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これは、私の恋じゃない  作者: ロジィ
女王様のおしおき
10/30

 瑞希や塚本先生、桐原先輩にハメられた(かどうかは定かではないけれど!)かたちで入った文芸部は思っていたよりずっと居心地がよく、瑛輔くんの家庭教師がある水曜日以外の放課後は、瑞希と遥、それに桐原先輩の四人で過ごすのが当たり前になりつつあった。


「おっはよーチッカ。今日の放課後もよろしくね!」

「はいはい」


 朝、校門で駆け寄ってきた瑞希は、今日も元気いっぱいで、メイクも髪型もばっちりだ。


「見て見て。これ、新しくしたの。かわいいっしょ」


 ピンと伸ばした指先は、昨日とは違うベージュピンクに塗り替えられていた。


「もう、明日はテストなのにそんなことして」

「ちょっとくらい息抜きも必要なのー。それにほら、指先ってよく目につくから、かわいいほうがテンション上がるし!」


 そういうものなのかな。……私もやってみようかな、なんて思いながら夕べ短く切りそろえたばかりの自分の爪を見ていると、瑞希が私の顔をのぞきこんできた。


「チッカ。なんかいい感じだね」

「え、なにが?」

「なんか、最近かわいいなーと思って。恋のチカラってやつ?」

「へ、変なこと言わないでよ。そんなこと言うなら今日は部室に行かないんだから」

「わー、ごめんごめん! でもかわいいって思ったのはマジだから、自信持っていこー!」


 瑞希がくしゃくしゃと私の頭を撫で回した。ちょっとやめてよ。いいじゃん。とやり合っていると


「近藤さん、澤野さん、おはよう」


 吉田さん西岡さん伊東さんの、いつもの三人組に声をかけられてしまった。

 もう、せっかく朝から楽しい気分だったのに。……ん? 楽しい?


「なによ」

「近藤さん、挨拶しただけでそういうケンカ腰やめてくれる? ねえねえ澤野さん、私たちは遥くんっていう同じ人を好きになった者同士なんだし、これからは仲良くしようよ。でも戦いは正々堂々と。どっちが選ばれても恨みっこなし。ね?」


 吉田さんはにっこりと笑ったあと、そうそう、と手を打った。


「そういえば、遥くんが文芸部に入ったって聞いたけど、ちょっと意外だったな」

「藤原くんがあんな地味な部にねぇ」

「きっと澤野さんたちに誘われて断れなかったんじゃない? なんかかわいそう」


 友好協定を申し出たわりにはずいぶん含みのある言いかたをしてくる。

 まあ、たしかに文芸部は華やかな遥に似合うような部ではないけれど、私が無理強いしたわけじゃないし。

 なんなら、私だって瑞希や塚本先生、桐原先輩にハメられた(かどうかは定かではないけれど!!)被害者だ。


「あたしたちは楽しくやってるんでお構いなくー。行こ、チッカ」


 瑞希が新しいネイルを施した手をヒラヒラ振って、私を促した。


「なんか朝からヤな感じー。せっかく最近はチッカと遥くんと楽しくやってんのにさ。あーんなに嫌いだった勉強も悪くないなーって思ってきたのに」


 唇を尖らせる瑞希の授業態度は外見に似合わずまじめで、意外にも覚えがよかった。今回の試験で五十位に入るのは難しいかもしれないけれど、コツコツやっていればそのうち名前が載るようになるだろう。

 遥は苦手な教科と得意な教科の差は大きいけど、たぶん総合点で平均を下回ることはないはずだ。

 ん? もしかして、私が二人に教える必要なんかないんじゃない?

