表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/10

四夜 幽世

ふがっという自分のいびきで起きる経験は、人間誰しも一度はあると思う。生憎授業中に何度か経験しているので、今回が初めてでは無いのだが。

むくりと身体を起こすと、昨日説明を受けた部屋の片隅で転がっていたのだと理解した。誰かが掛けてくれたらしい毛布を丁寧に畳み、部屋の隅へ置いて隣の部屋を覗き込む。

今が何時なのかは分からないが、外は明るい。だが、まるで真夜中のように静まり返っている。部屋に戻り、そっと隙間を開けた障子から外を覗いてみるが、夜の賑わいがまるで嘘のように、誰一人として出歩いていない。


「変なの…」


昨日の三人は何処に行ったのだろう。今いる部屋は勿論、電話がある居間にも姿は無い。建物の中を探しても良いのだが、勝手に動き回るのは気が引けた。


「なんだ、書置きあるじゃん」


もっと落ち着いて周りを見た方が良い。居間の座卓に置かれていた小さな紙を手に取ると、幾つか箇条書きで書かれていた。


昼間は皆眠っているから静かにしている事。

食事は座卓に置いてある物を食べて良い事。

食べ終えたら隣の厨に置いておく事。

皆眠っているとはいえ、何があるか分からないので絶対に外に出ない事。憚は別とする。

夕方には起きるが、もしどうしても用事があるのなら眞白を起こす事。

眞白の部屋は客間を出て目の前の階段を上ってすぐ、一番広い部屋である事。


やけにほっそりとした、筆で書かれたであろう文字を読み込み、一先ず腹が減ったと主張する胃袋を宥める事にした。

座卓の上には、焼き魚と卵焼き、塩握りが二つ。それと鉄瓶に入れられた茶が湯飲みと共に置かれていた。

くぅ、と小さく鳴った腹を摩りながら、涼介は料理の前に正座する。


「いただきます」


小さく手を合わせて呟くと、湯飲みに茶を注ぐ。こぽこぽと小さな音を立てて注がれた茶は冷えていたが、寝起きの体に染み渡る。

魚の切り身は何だろう。青魚のように見えるが、食べてみると普段食べなれている魚ではないような気がする。だが、ほろほろと口の中で崩れていく食感は、冷めていても美味しかった。

弥太朗と呼ばれていたあの少年は、眞白曰く料理が美味いと言っていた。きっとこの食事も弥太朗が支度をしてくれたのだろう。やけに睨まれていたが、起きてきたら礼の一つも言わなければ。


「塩加減が良いんだよな」


思わず独り言を言ってしまう程、握り飯の塩加減は絶妙だ。昨晩食べたものも、同じように絶妙な塩加減と握り加減だった。優しく口の中で崩れる食感。あっという間に用意されていた食事をぺろりと平らげて、涼介はもう一度手を合わせて「ご馳走様でした」と呟いた。

食器たちをあまり音を立てない様にそっと抱え、一段下がった土間を覗き込む。厨とは何か気になっていたが、どうやら台所の事らしい。やはり時代を感じさせる、竈があるような古めかしいものだ。置かれていた下駄を引っ掛けて、何処に置こうかと厨を見まわす。


「すっげ…」


きょろきょろと観察してしまうのは、これがドラマのセットに見えてしまうからだ。不思議な事に水場は蛇口があり、それを捻ると水が出た。何故此処だけ現代的なんだと首を傾げるが、元居た世界でも山奥では竈と水道がセットの台所があったような気がすると、ありもしない記憶をでっちあげて無理矢理納得した。


腹が満たされると、途端にやる事が無くなった。暇になるとどうにも気になるのが、汗だくのままだった自分の匂いだ。くんくんとその場で腕の匂いを嗅いでみるが、汗臭い。シャワーでも浴びたいところだが、何処にあるのか分からないし、物音をさせて誰か起こしてしまっては困る。気休め程度に顔を洗うだけに留めて、涼介はそっと部屋へと戻った。


◆◆◆


「臭い!」


起きてきた弥太朗の第一声。ご丁寧に鼻を摘まみながら、心底嫌そうに眉間に皺を寄せて叫ぶのだ。たとえそれが真実であろうとも、思春期真っ盛りの男子高校生には精神的ダメージが大きかった。


