61. 最終公演日
「はぁーーっ良かったよ。上手く行って……」
リヴァレッジ家の一室に、安堵の溜息を吐きながらエヴァンがライトと共に帰ってきた。
部屋では、アンナ、エミリア、リチャード、リリアナの四人が二人の帰りを待っていて、ドアを開けて部屋に入って来た彼らの姿を確認すると、アンナは心配そうに駆け寄って、その首尾を尋ねた。
「エヴァン、ライト様、如何でしたか?」
「大丈夫、上手く行ったと思うよ。後は彼がどこまで汲み取って動いてくれるかだけどね。」
他の三人もこの計画の成否を気にして、じっと彼らを見つめているので、みんなを安心させる様に、ライトが明るい笑顔と声で作戦が上手くいったことを告げると、皆一様に安堵の笑みを浮かべると、顔を見合わせて作戦の成功を喜んだのだった。
「あぁ、ライト様本当に有難うございます!」
この一連の計画で、一番の懸念事項が、ルーフェスに接触して彼に明日の舞台のカーテンコールに来てもらう事だったので、その為の手引きの仕込みが上手く行ったと分かると、アンナは涙ぐむ程の喜びようを見せて深々と頭を下げた。
「これで後の懸念は、明日本当にルーフェスが中央広場まで来てくれるか、それだけね。まっ、彼なら絶対に来るでしょうね。」
「えぇ、そうね……」
エミリアの言う通りこれで後はルーフェスが当日舞台に来てくれたら、それできっと全て上手くいくのだけれども、アンナは彼女ほど楽観的になれず、複雑な表情を浮かべていた。
ルーフェスならば絶対に来てくれると信じてはいるものの、それでもやはりどこかまだ不安があったのだ。
「大丈夫。ルーフェスなら、こちらの意図を読み取ってくれるし、あの指輪を渡せたのならば絶対に来てくれるさ。」
そんなアンナの様子を見かねて、リチャードがそう言って励ますと、それに呼応するようにエヴァンも口を開いた。
「まぁ、指輪はちゃんとカーペットに隠せたし、気付く様に凄く睨んでおいたから、後はあの人次第だけど、きっと絶対に来るよ。なんせ姉さんの存在を匂わせといたからね。」
「成程。それは、確実だね。」
「えぇ、そうね。」
エヴァンの言葉に皆が温かい目をアンナに向けて賛同をするので、彼女は恥ずかしそうに頬を染めて目線を逸らすと、照れを隠すように話題を変えた。
「とにかく、エヴァンも本当に大役を有難うね。」
「本当だよ。いくら落ちやすくなる様に細工して、何度も何度も自然な動きとなる様に練習したけども、もの凄い緊張したんだからね。」
そう言ってエヴァンはやれやれと言った顔をして、胸のポケットから万年筆を取り出すとまじまじと見つめた。一見何の変哲もない万年筆だが、先端に取り付けた飾りを重くして、胸のポケットを少し傾けただけで、簡単に床に落ちる様に細工をしてあったのだ。
「偉いわエヴァン。よく頑張ったわね。」
少し得意げに自分の戦果を話すエヴァンに、エミリアは嬉しそうに横から抱きつくと、彼の頭を優しく撫でて、その武勲を労った。
「止めてよエミリア。子供扱いしないでって!」
するとエヴァンは恥ずかしそうに、身体を捩って必死にその手を振り払おうとしたので、そんな様子をみんなが微笑ましく思い、声を上げて笑いながら見守っていた。
一人を除いては。
エミリアの熱狂的なファンで有るライトが、彼女に可愛がられるエヴァンを羨望の目で見ると堪らず声を上げたのだ。
「エミリア様、自分も上手くやりました!貴女に褒めて欲しいです!!」
まるで忠犬の様にキラキラした瞳でご褒美を期待する様子に、エミリアは一瞬苦笑するも、そこは女優である。直ぐに満面の笑顔を作ると、ライトの手を優しく包み込む様に両手で握ると、彼を見上げて感謝の言葉を告げたのだった。
「ライト様もお疲れ様でした。貴方様が居なかったらこの作戦は無し得なかったですから、本当に、ライト様のおかげですね。」
憧れの女優が、自分の手を握って優しく微笑みかけてくれる現実に、ライトは天にも昇る思いであった。
「あぁ、貴女のお役に立てて光栄です!明日の約束も、どうか忘れないでくださいね!!」
「勿論です。私も、公演が終わった後、ライト様とのお食事楽しみにしてますね。」
ライトはエミリアの手をしっかりと握り返すと、この役を引き受けると承諾した時にした約束を再度確認したのだった。
