穏やかな恋に導かれ。
長編「婚約破棄された辺境伯令嬢は、隣国の第一王子と静かな余生を過ごす。」に登場したエマとフレデリックのお話です。
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こちらも合わせてお読みいただくと、より楽しめるかと思います。
物書き初心者が制作しています。
暖かい目で読んでくだされば幸いです。
sideエマ
エマは、オルヴェンヌ領のごく普通の平民家庭に生まれた、普通の少女であった。
15歳になったある日、領主であるオルヴェンヌ辺境伯の屋敷で新しい侍女の募集があるということで、顔馴染みの町の仕立て屋が、年頃がちょうど良かったエマを紹介してくれた。
エマは、専属侍女と共に8歳になったばかりの辺境伯令嬢ソフィアの侍女をすることになった。
この領地では、民泊業の政策が進められ、あえて平民を辺境伯邸で雇い、育て上げた使用人を民泊経営の人材として回す取り組みが始まっていた。この先輩侍女は、次の民泊の部員に選ばれており、後にエマがソフィアの専属侍女を引き継ぐことになった。
エマは、器量も人柄も良かったため、すぐに侍女として屋敷に馴染み勤めていた。感受性が強く、人の心に寄り添える彼女は、幼かったソフィアが懐くのも早かった。ソフィアと同じくらいの年頃の妹のいたエマは、それはそれはソフィアを可愛がり大切にした。
10歳のソフィアがある日、帝国皇太子に見初められ、婚約することとなった。皇太子の婚約者は厳しい皇太子妃教育を受けなければならない。
そこで、次の民泊の部員候補とエマは、ソフィアの父、アドルフ·オルヴェンヌ辺境伯の執務室に呼ばれた。
「皇太子妃教育を受けなければならないため、ソフィアは首都の別邸に住まわせる。ここに呼ばれた皆は、そろそろ自立できそうかな?別邸で業務に当たってもらえないか?エマには、専属侍女としてソフィアに帯同して欲しい。ソフィアはエマに懐いているようだから」
「かしこまりました」
(なるほど、そういうことか。私はお嬢様のためなら、どこへでも!)
辺境伯邸でのお勤めは、お給金が良い。オルヴェンヌ領は新しい産業が軌道に乗ってきており、平民でも暮らしに困ることはないため、家族にも余裕を持たせることが出来ていた。
ふと、アドルフの横に立つ、彼の専属侍従フレデリックが目に止まった。伯爵のご子息と聞いているからか、使用人の中でも気品が漂っており、美しい。背も高く、整ったグレーの髪に垂れた目元は優しい印象を与える。
(フレデリック様だ。ほとんどお目にかからないけど、他の使用人の噂どおり、素敵だなぁ)
すると、視線に気がついたのか、こちらを見たフレデリックと目が合ってしまった。エマは年頃の女性であったが、男性との交流は経験がなく、とても恥ずかしくなって顔を背けた。
(見てたの、ばれちゃったかしら。恥ずかしい…)
首都の別邸では、ソフィアが成人を迎えるまでの約7年間、使用人が変わることなく仕え過ごした。アドルフもソフィアもとても優しいため、使用人たちは余程の理由がない限り、辞めたりなどしなかった。
アドルフは、首都での執務があったり、日程に余裕があるときには、首都の別邸に赴いた。しかし、年に一回あるかないかくらいだ。もちろんフレデリックも専属侍従としてアドルフに帯同して赴いていた。
ソフィアが18歳を迎えようかという頃、皇太子の不貞および事件により、ソフィアは婚約破棄することになった。この事件で、ソフィアは発声障害を残してしまった。そして、領地に戻ることにした。
(なんてことなの!?お嬢様はずっと頑張っておられたのに!厳しい皇太子妃教育に耐え、社交や外交に忙しくし、ご友人もいらっしゃらない。あの方が見初めたからじゃないの!?あんな皇太子にぞんざいに扱われて。こんな扱いを受けるようなお方ではないのに!!このお怪我だって、私が代わってあげられたらどんなに良かったか)
そして、何よりもショックだったのが、ソフィアと会話が出来なくなってしまったことだ。
ソフィアも同じだった。エマと話が出来なくなってしまったのはショックだった。年頃の友達が作れなかったソフィアにとって、身の回りにいる人の中では、7歳年上のエマが一番歳が近く、常に一緒にいたため、2人はたくさんの話をした。主人と侍女という関係よりは姉妹に近かった。
ソフィアは貴族で皇太子妃教育まで終えているため、筆談で対応したが、エマは平民出身で教育を受けていないため読み書きが出来なかった。
ソフィアは、聴覚障がいや発声障がい者が使う手話という手法や他の案を調べる為にアドルフのブランシュール訪問に同行し、王国の国立図書館に訪問することとなった。
(私も一緒で良いのだろうか…。とはいえ、お嬢様のお世話をするには、侍女が必要だけど)
今回の旅は、御者もいるが、主にアドルフと専属侍従フレデリック、ソフィアと専属侍女エマの4人であった。身分の高い人たちとの旅に、エマは恐縮した。
(旦那様も素敵な紳士だけれど、フレデリック様も素敵だなぁ。こんなに近くにいるのは初めてだわ。ソフィア様、相変わらずお美しいけど…、お体障らないかな?寒くないかな?)
