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九夜 少女

目の前で人の形をした何かが、頭を踏み潰されて事切れたなら、普通の人間は意識を手放しても可笑しくはない。目の前で青葉に背負われている唯は、至極当然の反応を示したのである。

もう一度見てしまったせいなのか、涼介は吐き気を堪える程度で済んでいる。眞白はそれを「なかなか狂っておる」と笑ったが、褒められていない事だけは理解出来た。弥太朗までもが可笑しなものを見るような目で見るのだから、嫌でも分かる。


数時間前に顔を見たばかりの、無表情の案内人の女性。また来たとか思われていたらどうしようなどと思ったが、彼女の表情は相変わらず何も感じさせない、無だった。


「どうぞ」


そう言いながら開かれた扉の先には、眉間に深々と皺を刻み込んだ百目鬼が待ち構えていた。


「久方ぶり、とは言えんな眞白」

「仕方なかろうよ、笹羅姫様の仰せなんじゃから」

「全く…あのお方も相変わらずだな」

「あ、不敬じゃ。美墨にチクっておくからの」


けらけらと笑っている場合なのか。そう言いたげな涼介の視線を感じたのか、百目鬼は青葉に背負われたままの唯をソファーに降ろしてやるよう指示を出す。

まだ気を失ったままの唯は、眉間に皺を寄せながら悪夢にうなされているように見えた。


「ああ…どうせお前ら目の前で頭踏み抜いたんだろう。人間には刺激が強すぎるから気を付けろと何度も言っているのに」


がみがみと小言を続ける百目鬼は、望月君だって顔色が悪いじゃないか可哀想になんて気遣ってくれるのだが、優しく背中を摩ってくれるのが美形の男ではなくて、綺麗なお姉さんだったら嬉しいのにななんて考えられる程度には、涼介は余裕があった。


「う…?」

「おう、気が付いたかの」

「あの、ここ…?」

「安全な場所、とだけ言ってやろうかの。いきなりあれこれ言われても入ってこんじゃろう?」


目を覚まして周囲を見回す唯に、眞白はへらりと笑いかける。今居るのが明るい屋内で、助けてくれた男たちが皆揃っているせいか、唯はほっとしたように口角を僅かに上げた。


「助けてくださってありがとうございました」


深々と頭を下げ、唯は涙と汗、泥で汚れた顔をくしゃりとしながら笑った。


「ふむ、色々と説明したら百目鬼に任せて良いかの。この娘はお前さんの管轄じゃろ?」

「蟲案件だからな。俺が引き取ろう。望月君は笹羅姫様のところか。少し休んでいくと良い。疲れただろう?」


そう言いながら、百目鬼は唯の隣に涼介を座らせる。モデル体型のイケメンにこんなに優しくしてもらえるなんて滅多にない経験をしているが、これが綺麗な女の人ならなんて同じ事を考えてしまうのは、余裕がありすぎるのではなかろうか。


「結界の張り直しは終わってるんだろうな」

「きちーんと済ませて来たわ。なんじゃいあの雑な結界は。誰が張ったか知らんが、あれじゃ百年持っただけで御の字じゃな」


ハンと鼻を鳴らし、テーブルに置かれていた菓子を食べると、眞白は行儀悪くソファーの上でだらりと身体を横にした。


「望月君も食べるかい?それから隣の君も」

「いただきます」

「あ…ありがとうございます」


一口サイズのまんじゅうを差し出された唯は、百目鬼の顔を見て僅かに頬を赤らめた。成程この系統がタイプなのかとじっと百目鬼の顔を見ると、涼介にじっと顔を見られている事に気付いた百目鬼がにっこりと笑ってみせた。成程、モテそうだ。


