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これは、私の恋じゃない  作者: ロジィ
海と過去に潜って
20/30

海へ 4

 夏合宿の打ち上げと称したバーベキューは、沙耶さんと沙耶さんの両親も参加して大いに盛り上がった。

 ようやく二日酔いから復活して、朝と昼の分(けっきょくカレーもあんまり食べられなかったらしい)まで取り返すように勢いよく食べていた瑛輔くんは、沙耶さんに「こら、肉ばっかり食べないの」と、叱られていた。


「いいだろ別に。飯くらい好きに食わせろ」

「だめだめ。これからお医者さんになる人が不摂生なんてありえないんだから」


 鉄板で焼いたトマトにモッツァレラチーズをのせたものを鼻先に突き付けられて、しぶしぶ口に入れた瑛輔くんはその熱さに目を白黒させた。沙耶さんの両親は、そんな二人を微笑ましく見つめている。


「私ね、お父さんとお母さんの店を継ぐのが夢なんだ。二人が私の名前を付けてくれた店だから、私が守りたいの」


 さっき、ワインを飲んでほんのり頬を染めた沙耶さんが私たちにそう話してくれた。「そういうの素敵!」と騒ぐ瑞希の横で、私は何とも言えない気持ちだった。

 もし瑛輔くんの想いが叶ったら、沙耶さんの夢は叶わないかもしれない。でも沙耶さんの夢を叶えるために、瑛輔くんが自分の想いを諦めてしまえば、二人はずっと腐れ縁のままなわけで。

 瑛輔くんが背負わされた義務のような未来と、沙耶さんが大切にする夢。

 それに二人の想いが乗っかって複雑に絡み合ったものは、私なんかじゃとても(ほぐ)せそうになかった。

 しゅうっと音がして、火薬のにおいが混じった潮風が流れてくる。砂浜で瑞希が手持ち花火を持って桐原先輩を追いかけ回していた。


「待て待てー!」

「瑞希ちゃん、遊びかたが違うんじゃないかな!」


 暗くなり始めた空にピンク色の火花が散り、瑞希の弾けるような笑い声が響く。

 吉田さんたちとの一件のあと、瑞希は少し変わった。

 スカートの丈がちょっと伸びて、メイクが薄くなり、髪色も明るめのブラウンになった。その変化は、過去の瑞希と今の瑞希がちょっとずつ歩み寄っているようだった。

 それに、今の瑞希は本当に楽しそうに笑う。最近、瑞希の笑顔を見るたびに、私はひどく居心地が悪くなった。瑞希の笑顔には「嘘」がない。


「チッカも遥くんもおいでよー! 一緒に花火しよーっ!」


 隣で骨付きカルビを頬張っていた遥が「行く?」と口をもごもごさせながら聞いてきたけれど、今は瑞希の隣でうまく笑える自信がなかった。


「ううん。ゆっくり食べて。あとで一緒に行こう」


 普段はあまり飲まないコーラを口にしたら、弾けた炭酸がぐっと喉を詰まらせた。

 夜が更けて、沙耶さんのご両親は「明日の仕込みがあるから」と帰っていき、沙耶さんと瑛輔くんは焚火スペースの前でちびちびとワインを舐めるようにして飲みながら、ぽつぽつと言葉を交わしている。


「チッカ、遥くん誘って出かけてきなよ」


 ウッドデッキの階段に腰掛けて一緒に線香花火をしている瑞希が肩をぶつけてきた。その衝撃でぱちぱちと火花を散らしていた真っ赤な火の玉がぽたりと地面に落ちてしまい、「ちょっと」と瑞希をにらみつけた。

 遥と桐原先輩は砂浜で花火を連発で打ち上げていて、わあわあ騒ぐ声が波の音に紛れて聞こえてくる。


「出かけるって、こんな夜中にどこ行くのよ?」

「どこでもいいし、夜だからこそ出かけるんでしょ! 小学生じゃないんだから、このまま『とっても楽しかったです』で終わらせるつもり? 付き合って初めての夏! 夏なんだよ、チッカ。何かなきゃ逆におかしいでしょ」


 夏という季節に対する瑞希の絶対的な信頼に私が唖然としている間に、瑞希は立ち上がって砂浜の遥に向かって大きな声で叫んだ。


「遥くーん、チッカがどっか行きたいってー!」

「ちょ……っ、瑞希!」

「彼氏としてエスコートしてあげてー!」


 遥が「おっけー」と大きく手を振り返してくる。

 でも、夜は部屋で大人しくしてるって約束したわけだし……と、保護者である瑛輔くんをちらりと見たら、瑛輔くんは「あんまり遠くまで行かないように」と、おどけたように両手で目をふさいだ。