ブランシュールに到着すると、城下町を散策することになった。
ブランシュールは、雪国で、ガラスやステンドグラスなどの工芸品が産業の中心となっている。
(お隣は、こんなにキラキラとお美しい国だったのね)
「お嬢様…、ブランシュールは綺麗な国ですね。私は初めて来ましたので、とても新鮮です」
その言葉に、ソフィアはにっこり微笑んでくれた。
(ソフィア様も楽しそうで良かったわ)
アドルフがソフィアにアクセサリーをプレゼントしてくれることになった。ソフィアが選んだのはペアのブローチ。なんとその片方をエマに着けてくれたのだ。
「え!お嬢様!?何を…!?」
ソフィアの筆談に、フレデリックが通訳をしてくれた。
「エマ、ソフィア様はあなたとお揃いのものを身に付けたいのだそうですよ。プレゼントしたいそうです」
エマが気を遣わぬよう、同じデザインだが、大きさの異なる物を選んだのだと教えてもらい、さらにアドルフの機転もあり、エマは喜んで受けとることにした。
「…ありがとうございます、旦那様!お嬢様!大切に大切にします!」
エマは嬉し泣きした。
このあとも散策は続いたが、何だか、この日は視線を多く感じた。ソフィアと出かけると、男性の視線がとにかく多いのだが、いつもと違い、婦人や令嬢の視線の多いこと。その一部は横にいるソフィアではなく、フレデリックに向いていた。
(なるほど、だから視線がいつもより多いんだ。…、そういえば、先程フレデリック様に名前を呼ばれたなぁ)
思い出したら、急に照れてしまった。
(おかしいなぁ。普段は他の使用人からも呼ばれてるんだけど…。素敵な人からだと破壊力がすごいのね)
翌日からソフィアは図書館へ通った。エマは、閲覧室に入らず待機していた。迎えに行くと、ソフィアの顔が赤かった。
(お風邪ひかせちゃったかしら?)
ソフィアの様子に、風邪を疑い、注意した。しかし、翌日も様子が変であった。気になるあまり、この日はソフィアの様子を注視した。どうも、図書館にいる窓際の青年が気になるようだ。
(なんて、美しい青年!!これはたしかに、気になるわね。…?なんだか、こちらを見てるような…)
帰りもソフィアの様子がおかしく、どうしたものかと悩んだ。
すると夜、フレデリックから声をかけられた。
「エマ、ソフィア様があなたとお話をしたいそうですよ。私が通訳をしますから、心置きなくあなたが聞きたいこともお話ししてみてください」
その言葉に驚くとともに、ソフィアと話が出来る喜びで、胸が熱くなった。
ソフィアの話では、やはりあの気になっていた青年と、見つめ合い微笑みあっているだけなのだが、胸が温かくなったり苦しくなったりするとのことだった。
「ソフィア様は、その男性に、恋に落ちたのですね」
エマも恋をしたことはないけど、話には聞いたことがある。そして、こんなに男性を想い悩むというのは、そういうことなのだろうと思った。同時に羨ましくもあった。
(素敵だな。身分とか上辺とか関係なく、ただ好きだという想い)
ところが、ソフィアはその恋を諦めようとしていたのだ。慌てたエマはフレデリックとともに作戦を練った。
(上手くいくと良いんだけれど)
翌日もソフィアは穏やかに過ごしたが、帰り際にあの青年から手紙を受け取ったのだ。ソフィアはすぐ読まず、エマに目で訴えた。
(私と共有したいのですね?)