 あれ? あれ? と私が首をひねりながら靴箱を開ける。


「……あれ?」


 心のなかの「あれ?」とは違う「あれ?」が口から零れ落ちた。


「どしたの?」

「なんか……上履きがない」


 上履きを持って帰った記憶がないのに、私の靴箱は空っぽだった。


「澤野さん、どうかしたの?」


 追いついてきた吉田さんと西岡・伊東コンビが私の手元をのぞき込んで、大げさに手で口を覆った。


「これってもしかして誰かに靴を隠されちゃったとか?」

「ええっ! それってイジメってやつじゃん?」

「あっ、もしかして新入生代表のスピーチのせいじゃない? あれ、みんなムカついてたもんね」

「それか藤原くんのファンじゃない? 澤野さんのこと生意気ーって言ってる人がいるとか聞いたことあるもんね」


 三人はわざとらしく顔を見合わせ、こわいねーと声を揃えたが、唇の端にはこらえきれない笑みが浮かんでいる。


「あんたたちがやったんでしょ!」


 喰ってかかる瑞希に、吉田さんは驚いたように首を横に振った。そして胸に手を当て、悲し気に眉尻を下げた。


「ひどいよ、近藤さん。私たちいま来たばっかりなのに……」

「ちょっと! 言いがかりつけないでよ!」

「第一、うちらがそんなことするわけないじゃん!」


 白々しい演技が何よりの証拠だけど、追及するだけ時間の無駄だ。


「嘘! あんたたちめっちゃニヤついてんじゃん!」

「いいよ、瑞希」

「でも!」

「大丈夫だから」


 悠々と靴を履き替えた吉田さんが私の横を通り過ぎるとき、制汗剤の花のような香りがした。そして、その香りとともに私だけに聞こえる声でささやいた。


「こういうことされるのって、澤野さんが遥くんにふさわしくないって思ってる人がいるからか、それか……よっぽどあなたが嫌われてるか。どっちだと思う?」


 西岡さんと伊東さんを従えた吉田さんが教室に向かった。吉田さんの進む先は自然と人がよけて道ができる。それはまるで、女王様の行進のようだった。


「なによ、絶対あいつらがやったのにぃ! インケンなやりかたしやがって、腹立つなぁ、もう!」


 瑞希が地団太を踏んで怒りをあらわにする。


「とにかく、職員室でスリッパ借りてこよう。このままでいるわけにもいかないし」

「あたしが行く! ついでに先生にチクってくるから!」


 そんな大事(おおごと)にしなくても、と止める間もなく、瑞希は風のように駆けて行った。

 瑞希って足速いんだな……。あっという間に消え去った姿に感心してしまう。

 とりあえず閉じた空っぽの靴箱には吉田さんの悪意が詰まっているみたいだった。

 なんのメリットもないこの行動が意味するのは、この前の私の行動に対する女王様からの仕返しか、それとも処罰か。

 それにしても、情報化社会とか新時代とか叫ばれるような現代に至っても、嫌がらせの手口は意外とありきたりなまま進化しないんだな。


「おはよ、千佳。なにしてんの?」


 昇降口で立ち尽くしている私に、登校してきた遥が不思議そうに声をかけてきた。世界の鮮やかさが少しだけ上がるのに合わせるように、心臓もさり気なくテンポを上げる。ん? ……なんだこれ。


