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これは、私の恋じゃない  作者: ロジィ
女王様のおしおき
13/30

星山高校入学後、最初の試験は一日をかけて行われる。教室は朝から参考書や教科書をめくる音が響く、異常な緊張感に包まれていた。

 数学と英語、世界史の試験が終わって昼休みになると、前に座っている瑞希が椅子の上で飛び跳ねるようにして私に振り返った。


「チッカとえーすけ先生のおかげで、午前中はバッチリだったよ!」

「瑞希ががんばったんでしょ。その調子で午後もしっかりやるように」

「チッカは?」

「愚問」

「ひえーカッコいいーっ!」


 昨日の落ち込みはどこへやら、すっかり元気を取り戻した瑞希は意気揚々とお弁当の蓋に手をかけた。


「あーあー。やだやだ。勉強しか取り柄のない人とできそこないが調子に乗っちゃって」

「これで一位じゃなかったら大笑いよね」

「補欠合格のギャルもどうせ最下位とかじゃない?」


 西岡さんと伊東さんの笑い声につられるように、教室のあちらこちらでクスクスと笑い声が起きた。吉田さんの言うとおり、私の「誰にも負けるつもりはない」というスピーチは、みんなに遺恨を残しているようだ。二人と一緒にいる吉田さんは素知らぬ顔で、小さな口でサンドイッチを()むようにして食べている。

 言い返そうと立ち上がりかけた瑞希を「いいの」と制して、私もお弁当の蓋を開けた。

 手作りのチーズ入りハンバーグ、アスパラのベーコン巻き、ミニオムレツ、ブロッコリーの胡麻和え、チキンライスが彩りよく詰め込まれているのを見て、瑞希がほうっと息を漏らした。


「チッカのお弁当って、いつもめっちゃキレイだよね」

「あ……そうかな」

「うち、兄貴が三人もいるからさぁ。食卓が肉々しくって困ってんだよね」


 見てよ、と、大きな唐揚げが四つにゴマ塩が振られたご飯のみ、という潔いお弁当を指さして肩をすくめた。でも、レシピ本からそのまま取り出したみたいな私のお弁当よりずっとおいしそうに見える。

 今朝のママは、いつものように朝食を作り、このお弁当を詰めながら、まるで夕べは何事もなかったと強調するみたいに、ことさらに明るく、ぺらぺらといろんなことを喋った。


「今日は千佳ちゃんが試験を頑張れるように、好きなものをたくさん詰めておくわね」


 甲斐甲斐しく手を動かすママの姿がちらついてどうにも食欲が湧かなかった。箸先でつついているうちに、オムレツが崩れてスクランブルエッグになっていく。

 ママはいつもそうやって、もともとチーなんかいなかったことにしようとする。

 でも、そうすればそうするほど、ふとした瞬間に、あの家の嘘みたいに白い天井や壁には、くっきりとチーの影が映るような気がした。


「あっ遥くん、こっちこっち」


 吉田さんのはしゃいだ声に顔を上げると、教室の入口に遥が立っていた。その姿が目に映ったとたん、胸が鳴って息が詰まった。

 まさか……一緒に食べる約束してた、とか? 昨日の仲睦まじい二人の姿を思い出す。

 どうしよう、チー。

 もし遥が吉田さんと付き合ったりしたら……チーの初恋は叶わなくなってしまうのに。

 バッドエンドの予感に、私は思わず目を伏せた。


「あ、ちょ、チッカ!」


 瑞希が私の肩をつかんで揺さぶった。もういいってば。放っておいてよ。

 やさぐれた私の鼻先に赤いハンカチに包まれた大きなお弁当箱がぶら下げられた。

 何、これ? 顔を上げると、遥が笑っていた。ふわり、と世界が鮮やかに色づく。


「……遥?」

「俺も一緒にいい? 頭使ったら腹減っちゃってさ。千佳たちは試験の出来、どう?」

「ちょっと、遥くん?」


 吉田さんは心底びっくりしているようだった。慌てて立ち上がるとそばに駆け寄ってきて、遥の腕をつかむ。だが、遥はその手をさり気なく払い、それがまた吉田さんの顔を曇らせた。