「また、フレデリック様にお願いしましょう」
その日の夜、エマはフレデリックがアドルフと離れたところを見計らい、今日の報告と通訳をお願いした。フレデリックはもちろんだよと笑顔で答えてくれた。
(!!!!微笑まれてる!!!というか、近い!?)
ソフィアのことばかり考えていたエマは、耳打ちしていた自分とフレデリックとの距離感に焦った。頬を赤らめ、では、と給仕に戻った。
(どうしよう!!すごくドキドキする!…フレデリック様は素敵だもの。…、憧れよ、…憧れてるだけよ…)
昨日はソフィアに恋を説いたのに、エマは自分の気持ちには蓋をした。
そして、ソフィアはめでたく青年と文通を始めることになった。
後に、情勢が動きだし、ソフィアは辺境伯を継ぐことに。生涯1人を覚悟し、青年のことを諦めるが、運命に導かれ、実は隣国の第一王子であった文通相手の青年シルヴァンが婿入りする婚約をしたのであった。
(良かった!本当に良かったわ。なんといっても、ソフィア様の幸せは、私の幸せだわ!)
今では、ソフィアとエマは手話を使いこなし、通訳を挟むことなく会話が出来ている。
ソフィアはただの貴族令嬢から、爵位を継ぎ領主となったため、執務に励んでいる。爵位を持って臨む執務も社交も男性社会であるため、今までアドルフの侍従をしていたフレデリックを側近に配置した。仕事中はフレデリックが、屋敷内ではエマが、ソフィアのお側に就くようになった。
オルヴェンヌ領は、帝国から独立し、ソフィアを君主に公国の建国へと向かっていった。
その合間では、シルヴァン第一王子が、婚約者ソフィアに定期的に会いに来ていた。2人はいつも仲睦まじく、寄り添い、見つめ合い、微笑み合い、ただそれだけなのに幸せそうだった。
(素敵だわ。言葉はいらないのね。側にいる。それだけで幸せなんて)
公国建国に向けた政策の中に、国民の学びのための大学設立があった。そのおかげで、エマも文字を読めるようになっていった。そして初めて読んでみた本が、流行っていた恋愛小説だった。
(私には、こんなに忙しい恋愛は辛いだけだわ。嫉妬に狂ったり、悲しみにうちひしがれたり、感情に起伏があるのは。ソフィア様とシルヴァン殿下のように、穏やかな恋愛が良いな)
そこに、ふとフレデリックの顔が浮かんだ。
(!ダメダメ。私なんて。フレデリック様にはもっと素敵なご令嬢がお似合いよ。私は…、私は…、お姿を見れるだけで良い。一緒にお仕事させてもらってる、それだけで十分だわ。この穏やかな想いだけで、十分よ)
二人ともソフィアに仕えるようになったため、よく顔を合わせるようになった。
エマがフレデリックを見ると、それに気づいたのか、フレデリックもエマを見つめてくれた。
(!どうしよう!!目があっちゃった!)