 こうして、みんなに生温かく見送られて、私と遥は夜の海へと歩き出すことになったのだった……。

 いつの間にか暗くなった空には、誰かが指で突いて開けた穴のような満月が浮かんでいる。

 肉の焦げたにおいや花火の火薬のにおい、みんなの声が少しずつ遠くなっていく。世界が、私と遥の二人だけになっていく。


「今日、怒鳴ってごめんな」


 私の手を引く遥の白いTシャツは、月明かりに照らされて光を放っているようだった。


「ううん、心配してくれてありがとう」

「俺、千佳をずっと守るって約束したくせにいつも全然ダメだからさ。また千佳に何かあったらどうしようって不安だったんだ。……それに、瑞希ちゃんも変なこと言うし」


 唇を尖らせた遥に、私はもう一度「ありがとう」とつなぐ手にそっと力を込めた。 

 さく、さく、と砂を鳴らして歩き続け、遥は砂浜から海上へと突き出た堤防に上がり、私もそれに続く。砂の柔らかさに慣れた足裏が、コンクリートの硬い感触に戸惑っている気がした。

 突端にたどり着いて遥が足を止めた。繋いでいた手が離れて、その隙間を潮風が抜けていく。

 月の光が海面に白い道を作っている。ムーンロード、月光の道と呼ばれるその景色は、時間をわすれさせるほど美しかった。

 けれど、その奥にはすべてを飲み込んでしまう巨大な闇が潜んでいるのを、私は知っている。

 遥と私は言葉を交わすでもなく、ただ黙って潮風に吹かれ、波の音を聞きながらその光景を眺め続けていた。

 世界に私と遥の二人きりになってしまったような――ああ……でも私の中にはチーがいるから三人か。そう思ったら胸が苦しくなった。


「千佳」


 唐突に遥が私に振り返る。

 遥はやっぱりきれいだった。私のモノクロの世界に色を着けて、美しいと思わせてくれる「特別」な人。

 遥の指先が私の前髪をはらい、傷のない額を撫でる。過去の痕跡を探るような動きに、私は思わず体を硬くした。


「千佳」


 もう一度遥が名前を呼ぶ。その「ちか」は私じゃなくて、チーのことだ。

 チーは私の中にいる。ちゃんといる。でも――だったら「私」はどこにいるんだろう。

 いま遥の目の前に立っているのは、私? それともチー?

 堤防に波が打ち付けるせいか、規則正しく繰り返される波の音のせいか、足元がぐらぐらと揺れているような気がした。

 遥の指先がもう一度私の額をなぞって離れていった。その瞬間、私は遥が急に遠くへ行ってしまったような感覚を覚えた。

 なぜだろう。手を伸ばせば触れられるほど近くにいるのに。


「千佳は変わったな。昔と全然違う。俺の知らない人みたいだ」


 遥の言葉に心臓がどくん、と嫌な音を立てた。


「じゃあ……遥が覚えてる私ってどんなの?」


 聞き返す私の声はかすかに震えていたけれど、波の音に紛れてごまかされてしまう。


「俺が覚えてる千佳は、人前に立つのは苦手で、気が弱くて、いじめられたらすぐ泣いてた。好きな食べ物はハンバーガーで、本なんか読まないで外を駆け回って遊んでた。もちろん勉強は苦手で、それに――」


 言葉を途中で切った遥は、私の世界を色づかせるその瞳で私をじっと見つめた。

 波の音がする。足元が揺れる。心臓が鳴る。

 何も考えられなくなって、私はただただその視線を受け止めるしかできない。


「あいつは嘘なんかつかなかった」


 あいつ(・・・)

 私は小さく息を飲んだ。ぐちゃぐちゃに混乱していた私の思考に、ムーンロードのような一筋の光がまっすぐに走る。


「お前は、俺の知ってる『ちか』じゃないだろ」


 お前(・・)あいつ(・・・)

 それは遥が、私とチーが別人であることに気付いている証拠だった。

 

******


 遮るもののない堤防の上で潮風に吹かれているせいか、にじんだ汗のせいか、肌がべたついていた。


「あいつによく似てるよな。双子かよってくらい」

「……いつから、気付いてたの?」

「その質問って自分がニセモノだって認めることになるけど、いいの?」


 遥は目を伏せ、唇を歪めて少し笑った。

 もうごまかせない。私の嘘はすっかりはぎ取られて、無残な姿をさらしている。

 ごめんね、チー。

 チーの初恋は私が叶えるって約束したのに。私はまた、チーに嘘をついてしまうんだ。


「最初から違和感はあったよ。でも面影はあったし、俺とあいつしか知らないことも知ってたから、俺の気のせいかと思ってた。別人じゃないかって疑い出したきっかけは額の傷と、俺にサッカー部に入らないの? って聞いたこと」


――遥って小さいころサッカーするの大好きだったよね。文芸部よりサッカー部に入ったほうがいいんじゃない?