「さっさと水浴びでもして来い人間臭い!蟲のも腐臭こびりついてるのによく平気でいられるな!」

「あまり言うのも可哀想じゃろうが。童泣きそうじゃぞ」


泣いてなんかない。そう言いたいが、しょんぼりと項垂れているのは事実だ。青葉がぽんぽんと背中を摩ってくれるのだが、今それは余計に悲しくなるだけだった。


「すまんが我が家に風呂は無いんでな。銭湯に行くとしよう」

「風呂、別なんですかここ」

「まあの。他の地区なら据え風呂があるんじゃが…、弐番にはそうそう無いな」


そう言いながら、眞白は着物の替えと、身体を洗うのに使うであろう手ぬぐいやらを詰め込んだ袋を涼介に手渡した。


「その服も一度洗わんとな。当分はそれでも着ておれ」

「あの、俺着物なんて着た事ないんですけど」


浴衣を着た記憶も無い程度には、着物というものに縁遠い。慌てていると、眞白が「着せてやる」と笑った。


「アオとヤタはどうする」

「僕はいいです」

「行きます」


ぷいとそっぽを向いた弥太朗は、涼介を睨むと自室へと引っ込んでいく。青葉もいそいそと部屋戻ると、すぐに入浴用の荷物を持って戻ってきた。


「すまんなぁ、ヤタは悪いやつでは無いんじゃが、人間嫌いが酷くての」

「そうですか。ご飯美味しかったってお礼言いたいんですけど…」

「睨まれるじゃろうが、それでも良ければ伝えてやっとくれ。喜ぶ」


あの仏頂面が喜ぶところを想像出来ない。人間であるというだけで嫌われてしまっているのなら、どうやったら普通に会話してもらえるのか見当も付かない。

どれだけ此処にいるのか分からないが、せめて普通に礼を言いたかった。


「まああまり気にするな。ちょっとした人見知りとでも思っとくれ」


けらけらと笑う眞白に連れられ、裸足に草履を引っ掛けて、玄関から外に出る。まだ日が落ちたばかりの時間なせいか、昨晩見た時よりも静かだ。そこかしこから聞こえてくるのは、女性たちの身支度中の声や、何か店でもやっているのか、開店準備をしているらしい声や音だった。


「あの、此処ってどういう…?」

「どう、とは?」

「住宅街とかじゃないですよね。夜からお店やるんですか?」

「そら此処は遊郭じゃしな」

「遊郭?」

「吉原、と言えば察しはつくかの」


吉原。大人になったらいつか行ってみたいよなと少し前にクラスメイトと話した場所だ。子供は行けない大人の街。そんな場所にいるという事に初めて気付き、涼介の顔に一気に熱が集中した。


顔を真っ赤にする涼介の反応を楽しむように、眞白はニタニタと楽しそうに笑う。元から細い釣り目が、より一層細く吊り上がった。


「冗談じゃよぉ。幽世は元々夜に動くんじゃよ。まあ遊郭なのは本当じゃがな」


冗談だろうが本当だろうが、清く正しい高校生が歩いていて良い場所じゃない。そう理解すると、途端に居心地が悪い。

昨晩一つ目に何故こんな所にと問われたのは、人間が何故此処にという意味だけではなく、何故子供が此処にいるのだと問われていたようだ。成人向けエリアに学生が居たら追い出されるのは当たり前なのだから。


「弐番地は大人の社交場。いの区は風俗街、ろの区はお触り禁止でつまらんが、はの区は酒と飯が美味い。にの区は所謂温泉街じゃな」


ざっくりとした説明をしてくれるのは有難いのだが、そもそも常夜街とはどういう場所なのだろう。昨日から常夜街弐番地と聞かされているが、他の情報がいまいち入ってこない。


「弐番地ってことは、壱番地とかもあるんですか?」

「あるとも。今日この後行くのが壱番地、お偉方が集まるおかたーいとこじゃよ」


げえと舌を出し、眞白は嫌そうな顔をする。青葉にちろりと視線を向けるが、慣れているのか何も反応せずに歩き続けていた。


「さて、此処じゃな。さっさと入れ」


軽く背中を押されると、大きな玄関の中央に置かれた番台から蛙に似た顔の女がじろりと此方を見下ろした。


「や、女将。三人頼む」

「あいよ」


ちゃりちゃりと小さな金属音をさせながら代金を手渡すと、眞白は慣れた動きで下足入れに下駄を入れる。青葉が此処に入れろと言いたげな顔で下足入れの蓋を持ち上げて待ってくれていた。小さく礼を言いながら借り物の草履を入れると、僅かに首だけで礼をされた気がする。


「さーて、男同士裸の付き合いじゃ!」

「はあ…温泉街があるって言ってたんで、そっちに行くのかと思いました」

「嫌じゃよ、此処からじゃと遠いし、これから壱番に行くのが億劫になる」


脱衣所で三人並んで服を脱ぐのは何だか落ち着かないが、気にする様子も無い眞白と青葉はさっさと脱いだ服を籠に放り投げていく。涼介も慌ててそれに倣うのだが、何だか居心地が悪い。渡されていた手ぬぐいで身体を隠すが、それは青葉によって取り上げられ、小さく畳んで頭の上に乗せられた。