驚いたが、目があったことが嬉しくて、エマは微笑むと、フレデリックも微笑んでくれた。
(!!どうしよう!!嬉しすぎてにやけちゃう…)
この時から、エマはフレデリックと目が合うと、微笑み合うようになった。
(よく目を合わせて貰えてるなと思ってたけど、それって私がフレデリック様をそれだけよく見ているってことよね。…もう、認めよう。私はフレデリック様が大好きだわ。フレデリック様に恋をしているんだわ)
オルヴェンヌ公国建国まであと1ヶ月。忙しい日々を送りつつ、毎日幸せを感じ、エマの心は温かかった。
sideフレデリック
伯爵家の次男であるフレデリックは、15歳になると、オルヴェンヌ領にある騎士団に入隊した。団長は北の将軍と呼ばれたアドルフ·オルヴェンヌだった。成人を迎えた頃、フレデリックは、新しく辺境伯を継いだアドルフの侍従として選ばれた。フレデリックは貴族であるため、教養と気品を持ち合わせたこと、そして、アドルフへの忠誠心が選定の理由だった。
このアドルフのオルヴェンヌ領のいろいろな改革をフレデリックは見てきた。男性には銀山を採掘し銀細工などの工芸が、女性には手芸を極めさせ、服飾品が産業の中心となり、発展。各地より商人が訪れるようになった。今後は民泊事業に乗り出す。そのための人材教育として、平民を屋敷の使用人に雇い始めた。
となると、フレデリックはこの屋敷では珍しく貴族出身となるため、他の使用人から一目置かれるようになる。仕事以外の話はフレデリックから話かけなければすることはない。女中らは、こっそりフレデリックを眺めることが多かった。平民である彼女らからはさすがに声はかけられない、とはいえ好青年であるフレデリックには憧れていた。しかし、侍従になって6年ほど経った頃、1人全くフレデリックに興味を示さない侍女が入ってきた。エマだった。彼女は仕事に忠実に懸命に働いており、ソフィアを中心に行動している。
(見ない顔だな。新しく入ったか?ずいぶんと真面目な子だな)
他の女中とは違う、そんなエマが、フレデリックの目に留まるようになった。見かけると目で追ったが、彼女がこちらを気にすることはなかった。
ある日、ソフィアが首都の別邸に移るため、人事が発表された。専属侍女のエマはもちろん、ソフィアと共に行くことになった。
(しばらく、見かけることはなくなるんだな)
書面に目を通していたが、視線を感じそちらを見ると、エマと目が合った。
(!)
するとエマは顔を真っ赤にし、顔を背けてしまった。
(初めて目を見たな、顔が真っ赤だ。…可愛いらしいな)
フレデリックよりも9歳ほど年下のエマは、もうじき成人を迎える。茶色の髪に、白い肌、琥珀色の瞳は綺麗だった。まだ少女のあどけなさが残る彼女は、貴族令嬢の華やかさとは違い、町の中にいれば店の看板娘として輩を集める活躍をしそうな、そんな素朴なかわいさがあった。
ここから7年で、オルヴェンヌ邸の使用人は変わった。遠方の首都の別邸に勤める者を除くと、長く勤めるのは執事セバスチャンや数人で他は教育が終わると民泊事業に移っていった。
そんな日々を過ごしていると、帝国の建国記念日に事件が起きる。ソフィアが婚約破棄され、狙われた皇太子を庇い、障害を残したのだ。
アドルフやソフィアを思うと辛かったが、何より気にかかったのは、エマだった。ソフィアを思うあまり、悲しみに打ちひしがれていたのだ。声をかけたかったが、アドルフが忙しくしていた為、出来なかった。
今回の首都訪問のあとは、ブランシュール王国訪問が控えていた。ソフィアの希望で、隣国の図書館へと連れていくことになった。ブランシュールの道中は、同じ馬車での移動だった。
(目の前にエマがいる。少し晴れやかな顔をしているな。良かった。ソフィア様も楽しそうにしていらっしゃる。ソフィア様はずいぶんとお美しくなられたな。亡くなった奥様に似ているかな。アドルフ様がメロメロなのが理解できる)
横を見ると、アドルフも笑顔であった。
(それにしても、7年とは長いものだ。お二人ともすっかり女性らしい顔つきをしてる)
フレデリックは、目の前の二人の女性の7年に思いを馳せた。
ブランシュールの城下町を散策すると、ソフィアから通訳をお願いされた。この中で字を声に出して読めるのは、アドルフとフレデリックだ。
(確かに通訳を旦那様にはお願いできないな)
