25. 高額依頼
「アンナ、一体どうゆうつもり?この依頼書は僕たちだけでは無謀だよ。どれだけ危険な事か分かってる?!」
マチルダに薬を届けると約束した翌日。冒険者ギルドで顔を合わせたルーフェスに、アンナは説教をされていた。
彼の手には彼女から取り上げた依頼書「エンシェントウルフ一頭の討伐」が握り締められている。
「危険なのは分かってるけども、でも、まとまったお金が早急に必要になって……」
アンナはルーフェスの剣幕に気圧されて言い淀んでいた。
今までアンナが多少無理な事をしようとしても、ルーフェスは小言を言いながらも、いつもアンナを助けてくれていたので、だから今回も、きっと手助けしてくれるだろうと考えていたのだが、思いの外しっかりと説教を食らってアンナは戸惑ったのだ。
「一体どう言う事情?借金だってこの前返したじゃないか。場合によっては手伝わないよ?」
「友達のお母さんが病気になって、薬を買うお金が必要なのよ……」
「友達のお母さんって……アンナとは繋がりが遠いじゃないか。なんでアンナが無理をしてまでそんな大金を用意しなくてはいけないの?」
彼の言っている事は一般的な正論であり、アンナの痛い所を突してくるので、彼女の返す言葉の歯切れは悪くなる一方だった。
「その人は働きに出ることが出来なくて困窮してるの。だから私が代わりに……」
「だからって、こんな危険な仕事までして君がお金を工面するの?その友達とやらはアンナがこんな危険な討伐依頼をするって分かってて頼んでるの?」
納得いかないといった顔で、ルーフェスは更に追及してくる。彼の言ってる事は、全て的を得ているので、アンナはぐうの音も出なかった。
ここで、「その薬があれば貴方の知りたいルオーレ家の事件について話を聞く事ができるかもしれない」と、本当の事を言えれば良かったのだが、しかし、それを説明する為には、自分とマチルダの関係、ひいては自分が貴族である事まで話さなくてはいけなくなるので、それはどうしても言えなかった。
だから、ルーフェスの厳しい視線に射すくめられながらも、アンナは事情を隠して彼を説得するしかなかった。
「友達には薬代は私が何とか工面するからとしか伝えてないわ。彼女だって、私がやろうとしてる事知ったら止めたと思う。でもね、目の届く範囲で私の知り合いが苦しんでいて、私が頑張れば事態が改善するのならば、多少無理なことでもやりたいと思うの。」
そう言ってアンナはルーフェスを真っ直ぐに見た。その瞳には、力強い意志が籠っている。
そんな彼女の様子に、ルーフェスはため息を吐くと諭す様に語りかけた。
「君は、自分をもっと大切にしないとダメだよ……。自己犠牲の精神はその場では誰かを救えるかも知れないけども、アンナの事を大切に思ってる人に、とても心労をかけてしまうんだよ。」
痛いところを突かれて、アンナは胸が苦しくなった。彼のその言葉に、いつも自分の身を案じてくれているエヴァンとエミリアの顔が脳裏に浮かんだのだ。
今までに無い程の危険な討伐をしようとしているのは分かっているし、自分が怪我をしたら彼らが悲しむ事も分かっている。それに上級モンスター討伐に挑む事へ躊躇いや恐れも勿論あったが、それでもアンナはマチルダの母親の病気を治したかった。
それが、ルーフェスの願いにも繋がるから。
「勝手に依頼を受けてごめんなさい。それにルーフェスを危険な仕事に巻き込んでしまうことになってしまってごめんなさい。それでも、どうしても薬が必要なの。お願い、どうか手伝って。」
アンナは深く頭を下げて、とにかく懇願した。彼が首を縦に振ってくれるまで頭を下げ続ける覚悟で、ただひたすらに彼の助けを求めたのだった。
「……この魔物は、僕は戦ったことない。知識でしか知らないんだ。だから今までのように上手くフォロー出来ないと思うし、そうなるとアンナがまた大怪我を負うかもしれない。僕が手伝ったとしても、危険なのは変わらないし、最悪命を落とす可能性だってあるんだ。それでも……君はやるの?」
しばらくの沈黙の後、ルーフェスはアンナの頭を上げさせると、彼女の目を真剣に見つめてその覚悟を確認した。
アンナは正直、ルーフェスがここまで心配するとは思っていなかったので、彼の厳しい言葉に一瞬怯みそうになったが、自分の決意が揺るがない事を再度自認すると、ルーフェスの目を見返してゆっくりと頷いたのだった。
「……分かったよ……」
ルーフェスは諦めにも似た表情で溜息を一つ吐き出すと、しぶしぶといった感じでアンナの要望を受け入れた。
彼女の決意が固いことを感じ取って、ルーフェスは折れたのだ。
「けれどもアンナ、これだけは約束して。この依頼、絶対に深追いしてはいけないよ。無理だと思ったら直ぐに逃げるんだ。いいね?」
再度問いかけられたルーフェスの忠告に、アンナは神妙な顔で頷いた。
「分かったわ、約束する。危険だと思ったら直ぐに撤退するわ。引き受けてくれて本当に有り難うね。」
そう言ってアンナはルーフェスの手を取ると、感謝の意を込めてぎゅっと握ったので、ルーフェスは顔を赤らめて視線を外すと、少し言い難くそうにアンナに別の苦言を呈したのだった。
「……アンナ、前から思っていたけど……、その、そういう事はあんまり気軽にやるもんじゃ無いよ……」
「えっ……?何のこと?」
彼が何を指摘しているのか本当に分からなかったので、アンナは不思議そうに首を傾げて聞き返した。
するとそんな彼女の態度を見てルーフェスは一つ溜息をつくと、彼女の手を握り返して、真剣な眼差しで囁いたのだった。
「こういう事だよ。」
「あっ……」
アンナはそこでようやく自分が無意識のうちにルーフェスの手を取っていたことに気がついて、慌てて手を離した。
「違うの、他意はないのよ!」
アンナは恥ずかしさで耳まで赤くしながら、必死に弁解をした。
「他意は無いのか。それは残念だな。」
そう言ってルーフェスがわざとらしく肩をすくめてみせたので、アンナは赤い顔のまま、「もう、揶揄わないで!」と、恥ずかしそうに俯いたのだった。
「ごめんごめん。でも本当に気をつけて欲しいな。誰にでも気軽に手を握る物じゃ無いよ。」
「分かってるわ。別に誰にもってわけじゃ無いわよ……。貴方だからその……、気を許してるのよ……」
段々と消え入りそうな声になりながらも何とか言葉を絞り出した。それが、今言える彼女の精一杯だった。
「それは、その……光栄だね。」
アンナの思いもよらない言葉に面食らったルーフェスは、動揺を悟られぬ様口元に手を当てて照れたように視線を外した。
気恥ずかしさから少し間お互いに目線を外し何も言えないでいたが、先に気持ちを落ち着かせたルーフェスが、真面目な口調に戻ってアンナに再度その覚悟を問いかけた。
「何度も言うけど、この依頼は本当に危険だよ。僕も出来る限りフォローするけども、無理だと思ったら、とにかく直ぐに逃げて欲しい。いいね?」
「分かってる。危ないと感じたら直ぐに撤退するわ。」
「うん。それじゃあ、狼退治に向かうとしようか。」
そう言って二人は気を引き締めると、真剣な眼差しで互いを真っ直ぐに見つめて、その覚悟を確認し合うかの様に無言で頷きあったのだった。