「それと、良かったらこれを。泥で汚れてしまっているから」


そう言うと、百目鬼は唯に濡れたおしぼりを唯に差し出してやる。涙や汗、泥などで汚れてしまった顔に気付いたのか、唯は恥ずかしそうに顔のあちこちをごしごしと擦った。


「さて、早速で申し訳ないが、話をしよう」


少女を怖がらせないようにと、百目鬼は穏やかな声を作って唯の向かい側に座った。どこから話そうかと思案しているようだが、その顔をチラチラと見ては頬を赤らめる唯に、涼介は「この子意外と余裕あるんだな」なんて半ば呆れてしまう。眞白から言わせれば、涼介もそれなりに余裕があり、なんなら少々狂っていると思える程馴染むのが早かったのだが、言われていない涼介本人は自分が少々可笑しい事には気が付いていなかった。


「まず、ここは幽世、常夜街という街だ」

「はあ…?」


頭の上に幾つもハテナを浮かべた唯の為に、百目鬼は簡単な図を描きながら丁寧に説明をし始めた。それは涼介も受けたものとほぼ同じ説明だったのだが、開設図付というだけでこんなにも理解度が違うものなのかと妙に感心してしまう。

ゆっくりと、唯の質問に丁寧に答えながら噛み砕いて説明を終えた頃、百目鬼は理解してもらえたかと不安げな顔をしながら唯を見る。異世界なんて信じられないと眉間に皺を寄せる唯の反応は至極当然の反応で、周りに座る男たちが涼介以外は妖である事も信じられないと訝し気だ。


「あの蟲…ですか?あれとの縁を切ったって言いましたけど、それじゃあ私のお母さんはどうなったんですか?」

「何も変わっていない。怪我をしただとか、死んでしまうなんて事もないから安心してほしい」

「わしがやったのは、蟲とお前さんの縁を切っただけの事。ご母堂との縁は切れぬよ」


ひらりと手を動かした眞白が、スッと目を細めて唯を見る。


「血は切ってやれんからな」

「血、ですか」

「親子というのは血肉を分けた存在じゃからな。親子の縁を切るとは言うが、疎遠になる程度で実際の縁はどうやったって切れはせんのよ」


どれだけ願っても、血肉を分けたという事実はどうしたって変わらない。目を逸らしたところで、親と子というのはそういうものだと、眞白は何処か遠い目をして鼻を鳴らした。


「恐らく君を襲った蟲は、お母上の念というか生霊というか…行き過ぎた愛情に中てられたんだろう」

「ちょっと過保護なもので…」

「ちょっと過保護、という程度の念ではないよ。交友関係や行動に口煩く言われたりしないかい?門限は何時までとやけに早い時間を指定されるとか」


百目鬼の問いに心当たりがあるのか、唯は唇を引き結んで黙り込む。うろうろと動き回る視線が、その通りだと語っているように見えた。

おずおずと口を開いた唯が語った話は、涼介の眉間に深々と皺を刻むには充分すぎた。

高校生にもなって門限は夕方六時。指定された人間との交流しか許されず、スマホはいつでも母に確認され、GPSアプリで行動監視は当たり前、友人とのメッセージのやり取りも逐一確認されるのは当たり前。休日に友人と外出する事は基本的に許されず、もし望むのなら何度もしつこく頼み込み、母の機嫌を取らなければならないのだと言う。


「過保護っていうか…それ変だよ、気持ち悪いよ」

「自分でもお母さんが変だってことは分かってるんです。分かってるんですけど…見捨てられたら生きて行けないから、受け入れるしかないっていうか」


まだ高校生。未成年の子供がたった一人で生きていける程、世間は甘くない。それが分かっているからこそ、可笑しいと分かっていて受け入れているのだと、唯は俯きながら言った。


「三日くらい前、夏休みに友達と海に行きたいって話をしたんです。男もいるんだろうってすっごい怒られて…でも男の子は一緒に行かないし、友達の事まで不埒だとか下品だとか暴言吐くから…つい、我慢できなくなって言い返しちゃって」


