表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/10

八夜 禁足地

 禁足地。書いてそのまま、足を踏み入れてはならぬ土地の事。それが何故なのかは、眞白が不機嫌そうな声で教えてくれた。

幽世の理に従わない者や、知能が能力に追いついていない者、厄介な呪いを封じている場所。普段は壁と結界で護られているのだが、結界が古くなり緩んでいる場所があるらしい。涼介も今回保護予定の人間も、その綻んだ場所から連れ込まれたのだろうと、眞白は舌打ち混じりに説明した。


「本来は特定の札が無いと出入り不可なんじゃがなぁ。全く、いくら忙しいからと言ってきちんと仕事はこなしてもらわにゃ困るわ」


ブツブツと呟きながら森の中をずんずん歩く眞白は、数時間前に笹羅姫に追い出されてからずっと不機嫌なままだ。普段一緒にいる筈の青葉と弥太朗も、機嫌が悪い眞白が珍しいのか、気まずそうに距離を開けて歩いている。


「あのう、何故人間を連れてきたのですか?足手纏い以外の何物でも無いのでは」


おずおずと声を掛ける弥太朗に、眞白は大きな溜息を吐きながら答える。


「笹羅姫様からの言いつけでの。餌の回収と蟲の駆除、結界の張り直しまで終えれば童は現世へ戻してもらえるそうじゃ」

「またそんな無茶を…」

「神がそう簡単に願いを叶えてやるわけにいかんからの。この仕事は対価じゃ。それに、この仕事で童が死ねばそれまでの事。笹羅姫様に痛手は無い」


上手い事考えたわと眉間に皺を寄せると、眞白は涼介に向かって指を突き付ける。鼻先に指がくっ付きそうで嫌だなあなんてどうでも良い事を考えながら、涼介は息を詰めて眞白を見つめた。


「絶対にわしらから離れるな。霊力が無くとも人間の肉は美味い。ぱくりといかれたくなくば、傍におれよ」


こくこくと何度も首を縦に振り、あのどろどろとした生き物に頭から齧られるところを想像し、声にならない声で「はい」と小さく答えた。


「別に死んだら死んだで良いじゃないですか。話が早くて良いと思うんですけど」


しれっと言い放つ弥太朗を睨みつけるが、人間に睨みつけれらた所で気にするような事でも無いのだろう。面白くなさそうな顔で眞白をを見つめるのに忙しいのか、涼介には目もくれない。


「死んだら死んだで、わしが人間の童一人庇い切れぬ無能と笑われるじゃろうが」

「成程、それはいけませんね」


納得したようにこくこくと頷くと、弥太朗はぎろりと涼介を睨みつける。その視線を避けるように青葉の後ろに隠れてしまうのは、もう致し方ない事だと思う。


「人間。お前が死ぬことは許さない」

「俺だって死にたくないです…」


威嚇するように睨み続ける弥太朗から庇うように、青葉はそっと背中に隠してくれた。無口な男だが、弥太朗よりも接しやすい気がするが、今はただでさえ禁足地と呼ばれる森にいるのだ。怖くてたまらないのに、頼れる味方の筈の少年に睨みつけられるなんて御免だ。

青葉の背中に隠れながら周囲を見回すが、周囲は静かで深い森が広がっている。本当にこの森の中に人間がいるのか疑問だが、眞白がこっちだと指差しながら急ぎ足で向かうのだから、きっとその方向にいるのだろう。

青葉がちらちらと涼介の様子を伺いながら眞白の後を追う。置いて行かれないように必死で足を動かし、少し先を行く眞白の背中を追う。


「助けて!」


微かに聞こえた小さな叫び声。気のせいかと思う程微かな声だったが、誰か誰かと続く泣き叫ぶような声に、涼介の背中がぞくりと泡立った。


「弥太朗」


眞白の声に反応し、弥太朗が僅かに嫌そうな顔をしながら背中を丸める。何をするのかと疑問を口にする間すらなかった。

勢い良く地面を蹴った弥太朗が、空に向かって飛びあがったのだ。

背中から伸びる漆黒の翼を大きく動かし、瞬きをする間に声の方向へと消えていく。


「あ…え?」

「失礼します」


蛙が潰されたような声が出た。荷物のように担がれるのは慣れてきたが、せめて予告くらいはしてほしい。

青葉の肩越しに見える景色は、まるでジェットコースターに乗っている時のように流れていく。振動が酷いし腹に青葉の肩が食い込んで苦しいが、落ちたら死にかねないという恐怖から、必死に肩にしがみつくしかない。


「あのー…弥太朗さん今飛んで行きました?」

「弥太朗は八咫烏なので、普通に飛びます」

「ああはい、成程」


八咫烏というものがどんな存在なのかは知らないが、カラスというのなら鳥の妖怪なのだろうと自己解決し、涼介は揺れに酔わないように必死に耐える事にした。喋ってみて気付いたのだが、舌を噛みそうだったのだ。


