閑話. 大団円のその後に1
国王陛下に謁見した次の日です。
朝の光に目を開けると、目の前に広がる見慣れぬ天井にアンナは一瞬戸惑った。
自分が子供の頃に住んでいた男爵家のベッドより何倍も絢爛で、柔らかく温かい布団に包まれているこの状態はまるで夢の中のような気がしてそのまま暫く微睡んでいたが、頭がハッキリしてくると、自分がクライトゥール家に保護をしてもらっている事を思い出したのだった。
ここで目を覚ますのは二日目になる。昨日は、国王陛下への謁見というとても緊張する重要な予定があった為にろくに眠れず朝を迎えたのだが、全てが丸く収まった今日は、随分とぐっすり眠ってしまったものだ。
「アンナおはよう!よく眠れた?」
「おはよう、ルーフェス。えぇ、お陰様でね。」
朝の身支度を済ませて朝食を取るためにサロンへ行くと、既にルーフェスが来ていて、彼はアンナの姿を見つけると、嬉しそうに満面の笑みを浮かべて朝の挨拶をしたのだった。
「……どうしたの?」
ルーフェスが挨拶を交わした後もニコニコとアンナの顔をずっと眺めているので、彼女は自分の顔に何かあるのかと不思議そうに首を傾げた。
「いや……、朝起きて直ぐに君とこうして”おはよう”と言い合えるのがこんなにも嬉しいものなのかと思ってね……」
彼はそう言って、尚も蕩けた笑顔でアンナを見つめるので、アンナは思わず頬を赤らめて俯き、「そ、そうね……」と、小さく答えたのだった。
お互いに想いを伝えあってからのルーフェスは、遠慮がなくなったというか、驚くぐらい積極的に愛情を表現してくるようになったのである。
アンナは彼のその真っ直ぐな言葉に、胸をときめかせ幸せを感じつつも、恥ずかしさの方が勝ってしまうので、彼女の心は掻き乱されっぱなしなのだった。
「それで、アンナは今日はどう過ごすつもりなの?」
サロンにリチャードとエヴァンもやって来て、四人で食事を取りながら、ルーフェスは横に座るアンナへ今日の予定を確認した。すると、アンナは一旦食事の手を止めて、バツが悪そうな顔をすると
「……とりあえず、グリニッジ婦人に謝りに行きたいと思ってる……」
と、彼からの質問の回答を述べたのだった。
完全に不可抗力で、自分たちには何も非がないのだが、借りていた家のドアが壊れてしまったことを、まだ大家である婦人に正式に謝っていないのだ。
「後ね、お世話になった人たちにも会って挨拶をして回りたいわ。」
エヴァンが通っていたアカデミーに退校の連絡をしなくてはいけなかったし、王都に来て冒険者業を始めてからずっと気にかけてくれていたギルドのお姉さんにもきちんと挨拶をしておきたい。とにかく、会いたい人はたくさん居るのだ。
「うん、分かった。それなら僕も一緒に行くよ。まだ、一人で出歩くのはまだ危険だからね。」
そう言ってルーフェスは護衛役を買って出た。アンナとエヴァンは、爵位相続のゴタゴタから、一昨日に叔父が雇ったと思われる刺客に襲われている。その時は無事に撃退することが出来たのだが、姉弟は、再びの襲撃を警戒しなければならかったのだ。
「あの、出来れば俺も……外出したいです。アカデミーの友達に、お別れの挨拶がしたいんだ……」
そんな二人の話を聞いていたエヴァンが、おずおずと発言した。彼は急にクライトゥール家に保護される事になって、身の安全を考えてそのままずっと屋敷の中で過ごしていたが、この後直ぐに王都を離れて領地へと帰ることになるならば、せめて別れの挨拶くらいは友人達と交わしたかったのだ。
「そうだね、それなら君にも誰か護衛をつけようか。」
この家の主人であるリチャードから外出許可を得られた事にエヴァンがホッと胸を撫で下ろすと、ルーフェスが彼に最適な護衛役を提案したのだった。
「あぁ、それならジェフに任せよう。エヴァンとも面識があるし、適任だろう。」
「えぇ?!あの人と?!!」
確かにあの人が護衛してくれるのならばこの上なく安心感を得られるのだが、あのなんとも言えない凄みのある老人を引き連れていたら、友人たちが萎縮してしまうのではないだろうか……。エヴァンはそんな不安が頭を過ったが、面倒をみてもらっている立場なので、それ以上は何も言わずにその申し出を有り難く受け入れたのだった。
そんな会話をしているうちに四人は食事を終え、アンナたちはそれぞれ自室に戻って準備を整えると、各々の用事のために外出をしたのだった。
***
「とりあえず先ずはギルドに顔を出そうか。受付のお姉さんには挨拶をしておきたいよね。」
「ええ、そうね。」
朝食を終えたアンナとルーフェスは、一緒に馬車に乗って市街地へと向かっていた。
エヴァンにも途中まで一緒に乗って行くかと誘ったのだが、空気を読んだ弟がそれを固辞したので、馬車の中はアンナとルーフェスの二人だけだった。
別に彼と二人だけでも会話に困るわけでもないし問題ないのだが、アンナはある事がとても気になってしまい、さっきから落ち着く事が出来なかった。
「それにしても……あの、ちょっと……近くないかしら?」
「ん?そうかな?」
何食わぬ顔で答えたルーフェスであったが、彼はアンナの横にピッタリと座って、その手をしっかりと握っていた。
「いつもこんなもんだったろう?」
確かに乗合馬車で隣り合って座る時は、その狭さからいつも肩と肩が触れ合っていたが、今は広い馬車の中に二人だけである。それなのに彼はそれがさも当然のように、アンナのすぐ隣に陣取って、まるで恋人のように身体を寄せてくるのだ。
……実際、二人は恋人同士になった訳ではあるが、アンナは今までこんなに甘い空気で寄り添ったことが無いので、彼の積極的な態度に戸惑いを隠せないでいるのであった。
「……確かに、距離はいつも近かったけど、でも……手は繋いで無かったと思うわ……」
「……嫌かい?」
「……嫌じゃない……けど……は、恥ずかしいの!!」
そう言ってアンナは、彼の顔を見ないようにと、その真っ赤な顔を窓の方へと向けたのだった。
「そっか……でも、慣れてくれると嬉しいな。」
ルーフェスはそう言うと、彼女の手に指を絡めてギュッと握り直して、耳元に口を寄せると
「だからこっちを向いて欲しいな。」
と囁き、そっぽを向いている彼女の頭にそっとキスを落としたのだった。
「ルーフェス?!」
あまりの事に驚いてアンナは慌てて振り返ると、そこには幸せそうな笑顔の彼が居たので、彼女は何も言えずにますます頬を赤らめると、恥ずかしそうに俯いて、大人しく彼の隣に座り直したのだった。
「あぁ、やっとこちらを見てくれたね。」
「……もう……何でそんなに恥ずかしい事を平気で言えるの……」
「恥ずかしい事なんかじゃないよ。それに、思っている事は口に出して伝えないとね。」
「私が、恥ずかしいんだってば!」
「それだけ意識してもらえてるみたいで、光栄だね。」
結局、市街地に到着するまで、ずっとこの調子だったので、アンナは赤い顔のままギルドを訪問する羽目になったのだった。




