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二日間に渡って行われた文化祭で、私たち文芸部と美術部の合同企画は大変な盛り上がりを見せた。
敏腕プロデューサーの面目躍如というか、瑞希の目論見はことごとく当たり、フォトスポットと遥&桐原先輩によるレンタル王子のうわさを聞き付けた女子たちが行列を作り、急遽整理券を配布する事態にまでなった。
撮影係として遥と私がペアになると周りからいろいろ言われるだろうから、と気を遣ってくれた瑞希が遥と組んでくれたけれど、一時間半後に交代するときには「イケメン恐るべし……」とげんなりしていた。
私も私で、桐原先輩の女子人気を目の当たりにして驚く羽目になった。
「お願いです、私も文芸部に入れてください!」
「ごめんね、入部できるのは僕に興味がない人だけなんだよ。じゃないと落ち着いて本も読めないからね」
「そ、そんなぁ……」
という愁嘆場が何度か繰り広げられたが、女子側も「ふふ、ああいうとこが好きなのよね……」とどこか嬉しそうな顔で帰っていくのだから、先輩はマゾっ気のある人に好かれやすいのかもしれない。
文化祭が終わりに近付き、さすがに校舎に人の気配は薄くなっていた。大盛況だったフォトスポットにも来場者はなく、撮影係を担当していた私と桐原先輩は手持ち無沙汰で廊下にいた。
「ねえ千佳ちゃん、これいい写真だと思わない?」
桐原先輩が指さす先には、構図見本の写真一覧が壁に貼られている。先輩はそのうちの一枚からピンを外した写真を私の前にぶら下げた。ガラスの靴を差し出す遥の肩越しにレンズを見つめる私の姿が正方形の枠の中に収められている。
「千佳ちゃんこの切ない表情、自分がついた嘘と王子への愛で板挟みになって苦しんでいるお姫様そのものだ」
「嘘……って、どういう意味ですか」
「別に深い意味なんかないよ。これは僕の純粋な感想」
トランプを操るマジシャンのように人差し指と中指で挟んだ写真をひらひらとさせたあと、先輩は私のブレザーの胸ポケットに滑り込ませると、「プレゼント」とにっこり笑った。
「先輩はどうしてこんな話を作ったんですか?」
「あれ、千佳ちゃんは気に入らない?」
「そういうわけじゃないですけど……純粋な疑問です」
先輩の作った物語は、まるで私の嘘をあげつらうような内容だった。だけど、私の嘘について知っているのはパパとママと、そして遥だけ。共犯者である瑛輔くんだって、私がチーを殺してしまったという核心については話していない。
それなのに、まるで私の嘘をあげつらうような話をどうして先輩が? 偶然にしてもタイミングがよすぎる。
「僕は気に入ってるんだけどなぁ。一見すれば美しい愛の物語。だけど、裏を返せば欲しいものに手を伸ばす強欲な女の物語。その二面性が魅力的だよね」
「だけど、それを汚いとか卑怯だとか思う人もいるんじゃないんですか」
「ふん、だから千佳ちゃんはこの物語にあんな結末をつけたんだ」
桐原先輩はくすりと笑った。
私が提出した物語の結末。それは、本物のお姫様が現れて女の嘘を暴き、女は国外に追放。王子様は本物のお姫様と結ばれて幸せになる、というものだった。
「女の行方は誰も知らない、か。なかなか文学的な終わりだけど、ハッピーエンドではないよね」
「でも現実的ですよね」
「物語に求めるのはリアルじゃなくてリアリティーなんだけどなぁ」
ハッピーエンドで終わらせられるのは、作者の気分次第でどうとでもなる作り物だからだ。
現実なら女の嘘なんか最初から通用するわけないし、万が一通用したとしてもすぐバレるはずだ。本当のことを知れば、王子だって怒りを覚えるはずだ。女のことなんか二度と思い出したくないほどに。
そして、嘘の上に生まれた愛なんて、真実が明かされてしまえば簡単に死んでしまう。
――それでも……俺は、嘘をつかれるのは嫌です。
