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これは、私の恋じゃない  作者: ロジィ
嘘つきなお姫様
24/30

 二学期が始まって一週間ほど経った昼休み、廊下に夏休み明けすぐに行われた実力テストの結果が貼り出されると、かすかなどよめきが起きた。


「ちょっとチッカ、どうしちゃったの?」

「……どうしたって、何が?」

「だってチッカが八位なんておかしいじゃん!」

「私だって調子が悪いときくらいあるの。それより瑞希、おめでとう。頑張ったじゃない」


 四十八位のところにある「近藤瑞希」の名前を指して、私は小さく拍手した。

 今回初めてこの一覧に名前が載ったのだから大はしゃぎしてもいいはずなのに、今日の瑞希はムスッとして「そんなのどうでもいいし」とふてくされていた。

 私が不調なのは、毎日ずっと迷っているせいだ。

 おばさんに会いに行かなくちゃいけない。でも、電話番号が並んだスマートフォンの発信をタップしてしまえば、私はもう逃げられないのだと思うと、どうしても指が動かなかった。

 今日こそはと目を覚まし、ぐずぐずして一日が終わり、明日こそはと目を閉じる。そんな日々を繰り返して、正直勉強どころじゃなくて瑛輔くんの授業もうわの空。この間なんか「今日はここまでにしとこうか」といつもより早く切り上げられてしまった。


「やっぱり、遥くんとのことが原因?」


 知らず知らずのうちに「藤原遥」の名前を探していた私は、慌てて視線を掲示板から引きはがした。腕を組んだ瑞希が大きくため息をつく。

 あの日以来、私と遥は一切の関わりを持っていない。移動教室のときや休み時間、遠くから姿を見かけるくらいだ。隣のクラスがこんなにも遠いものだとは思わなかった。


「気になるなら会いに行けばいいじゃん。チッカと遥くんが一緒にいないとあたしの調子までおかしくなっちゃうじゃない。遥くんも頑固だよねー。あれからずっと部室にも来ないじゃん」

「仕方ないよ。私が悪いんだから」


 私が悪い、と口では言いながら、私はまだ瑞希に嘘をつき続けてる。瑞希が本当のことを知ったらきっと私から離れていくだろう。

 いつかはバレる。でも、もう少し。こうやって私はまた自分をごまかす嘘にずぶずぶとはまり込んでいく。

 

「もしなんかあったらこの恋愛マスターにちゃんと相談してよ。しっかりばっちり解決してあげるんだから!」


 どん、と胸を叩いて笑った瑞希の背後から「やだー」とからかうような声が飛んできた。その発生源は通りかかった吉田さんと西岡さんと伊東さんだった。

 吉田さんが停学処分となり、西岡さんたちも厳重注意を受けたあの事件のあと、三人は他の生徒たちからすっかり腫物扱いされていた。はっきり無視されるわけでもなく、かといって仲間に入れてもらえるわけでもなく、そこにいるような、いないような……みたいな存在だ。

 でも西岡・伊東コンビはそうなった原因である吉田さんを切り捨てることもなく、未だに一緒にいるのだから、あの人たちの絆は私が思っていたよりもずっと固いのかもしれない。


「ちょーっとたまたま成績よかったからってはしゃいじゃって」

「ねー。どうせカンニングとかでしょ?」

「あ、ごっめーん。中学校時代くそダサで空気読まずのいじめられっ子で不登校だったあたしがはしゃいでちゃ迷惑だよねぇ。ところでここにみなさんのお名前がないみたいなんだけど、何位だったか教えてもらっていいですかぁ?」