賢いソフィアに感心しながら、筆談に目を通した。
「ふふ、かしこまりました。エマ、ソフィア様はあなたとお揃いのものを身に付けたいのだそうですよ。プレゼントしたいそうです」
かわいらしいソフィアのお願いに、つい笑ってしまった。
おろおろとするエマに、ソフィアやアドルフが説得し、何とかプレゼントが渡った。微笑ましいやりとりに、心が温まった。
(そういえば、初めて名前を呼んだな…)
エマに呼びかけ話しかけたのは、通訳とはいえ、初めてのことだった。
(……)
なんとなく気が高揚した。
今日の散策は視線が痛い。いつもより多い。
(…ああ、ソフィア様を見てるのか)
男性の視線も中には混ざっていたため、自意識過剰だったなと恥ずかしくなったものの、男性からソフィアたちが見られてることもあまり良い気はしなかった。
ソフィアが図書館に通って2日目の夜。ソフィアからエマと話がしたいと通訳を頼まれた。たしかに、2人とも様子がおかしかったし、以前は姉妹のようにお話しされていたことを知るフレデリックも、手を差しのべることに、異論はなかった。
ソフィアの話した内容には驚いた。図書館で出会った青年と恋に落ちていたのだ。さすがにこれには、ソフィアの父の侍従としては、口を挟んでしまった。思わず父親目線になってしまったのだ。
でも、ソフィアの幸せも願わずにはいられず、エマと計画を練った。
(エマと二人で話をしたのは、初めてだったな。明日一緒に行動できないのが悔やまれるが、上手くいくと良いな)
翌日の夜、宿泊先に戻ると、エマがタイミングを見計らい、小さい声で話しかけてきた。
「ソフィア様があのお方からお手紙を受け取ったんです。今日もお二人はお話なさらなかったんですが、帰り際に頂いて。お嬢様はまだお読みになってないんです。また今日も通訳をお願いしてもよろしいでしょうか?」
嬉しい報告に、もちろんだよと返事をした。
(良い報告で良かった。エマもとても喜んでいる。それにしても、エマからはいい匂いがしたな)
耳元で囁いた仕草に、上気した頬に、つい色気を感じてしまい、慌てた。
(!!!…なんてことだ。いい歳した男が何を考えてるんだ!?)
純粋にソフィアを思って行動しているエマに対して欲情するとはと、フレデリックは自己嫌悪に陥った。
ソフィアは想い人の青年と文通を始めることになった。
そして、その青年は隣国の第一王子シルヴァンであり、いろいろあったが、後にソフィアと婚約することになった。
(一時はどうなることかと思ったが、ソフィア様が幸せそうで何よりだ。オルヴェンヌ領も安定に向かっている。しかし妙に上手くいってるが、アドルフ様の策略なのだろうか)
アドルフからソフィアに領主が移ったことで、アドルフの専属侍従から外れ、ソフィアの側近として仕えることになった。ソフィアとはしばらくは筆談していたが、すぐに手話で会話出来るように努めた。そうしたことで、時々ソフィアに会いに来ていた生まれつき聴覚障がいを持つシルヴァンとも話せるようになり、二人の会話もわかるようになった。
(私の回りにいる男性は、なぜこんなに女性の扱いが甘いのだ…)
元々フレデリックは、男兄弟であるし、騎士団にいたなど、女性には免疫がなく、さらに寡黙であった為に、アドルフやシルヴァンの言葉には学ばされていた。
(私にも愛を囁くような時がくるのだろうか)
ふと、エマの顔が浮かんだ。
(!!!!いやいや。ダメだろう!彼女は純粋で愛らしい。こんな年上の男ではなく、もっと良き人がいるはずだ。…そもそも彼女の顔が浮かぶとは…。…参ったな)
今まで、真面目に仕事に取り組んできたフレデリックは、恋愛などする余裕がなかった。しかし、ソフィアとシルヴァンの愛に触れ、自分の中にある温かい気持ちにも、目を向けるようになった。
(本当に参ったな。今になって気づいてしまうなんて。エマを初めて見かけた時から、ずっと心を捕まれていたというのに)
この日から、フレデリックは自然とエマを目で追い、目が合うと優しく微笑むようになった。エマも微笑み返してくれる。
(嬉しい。こんなに温かい気持ちになるとは。ソフィア様たちの穏やかに育まれてる愛に触れ、感化されてしまったな)
オルヴェンヌの公国建国まであと1ヶ月を切ったある日、フレデリックは、ソフィアから手紙を受け取った。
(筆談?珍しい。何かおありか?)
