15. 一触即発
アンナがルーフェスと一緒に仕事をするようになって、二ヶ月が経過していた。
その間、何か大きな出来事がある訳でもなく淡々と日々の暮らしが過ぎていったが、何も起こらない安定がいかに大切な事かを身に染みて分かっているアンナは、この変わらぬ日常に心地よささえ覚えていた。
いつもと同じ場所、いつもと同じ時刻。
「また明日」と言って別れたルーフェスを、いつも通りアンナはギルドで待った。
彼が来るまでの間、アンナは一人で掲示板に貼り出されている依頼書を眺めながら、今日はどの依頼を受けようかと一人ぼんやり考えていると、不意に誰かが彼女の肩を叩いたのだった。
「やぁ、アンナじゃないか。久しぶりだな。」
アンナが驚いて後ろを振り向くと、そこには見知った顔の大柄な剣士が感じの悪い笑みを浮かべて立っていた。
以前一時的に加入したことのあるパーティーのリーダーだった剣士が話しかけてきたのだ。
「あっ……お久しぶりです……」
その姿を見て、アンナは僅かに表情を強張らせた。この人物が苦手だったのだ。
だからこのまま挨拶だけで立ち去ってくれる事を願ったが、しかし、そう上手くはいかなかった。
「最近君がさ、特定の人物と組んで依頼をしてるって噂を聞いてね。……まさか、俺達の申し出を”一人が良いから”って断ってるのに、そんな事してないよね?」
剣士の男は、アンナの硬い表情など気にも止めず、当てこすりの様な物の言い方で絡んできたのだ。
(この高圧的な態度、やはりこの人は苦手だわ……)
そんな事を再認識し、アンナはなるだけ早く会話を切り上げたいと思った。
なので内心とは裏腹に作り笑いを浮かべると、表面上はにこやかに曖昧に返答したのだった。
「えっと……そうでしたっけ?」
どのような反応をするのが一番最良か判断できなかった為に、困った時にアンナが良くする、笑って誤魔化してやり過ごすという対応をとってしまったのだが、しかしこれが間違いだった。
「なんだよそれっ!!俺達の勧誘を覚えてないって言うのか?!」
剣士の男は、アンナの言葉で馬鹿にされたように感じて激昂し、彼女の腕を掴むと声を荒げた。その大きな声に周囲にいた他の冒険者達も思わず二人の方へ視線を向ける。
「ちょっと、痛いてばっ!離してっ!!」
アンナは男の手を振り払うと、一歩後ずさった。
(失敗したなぁ……)
自分の発言が迂闊であったと反省しても後の祭りだった。目の前の男は苛立ちを隠そうともせずに立ちはだかっていて、簡単には退いてくれそうには無かった。
***
「ねぇ、アレは何やってるの……?」
「あら、あんた来てたの。」
少し遅れてギルドにやって来たルーフェスは、着いて早々にアンナが男と揉めている場面に遭遇していた。
いきなりの事態に面食らったが、事情が全く分からないので、とりあえず全てを見ていたであろう受付嬢のネーヴェに状況を確認した。
「あれは以前アンナが誘われて一時的に加入していたパーティーのリーダーね。あの娘、あいつらとはもう二度と関わりたくないだろうに、絡まれて可哀想ね。」
「どうゆうこと?」
知り合う前のアンナの事を良く知らないルーフェスは、ネーヴェに、特にアンナがあいつらとはもう二度と関わりたくないと思ってる部分について詳しく説明を求めた。
「あいつら、個々の能力は高いんだけど、皆それぞれ自分が好きなように動くから、連携なんて取れたものじゃないんだ。それなのにある時、身の丈に合っていない難易度の依頼を受けて、臨時でアンナを含む他の冒険者も何人か誘って大規模パーティーを組んで……。で、結果失敗して参加していたほぼ全員が怪我を負ったわ。アンナも、その時に左腕に大きな怪我をしてるのよね。」
それを聞いて、ルーフェスの脳裏には以前アンナの袖口からチラリと見えた腕の傷痕がよぎった。
「あいつら、それ以来落ち目でね。それでなんとか再起しようと高額な依頼をする為に人を集めてるんだけど、あんな勧誘の仕方じゃダメよねぇ。」
呆れたような口調で言うと、受付嬢のネーヴェは揉めている二人を眺めた。見ると、大きな声で詰め寄る剣士にアンナはたじろぎ気圧されていたのだ。
「つまりアレは、仲間になれって言う強引な勧誘って事?」
「まぁ、そうだね。それで貴方、あの娘の相方なんでしょう?助けないの?」
「勿論助けるよ。有難う、お姉さんのお陰でなんとなく状況が把握できたよ。」
そう言うと、ルーフェスは少し怖い顔をしながら二人が揉めている掲示板の前へと向かったのだった。
***
「他の奴と組んでるんならば、俺たちともだって組めるだろう?何だったらそいつも一緒でも良いし。」
「そうは言っても私一人で決めれることではないし、他を当たった方が良いんじゃない?」
他の冒険者達の注目を集めながら、掲示板前でアンナと剣士との押し問答は続いていた。
「そんなこと言わずに、前は一緒に仕事した仲間だろう?」
その仕事した時に良い思い出がないからこうやって断ってるのに、なんてしつこいのだろうか。一向に引き下がらない男に、アンナはうんざりし始めた。
「とにかく、今組んでる奴にも聞いてみてくれよ。人数が多い方が良いって言うかもしれないだろう?!」