「あの、ちょっと、上履きがなくて」

「……それ、どういうこと?」


 私の話を聞いて、遥の表情が変わった。


「でも別に大したことじゃないよ。もしかしたら、誰かが間違って履いてったのかもしれないし」


 我ながら無茶苦茶な理由をつけてごまかそうとしたのは、遥が明らかに怒っていたからだ。「とりあえず、俺の使って」と、遥が自分の上履きを私の足元に置いた。


「え、いいよ。瑞希がスリッパ借りに行ってくれたし、それに、遥の靴は私に大きすぎるから」

「履いて」

「いや、そしたら遥はどうするの?」

「いいから」

「あの」

「履かないなら、俺、千佳を教室まで抱えていくけど」


 そんなことになったら吉田さんどころか、星山高校の女子全員に殺されるかもしれない。

 一歩も引かない遥に観念した私は、しぶしぶ遥の上履きに足を入れた。

 サイズの合わないぶかぶかの靴。足裏に、これは自分のものじゃないっていう違和感がある。その違和感の正体は遥の足のかたちなんだと思うと、なぜだか顔が熱くなった。


「あれ? チッカ、なにそのビッグサイズの靴……」


 スリッパ片手に職員室から戻ってきた瑞希が私の足元を見て、それから遥を見て、ははーん、とすべてを理解したようににやりと笑った。

 その理解力があれば、高校の授業なんか楽勝だろ、と心のなかでツッコむ。


「やだー、あたしSサイズのスリッパ借りてきちゃったのに」

「じゃあそっちは俺が履く」


 小さいスリッパを履いた遥は、まるで子どものサンダルを履いたお父さんみたいだった。


「めっちゃ歩きにくい」

「……私も」


 お互いサイズの合わないものを履いた私と遥は、よちよちと不確かに歩き出す。


「うわー、二人ともカワイイ! 写真撮ってあげよっか?」

「ちょっと余計なこと言わないでよ」


 瑞希に言い返した弾みで私の足がもつれた。


「あっ」

「千佳!」


 転びそうになった私を遥が支えてくれた――けど、スリッパの遥も踏ん張りがきかなくて、けっきょく二人で転んでしまう。


「いってー。千佳、大丈夫だった?」

「うん、ありがと……」


 上げた顔のすぐそばに遥の顔があって、思わず息を飲んだ。

 私を庇って尻もちをついた遥に抱きかかえられるような体勢だった。藍色のブレザー越しに伝わってきた体温が、私の体温を急上昇させる。

 とくん、と心臓が音を立てた。

 なに、これ。

 私の奥で鳴り始めた鼓動が存在を主張する。ここにあるんだって。

……やめて。違うの。

 これは私のじゃない。

 鳴るな、治まれ、それができないなら消えてしまえ。

 決して届かない心臓を握りしめるように、ブレザーの胸元をぎゅっとつかんだ。


――かさかさ、しゃらしゃら、ざあざあ、ごうごう。


 世界から色が消えて、モノクロに落ちていく。白と黒。 

 いや、やめて。

 チー。チーはどこ……?

 ぷっと遥が噴き出した。その瞬間、世界は鮮やかに色を取り戻す。


「このままじゃ教室着くまで何回コケるんだろーな。やっぱり俺が千佳を抱えていったほうが早いかも」

「……私と遥のを交換したらいいんだと思う」

「それじゃあ意味ないだろ」


 遥は私の手を引いて立ち上がらせると、そのまま自分の腕に絡ませた。


「ちゃんとつかまってて」


 歩き出した遥に引っ張られて、思わずしがみつく格好になってしまった。


「きゃー! なんかバージンロードみたい!」


 大はしゃぎしながら私たちを先導する瑞希をにらみつけると、数メートル先でべーっと舌を出された。

 くそ。絶対あとで一発なぐってやるからな。

 超がつくほどのスローペースで歩く私たちを、教室へ向かう生徒たちが不思議そうな顔で追い越していく。

 階段という難所をどうにかこうにか乗り越えて一年生の教室がある三階にたどりつくと、あちこちのクラスから生徒たちが顔をのぞかせていた。

 どうやら私と遥のこのみっともない行進のうわさがすでに伝わっていたらしい。


「ほらほら、チッカ。見てみなよ」


 瑞希が指さした先には吉田さんがいた。

 教室の入口に立ってこちらを見るその顔は完全な無表情だった。その後ろでは、顔面蒼白の西岡さんと伊東さんがひそひそと言葉を交わし合っている。


「いい気味ー」

「千佳の靴ってあいつらがやったの?」

「いや、それは分かんなけど……」

「ぜーったいそう!」


 瑞希が力強く断言すると、遥は、ふぅん、と言って、私の頭をぎゅっと抱き寄せた。

 きゃあっ! という女子の悲鳴と、うおおっ! という男子の声が巻き起こる。

 え、ちょ、なにこれ!

 ようやく治まりつつあった心臓が、再びフルスロットルで鳴り始める。もう無視できないくらいの鼓動が、私を突き破って飛び出してきそうだった。


「俺の上履き、お守り代わりに貸しておくから」

「え、でも遥は」

「千佳のこと、ずっと守るって約束しただろ」


 耳元でそうささやくと、遥は私の頭をくしゃりと撫でた。


「じゃあ、またあとで」


 隣の教室に向かう遥の背中をぼんやりと見つめていると、瑞希に肘で突かれる。


「チッカもすごい人に恋しちゃったねー。あれは強敵だわ」

「うるさい」


 教室に入るとき、吉田さんとすれ違った。花のような甘い香りに混じって、舌打ちが聞こえた。


「いい気にならないでよ」

「なるわけないでしょ。こんなに不便で困ってるのに」


 私が遥の上履きを爪先に引っかけてぶらぶらさせてみせると、吉田さんは私を押しのけるようにして自分の席に戻っていった。


「え、絵里奈ちゃん、待ってよ」


 西岡さんと伊東さんがそのあとを追いかけていく。ううん、デジャヴ。


「なに、あいつら。ホントくっだらない」

「いいよ。放っておこう」


 それでも気が済まないのか、瑞希は三人に向かって、いーっと歯をむき出しにしていた。

 私は胸のあたりに手をあてて、平常に戻った心臓の音を確かめる。

 遥に触れたとき、弾けたように鳴り始めた鼓動と高まった熱は本物じゃない。

 チーの気持ちを真似ただけのニセモノ。

 私のものじゃない。

 分かってるよ、チー。

 私が叶えるのは、チーの恋。

 チャイムが鳴ると同時に塚本先生が教室に入ってきた。

 慌てて自分の席に向かうと、大きすぎる遥の上履きが、ぺたん、ぺたん、と間の抜けた音を立てた。

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