そこには、こんなことが書かれていた。
『フレデリック、あなたのお気持ちは、いつ、エマにお伝えするおつもりですか?』
「んな!?」
思わず声を上げてしまったが、すぐにソフィアに聞き返した。
「一体、どういうことでしょうか?」
『私は、エマには幸せになっていただきたいのです。それは、女性としてもです。エマはもう25歳ですよ?平民でしたら適齢期ギリギリかしら?貴族令嬢でしたら遅いくらいですわよね?彼女は有能ですから引く手あまたです。ただでさえオルヴェンヌの女性は今、平民出身だろうがとても人気があるのですよ?今は私も社交もしておりますから、いくらでも彼女にご紹介は出来るのです』
「…そうですか」
領主としての貫禄も出てきたソフィアからの急なお話に、困惑と焦りから、汗が吹き出した。
『エマは嫌であろうが私からの提案は受け入れてしまうでしょう。でも、伊達に私もお二人とのお付き合いが長くはないのですよ?エマにどなたか紹介差し上げる前に、もっと幸せにしてくれそうなお方がいると思っているのですが、間違ってましたか?』
「ソフィア様…」
フレデリックは、ソフィアを賢い女性だとは思っていたが、観察力も推察力も優れている、さすがはアドルフの娘だとも思った。
「いえ、可能であれば、彼女のお相手は私でありたいとは思っておりました」
そうですわよねと、ソフィアは目を輝かせて、フレデリックに告げた。
『でしたら、お時間を差し上げますわ。どうかお伝えなさって』
「時間?」
『これからシルヴァン様がお見えになりますわ!私はこのお部屋から出ますから、頑張ってくださいね』
「今からですか!?」
ちょうどその時、エマがシルヴァンの到着を伝えに来た。
「ソフィア様、シルヴァン殿下が到着されましたよ。セバスチャン様が応対しております」
エマはソフィアに伝えると、執務室内にいるフレデリックにも目配せし、微笑んだ。
『今から参りますわ。エマ、申し訳ないのですが、私の代わりに残って、フレデリックのお手伝いをお願いしますね』
「かしこまりました。私に出来ることでしたら、お手伝いいたしますね」
ソフィアは、フレデリックの背中を軽く叩くと、微笑んで去っていった。
(心の準備が!?)
視線をエマに戻すと、エマが微笑んでくれた。
(うぐっ、愛らしい…)
フレデリックは大きく息を吐き、覚悟を決めた。
「エマ、お手伝いをお願いする前に、お話をしたいことがあるのですが」
エマは何事か?とフレデリックの近くに寄り、見上げた。
「はい。何でしょうか?」
「急にこんなことを申し上げるのは、困らせてしまうかもしれないのですが…」
すると、フレデリックはエマの手を取ると、真っ直ぐに見つめた。
「私はずっと、あなたをお慕いしております。もし、あなたも私と同じ気持ちでいらっしゃるのであれば、私と添い遂げては貰えないでしょうか?」
その言葉に、エマは驚き、腰を抜かしてしまった。
「あぁ、エマ!?大丈夫ですか!?すみませんこんなこと申し上げて」
フレデリックは慌てて腰を落とし、跪いた。
すると、エマは大きく首を振り、言葉を発した。
「違うのです。驚いて…。えっと、嬉しすぎて驚いてしまって…、私も、ずっとお慕いしておりました。あなたのことを…。でも、私で良いのですか?フレデリック様にはもっと相応しい方がいらっしゃるのではありませんか?」
「相応しいも何もないよ、エマ。君以外に添い遂げたい者はいないよ。もうこれ以上、君への愛を隠せそうになかったんだ。受け入れてくれるかな?」
「…!はい。喜んでお受けいたします」
フレデリックは、エマをぎゅっと抱き締めた。
二人の想いは、重なったのだった。
後にソフィアに報告した。ソフィアは涙して喜んだ。
『大好きなお二人でしたから、私はとても嬉しいです!』
『そうと決まれば、早い方が良いわ!時間がありそうなのは、建国した後から私の結婚式の前までなのよ。その間にご結婚する日取りはいかがかしら?』
ずいぶん急な話ではあったが、長く領主の邸、今では大公の邸で勤めている二人には、身分に差があれど両家からも異論は出ず、すんなりと結婚することとなった。
あまり表立つことのない二人は、結婚も簡易的に済ませ、無事初夜を迎えた。
「こんな行き遅れの私ですみません。もっと若いご令嬢の方がよろしかったでしょうに」
そんなことはないのだがとフレデリックは思った。精神的にも安定しているし、34歳の自分からすれば、25歳のエマは十分若い。10代の細くしなやかな美しさとは違い、20代の柔らかな丸みを帯びた美しさをまとっている彼女は素敵だった。特に、10代からその成長を見届けていたフレデリックは、見事に美しく成長した姿に感嘆した。
エマの寝間着に手を掛け下ろすと、フレデリックは心臓が跳ねあがり、一瞬思考が停止した。
(!?)