ぽそぽそと話す唯に、涼介はつい同情してしまう。涼介の家もそれなりに色々と事情があるが、唯の家庭環境は異常だ。

親が多少過保護だったり、子供を心配するのは普通の事だと思う。だが、唯の母親のそれは、支配や管理というものだと思った。


「失礼だが、お父上は?」

「私が小さい時に出て行きました。どこで何をしているのかも、私は知りません」


交友関係を管理されているのなら、勿論父親と交流がある筈も無い。他に頼れる親戚も居らず、成人するまで母の元に居るしかないと、唯はまた小さく項垂れた。


「…眞白様」

「ならん。幽世で生きていける人間ではない」


同情したらしい青葉の声に、眞白は冷たくぴしゃりと言い切った。可哀想だからこのまま此方に置いてやれないかという提案をしたかったらしい青葉が、何も言えないまま口を閉じた。


「私、帰りたくないです」


唯の震える声に、青葉がまた何か言いたげに口を開くが、言葉を発せずにそのまま閉じた。青葉という名前と優しい人柄から、きっと鬼の姿は青いのだろうなと場違いな想像をしながら、涼介はちらりと眞白の顔を見た。金色の瞳は何を考えているのか、何を見ているのか分からないが、じっと唯を見つめ続ける。


「世の理というものがあるでな。それは聞いてやれぬよ」

「良いじゃん、この子泣いて帰りたくないって言ってるんだし、人間の一人くらい…」

「仮に此方に残ったとして、大した力も無い小娘が一人でどう生きて行く?」


働き口は。住むところは。小娘に何が出来る。先程まで優しく接してくれていた眞白が、突然冷たく現実を突き付ける姿に、唯と涼介は何も言い返せずに口を噤むしかなかった。


「人間の肉は美味い。掟により迷い込んだ人間は食ってはならんと決まってはおるが、美味さを知っている者が絶対に食わんと何故言い切れる?」

「ここの人達皆良い人達だし…!」

「皆とは誰だ。望月よ、お前は此処へ来てどれだけの者を知った。何を知った。何も知らぬだろう」


眞白の切れ長の目が、じろりと涼介を睨みつけた。たったそれだけで、蛇に睨まれた蛙のように動く事も、反論する事すら出来ずに固まるしか出来ない。


「下らぬ同情なんぞで物を言うなよ、小童」

「眞白様、此奴は阿呆なのです。阿呆に何を言ったところで無駄ですから、一先ず無視して羊羹でもいただきましょう」


さあどうぞと弥太朗に手渡された羊羹を不機嫌そうに齧ると、眞白は冷めてしまった茶を一気に煽った。

どっと噴き出た汗に、涼介は自分が呼吸さえ忘れていたことに気付いた。無理だ。睨まれただけで動けなくなってしまうような弱い存在が、此処で生きるなど。見たじゃないか、人間ではない存在が闊歩するあの世界を。そんな世界で、少女が一人生きて行くなんて。


「言葉はきついが、眞白の言う通りだ。申し訳ないが、君をここに残してやる事は出来ないよ」

「…はい」


唯も眞白の迫力に気圧されたのか、反論する事も無く、項垂れながら小さく返事をした。


「さて、手続きは簡単なものだから、さっさと済ませて帰ろうか」


帰りたくないと言った少女を帰さねばならない事に多少罪悪感でもあるのか、百目鬼は困ったように笑った。


「わしらの仕事もこれまでじゃな。行くぞ童、お前さんも帰らねば」

「あ、はい。じゃあね唯ちゃん」


部屋を出ようとする眞白を追いかけようと、涼介が慌てて立ち上がる。隣に座っていた唯が、涼介の服を掴んで止めた。


「あの、庇ってくれてありがとう。嬉しかった」

「何の役にも立てなかったけどね。…大変だろうけど、頑張って」

「うん、ありがとう」


複雑そうな表情で笑った唯に手を振り、今度こそ涼介は百目鬼の部屋を出る。すたすたと歩く眞白はまだ不機嫌そうで、何となく青葉の後ろに隠れて歩いた。

あの子は普段どこに住んでいるのだろう。また会えたら、その時はもっと話が出来るだろうか。あの子が母親から解放される日が来たら、その時はあの子は笑うのだろうか。

そんな、会えるかどうかすらも分からないのにどうしようも無い事を考えて、涼介は妖たちの背中を追いかけた。


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