噂話には碌なものがない1
魔武具騒乱編より以前のお話しです。
それの存在を知ったのは、先日のこと。リスがこう、得意げにチラチラしてきたからだった。
「はぁー。参ったなぁ。こんなことになってしまっては、ますますモテてモテて仕方ないですなぁ! 今でもこの美男子と、懇ろになりたいと望む女子が列をなしている状況ですのになぁ~!」
執務室に入ってくるなり、厚めの紙をピラピラと、これ見よがしに振るウォクナン。無視してもよかったが、リス自体、そんなに頻繁に顔を見せる方ではなかったし、仕事が一段落したタイミングだったこともあって、気分転換のために話に乗ってやることにしたのだった。
「なんだ、それ?」
俺は執務椅子から立ち上がり、ウォクナンに歩み寄る。
「あらー、見たいですか? そうですか? それは仕方ないなー。閣下が見たいというなら、仕方ないなー。んーでもなー」
相変わらずウザいな、このリス。
俺は旗でもあるかのように振る紙を、そのゴリラ手から奪ってみせる。
「なになに――『俗間回覧板』……? なんだ、これ?」
それは、二つ折りにしたくすんだ色の四面に、派手な色の文字と画像が焼き付けられた、いわゆる『機関紙』というようなもののようだった。
「あ、駄目ですよ、閣下! 閣下には見せちゃいけないことになっているんですから!」
「は?」
今更かよ! ならそもそも持ってくるなよ!
ていうか、俺に内緒? まさか……俺に対する誹謗中傷が書かれている、というわけじゃないだろうな?
まさか、常々変な噂が流れている、そもそもの原因とかじゃないだろうな?
俺はその内容をよくよく吟味するつもりで、長椅子に腰掛ける。
許可してもいないのに、リスがその隣に座ってのぞき込んできた。
「もう、私が見せたって言わないでくださいよ。あ、おすすめはココです、ココ!」
なんと、四ページあるうちの表紙に、ニヒルな笑みを浮かべたリスの肖像画が描かれているではないか。
うん、まぁ……だからこそ、こうやってわざわざ持ってきたのだろうが。
「参りますなぁ。私の容貌を正確に写し取れる画家は、なかなかいないようでしてな。妥協するしかありませんでしたよ。実物はもっと素敵です、と、せめて注釈を付けてもらいました」
いや、どうでもいいから。なんなら、実物より渋みがかって描かれてるから!
「なになに……?」
記事の内容は、どうでもいいウォクナンの一日だった。朝に起きてから、夜寝るまで、どんな生活を送っているか、という実録だ。
そのたった一日を見るだけで、碌でもない私生活なのが察せられた。なにせ、ムチに打たれた生物――下位魔族であったり、人間であったり、動物であったり、日替わりらしい――の悲鳴を目覚ましに起床し、愛人との一仕事――事細かに載せるな、という言葉で内容は察して欲しい――に時間を割き、昼からは気が向けば書類を片付け――この日は三枚だったらしい。たったの三枚!!!――、気分転換にとそこら辺をブラブラしては、たまたま出逢った下位魔族の館に入り込んでは饗応を受け――突然訪問するとか、迷惑以外のなにものでも無い――、通りすがりに美女を見つけては、口説いて連れ帰り――お前はネズミ公か! 無理矢理じゃないだけましだが――、その美女と風呂に入りながら飲食をし――怠惰この上ない!――、といった生活が書かれていたからだ。
正直、誰が興味あるんだこんなもの、としか思わなかった。
「どうしてこれが、俺に見せるな、なんだ?」
……ああ、もしかしてこの内容で、俺が気分を害するからか?