「湯船に布を入れると、女将の雷が落ちるでな」


にい、と笑った眞白が、長い髪を結い上げながら浴室へ向かって歩いて行く。青葉と共にその背中を追いかけていくと、大きな浴槽から立ち上る湯気が視界を白くぼやかしている。


「でっか…」

「ここはいの区一番の銭湯なんじゃよ」


先に湯船に浸かる派なのか、眞白は掛け湯をしてさっさと湯船に体を沈めている。青葉は先に洗いたい派らしく、いそいそと洗い場の隅を陣取っていた。


「…あの、この世界の事よく知らないけど、竈とか建物とかは昔風なのに、水回りはやけに近代的っていうか、俺でも見慣れたものなんですけど」

「もしや幽世は現世でいうところの江戸時代頃で止まっとると思っとるな?」


ぱしゃりと水音をさせながら、眞白は呆れた顔で涼介を見る。見た目が時代劇のセットのような街並みなのだから、生活に関わる様々な物が江戸時代頃のものと思っても仕方ないだろう。

むすくれながら青葉の隣へ陣取り、シャワーヘッドを手に取った。家のものより小さく古いが、見慣れた形状だ。


「幽世も現世と同じ時代の流れをしとる。つまりこの世界もお前さんの世界と同じ、令和の時代にあるものは大体あるっちゅうことじゃな」


お湯を出そうとハンドルを捻る。お湯になるまで手を水に当てていると、徐々に温かい湯になった。隣の青葉がそっと温度調節の摘みを捻り、「今のじゃ熱い」と小さく呟いた。気にかけてくれているのだと分かると、仏頂面でも優しい人なんだなと思う。


「幽世の住民は新しい物よりも慣れた物を好むでな。生活するのに便利な物は取り入れるが、無くとも困らん物は必要とせん。水道は通しても厨の竈は使い続けるようにな」


よく分からないが、必要になる度に水を汲みに行くのは面倒だが、火は一度起こしてしまえばある程度使いまわせるから許容範囲、とうことかと納得する。

確かに思い返してみれば、江戸時代風なのに電話があった。やけに古いタイプだったが、確かにあれは電話で、江戸時代には無い筈のものだ。


「ま、ご都合主義というやつじゃな」


髪を洗い終えた青葉が、涼介に洗髪剤の入ったボトルを手渡してくる。とろりとした液体を掌に出して擦ってみると、もこもこと泡立っていく。成程、普段使っているシャンプーのようだ。


「電化製品は少ないがの。わしら妖と絡繰は相性が悪い」

「電話は?」

「あれは仕事に必要じゃから仕方なしにじゃよ。他の地区には好んで電化製品を使う輩もおるが、わしゃああいったのは好かん」


青葉も同じなのか、小さくうんうんと頷いているのが視界の端に見える。それでも生活する上で便利だからと、幾つかの家電は置いているらしい。涼介は気が付かなったが、あの家には冷蔵庫もあるそうだ。


「殆どが現世で生み出された物を、此方に持ち込んでおるんじゃよ。人間とは愚かじゃがなかなか賢い」


ざばりと大きな水音をさせ、湯船から出てきた眞白が体を洗い始める。それと入れ替わるように、青葉と涼介は湯船に浸かる。木製の湯船というのには慣れないが、大きな風呂に入るのは気持ちが良い。


「童は…もうちいと勉学に励むんじゃな」

「何ですか、急に」

「江戸の銭湯は蒸し風呂じゃよ。こういう銭湯になるのは明治になってからじゃ」

「へえ…?」


それだけ時代が織り交ぜられた変な世界なんだなとだけ理解し、涼介は広々とした湯船を堪能する。視線を動かすと、涼介たち以外にも数人の客がいた。皆人間のような姿をしているが、人間ではないのだという事を思いだし、やっぱり人間にしか見えないなと小さく唸る。

誰かに尻尾でもあれば分かりやすいのに。


「ここは人型専門。毛量の多いやつらは隣の建物です」

「お、ふ…そうなんですか」


突然喋った青葉に思わずびくりと肩が揺れる。親切に教えてくれたのにあんまりな態度だなと反省したが、青葉は気にしていないようだ。そんなに分かりやすかっただろうか。


「はーあ、これから仕事とは面倒じゃのう」

「百目鬼様のお呼びです」

「分かっとるわい」


面白くなさそうに返事をする眞白の声を聞きながら、涼介はこの後の事を考える。壱番地とはどんな場所だろう。これから自分はどうなるのだろう。

いつになったら帰れるのだろう。父は心配しているだろうか。折角安売りされていた卵は買えないままだった。

そんな事を考えて、ツンと痛んだ鼻の奥を誤魔化すように、湯船の湯を両手に溜めて、ばしゃりと顔に押し付けた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