消え入りそうな声で吐き出された遥の言葉を思い出し、私の胸に痛みが走った。遥にあんな声を出させてしまったのは私だ。
「おや、うわさをすれば王子さまの登場だ」
桐原先輩が私の背後に視線を向けた。振り返ると、気まずそうな顔をした遥が立っている。そういえば、と改めて考えると、私と遥はかたちだけとはいえ付き合っている? いた? 人で、桐原先輩は私に告白した人なんだった。
複雑なトライアングルが描かれた人気のない廊下で、私たちはしばらく沈黙の中にいた。
「遥くん、どうしたの? 撮影係の順番は僕たちで終わりのはずだけど」
「……もうすぐ終わりだから迎えに行こうって瑞希ちゃんが」
「ああそう。で、その肝心の瑞希ちゃんは?」
「なんかクラスの友達に呼ばれて、後で行くからって」
「そうなんだ。いやぁでも瑞希ちゃんのおかげで美術部と文化祭実行委員会にもずいぶん感謝されたよ。これで文芸部の立場もしばらく安泰だね」
桐原先輩は感慨深げに美術室内に作ったコンセプトルームと、私たちの目の前にあるフォトスポットを眺め、「そうだ」と手を打った。
「せっかくだから僕も記念に写真を撮ってもらおうかな。千佳ちゃん、レンタルお姫様よろしくね」
「わ、私とですか?」
「だって今の時間の撮影係は君と僕でしょ? 遥くんはカメラマンよろしく。シャッターチャンスは逃さないようにね」
「いや、俺は……」
いいからいいから、と先輩は強引に私を椅子に座らせて、遥にスマホを押し付けた。
……仕方ないか。まあ、写真くらい。それにこれは撮影係の仕事だし。
私は小道具であるガラスの靴に手を伸ばしたが、桐原先輩がそれを制した。
「ああ、あれは使わないよ。あのシーンは分かりやすくウケ狙いで入れたものだから。本当はね、こうしようと思ってたんだ」
先輩は厳かに私の前にひざまずき、手を取った。眼鏡のレンズの向こうからまっすぐに向けられた視線が絡みついて、私は動けなくなってしまう。
「私は、あなたをあなたの嘘ごと愛しましょう。どうかその嘘の奥にある私への真実の愛を、私に見せてはいただけないでしょうか」
真剣な声で伝えられた台詞に思わずドキリとした。
そして先輩は私の指先に軽いキスを落とした。優しく触れた唇は柔らかく熱くて、離れていった後もその熱が指先にくすぶり続けた。
「こういうのはどうかな? 遥くん、うまく撮れた?」
「……すみません。操作の仕方が分かんなかったんで撮れませんでした。千佳、そういえばさっき塚本先生が探してた。行こう」
遥は放り投げるようにして先輩にスマホを返すと、私の腕をつかんだ。遥らしくない乱暴さだった。
「あ、でも私まだ撮影係だし……」
「オッケーオッケー。あとは僕がやっておくよ。お疲れ様」
桐原先輩がにこにこと手を振って私たちを見送った。
この人の考えていることは相変わらずよく分からない。遥の前で私を好きだと言ってみたり、こんな挑発的な行動を取ってみたり……そのくせ、私に何か恋愛的なアプローチをしてくるわけでもなく(してほしいわけではないけれど)、私の気が変わるのをのんびりと待っているだけだ。
――私は、あなたをあなたの嘘ごと愛しましょう。
甘く私を誘うような先輩の声を振り切るように、私は大きく頭を振った。
遥はぐいぐいと私を引っ張って人影もまばらな校舎を歩き回った。闇雲に進み続けるその後ろ姿に「遥」と何度か呼びかけたけれど、返答はなかった。
「――遥、ちょっと痛い」
つかまれた腕の痛みに耐えきれずに私が訴えると、遥はハッとしたように手を放して「あ……悪い」と呟いた。
私たちが立ち止まったのは一般客の立ち入りが禁止されているエリアで、生徒の姿もなかった。触れたらプルンと揺れそうな夕日のオレンジ色が校舎に満ちている。
じん、と痺れた腕を撫でさする私に、遥は首の後ろを掻きながら「悪い」ともう一度言った。
「ううん、平気だけど……。ところで塚本先生は?」
「……さあ」
「え?」
「それ、嘘だから」
どうして遥がそんな嘘をつくの?