「本当にそうですとも! なんならこの号だけでも、閣下が刊行して全領民に配っていただきたいくらいですな!」
鼻息が荒くてウザい。俺はウォクナンに背を向けるようにして、他のページも読んでみることにした。
すると――
「なぁ、これ、もらっていいか?」
そう言うと、ウォクナンは勝ち誇ったように笑ったのである。
「もちろんです! 一応、閣下には内緒と言われているので、私からもらったと公言されなければ、どうぞどうぞ。むしろ、永久保存版として、大切に保管してください!」
いっておくが、欲したのは、決してリスの記事に価値を見いだしたからではない。
もちろん、大切に保管などするわけがないじゃないか。なんなら、破り捨ててやりたい気分だというのに。
なにせその記事の内容というのが、半分の意味では、俺の危惧した通りだったからだ。
ウォクナンへの取材記事はいい。実際、本人に二日間密着してのことだそうなので、事実なのだろうし。
しかし、それ以外が――
いいや、俺の名前はどこにもないんだ。どこを探しても、『ジャーイル』という名前は書かれていない。
だが、その代わり、頻繁に『恐怖大公』という名称が、記事のあちこちにちりばめられていたのだった。
そうだとも――不本意ながら、温厚な俺に似合わぬこの『恐怖大公』という呼び名が、世間が俺につけた称号だというのだから。
それで、肝心の記事がどんなだったかといえば、ウォクナン密着の次に目立っていたのが、『検証! 恐怖大公の興味は男性に?』とかいうとんでもないものだったのだ!
そこには俺が奥侍女もつけていないこと、数々の女性が色目をつかったが、誰にもなびかなかったこと、などが、結構な紙面を割いて、書かれていたのだった。
なんなら、寝室にあられもない姿で忍び込んだ某女史の体験談、とかいうものも載っていた。誰だか一目瞭然だな!!!
なんと前号は『検証! 恐怖大公はデヴィル族もいけるのか?』だったらしい!
どういう結論になったのか、すごく気になるじゃないか!!
要するに、ウォクナンの持ってきたそれは、『恐怖大公』――つまり俺に対する噂をまとめた情報紙だったのだ!
そしてなんと、次回の表紙を飾るのは、『ジブライール』と宣言されている!
どうやら俺の身近にいる人物をということで、副司令官を順に取材していく予定らしい。
ちなみにウォクナンが取材を受けた経緯を尋ねれば、「取材をさせてください」と、突然やってきた記者が好みの女性だったから、快く了承した、とのことだった。前歯を抜いてやろうか?
しかしウォクナンはそれで籠絡できても、ジブライールには同じ手は通じまい。
それとも、各人に既に何らかの接触があって、了承したからこそ、予告が成立しているのだろうか?
それでとにかく俺は翌日、大公城で見かけたジブライールに、その事実を確認することにしたのだった。
「え? 密着取材ですか? いえ、今のところ何も、誰からも、そんな申し出はありませんが……」
ジブライールが大公城にいる確率は高い。なんなら、ほとんど毎日見かけると言っていい。
最初は、副司令官ってそんなものなのか? と思っていたが、他といえばフェオレスくらいしかそんなしょっちゅう見かけなかったから、やっぱりジブライールが特別だったのだ。
とはいえそんな彼女でも、執務室までやってくるのは稀だった。どうやら、俺の仕事の邪魔をしてはいけないと、遠慮しているらしい。別にいいのに。
なので今日はやってきたという一報を入れてもらい、談話室にお茶に誘ったのだった。
「どうやら相手は俺に内緒で取材をさせてほしい、と言ってくるらしい。定期的に発行されている機関紙とのことだから、そろそろジブライールのところにも話があるんじゃないかと思うんだが……」
「そう、ですか……あの、その前号を見せていただいても?」
「ああ、これなんだが」
ウォクナンから譲り受けた機関紙を、ジブライールに差し出す。
ジブライールは手を伸ばしかけてから、さっきクッキーをつまんで手が汚れたのを気にしたのだろう。一旦、ナプキンで手を拭いてから機関紙を受け取った。
表紙のウォクナンを見た途端に、表情が歪む。
それはそうだろう。肖像画は美化されすぎだしな。
「ジブライールも今までに見たことないか?」
「はい、初見です。もう既に30号を数えるのですね」
「ああ、そのようなんだ」
俺のことで、そんなに何を色々書くことがあるのだろう?