「あそこか…弥太朗、餌は」

「生きてます!」


普段よりも張った声で問うと、弥太朗は蟲の顔を踏みつけながら答える。がくがくと震えながら呆けた顔でそれを見ているのは、涼介と同じくらいの年頃の少女だった。


「大丈夫かの」

「あ…あ…」

「ふむ。まあ餌の回収は出来たとして…ヤタ、潰すなよ」


ぐりぐりと足を動かしはするものの、弥太朗は眞白に言われた通りそれ以上力を籠める様子はない。苦しそうにうめき声を上げながら暴れる蟲に、少女はまた小さく悲鳴を上げた。


「怯えずとも良い、助けてやろう。わしの言葉が分かるか?」


眞白は少女の目の前にしゃがみ込むと、にっこりと微笑みながらそっと手を差し出して見せる。涼介の時と随分対応が違う様に思えたが、男と女の差なのだろう。

穏やかに微笑んでくれる美形が、安心させるようにゆっくりと声を掛けてくれれば、少女は多少なりとも安堵したように呼吸を整え始める。小さくこくこくと頷いているところを見ると、眞白を警戒している様子は無さそうだ。


「ふむ、微かじゃが霊力持ちじゃな。最近何か変わった事は無かったか?誰も居らぬのに気配がしたり、神頼みをしただとか…」


何か思い当たる節があったのか、少女は顔色を白くしながら口を開く。可哀想になる程震える声で、恐怖故か未だ藻掻く蟲に視線を奪われながら、必死に訴える。


「時々、後ろから誰か付いてくるような気がして…でも振り向いても誰も居ないんです」

「ふむ…これかのう」


眞白が視線を向けると、言葉にならない声で蟲が呻き出す。集中すれば所々単語を発しているのだが、凡そ内容を理解出来るような言葉ではない。


「蟲との縁は確かにある。わしには縁があるという事しか分からんが、よくよく思い出せ。何かある筈なんじゃ」


怯えながらも必死で何かあったかと思い出そうとしているのか、少女は視線をうろうろとさ迷わせる。時折大きな声を出し藻掻く蟲にびくりと体を震わせるが、少女は眞白の着物の袖を僅かに掴んで耐えていた。


「何か…俺の時と扱い全然違うような?」

「当たり前じゃろうが。野郎に優しくしてやる義理なんぞ無いわ」

「うわ最低」


我慢しきれなくなった涼介の声に、眞白がべぇと舌を出しながら反論する。男に優しくしてやるくらいなら、可愛らしい女性に優しくしている方が時間を有益に使っているだの、優しくしてほしいなら女に化けろだの好き勝手言い出すが、そのやりとりに気が抜けたのだろう。少女の表情はほんの少し緩んでいた。


「そうじゃなあ…何か恨まれるような事じゃとか、逆に誰かを恨んどるとか…」

「あ…あの、それなら最近揉めたっていうか、言いがかり?みたいなのはありました」


その後の言葉は、あまり言いたくないのか、まさかそんなと小さくもごもごと囁いて続かない。蟲を押さえつけている弥太朗がいい加減にしろと言いたげにイライラと眉間に皺を寄せ始め、見ているだけになっている涼介はだんだんと弥太朗の方が気になり出していた。


「思い当たるのならさっさと話せ人間!モタモタするだけで苛々する!」


ああやっぱりこうなった。そう言いたげな顔で涼介が少女の方をちらりと見ると、眞白の袖を掴んだまま固まっていた。うっすらと目尻に溜まっていた涙が、一筋ついと落ちた。その瞬間、弥太朗に踏みつけられていた蟲の咆哮が響く。

煩いという次元ではない。鼓膜を揺らす刺激がこんなにも痛むものだとは知らなかった。必死に掌で両耳を押さえつけても、鼓膜を揺らす叫び声は止まらない。じたじたと暴れ、押さえつけていた弥太朗に噛みつくと、一瞬怯んだ隙を突いて弥太朗から離れて距離を取る。

辛うじて人の形をしていた蟲が、四足歩行の動物のように体を地面へ寄せ、口らしき場所から黒い液体をぼとりぼとりと地面へ落とした。


「う…うぅ、い、うい、ゅい?」


ぱきぱきと何が鳴っているのかすら分からない音をさせ、蟲がぐりぐりと首を動かす。喉を鳴らしているような、何か話そうとでもしているのか、音を発しながら少女へと顔を向けた。


「や、やだ…!」

「なんじゃあ、随分この娘に執心じゃなあ」

「あ、う…あ」


唸りながら距離を詰めようとする蟲に、少女は悲鳴を上げて距離を取ろうとじりじり後ろへ下がって行く。しかしすぐに木に当たり、がくがくと身体を震わせる。


「望月さん、ちょっとあの子の傍に」

「青葉さんは?」

「自分の担当なんで、離れてください」


ごきりと骨の軋む音をさせながら、青葉は視線を蟲に向けたまま拳を握り込む。初めて会った時に蟲を叩き潰していた事を思い出し、きっとこれから荒事が始まるのだろうと予想した。それならば自分が傍に居ては邪魔になる。さっさと言われた通りに少女の傍に居ようと、小走りで少女の元へ向かった。


