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59. 接触

(アンナと別れてから今日で六日目。僕の誕生日まではあと三日か……)


 ルーフェスは一人広い部屋の中で溜息をつくと、ソファーにもたれ掛かって高い天井を見上げた。


 この部屋に連れてこられてからは、一週間が経っていた。その間、二日目の夜にジェフの手引きで一時的に部屋を抜け出したものの、それ以降はより警備が厳重になってしまい部屋から一歩も出る事が許されなくなっていた。


(……この壁を壊せば、まぁ、直ぐにでも出られるには出られるけど……)


 物理的な拘束などは彼にとってあまり意味がなかったが、精神的な拘束は、彼一人ではどうにもできない。人質に取られている乳母の事を思うと、迂闊な行動は出来なかった。


 ふと、この部屋に複数の足音が近づいて来ている事に気がついた。


(普段しない足音だ。……一体何が?)


 監禁されて以来、ルーフェスにリチャードとしての教育を強要する家令と、決まった時間に食事が届けられる以外はこの部屋に訪れるものは誰もいなかったので不思議に思って警戒していると、予測通り部屋のドアがノックされて、ドアの外から声が掛かったのだった。


「リチャード様、リヴァレッジ家のライト様がお見舞いにお越しくださいました。まだお風邪から回復されたばかりですので、あまり無理はなさらない方が良いとは思いますが、折角お越しくださったのですからお顔だけでもお見せしたらいかがでしょうか?」


(……なるほど、そう言う設定なのか。)


 家令のこの説明めいた言葉から、ルーフェスは彼の思惑を察した。


 家礼は、リチャードはここ数日風邪という事で表舞台に出ていないという設定を暗に伝えて、それから変な憶測が立つと困るから、丁度良い第三者であるライトにリチャードの振りをして姿を見せろとルーフェスに要求してるのだ。

 そして、この面会はリチャードが別人である事に気付かれぬよう、短時間で終わらせるようにとも釘を刺していた。


 ルーフェスは家礼の策略に気づいて、はぁーーっと、深くため息をつくと、ドア越しに返事をしたのだった。

「了解した。入って貰って。」

 公爵の腹心である家令の言いなり通りに振る舞うのは本当に癪に触ったが、乳母という人質を取られている以上、彼に従うしかなかったのだ。


 すると扉が開かれて、家令と共にリヴァレッジ侯爵家の公子ライトと、そのお付きの少年が部屋の中に入ってきたのだが、そのお付きの少年の姿を見て、ルーフェスは思わず声を上げてしまいそうになった。


「ッ?!」


 リヴァレッジ公子のお付きの少年は、実に良く見知った顔だったのだ。


(エヴァン、何故ここに?!)


 エヴァンの出現に驚きを思わず顔に出してしまいそうになったが、公爵の忠臣である家令が直ぐ側にいるので、彼にバレぬようルーフェスは持ち直して平然を装った。


 そしてそれは、エヴァンも同じであった。


 二人は、お互いを見知らぬ存在とし、この関係を悟られまいと、顔色を一つも変えずに対面したのだった。



「リチャード、思ったより元気そうだね。良かったよ。」

「ライト、わざわざ有難う。」


 リヴァレッジ侯爵家の公子であるライトは人懐っこい笑顔を浮かべると、ルーフェスに話しかけてきたので、ルーフェスは、ゆっくりと椅子から立ち上がると、彼に向かって笑ってみせた。


 リチャードの交友関係に、このライトという公子がいる事は知識としては知っていたし、以前入れ替わった時にも何度か会話をしているが、しかしリチャードとライトがどのような仲であったのか迄は把握しておらず、とりあえずルーフェスは、当たり障りのない態度で様子を見た。


(エヴァンを連れているという事は、おそらく彼は味方なんだろう。しかし……)


 ルーフェスは後方から感じる家令の監視の目を警戒した。


(家令もきっと、この急な訪問を怪しんでいるのだろう。)


 本当は直ぐにでもエヴァンに話しかけて、アンナがどうしているのかが知りたかった。だが、それをすれば直ぐにでも家令に勘付かれてしまうので、その様な迂闊な真似は出来なかった。


「そうだ、退屈だろうと思って差し入れに本を持ってきたんだ。読み応えのある大変面白い本だから、是非読んでみてくれないか。」


 そう言うと、ライトは後ろに控えさせていたエヴァンに手で合図をした。すると、図鑑のように分厚い本を抱えたエヴァンが、ゆっくりとルーフェスの前に進み出たのだった。


 目を合わせたが、お互いに顔色を一つ変えない。この関係が気づかれてしまってはいけないのだ。


 そしてエヴァンが深く頭を下げて礼をしてから両手で抱えた本を恭しくルーフェスに差すと、ルーフェスもそれを両手で受け取ったのだが、この時、エヴァンはあまりに深く頭を下げたせいか、彼の胸のポケットに入れていた万年筆が、床に転がり落ちてしまったのだった。


「申し訳ございません。」


 エヴァンは謝罪の言葉を述べて慌てて床にしゃがむと、落としてしまった万年筆を拾い上げた。


 目の前で起こったそんな動作を、ルーフェスが何気なく眺めていると、屈み込んだ姿勢から顔を上げたエヴァンと、しっかりと目が合ったのだった。


 エヴァンは、明らかにルーフェスと目を合わせにきていた。


 それは、ほんの一瞬の出来事であったが、ルーフェスは彼からのアイコンタクトを確かに受け取った。しかし、その目配せの意味までは分からなかった。


(今のは一体、どう言う意味なんだ……?)

 

 ルーフェスは疑問に思いながらも、今はただ、何食わぬ顔をして、彼らの行動を見守るしか出来なかった。

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