自分自身の日記ですら、一行がせいぜいの日が大抵だというのに。
「しかも、確かに次は私、とありますね」
ジブライールはウォクナンの記事は流し読みをしてから、その他のページをじっくりと校閲でもするよう読み始めた。
「えっ! そんなことが!?」
「ジブライール、何を読んでのその反応かはしらないが、そこにあるのはデマばかりだからな!」
ちなみに男色疑惑の他はといえば、『恐怖大公はロリコン?』だとか、『恐怖大公にはおぞましい蒐集癖が!?』だとか、『恐怖大公の(残虐な)仕打ち』だとか、『とある日の恐怖大公!(下世話な行動)』だとか、『恐怖大公の落とし物(持っていたことすらない)』だとか、なんだか実在の人物がチラチラ脳裏に浮かぶような創作話だとか……とにかく、根も葉もない話ばかりだったのだ。
しかし意外なことに、この一見、ふざけた内容に思える表題の中身は、なんと誹謗中傷ではなく、俺を褒め称える論調で展開されていたのだった。 だとしても、肝心のテーマがこれでは、喜ぶ気にもならない。
「そ、そうですよね、いくらなんでも閣下がこんなこと……」
あれ? ジブライールさん?
ホントに俺の言葉、信じてます?
なぜ、ティーカップがカタカタ鳴っているのでしょうか?
心なしか、顔も青ざめて見えるのですが?
「とにかく……その密着取材の申し出があったら、俺に知らせて欲しいんだ」
「もちろんです! さすがにこんなデタラメばかりを書いているとなると、看過できません! なんでしたら、私にお任せください。申し出などある前に、閣下のお手を汚すことなく……」
「え、いや、そもそも手を汚すつもりはないんだが」
ちょっと待って。任せたら相手をどうするつもりだ?
間違っても口をきけない状態にするのはまずいんだけども?
なにせ、俺は別に発行を止めようとは思っていないからだった。
領民からすれば、大公の人となりが気になるのは、重々理解できる。
むしろ、俺に対する機関紙が作られたこと自体には、喜びすら感じるのだ。だって、領民が大公たる俺に興味を持ってくれているってことだもんな。
だが、許容するのは内容が正確であってこそ。
故に俺としては、過去の記事もチェックして、必要な訂正を出させ、今後はねつ造記事を書くな、と、釘を刺しておきたいのだった。
紙面によって流布した風評は、紙面によって上書きすべきだろう。
うまくいけば、今までのおかしな噂が消えるかもしれないしね!
「そういう、慈悲深くていらっしゃるところも……」
頬を赤らめながら、視線を俯かせ、ぼそり、と囁くジブライール。
なんだろう、このこそばゆい感じ。
「えっと……それじゃあ、そういうことで」
俺は手を差し出した。
「はい、接触して参りましたら、すぐさまお知らせします!」
「え?」
「え?」
俺が手を出したのは、機関紙を返してもらうためだ。
だというのに、ぎゅっと握り返されたのだが?
しかし、意外、というと失礼かもしれないが、武闘派のジブライールでもやっぱり手は女性らしく、滑らかで柔らか――いや、そういうことじゃなくて!
「あの、機関紙を……」
「え? ……ああ!」
ジブライールは慌てて手を引っ込めると、ためらいを見せつつこう言った。
「これ、一枚きりしかお持ちではありませんか?」
「うん、この一枚きりしかない」
「参考に……いただけたらと思ったのですが……」
つまり、ジブライールはこのデタラメだらけの記事でも、俺のことを書いたものだから欲しい、ということだろうか。
いや、我ながらこの考えに照れるんだけども!
※更新日未定ですが、続きます