私がよほど不思議そうな顔をしていたのか、遥が「ふ」と息を漏らして少し笑った。いつ振りかに目にした笑顔に胸が詰まって苦しくなる。
遥はさっき桐原先輩がキスをした私の手を取って、じっと見つめた。さっきの乱暴さとは全然違う優しい触れ方は、私がよく知っている遥の感触だった。
「あんな写真、撮りたくなかった」
私の手をきゅっと握ると、遥はブレザーの袖口でごしごしと擦った。どこにいたって見つけられる「特別」な遥だけの藍色が私の上を滑る。
痛いよ、と言いかけて顔を上げると、遥の視線とぶつかった。何かを請うような遥の視線に、私は言葉を飲み込んでしまう。
「これで、消えたかな」
遥は笑っているのに、どうしてか私には泣いているように見えた。遥の指先がそっと私の前髪を払い、そこにはない傷を確かめるようにじっと見つめた。
「俺が知ってるほうの『ちか』にはまだ傷が残ってた?」
「……うん」
「そっか」
窓際の壁に寄りかかった遥に夕日のオレンジが降り注いで、その色で染めていく。
「俺さ、小さいときけっこう人気あったんだよ。しかもそれを鼻にかける嫌なガキだった。遊びたいならおもちゃ持ってきてよとか、お菓子くれるならいいよとかさ。でもあいつに『そんなの友達じゃない!』ってブチ切れられてちょっと反省したんだ。それで俺とあいつは友達になった」
遥が語るチーは私の知らないチーなのに、どことなく「ああ」と腑に落ちるところもあった。
やっぱりチーはすごいね。ちゃんと自分で遥の隣に居場所を作ったんだ。
私とは大違いだ。
「でもそのせいで、あいつはいじめられるようになった。特に、俺と仲良くなりたくていろんなものをくれてたような奴らに仲間外れにされたり、靴隠されたり、叩かれたり、けっこうエグイこともされてよく泣いてた。だから俺が守ってやるから泣くなってよく励ましてた。でも――」
遥は言いよどむように言葉を切ると、苦しそうに眉を寄せた。
「一緒に遊ぼうって約束してたのすっかり忘れて、俺は友達とサッカーしてたときがあってさ。俺を待ってるあいだ、一人で砂場で遊んでいたあいつを何人かが囲んで、俺に近付くなって詰め寄ったらしい。突き飛ばされて転んだところにデカい石があって、あの傷ができたんだ。完全には消えないだろうって医者に言われたんだってさ。だから、そんなふうにきれいさっぱり無くなるわけがないんだよ」
「それで……私がチーじゃないって気付いたんだ」
「チー? 何それ、あだ名?」
「私たち同じ名前だから、半分こしたの。遥が知ってる『ちか』はチー、私はカーっていうふうに」
へえ、と遥は私を見た。少し面白がってるみたいだった。
もしチーが生きていたら、私たちが出会ったときにこんな話ができていたのかもしれない。
三人で仲良くなって、チーは遥が大好きで、きっと遥もチーを好きになって、私は……その隣で何を思っているんだろう。
「で、その傷ができたのは俺の責任だからさ、約束したんだ。これからはずっと俺がお前を――ええと、チーを、守るって。あと、傷が消えるまで俺は二度とサッカーはしないって」
――これはねぇ、わたしとはるかのひみつ。
額の傷と約束。
それが、チーが大切に抱き続けた秘密なんだ。
「知らなかったんだろ? 俺が『ずっと千佳を守る』って言ってもピンときてなかったみたいだし、知ってたらサッカー部に入れ、なんて俺に言うわけないもんな」
「チーは、自分と遥だけの秘密だからって教えてくれなかったの。でも、遥のことはよく話してくれたし、最後には必ず遥が大好きだって言ってた」
「そっか」
遥はまた手を伸ばして私の前髪の下に指先を潜らせると、傷のない額を撫でた。何となく、だけど、遥はチーに別れを告げているように見えた。
「あいつは、傷が消えないうちに死んじゃったんだな。じゃあ……俺はもう一生サッカーできないな」
寂し気な声がオレンジ色で満ちた廊下に響いた。このままじゃ私たちは溺れてしまう気がした。だって、こんなにも息が苦しい。
遥は柔らかく微笑むと手を引き、寄りかかっていた体を起こすと私から一歩遠ざかった。
「俺が海に落ちたとき、助けようとしてくれてありがとう。ずっと、それだけ言いたかった」
「ま、待って!」
私は思わず叫んでいた。
そして、それと同時に先輩が作った物語の主人公であるあの女の気持ちが唐突に理解できた。嘘をついて異国の姫のふりをしてでも、たとえバレて処罰されたとしても、王子のそばにいたかったんだ。
この人のそばにいたい。
ただそれだけの純粋な欲が私を叫ばせた。
だけど――私はどんなにあがいてもチーにはなれない。
この世界を作った神様がいたとしても、そんなふうに私たちの物語の結末を書き換えることなんかできないんだ。
『本物のお姫様によって嘘が暴かれた女は、王子に国外追放を言い渡される。女はもう二度と王子に会えない場所へと姿を消すしかなかった』
やっぱり、私が書いた物語の結末が一番現実的だ。
遠ざかっていく遥の背中にかける声はもう、私には残っていない。窓から差し込む夕日の燃えるようなオレンジ色だけが、遥に手を伸ばし続けていた。