もう何度繰り返したかさえ分からない問答に嫌気が差しながらも、剣士のしつこい問いかけにアンナが口を開こうとしたその時だった。
第三者がアンナの代わりにこの剣士に返答したのだ。
「いいや、断るよ。もう彼女に絡まないでくれるかな?」
アンナと男のやりとりに、第三者であるルーフェスが割って入ったのだ。
「ルーフェス、来てたの?」
「うん。ちょっと前から見てたんだけど、これは助けた方が良いかなって思って。」
「うん。ありがとう。」
ルーフェスがそばに来てくれて、彼が助けに入ってくれて、アンナは自分でも驚くほどに心が落ち着いたのが分かった。
そして心強い味方がそばに来てくれた事で勇気付けられたアンナは、剣士に対して曖昧にかわすのを止めて、キッパリと拒絶の意思を表示することにしたのだった。
「どんなに誘って貰っても、私たちは貴方達とは組みません。だからもう私に構わないでください。」
アンナは剣士と向き合うとじっと目を見て、真摯な態度で深く頭を下げた。
これでもう諦めてください。
ここまで言えば流石にこれ以上は構わないで立ち去ってくれるだろうと思ったのだが、しかし、中々思い通りにはいかないものである。
剣士の男は、ローブの中のルーフェスの顔を見ると怒りの声を上げたのだった。
「なんだよ、結局は顔かよっ!!」
「……は?」
男の素っ頓狂な発言の意味を直ぐに理解できずに、アンナは思わず間の抜けた声を上げてしまった。
剣士の男は、見目の良いルーフェスの顔を見て、アンナが容姿で組む人間を決めていると誤解し余計に激昂したのだ。
「透かした顔して、気に食わねぇな……」
「奇遇だね。僕もお前のこと気に入らないって思ったよ。」
男はルーフェスの前に出ると、敵意を剥き出しにして睨んだ。
それに対して普段は穏やかな表情が多いルーフェスも、とても冷ややかな表情で軽蔑の眼差しを相手に返している。
正に一触即発な空気が漂う中、ギルドに鶴の一声が響き渡った。
「やめないかいあんた達っ!!!それ以上やると出禁にするよ?!!」
受付のお姉さんが、二人を一喝したのだ。
ギルドにおいて、受付の彼女には誰も逆らえなかった。なので彼女が仲裁に入ったのならば、もうそこで絶対に喧嘩を止めなくてはいけない。そうしないと、今後彼女にギルドの仕事を受け付けて貰えないから。それは暗黙のルールだった。
「チッ……いけすかない野郎と傷物女なんて二度と誘わねーよっ!!その軟弱そうな男と、よろしくやってろよっ!!!」
剣士の男は、怒りが収まらないと言った感じで、顔を真っ赤にし捨て台詞を吐き捨ててこの場を去っていった。
その瞬間、ルーフェスが僅かに動いたのをアンナは見逃さなかった。反射的に彼の腕を引っ張って、彼の行動を止めたのだった。
「ルーフェス駄目っ!!」
少しでも遅れてたら、ルーフェスは男に掴みかかっていただろう。
「あいつアンナの事まで侮辱したっ!」
普段の柔らかい雰囲気とは異なり、ルーフェスは明らかに怒っていた。
「アレくらいの悪口、私なら気にしてないから。そりゃ、ちょっと誤解を招く言い方はやめて欲しかったけど……。でも、左腕に大きな傷跡あるのは事実だしね。」
彼が自分の為に怒ってくるているのだと察して、アンナはルーフェスを宥めようと、「私は大丈夫だから落ち着いて」と笑って見せた。
そんな懸命な彼女の様子を見て、ルーフェスは頭を振りかぶって大きく息を吐くと、ゆっくりと怒りを鎮めたのだった。
「君は、もっと怒って良いと思うんだけど……」
「そりゃあ嫌な気分にはなるわ。でもギルドで揉めても良い事ないからね。その時だけだから。ちょっと我慢すればおさまるのだからね、受け流さないと。」
面倒を起こしてギルドでの仕事を失うわけにはいかないので、アンナは今までそうやってずっと、嫌味や悪口をやり過ごしてきたのだ。確かに突き刺さる悪意は胸を痛めつけてはくるが、でも、仕事を失う痛手と比べたらそれ位の我慢は何でもなかった。
「アンナ、君は強いんだね。」
「強くなんてないわよ。ただ、そう処世術が身に付いてしまっただけよ。」
「そういう人を、強かって言うんだよ。」
そう言って穏やかに笑うルーフェスは、すっかりいつも通りだった。
「それにしてもさっきは驚いたわ。もう少しで手を出していたわよね?」
「それについては、腹が立ったから……ごめん。僕は案外気が短いんだ。……怖いと思ったかい?」
「ううん。普段と大分様子が違ったからビックリはしたけども、でも別に怖くはないわ。」
アンナのその返答を聞くと、ルーフェスはホッとした様子を見せた。
「良かった。アンナに嫌われるのは嫌だなって思ってたから。」
「そんな、私がルーフェスを嫌いになるなんて無いわよ。」
「それは、嬉しいな。」
そう言われてアンナはドキっとした。
きっと彼に深い意味は無いのだろうけど、それでも少し顔が熱くなったのだ。
「と、とにかく、助けてくれて有難うね。」
意識すると急に恥ずかしくなって、アンナはルーフェスから少し目線を逸らせて、御礼を言った。
「どういたしまして。さぁ、それじゃあ、今日の仕事を決めようか。」
少しぎこちないアンナに対して、ルーフェスは、いつもと変わらない優しい笑顔で彼女を見つめて、それから掲示板へと視線を移したのだった。