「う、うるさい!」

「行こ!」


 パタパタと走って逃げていく三人のうしろ姿に、瑞希はふん、と鼻を鳴らした。


「吉田さんたちってさ、昔あたしをいじめてたやつらになんか雰囲気似てるんだよね。だから大っ嫌いだったんだけど、案外大したことないんだね」


 そう思えるようになったのはきっと、瑞希が強くなったからだ。だからもう、かつて瑞希がまとっていた鎧のような装飾が必要なくなったんだろう。

 過去を受け入れて成長した瑞希の姿は、ぐだぐだと同じところに留まり続ける私にとってまぶしすぎた。


「あ、それよりチッカ。ぶちょーの告白どうなったの? ちゃんと断れた?」

「う……それが」


 遥の目の前で私に突然の告白をした桐原先輩は、あれからずっと「お付き合いはできません」という私の答えをのらりくらりと(かわ)し続けている。


「それは今の千佳ちゃんの気持ちでしょ? でも人の気持ちなんて一秒後にでも変わる不確かなものだからね、僕は未来の可能性に賭けるよ」


 そしていつものようにアガサ・クリスティに目を落として完全シャットアウト。私の返事は受け取ってもらえないまま、宙ぶらりんでほったらかしにされてしまう。


「困ったもんだね。チッカももっとガツンと言ってやんなきゃ! そうだ、さっきぶちょーから連絡あったけど、今日の放課後になんか全員集合の緊急ミーティングやるらしいよ。」

「ああ……そういえばメッセージきてたっけ」

「そこでガツーンと言ってやりなよ!」


 うん、まあ、と曖昧な返事をしながら、私はそのミーティングとやらには遥も出席するんだろうか、と思っていた。


******


 放課後の部室に集まったのは、私と瑞希、それに招集をかけた桐原先輩の三人だった。

 いつもは雑然としている部室だが、今日は会議テーブルがコの字に並べられているうえに、ホワイトボードまで用意されており、いかにもミーティングといった雰囲気を醸し出している。


「まだ全員来てないけど、時間だし先に始めてようか。さて今日みんなに集まってもらったのは、他でもない――」


 やっぱり遥は来ないか。そうだよね、私がいるところに来るはずがない。

 そのとき部室のとびらが開いて、桐原先輩が言葉を切った。

 入ってきたのは文芸部の顧問であり、私たちの担任でもある塚本先生だった。

 先生はこの部の、いわばお飾り顧問で、活動には関知しないという話だったけれど、いったいどうしたんだろう。何か大変な事態でも起こっているのだろうか。

 私と瑞希は顔を見合わせたが、瑞希も状況が読めずに困惑した表情を浮かべている。


「もう始めていたのか。――さあ早く入りなさい」


 塚本先生が肩越しに呼びかけると、しぶしぶといった様子で入ってきたのは遥だった。うつむいて、不満げな表情を浮かべている。


「部員全員集合だと伝えるようにと言っただろう。私が見かけたからいいものの、藤原は帰ろうとしてたぞ」

「やだなぁ、先生。僕は遥くんにもちゃんと連絡しましたし、結果的に全員集まったならいいじゃないですか。さてさて、それでは仕切り直して――」


 少しは慣れたとはいえ、私たちがまだ委縮してしまう塚本先生の眼光の鋭さを、桐原先輩はへらへらと受け流した。尊敬できるような気もするし、見習いたくないような気もする先輩の姿である。

 遥は少し迷って、私から斜め向かいに座った。

 そちらを見てはいけないと、私は前方のホワイトボートに視線を向けた。けれど、磁石に吸い付く砂鉄のように体の細胞ごと遥のほうに意識が引き付けられてしまう。ざわざわする胸の内がちっとも落ち着いてくれない。


「今日みなさんに集まっていただきました理由は、文化祭の相談をしたかったからです。文化祭と言っても、うちの高校はあんまり力を入れていないんだけど」


 こほん、と塚本先生が鹿爪らしい顔で咳ばらいをすると、桐原先輩は「ああすみません」とまたへらりと笑った。


「ええと、意欲あふれる学生生活の一環として、我が文芸部も何かしら企画を提出しなくちゃいけないんだ。しかも、急なことに提出期限は明後日でね」

「……さすがに急すぎる気がするんですけど、まさか部長が忘れてたわけじゃないですよね」


 遥が疑いの眼差しで桐原先輩を見た。たぶん私と瑞希も同じような目をしているはずだ。


「いやいやははは。別に忘れてたわけじゃないよ。無意識のうちに先送りしていたってだけというか」

「世間ではそれを『忘れていた』と表現する。ひとつ賢くなったな、桐原」


 塚本先生が現代文の教師らしいツッコミをいれて、瑞希がぷっと噴き出した。小さな笑いが起きて、部室の雰囲気が少し軽くなる。遥の表情もわずかに緩んだような気がした。


「まあそんなこんなで僕も責任を感じているわけで、ひとつ企画を考えてきましたのでご容赦を。僕が考えたプランでよければこのまま提出して進めようかなと思うんだけど、どうかな?」