「なんで……? 昨日、私と一緒に食べるって約束したじゃない。だからうちのクラスまで来てくれたんでしょ? なのに、なんで澤野さんと」

「俺は気が向いたらって言ったと思うけど?」

「そんな……遥くん、ひどいよ」


 目を潤ませた吉田さんが口元を押さえてうつむき肩を震わせた。さらに西岡さんと伊東さんがすぐさま「絵里奈ちゃん大丈夫?」駆け寄ってくるという見事な連係プレーで、教室には吉田さんに同情する空気が流れ始める。

 けれど遥はそんなのちっとも気にせずに、お弁当を包むハンカチの結び目をほどきながら「ひどいって」と鼻で笑った。


「それ、自分たちのほうじゃねーの。さっきからあんたら千佳たちに好きなこと言ってたじゃん。ああいうのをひどいって思わないやつと飯なんか食えるかよ」

「……私はなにも言ってないし! 言ってたのは西岡さんたち。そうでしょ?」


 吉田さんがそう叫ぶと、西岡さんと伊東さんが「えっ」と小さく声を漏らして顔を見合わせた。瑞希は「うわ、最悪」と呟いて顔をしかめる


「ねえ、遥くん――」

「悪いけど、あんたは俺にとってただの同級生。でも今はその他大勢以下かな。千佳にやったことバラしてくれるかと思って、しばらくそばにいようかと思ったけど、あんたたちめっちゃ性格悪いね。陰口ばっかり聞かされてこっちのメンタルもたないわ」


 遥が蓋を開けると、ぎゅうぎゅうに詰められたご飯の真ん中には真っ赤な梅干しがどんと置かれていた。切干大根、玉子焼きに鶏の照り焼き、ほうれん草のおひたし。ふわっと香った醤油のにおいに、私は知らず知らずのうちに唾を飲みこんだ。

 昨日からの遥の行動の裏にそんな思惑があったなんて。

 じゃあ……吉田さんが好きになったわけじゃなかったんだ。安心するとともに、じわりと胸が温かくなる。


「なに……それ。昨日の上履きの話? 私たちは関係ないって言ったじゃない。ただ見たことを話しただけ。それにあの部長だって証拠はないって――」

「つまり証拠があればどうにかできるって意味だろ。そんで、その証拠を見つけてこいって俺にけしかけたわけ。あの人、ああ見えてあんたたちよりずーっと性格悪いからさ」

「えー! ぶちょーと遥くん、以心伝心すぎない?」


 あの短いやり取りでそんな理解をし合うなんて、桐原先輩と遥はいつの間にそんなに仲を深めていたのか、瑞希だけでなく私も疑問で仕方ない。


「あ、そうだ。あんたたち、ずっと千佳の入学式のスピーチのことさんざん馬鹿にしてるけどさ、この学校で一番になるのがどれだけ大変かみんな分かってんだろ? あのスピーチも宣言も、俺はすげーカッコイイなって思ったけど、みんなは違うの?」


 その一言で教室の空気が変わった。

 クラスメイトたちは、まるで今日初めてこの教室に現れた転校生に向けられるような、新鮮な興味をはらんだ目を私に向け始める。

 遥が私を見て笑う。世界の鮮やかさがもう一段階上がって、きらきらとし始める。昨日からずっと死んだように冷たかった心が熱を取り戻す。苦しくなるくらい、熱い。


「……は? 何それ、うっざ」


 小さく捨て台詞を残すと、吉田さんは教室を飛び出していった。「絵里奈ちゃん!」「待ってよ!」と西岡さんと伊東さんがそのあとを追う、毎度おなじみの光景が繰り広げられる。

 三人が姿を消すと、教室は徐々に平穏を取り戻していったが、チラチラとこちらに向けられる視線は、やはり今までとは少し変わっている気がした。


「なんか……かわいそうじゃなかった?」


 遥と瑞希が呆れたように「そんなわけないだろ(でしょ)」と、口をそろえた。


「これくらいで反省するタイプじゃないよ、アレは」


 吉田さんたちが消えた先を顎でしゃくって、瑞希は私の弁当箱からハンバーグを奪い取った。


「そうそう、昔っから千佳は優しすぎ。だから、俺が守ってやるって約束したんじゃん」


 続けて遥がアスパラベーコンをさらっていき、代わりに巨大な唐揚げと切干大根がやってきて、レシピ本みたいにきれいだった私のお弁当はめちゃくちゃなレイアウトへと変貌を遂げた。