リチャードが、リヴァレッジ侯爵家に皆を引き連れてやって来た時に、リチャードとリリアナの二人を匿う事と、クライトゥール公爵家に行ってルーフェスと接触する事を手伝ってくれるのならば、ライトが心酔するエミリアと一緒に過ごす時間を設けてあげるという約束をしていたのだ。
男性の扱いに慣れているエミリアにとっては、こちらの作戦に協力してもらった上にタダで美味しいご飯を食べさせて貰えるので、この取引は得しかなかった。
だから彼女は本心からニッコリと笑うと、ライトとのディナーを心待ちにしていると告げたのだった。
「さて、それじゃあ準備も全て整ったし、後は明日を待つだけだね。」
リチャードが手を叩いて皆の注目を集めると、今迄の柔かな顔付きから一転して、真面目な顔で言葉を続けた。
「明日全てが終わった後にとは思ったんだけど、でも、先に今お礼を言わせてもらうよ。本当に、私たち兄弟の為に尽力してくれて有難う。」
そう言うと、リチャードはその場にいる全員に向かって深く頭を下げたのだ。
そんな彼の真摯な思いは痛いほど伝わってきたのだが、この面子の中で一番身分の高い公爵公子に頭を下げられて、皆は戸惑って何も言えなかった。
するとリリアナがリチャードの横へすっと移動し、彼の腕にそっと触れて顔を覗き込みながら優しく言葉をかけたのだった。
「大丈夫ですわ。全て上手く行きますわ。」
そう言って彼の頭を上げさせると、リリアナはリチャードの目を見て優しく微笑んだ。その笑顔は、何の不安も迷いもなく、ただ真っ直ぐに未来を見据える、とても美しいものだった。
「それは、夢で見たのかい?」
「えぇ。大勢のお客様達が皆、温かい目を向けて盛大な拍手をこちらに贈ってくれていましたわ。」
リチャードは、彼女のその言葉に救われたかの様で、張り詰めていた表情を崩して少し微笑むと、優しくリリアナを見つめ返した。
そんな二人のそんなやり取りを見守りながら、アンナは、胸のブローチを強く握りしめて心の中で呟いた。
(大丈夫。きっと上手くいく……)
ルーフェスと別れてから六日。彼に会いたい気持ちが募る中、再び、彼と触れ合える日が来ると信じて、明日の舞台の成功を願ったのだった。
***
三ヶ月に及んだ、中央広場の劇団公演は今日、最終日を迎えていて、最後の公演を一目観ようと、中央広場には多くの人々で賑わっていた。
これは、最終日という事でより多くの人に劇を観てもらおうと、テントの天幕を取っ払い、貴族や金持ち向けの特別天覧席意外は、何処からでも自由に無料で観劇できるように計らった事も影響している。
その結果、中央広場には通常の公演より何倍もの人が集まり、この国最大のお祭り、建国祭のような多くの人出で賑わっていたのだ。
人々はこれから始まる素敵なショーに心を躍らせて、大人も、子供も、幸せそうな笑みを浮かべて、劇が始まるまでの待ち時間でさえも楽しそうに過ごしていた。
中央広場は、人々から溢れ出る幸せな光で包まれて、ここに居るだけで、なんだか楽しい気分にさえさせてくれた。
(商機と睨んだ商人が、出店を出してくれた事も、人を集めるのに良い方向に働いたわね。)
アンナは、舞台の脇で、そんな広場に集まった人々の様子を眺めていた。この作戦は、とにかく人を集める事が重要だったのだ。
この四日間、エヴァンと手分けをして王都中を走り回り、さまざまなお店に張り紙を貼らせてもらったり、道ゆく人々に、ビラを配るなどして、今日のこの無料公演を多くの人に知ってもらおうと宣伝に尽力していた。
更に、侯爵公子であるライトにも協力をお願いして、彼と交友がある貴族を中心に、いかにエミリアが素晴らしい女優で有るかを力説すると共に、最終公演への観劇を誘って回ってもらったのだ。
(ここまで人が集まったのならば、大丈夫、きっと上手く行く。)
アンナは心の中で自分に言い聞かせるように呟くと、目を瞑って大きく深呼吸した。そして「よしっ」と気合いを入れ直すと、舞台の裏へと消えていった。
壮大な音楽が鳴り響き、人々の注目が中央の舞台に集められると、演者達が次々に登場し、見事な群舞を披露しだした。劇の幕開けで有る。
こうして、さまざまな思いの詰まった最終公演が始まったのだった。