 

 桐原先輩はA4用紙を数枚束ねた資料を私たちに配り、説明を始めた。

 先輩の企画案では、文芸部と美術部が合同で行うものであることが前提となっていたが、さすがの人脈と言うべきか、ここはすでに話をつけてあるらしい。

 企画の内容は、まず文芸部が架空の物語を作り、それをもとに美術部がコンセプトルームを作製、来場者にその物語の世界を体験してもらおう、といったものだった。


「けっこーいいんじゃない? SNS映えするように作れば、お客さんのウケもよさそうだし」


 瑞希がプロデューサーよろしく、ふんふんとうなずく。

 反対意見が特に上がらなかったため、桐原先輩は「では次に」と議題を先に進めた。


「その物語の大筋を考えてみたんだ。あんまり複雑にすると分かりにくくなるから、ごくシンプルなおとぎ話って感じだけど。資料の三ページ目をどうぞ」


 忘れていた割にはしっかりと準備がされていて、桐原先輩に誘導されるかたちでミーティングが進んでいるような気がする。

 もしかして私たちの拒否権を奪うために、提出期限ぎりぎりである今の今まで黙っていたんじゃないだろうか……という疑いを抱きながら、桐原先輩が作った物語とやらに目を通した。


『お話の舞台は、むかしむかしの遠い国。一人の女がその国の王子に恋をする。平民であるその女と一国の王子の恋など叶うはずもない。

 しかし、諦めきれない女は一計を案じる。馬に乗った王子の前に我が身を投げ出し、王子に自分は遠く離れた異国の姫で、王位をめぐる争いに巻き込まれて逃げてきたのだと嘘をつく。

 そして、追手がすぐそこまで迫っている、もし捕まれば犯してもいない罪に問われて死刑にされてしまう、助けてほしいと涙ながらに訴えた。優しい王子は女の言うことをすっかり信じ、城にかくまうことにする。

 次第に女に惹かれていく王子。自分と結婚してほしいと国の宝であるガラスの靴を女に捧げる。しかし、女は自分の嘘が発覚することを恐れて王子の愛を受け入れられない』


 いろんな童話を組み合わせてアレンジしただけの、どこにでもあるような話だった。けれど、あまりにも身に覚えがありすぎて、私はますます遥のほうを見ることができなくなった。

「どうかな?」と無邪気に意見を求めてくる桐原先輩がこんな話を作ったのは、ただの偶然だろうか。いきなりの告白といい、この人の行動は今一つ読めなくて、迷ってばかりの私をさらに惑わせてくる。

 私の隣で瑞希がううんと唸った。


「お姫様と王子様ってなんかロマンチックでいいと思いますけどぉ、この話、ここで終わったらバッドエンド過ぎません? みんなに体験してもらうにしては暗すぎっていうか」

「ああ、結末についてはみんなで話し合おうと思ってね。ほら、一応文芸部の作品として出すわけだし。もちろんハッピーエンドにしなきゃいけないとは思うんだけど……遥くん、君ならどういう結末がいいと思う?」


 視界の端で、突然話を振られた遥が戸惑うように身じろぎした。「俺は」と小さく呟いて、手元の資料に視線を落とし、再び顔を上げる。


「俺は、本とか読まないんで、よく分かんないです。ただ……この嘘をついた女は、どうして最初から本当のことを王子に言わなかったんだろうって思います。そしたらこんなことにはならなかったのに……って」


 遥の言葉がまっすぐ突き刺さり、私は反射的に手を握りしめていた。

 私と遥の境遇によく似た物語が、手の中でくしゃりと歪む。


「ふむ、なるほどね。でも嘘をついたからこそ二人は出会えた。そう考えることもできますよね、塚本先生?」


 桐原先輩に水を向けられた塚本先生は、少し考えるようにしてから、言葉を一つひとつ噛むようにして発言した。


「作者が意図するところと読み手の感覚は必ずとも一致しない。また、する必要もないと私は思っている。ただ……『なぜ』と考察する姿勢があったほうが有意義だとは思う」

「ええっと……つまり?」


 おそるおそる口を挟んだ瑞希は、ぎろりと塚本先生に視線を向けられて「ひえっ」と身をすくめた。

 立ち上がった塚本先生が、授業で文法を解説するように説明し始める。


「つまりだ。この女は『なぜ』嘘をついたのか。王子と出会うためだ。では、藤原が言うように『なぜ』最初から本当のことが言えなかったか。これは物語に書かれていないから各人の推察になる。近藤はどう思う」