 そういえば、体育を終えた遥にそう聞いたとき、遥は少し変な反応をしていた。でもサッカーが好きなのはチーから聞いた話で、嘘じゃないのに。どうして……?

 考え込む私に、遥はまた薄く笑った。


「やっぱり知らないんだな。それは、俺とあいつだけの秘密だから」


――これはねぇ、わたしとはるかのひみつなの。


 何でも話してくれたチーが唯一教えてくれなかった遥との秘密が、私の嘘を暴いてしまったのだとしたら。それは、私を許さないというチーの意思なのかもしれない、と思った。

 どんなことをしても、何を差し出したとしても、チーの命を奪った私が許されるなどあり得なかったんだ。

 

「何であいつの振りして俺に近付いてきたのか理由が分かんなくてさ。だから、お前の目的が分かるまで騙されとこうって思ったんだ」


 黙ったままの私の肩を遥が乱暴につかんで揺さぶった。

 いつも優しく触れてくれたその手が、痛いほどの力で私の体に食い込んでくる。


「何とか言えよ!」


 月明かりに浮かんだ遥の顔は苦し気に歪んでいた。だけど、やっぱりきれいだ。遥はいつだってきれい。私の世界を彩ってくれる人だ。

 それでもなお口を閉ざし続ける私に、遥の腕から力が抜けてずるりと滑り落ちた。


「お前は……誰なんだよ」

「私、は」


 掠れた声が波音に混じる。

 私は、あなたの「ちか」を消してしまったの。

 私の嘘が、あなたの「ちか」を殺してしまったの。

 それを知ったら、遥はどんな目で私を見る? 私の世界はもう二度と色づかないかもしれない。

 足元はずっとぐらぐらと揺れていて、よろめいた私と遥の距離が遠くなった。


「私……」


 地面の揺れは止まらない。私は一歩、もう一歩と後ろに下がった。

 堤防のコンクリートにぶつかって砕ける波が、ちゃぷん、ちゃぷんと音を立てている。まるで私を誘う声みたいだった。

 もしかしたらチーは今もまだ海のどこかで私を探し続けているのかもしれない。ふと、そんな考えが頭をよぎる。


「私は……」


 さらに一歩下がった右足が宙を踏み、私はがくっとバランスを崩した。

 ふっと体が浮いて、言葉が途切れる。空に浮かんだ月が揺れ、コンクリートの硬い感触が足裏から消えた。あ……と、手を伸ばした先に待ち構えていたのは、暗い海。


――もういいかい。


 チーの声が聞こえた気がした。


……もういいよ。

 あの日(・・・)と同じように答える。

 私とチーの、長い長いかくれんぼ。これで終わるのなら、もういいや。


「千佳!」


 遥が呼んでいるその「ちか」は私? それともチー? ああもう分からない。もうどうでもいい。

 闇に落ちる覚悟を決め、私は目を閉じて、息を止めた。

 そのとき、腕に鈍い痛みが走った。そしてぐいっと強く引き上げられ、体が重力に逆らって浮かび上がる。その勢いのまま放り投げられて倒れ込んだ拍子に、私は強かに全身をコンクリートに打ち付けた。


「い……った」


 痛みに顔をしかめた私の背後で派手な水音がした。まるで何か大きなものが落ちたような――。

 その音の正体に思い当たった瞬間、一気に血の気が引いた。


「……遥?」


 いくら見回しても、堤防の上にはその姿を見つけられなかった。

 目の前に広がる海はさっきと少しも変りなく、月の光を反射してただ美しく揺らめいている。


「遥! ねえ、どこにいるの!」


――俺、カナヅチなんだよね。


「遥!」


 どんなに叫んでも、返ってくるのは波の音だけ。遥の声も、弾ける水音も聞こえない。

 また……またなのか。

 無数の命が潜む海は、たった一つの死なんか簡単になかったことにしてしまう。

 チーを、遥を、私の大切なものを飲み込んでしまったくせに、知らん顔でいる。

 だから、海は嫌いだ。……大嫌いだ!

 大きく息を吸うと、私は地面を蹴って海に飛び込んだ。

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