(!?なんてものを隠していたのだ、エマ!!?…反則だ…)
普段、給仕服に隠れていたエマの身体は、豊満で、扇情的なものであった。
自分を見て固まっているフレデリックに、エマは自分のどこかおかしいのかと不安になった。
「あ、あの、フレデリック様…?」
すると、フレデリックは自分の服を脱ぎ捨てると、雄の目をして言い放った。
「すまない、エマ。今宵は優しくできる気がしない」
「えっ!?あの、きゃっ!!」
見事にエマの世界はひっくり返った。
夜の闇に二人は熱く溶けていった。
翌朝、エマの優しい寝顔を、フレデリックは眺めていた。まさか、彼女とこのような朝を迎えることになろうとは、思ってもみなかった。
(ソフィア様には感謝しかない)
すると、うとうととしながら、エマは目を開けた。
「…朝ですか?…もう起きてらっしゃったのですね」
「ああ、君の寝顔は可愛らしかった」
「見てらっしゃったのですか。お恥ずかしい」
布団を被ったまま、動こうとしないエマに、フレデリックはもしやと声をかけた。
「…、あの、身体は大丈夫かい?」
エマは困り顔で答えた。
「えーと、すみません。ちょっと、大丈夫ではないです。(いろんな意味ですごすぎました…)」
「ああ、すまないエマ。君が魅力的過ぎて、止められなかった」
フレデリックはエマの頬に手を添え、優しく包み込んだ。
「いえ、その、魅力的だったのはあなたもですよ。知りませんでした。ずいぶんと逞しいのですね。鍛えてらっしゃったのですか?」
パッと見、線の細いフレデリックであったが、実は鍛え上げた引き締まった身体をしていた。
「ああ、それは、私は騎士だからね」
「えっ!?」
エマは侍従じゃないの!?と驚いた。
「私はもともと、オルヴェンヌの騎士団の軍人だよ?軍の解散とともに、アドルフ様の侍従に抜擢されたんだ。とはいえ、側近も兼ねてたから、護衛も含まれてたし、鍛え続けてはいたよ。今では、ソフィア様の側近だから、今でも護衛も出来るように鍛えてはいるんだけど、毎日剣を振ってる軍人よりは劣るかな」
はははと笑っているフレデリックを、エマは目を見開き、見つめた。この1日、意外な一面だらけだったフレデリックに、エマは驚かされた。いつも物腰やわらかく穏やかな彼の男らしすぎる一面に。
このあと1週間はソフィアから暇を貰っていたため、2人はゆっくりと一緒の時を過ごした。
少し時が経ったある日から、エマは体調を崩す日が続いた。ソフィアはある可能性を考え、公邸の専属医師をエマに手配した。案の定、エマは懐妊していた。
めでたい報告に、公邸中が喜びに満ちた。
ソフィアの結婚披露の日を迎えた。その頃にはエマの不調もなくなり、この日は侍女の仕事をこなした。ソフィアのハレの日に張り切りすぎているエマを、みんなハラハラしながら見届けた。
ソフィアが公国の君主となり、結婚も無事済んで、公務も落ち着いてきた頃に、ソフィアは専属家庭教師のマドレーヌとお茶会を開催した。目的はエマも含めてアフタヌーンティーを楽しむためだ。この三人でのアフタヌーンティーは、ソフィアとエマがマドレーヌの通訳を挟みながら手話を身につけていた時以来だ。
「もう、ずいぶんとお腹も目立ってきましたね。動きにくくないですか?」
「はい。ですが今はまだ、動けてます」
「でもあまり無理はなさらないのよ。フレデリック様もいらっしゃるから、お仕事を無理になさる必要もないでしょ?」
「そうなのですが、私はソフィア様に可能な限りずっとお仕えしたいので…。」
ソフィアはエマの忠誠心に感心した。
「ま、その話は置いておいて、私はフレデリック様との馴れ初めをお聞きしたいのよ。だから、ソフィア様にお茶会をお願いしていたのですわ」
