまうくらいの、ひどい嘘つき。


「その歳で男を騙そうなんて、ぴーちゃんもひどい女だね。――さて、それはさておき、本来の仕事をしようか。そろそろおばさんがお茶を持って来る時間だしね。ほら、教科書出して」

「はいはい。瑛輔くんの分のパウンドケーキは、ちゃんと食べてあげるね」

「いつもすみませんね」


 瑛輔くんは甘いものが苦手なのだ。

 それなのに、はっきり断れないだけでなく、相手を喜ばせるように「おいしそう」「すごい」「大好物なんですよ」なんて言っちゃうものだから、ママのような人を喜ばせて、次から次へと押し付けられる羽目になるのだ。


「優しすぎるのも考えものだよ」

「自分のせいで誰かが嫌な思いするのが好きじゃないんだよ。ほら、俺は平和主義者だからさ」


 KILL YOU! とデカデカとプリントされたTシャツを着た瑛輔くんは、へへ、と照れくさそうに笑った。

 瑛輔くんが帰ってからママと二人きりの夕食を済ませたあと、パンパンになったお腹をさすりながらベッドに横たわっていた。

 さすがに二人分の(しかも瑛輔くんのほうは特別ビッグサイズの)パウンドケーキも食べたあとだと、ちょっとキツかったな。

 いつものようにベッドのマットレスの下に手を入れると、隠していたノートを引っ張り出した。何度も出し入れしているせいで、黒い厚手の表紙は角が擦れてぼろぼろになっていた。

 チーがいなくなって初めてのお正月、私はお年玉でこのノートを買った。

 六歳の子どもにはずいぶんと大人びたデザインだったけれど、一生持ち続けなければいけないものだからと、店で一番丈夫そうなものを選んだ。

 表紙を開くと、端が黄ばんだ一ページ目に五歳の私がシャープペンシルで書き込んだ文字が並んでいる。何度も指でなぞったせいで、ずいぶん薄くなってしまった。


『ふじわらはるかと、せいざんこうこうで会う』


 ここには、私が知ってるチーのすべてを書き込んである。

 チーが話したことはもちろん、好きなもの、嫌いなもの、どんなときに怒ってどんなときに悲しくなるのか。笑うときの癖、話しかたの特徴、仕草……。

 このノートはチーそのものだ。

 たとえ明日、私がすべての記憶を失ってしまっても、チーのことだけはちゃんと残しておかなくちゃいけない。忘れることなんか許されないから。

 本当はもっと大切にしまってあげたいけど、ママはときどき勝手に私の部屋に入るから隠しておかなくちゃ。ごめんね、チー。


 一つ目の目的はクリアした。

 次は、二つ目。


――わたし、はるかのこと大好きなの。世界でいちばん、大好き。


 チーの初恋は私が叶えてみせる。

 私はひどい嘘つきだけど、チーにだけは、もう嘘をつかない。

 約束するよ、チー。

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