「よるな」


地を這うような声。誰が言ったのかと、涼介は思わず動きを止めた。びくりと揺れた肩。背中に刺さる視線。全身から吹き出してくる汗が、その視線に怯えているのだと主張している。


「え…何」

「おうおう童よ、相当敵意を向けられとるの。その女子に触れてみろ。殺す気で来るぞ」

「指一本触れないです」


小さく悲鳴を上げ、ちらりと横目で怯える少女を見る。少女も怯えた顔で涼介を見ており、可哀想になる程顔色を白くさせていた。

少しでも安心させてやりたいと思うのだが、涼介に何か出来る筈もない。どうも、なんて小さく挨拶をしながら小さく頭を下げる事しか出来なかった。


「相当気に入りなんじゃなぁ。縁者の念か?」

「縁者…親兄弟って事ですか」


眞白の呟きに、蟲を睨みつけたままの弥太朗が言葉を返す。青葉が蟲を押さえつけようとじりじり距離を詰めるが、蟲はそれを気にする事も無く少女の方を見ながらゆらゆらと揺れ続けた。


「ぅい、ゆい…あた、し」

「ゆい…って君?」

「そう、です」


僅かに聞き取れた単語。それが人の名前だと理解すると、涼介は少女に問いかける。ゆいとは自分の事だと頷いた少女は、何故あの化け物が自分の名前を知っているのだと更に怯えてしまう。縋る何かが欲しいのか、隣にしゃがみ込む涼介の着物の袖を掴み、引き寄せた。


「ゆい!ゆいなんで!どうして!おまえ、お前は私の、私のおおお」


周囲に漂う腐臭が一層強くなる。蟲が何か喚き散らしながら口を開く度に、びちゃりびちゃりとその辺りに黒い液体が飛ぶからだ。

嫌そうな顔をした眞白が袖で鼻を覆うと、小さく舌を打った。


「ふむ、恐らく女じゃな」

「女?」

「ゆいとやら。身近にお前さんに執着する女はおるかの。母親なり、姉妹なり」

「…お母さんが、ちょっと過保護です」


少し考えてから答えた少女は、あれが母だとでも言うのかと信じられないような目を向ける。


「あれはご母堂の念が集まって悪さしとる蟲じゃな。…ああ成程、当たりのようじゃ」


にんまりと笑った眞白は、「アオ」と一言だけ発する。青葉は一気に距離を詰め、まだ喚き散らす蟲を地面へ叩きつけ、そのまま抑え込んだ。一瞬の事すぎて涼介には何が起きたのかよく分からなかったが、青葉の下でまだ藻掻いている蟲は、地面をがりがりと指で削りながら暴れ続けた。


「眞白様、生霊とは違うのですよね?」

「生霊は此方には来られぬよ。大方生霊に成りかけていた念に中てられた蟲が、此方に餌ごと移動してきたんじゃろ」

「母親の念とやらは、随分強いのですね」

「これはなかなか無いがの」


苦笑する眞白は、暴れ続ける蟲の元へゆっくりと歩いて行く。鼻は袖で覆ったままだ。弥太朗も警戒しながらそれに着いて行くが、涼介は少女と共に動けないままだ。


「さて、お前とあの娘の縁は切らせてもらおう。この世界での理というものがあるでな」


蟲を見下ろした眞白の、酷く冷たい声。涼介からは背中しか見えないが、きっとその目は、熱を感じさせない程冷たいのだろう。

縁を切るとはどういう事なのか、どうやって切るものなのか。そもそも切れるものなのか分からないが、本当に縁とやらを切ったとして、繋がっている人物との縁はどうなるのか。

色々と気になる事だらけだが、今声をかける事は出来そうにない雰囲気だった。


「ま、そこの童共も気になる事が多かろうし、後できちんと説明してやろうの」


へらりと笑いながら、眞白はちらりと涼介と唯を見る。蟲を押さえつけたままの青葉も同じようにちろりと視線を向けるが、その視線が何を意味しているのかは分からなかった。


「どうせ説明するのは百目鬼様じゃないですか」

「それはそうじゃ。わしは説明とかそういうの苦手なんじゃよ」


何となくそんな気がしていた。真面目な話というものが苦手なんだろうなという気がしていたが、その尻拭いはきっと、弥太朗や百目鬼がしているのだろう。周囲の人材に恵まれているのかもしれないなと、今そんな事を考えても仕方が無いのに、現実離れした出来事が続きすぎていて、もう頭がついて行かない。眞白が蟲の額に何か紙を貼り付けようが、青葉が紙ごと頭を踏み抜こうが、大して驚く事すら出来ない。

人間って、疲れ切ると考える事を放棄するのだな。十七年間生きてきて、初めて知った。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