その事実にエマは真っ赤になった。
ソフィアはニコニコと、顛末を見届けている。
「フレデリック様はあの通り、誠実で仕事の出来る男でございますから、エマが恋に落ちるのは自然のことだったでしょうけれど、フレデリック様はなんて?」
エマはさらに顔を赤くした。
「お慕いしてましたとはお聞きしましたが、理由などは伺っておりません」
「あらぁ。寡黙なフレデリック様らしいお言葉ですわね。それはそれで素敵です。」
マドレーヌはニコニコと嬉しそうに、解釈した。
『フレデリックもまた同じだったのだと思いますよ。エマの誠実で真面目に仕事に取り組む姿に惹かれていったのだと』
だって、お二人とも仕事しかしてませんでしたもの、とソフィアは2人の歴史に想いを馳せた。
『ですから、ちょっと背中を押させていただきましたわ』
この言葉にエマもマドレーヌも驚いた。まさか、ソフィアの策略だったとは。
しかし、なぜかソフィアが難しい顔をしている。
「どうしたのですか?ソフィア様?」
『私はエマが隣にいることが普通でしたから、エマがいない時間を想像できません。子供を産んだら、侍女をするのは難しいですわよね』
なるほど~、とマドレーヌは頷いた。
『ねぇ、マドレーヌ?私もいつか子供を授かるでしょうが、乳母がいますでしょ?エマにもつけられますの?』
「フレデリック様は伯爵家の人間ではありますから、可能でしょうけれど、今はお二人ともこちらでお勤めですからね」
するとソフィアは何か閃いた。
『そうだわ!屋敷に侍女や使用人のための、乳母を用意するのはどうかしら?もう民泊のための人材派遣はしてませんから、みなさん長くお勤めしていただけるように、環境を整えたら良いのですわ!もちろん若さも必要ですから、世代交代もしますけれどね。乳母役は、どなたが良いかしら?』
マドレーヌは驚くとともに賛成した。
「ええ。それならば、女性の結婚や出産による離職はなくなりますね。乳母による託児所を設置したら良いということかしら?それでしたら、以前給仕をしてくれていた子育てを終えた元侍女らはいかがです?かつてこの屋敷で仕えていた信用もありますから、安心して子供を預けられますでしょ?世代交代という意味でも、それを繰り返していけば宜しいのでは?」
『まあ、なんてことでしょう!素敵な案です!』
こうして、エマの妊娠をきっかけに、また新たな改革が行われた。
後にエマは男児を出産。その後も合わせて3人の子宝に恵まれた。
ソフィアも5人もの子宝に恵まれ、賑やかながら穏やかに人生を歩んだ。
エマとフレデリックは立ち位置は変われど、可能な限り、ソフィアに仕え、支え続けた。
ソフィア·オルヴェンヌという女性の人生に関わった、1つの穏やかな恋の物語は、ここで終わりにするとしましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
エマとフレデリックは短編が作れるほどのキャラクターになるとは思っていなかったのですが、「婚約破棄された辺境伯令嬢は、隣国の第一王子と静かな余生を過ごす。」を製作している過程で、作者も気づかぬ内に、いろんな伏線が張られていて、回収した形です。
こちらもお楽しみいただけたら幸いです。
作者のモチベーションに繋がりますので、よろしかったら評価をして頂けると、嬉しく思います。
世界観や、背景、用語など、調べて注意しながら制作しましたが、至らない点や、誤字、不備などありましたら、お知らせくださると助かります。
より良い作品が生み出せるよう努めていきたいと思います。