 だけど……ようやく食欲が戻ってきた。

 午後のテストに備えて、私は箸を持ち直した。


******


「ふぅん。ぴーちゃんの高校生活もなかなか波瀾万丈だね」

「瑛輔くん、ちょっと面白がってない?」

「そんなことないって。これでも真剣に考えてますよ。それではひとつ、ぴーちゃんにご忠告を」


 瑛輔くんはくるくると器用にペンを回しながら、真剣な表情になった。


「ぴーちゃん、窮鼠(きゅうそ)猫を嚙むってことわざはもちろん知ってるよね」


 質問の意図が分からないまま、私はうなずいた。

 ネコに追い詰められたネズミは反撃することがある。転じて、弱いものを追い詰めすぎると思わぬ反撃に遭う、という意味だ。


「これは俺の親父から聞いたお話なんですが」


 瑛輔くんは、こほん、と咳ばらいをして喉を整えると、子どもに絵本を読み聞かせるような調子で話し始めた。


「むかーしむかし、うちの病院の経理に勤続何十年っていう、経理のほとんどを牛耳ってた、いわゆるお局様がおりました。パワハラ、モラハラ、エトセトラ。ハラスメントのデパートみたいなその人のせいでやめたスタッフも大勢いて、それはそれは嫌われていたのです」


 今日、瑛輔くんの髪の色はブルーからグリーンに変わっていた。季節より早いその変化に人間の頭皮はどこまで耐えられるものなのだろうか。一度、将来禿げたらどうするの? と聞いたら「俺は禿げないから」と謎の自信をもって答えられたっけ。

 

「ですが、ある日突然、その人が長年に渡ってちまちまと経費をちょろまかしていたのがバレてしまったのです。まあ、親父もずっと疑ってはいたらしいけど。そんで、仕事を辞めて弁済するなら被害届は出さないっていう条件を出した。お局様はそれにすがるしかないよね。断ったらあっという間に犯罪者だから」

「まあ、そうなるよね」


 でもね、と瑛輔くんは続けた。


「表向きは円満退社っていうことになったんだけど、内情はみんなに知れ渡ってた。取り巻き連中もあっという間に手のひら返し。あわれ、それまでのハラスメントの山で敵ばっかりのお局様は、退職するその日までみんなにヒソヒソされて笑われ続けた。あげく最終日には見送りも花束も感謝の言葉もなし。長年座っていたデスクはみんなによってたかってきれいさっぱり片付けられて、クリップひとつに至るまできっちり詰め込まれたダンボールを押し付けられて追い出されたわけ。で、ここでクエスチョン。お局様は、そのダンボールを持ってどこ行ったと思う?」

「どこって……大人しく帰ったんじゃないの?」


 いくら悔しくてもムカついても自業自得。それ以外の選択肢なんかないはずだ。

 しかし、私の答えにちっちっと舌を鳴らして声を潜めた瑛輔くんは、私が想像もしない答えを口にした。


「正解はなんと親父がいる院長室。イノシシみたいに突進してきたかと思ったら、ダンボールをひっくり返して、ライターで火を付けたんだって。幸い小火(ぼや)で済んだけど、けっきょく警察に捕まっちゃった。あのまま大人しく辞めてれば、どこかで再就職だってできたかもしれないのにね」

「そんな無茶苦茶な」

「人間なんて無茶苦茶なもんよ、ぴーちゃん」


 勢いよく体を預けたせいで、瑛輔くんが座っている椅子の背もたれが、ぎぃっと軋んだ。


「なにが言いたいかっていうと、女王様っていうのは我慢と屈辱がお嫌いなんだってこと。自分のプライドを取り戻すためならなんだってするよ」


 吉田さんが教室に火を点けているところを想像したけれど、どうもリアリティがなかった。吉田さんは自分に得のあることしかしないタイプだから。


「まあ、気を付けるよ」

「それと、もうひとついいことを教えてあげよう。俺、吉田絵里奈って名前、どっかで聞いたって言ってたろ? やっと思い出したんだよ。実はね……」


 瑛輔くんが私に教えてくれた事実は、まさに驚くべきものだった。

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