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三夜 常夜街

「童よぅ。お前さん逃げるにしても、もうちっと考えられんのか?」

「はい、ほんと、あの、助けてもらっておいて本当にすみませんでした…」


ぶらぶらとぶら下げられながら、涼介はあきれ顔の眞白に詫びるしかなかった。折角逃げてきたのに、無口な男に担がれたまま大人しく戻って来るしかなかったのだ。


「アオ、そろそろ降ろしてやらんと、童の息が無くなるぞ」

「はい」


ワイシャツの襟首を掴み、獲物とったどー状態の男がパッと手を離す。玄関にべちゃりと落とされたが、もう少し丁寧に降ろしてほしい。漸く満足に酸素を取り込むことに成功したので黙っておくことにした。


「ま、兎にも角にもお前さんの状況を説明してやらんとな。アオ、茶を淹れてくるから童を連れて部屋に行っておいてくれんか」

「はい」


こくりと頷くと、アオと呼ばれた男はまだ這いつくばっている涼介を肩に担いで玄関を上上る。全体重が男の肩が食い込んだ腹に掛かっているせいで非常に苦しいのだが、抗議する元気もない。先程見た光景があまりにも非現実的すぎて頭が追い付かない。つまりは、呆けていた。

どさりと部屋に落とされようが、見張りのように部屋の出入り口を塞がれようが、もう涼介に逃げようと思う気力は残っていない。

落とされた体勢からのろのろと起き上がり、壁に背中を預けて座り込む。膝を抱え、頭を抱え込んで目を閉じた。

目を開けたら、元の通学路に戻っていてくれたら良いのに。きっとこれは、真夏の暑さにやられて倒れている間に見た悪夢なのだ。夢ならさっさと醒めてくれ。ぶつぶつと呟き続けても、男は何も言わないし、窓の外から聞こえてくる音は何も変わらない。


「なんじゃ、吐いたり逃げたり落ち込んだり、落ち着かん童じゃな」


茶を淹れてきたらしい眞白が、黒髪の男を引き連れ部屋に入ってくる。居間の方から入って来たのだが、そっちにキッチンがあるんだなとか、もう一人いたんだなとか、ぼんやりとした頭で考える。

呆れ顔の眞白に飲めと手渡された湯飲みには、優しく湯気を立てる緑茶が入っていた。


「…いただきます」


じっと此方を見られているのは落ち着かないが、折角淹れてくれたのだからと、まだ熱い茶を小さく啜る。慣れた味に漸く安心したのか、小さくほうと息を吐くと、眞白はまた呆れたように溜息を吐いた。


「お前さん、本当に何も分かっとらんのか」

「はい…?」


何を言っているのか分からない。ずずっと小さく音を立てながら、眞白も自分の湯飲みを傾けると、うーんと唸って頭を掻いた。


「まあ良い。先も言ったが、わしは眞白。こっちの黒髪が弥太朗で、あのデカいのが青葉じゃ」


差された方に視線を向けると、青葉と呼ばれた男は正座をして小さくぺこりと頭を下げる。深い青の髪を短く切り揃え、吊り気味の目も髪と同じような青をしている。綺麗な整った顔立ちをしているのに、表情筋が機能していないかのような無表情で、じっと涼介を見つめている。筋肉質で大柄な男だが、きちんと着た着物のせいか、眞白よりもまともそうに見えた。


黒髪の男は着物と洋服を織り交ぜたような恰好をした、不機嫌そうな少年だった。猫のような目で、瞳は赤い。肌が真っ白なので、瞳の赤がよく映えて見える。眞白や青葉と比べると、筋肉等欠片も無さそうな細い身体をしている。この人相手なら喧嘩をしても勝てそうだなと思った。


「童、お前さんの名は?」

「えっと…小林涼介と言います」


聞かれたから答えただけ。それなのに、男たちは揃って目を見開いた。一瞬の沈黙の後、眞白は腹を抱えながらげらげらと笑い始めた。人の名前を聞いてそんなに笑い転げるなんて失礼だと腹が立つが、涙を浮かべた眞白が手を此方に向けて言葉を紡ごうと呼吸を整えた。


「お前さん、そりゃ真名かい?」

「まな…?」

「親に付けてもらった、本当の名前かと聞いとるんじゃよ」

「そうですけど…?」


見知らぬ人間にあっさり名前を教えたのはやはりマズかっただろうか。かといってこんなにも笑われるような事では無いと思うのだが、未だひいひいと苦しそうに笑う眞白は、うっすらと浮かんだ涙を白く長い指で拭った。


