55. リチャードの考え
翌朝、留守の間のエヴァンの世話をエミリアに頼んでアンナは宣言通り馬車でクルト村へと向かっていた。
エミリアの目撃情報を元に長距離馬車の乗り場で聞き込みをすると、クルト村行きの馬車の行者が、一昨日身なりの良い若い男女を乗せた事をアッサリと教えてくれたので、リチャードとリリアンナの二人がクルト村へ向かった事は確実となった。
(しかし、こうも簡単に事が進むとは……。本当にルーフェスが言うように考え無しに行動しているのかしら……?)
馬車に揺られながら、アンナはリチャードの行動を不思議に思ったが、そのお陰でこうして足取りを追えているのだから、細かい事は気にするのは止めた。
「さて……問題はここからよね。」
アンナは窓の外の景色を見ながら独り言ちると、これからの事について考えた。
彼らがクルト村行きの馬車へ乗ったのが一昨日なので、既に別の場所へ移動してしまっている可能性が高いのだ。
だからクルト村で彼らの手がかりを見つけられるかは賭けであるが、余所者が珍しい田舎の村なので、目撃情報を集めるのはきっと容易であろうと睨んでいた。
けれども、それでも不安は残る。
アンナは胸のブローチを握りしめると、この捜索がうまく行く事を祈ったのだった。
馬車に四時間揺られて、クルト村へ到着すると、アンナはまず、村に一件だけある宿屋へと向かった。
この村にどれだけ滞在するかは分からないが、少なくとも今日はここに泊まることになるのは確実なので、アンナは宿を取る為に村で唯一の宿屋を訪れたのだが、しかしアンナの捜索は、ここであっけなく終了したのだった。
宿屋のドアを開けると、入り口横の食堂でリチャードとリリアナが仲良くお茶を楽しんでいたのだ。
「貴方達……っ!!本気で逃げる気あったの?!なんでこんな直ぐに見つかる所に居るのよ?!!」
アンナは、二人の姿を目にすると、思わず大きな声をあげてしまった。
「君は……誰……?私たちの事知ってるの?」
急に声をかけられて、びっくりした様な顔で、リチャードは警戒しながらアンナを見た。隣に座るリリアナも、きょとんとした顔をしているので、アンナは先ずは大きな声を出してしまった事に謝罪をして一礼すると、単刀直入に本題を切り出したのだった。
「失礼しました。私はアンナ。リチャード様、貴方を連れ戻しに来ました。」
「……公爵の差金か、いくら貰った?私たちの言う事を聞いてくれるならその倍額だそう。」
アンナの言葉を聞くと、途端にリチャードは表情を険しくさせてより一層警戒を強めたが、そんな彼の変化に構わずアンナは彼の問いに毅然と答えた。
「いいえ。私はお金で動いている訳でも、誰かの命令で動いている訳でもありません。私の意思で、貴方を連れ戻して、ルーフェスに会わせたいと思って、行動しています。」
「君は、ルーフェスの知り合いなのか?!」
「はい。私の話を聞いてくれますか?」
「……いいだろう。」
アンナの口から予想外の人物の名前が出て、リチャードは目を丸くすると、少しだけ態度を軟化させた。
「ルーフェスは、怒っているのかい?」
「いいえ、彼は怒っていません。でも、私は怒っています。失礼を承知で言わせてもらいますけど……」
そう言ってアンナは小さく息を吸い込むと、感情のままに言葉をぶつけたのだった。
「先に逃げるなんてズルい!卑怯だわっ!!」
アンナだって一応は貴族の端くれなので、公爵家公子に向かってのこの発言がいかに無礼であるかは重々承知だが、ルーフェスの事を思うと、厳しい言葉の一つでも投げつけずにはいられなかったのだ。
「待って。君の言動から察するに、ルーフェスはあの家から逃げていないんだね?」
「えぇ。乳母を人質に取られて、厳重に軟禁されています。」
それから、アンナがルーフェスとの経緯を話すと共に、彼が今どんな状況になっているのかを二人に伝えると、リチャードは額に手を当てて項垂れて、悔しそうに呟いたのだった。
「乳母……そうか、ニーナか。くそっ、そこまでは気が回らなかったな……」
「……貴方は一体、どういうつもりで行動をしていたの?」
彼の様子からどうやらルーフェスの身を案じているのは分かったが、それならば何故、この様な事態になってしまったのか。
リチャードの考えが、アンナにはまるで分からなかったのだ。
するとリチャードは、アンナからの問いに少し困った様な顔をすると、どこか申し訳なさそうに事の発端を話し始めたのだった。
「一昨日の朝、公爵から急に、王女殿下と婚約させるからリリアナとの婚約は解消すると言われて……」
リチャードは、そこで一度言葉を区切ると、険しい顔で話を続けた。
「リリィは私と結婚して身内になる予定だったから、ルーフェスの事を知っていてもお目溢しをされていた。けれども、その前提が壊れるとなると、あの公爵の事だから、リリィに何をするか分かったもんじゃない。だから、彼女を連れて逃げたんだ。ルーフェスが、近々公爵家から離脱するつもりで動いていたのは知っていたから、私が先に逃げ出したら、予定を早めてルーフェスも逃げるかと思ってたんだが……。そうか、人質か……あの人のやりそうな事だ……」
説明を続けるリチャードの表情は、ずっと険しいままだった。
後悔している様な、苛立っている様な、そんな彼を心配して横に座るリリアナがそっとリチャードに手を添えると、リチャードはハッとしてリリアナの方を向き、幾らか表情を和らげて「心配ないよ」と囁くと、それからアンナと向き合ったのだった。
「私はリリィ以外とは結婚したくない。だから、悪いけれど公爵家には戻らないよ。」
「そんな……。それではルーフェスはどうなるの?!それに、戻らないで貴方達はどうするつもりなの?」
「少し語弊がある言い方だったな。今は、戻るつもりは無い、だ。」
「……どういう事ですか?」
アンナはリチャードの発言の意図が分からず、眉根を寄せた。
「私たちは、わざと、人目につくように移動してきた。この村に来たのだってそう。余所者は目立つからね。」
「一体どうして?」
「公爵家の嫡男が、貴族令嬢と駆け落ちしたという噂が広まれば、王女殿下との婚約話も立ち消えになると思ってね。」
「……考え無しに動いてた訳じゃなかったのね……」
「あぁ、勿論。けれど、ルーフェスが、クライトゥール家の嫡男を勤めてしまうと、私の駆け落ちしたと言う事実に基づく噂が広まらない。なんとかしてルーフェスもあの家から逃したいのだが……」
そこまで話すと、リチャードはそれ以上は口を閉ざしてしまった。ルーフェスを救いたい想いはアンナと一緒なのに、妙案が思い浮かばず、何も言えなくなったのだった。
「……噂を広めて諦めさせる……?」
「……あっ!!」
アンナは、リチャードの言った言葉を反芻すると、一つの可能性を思い付いたのだ。
「そうよ、そうだわ!その方法があったわ!!」
「何か良い案でも思いついたのかい?」
「えぇ!」
急に声をあげたアンナを怪訝に思いながら問いかけたリチャードにアンナは嬉しそうな顔で自信満々に返事をすると、自分の考えを二人に伝えた。
「リチャード様、リリアナ様。今から私が話す計画にどうか協力してください。この方法ならば、お二人も、ルーフェスも、みんなが救われるかもしれないんです。」
それは、とても壮大で突飛な計画だった。