「うーん……平民と王子様で身分が違うから釣り合いが取れないと思った、とか?」

「確かにそうだ。それに加えて私は、女は怖かったから嘘をついたのではないかと思う。平民である本当の自分のままでは、決して王子に愛されるわけがない。だから異国の姫だと偽ったのだ。そうすればきっと愛されるはずだと信じて」


 そう聞いたら、さっきまで利己的この上なくていけ好かない存在だったこの女が、なんだか急に哀れに思えてきた。

 瑞希は眉間にしわを寄せて、もう一度この物語を読み返している。


「もちろんこれが唯一の正解ではない」


 塚本先生がホワイトボードに『なぜ』と書き込んだ。


「生きていればさまざまなことが起きる。自分の意にそぐわないことを、おかしい、納得がいかないと断じて切り捨てるのは簡単だ。だが、そこで『なぜ』と考えるからこそ他者や世界への理解が深まる。そして、それが本を読む意義でもある……と、私は考えている」


 部室に沈黙が流れる。そこにいる全員が塚本先生の話を咀嚼(そしゃく)して消化するのに労力を要しているようだった。

 その沈黙を破ったのは遥だった。


「それでも……俺は、嘘をつかれるのは嫌です」


 表情の動きを見られたくなくて、私はうつむいた。自分がどんな顔をしているのか分からない。だけど、きっとろくでもない顔をしているに決まっている。


「そう。じゃあ、瑞希ちゃんはどうかな?」

「あたしはですねー……」


 みんなの話し合う声が遠くなっていく。

 私はうつむいたまま、ただこの時間が終わるのを待つことしかできなかった。


「では、この物語の結末を各自で考えて明日までに桐原に提出。桐原はそれをまとめて明後日の昼休みまでに私に提出するように。以上、解散」


 塚本先生の号令でようやくミーティングが終わり、瑞希が「チッカ、ほら」とさり気なく私を遥の元へ促した。

 けれど遥はすでに席を立っていて、塚本先生のあとを追うように部室を出ていってしまった。


「しまった、出遅れた! 行くよ、チッカ!」

「え、ちょっと!」


 瑞希が私の手を強引に引っ張って部室を飛び出す。

 曲がり角の向こうから遥と塚本先生の話し声が聞こえてきて、瑞希がしーっと人差し指を唇の前に立てて、私に沈黙を強制した。


「辞める?」

「はい、急で悪いんですけど。俺、文芸部とか向いてないみたいだから」


 瑞希が驚いた顔をして、私に「どうする?」と口の動きで伝えてくる。私は首を横に振って、どうしようもない、の意を伝える。

 遥がそう決めたのなら、私に止める権利なんかあるわけがない。


「こちらの都合で悪いが、退部は文化祭が終わるまで待ってもらえるか」

「え……なんでですか」

「桐原の企画を実行するために男手が必要なんだ。美術部員には女子が多いし、近藤や澤野に力仕事をさせるわけにもいかないだろう」


 しばしの沈黙に、遥が迷っている気配が伝わってくる。

 きっと遥は辞めるだろう。そうすれば、私との関わりは消えてなくなるんだから。

 けれど、遥の返答は私の予想とは違うものだった。


「……分かりました。じゃあ、文化祭が終わったら辞めますから」

「すまないな。助かるよ」


 塚本先生と遥の足音が遠ざかり、詰めていた息を吐きだした私たちの背後から「いやぁ、優しいねぇ、遥くんは」と桐原先輩が現れて、私たちは文字通り飛び上がった。


「僕の恋のライバルは強敵だな。でも、想いの強さなら負けないよ」

「ちょっと、ぶちょー!」


 瑞希が桐原先輩に喰ってかかる横で、私は音を立てる心臓を押さえつけようと必死になっていた。

 まだ、しばらくの間は、遥のそばにいられるんだ。

 胸のどこかが甘くときめくのを、どうしても止められなかった。

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