「良いか童よ。名というのは兎角大切なもんなんじゃ。そう簡単に教えてはならんよ」

「はあ…?」

「此処にいる全員が真名ではなく、それぞれが付けた名を名乗っておるしの」


つまり、全員偽名で生活しているという事だろうか。何故わざわざそんな事をしているのだろう。もしかして全員犯罪者だったりするのだろうか。疑問が溢れて止まらないが、何から聞けば良いのか分からず、涼介は何も言えないままじろじろと三人を観察する。


「そうじゃの。小林涼介とやら、その場で回れ」

「ぅ、え…!」


にたりと歪んだ唇。眞白がくるりくるりと指を回すのと一緒に、涼介は回りたくもないのにその場に立ち上がり、くるくると回り続ける。何が起きているのか分からないが、止まろうとしても、しゃがみ込もうとしても、くるくると回る事をやめられない。


「なんだこれ!」

「真名を知られるとな、こんな風に好き勝手されかねんからの。名は大事にせいよ」


ほれ止まれ。そう眞白が楽し気に手を叩くまで、涼介はくるくるとその場で回り続けた。三半規管がそう強くないせいか、今にも吐きそうな程世界が回って揺れている。


「血を飲ませたわけでは無いからの。出来るのはこういった簡単な事だけじゃが…」

「血?!」

「先程の茶にわしの血が混じっておれば、お前さんに死ねと言うだけでお前さんは喉を掻き切るなり、首を吊るなり、まあどうにかして死ぬじゃろうな」


ひくりと小さく喉が鳴った。

非科学的、非現実的な事を言われている筈なのに、先程くるくると回された事を思うとそれが嘘だとは思えない。

眞白の指が、スイと涼介の首を真横になぞる。ひやりと冷たい手。ぶわりと溢れる冷や汗と、早鐘を打つ心臓が、この男を怖いと思った。


「良いか、此処から帰るまで、お前さんは望月と名乗れ。飲み食いはわしらが傍に居る時だけにしておくんじゃよ。首がころりと落ちてしまっては、お前さんも困るじゃろう?」


こくこくと何度も首を縦に振り、カラカラと渇く喉を潤そうと必死に唾液を飲み込もうとする。乾いた口内からでは何も飲み下せず、ただ空気を飲み込むだけだ。


「さて、脅かすのはこれくらいにしてやるかの」

「眞白様、逃げられたの怒ってますよね」

「仕方無かろうよぉ。折角助けてやったのに、嘘吐いて逃げようとするんじゃから」


呆れたような顔で、弥太朗と紹介されていた少年が眞白を嗜める。駄々を捏ねる子供のような口ぶりで、眞白はぶーぶーと文句を言うのだが、確かに助けてもらったのに逃げ出した涼介が悪かった。


「話した内容に嘘は無いがの。まずはお前さんの今置かれている状況を説明してやろう」

「は、い」

「その前に、腹は減っておらんか?ヤタの飯は美味いぞ」

「突然連れてきた人間に出せるものなんて、握り飯くらいしかありませんからね」


気に食わないものを見るような目で、弥太朗は涼介を睨みつける。まあまあと宥める眞白に渋々といった様子で部屋を出て行くが、襖を締め切るまで赤い瞳は涼介を睨み続けていた。


「すまんの。ヤタは人間嫌いでな」


困ったように笑いながら、眞白はまた湯飲みを傾ける。青葉は相変わらず無表情のまま、自分の湯飲みを両手で抱え込んでいた。


「まず此処は幽世、お前さんが暮らしとる現世とは別の世界。そんでもって、今居るのは常夜街弐番地いの区じゃよ」


つらつらと並べられても分からない。まだふわふわとした感覚と、恐怖による喉の渇きで頭が働いていない。

幽世とは何だ。現世とは何だ。何を言っている。別の世界?漫画じゃあるまいし、この男はやっぱり何か可笑しい。

ぐるぐると同じ事が頭の中を巡る。理解しようと努力している筈なのに、理解出来なくてどうしようもなかった。


「あー…そうじゃな。現世というのは、お前さんが暮らしていた世界のことじゃ」


涼介が全く言葉の内容を理解出来ていない事に気付いたのか、眞白は隣の部屋から紙と筆を持って来て再度説明を始める。サラサラと描かれる簡単な図を指しながら、眞白はゆっくりと、丁寧に説明を繰り返してくれた。


「細かい所は違うんじゃがな。現世と薄い膜一枚を隔てた世界が、この幽世。お前さんに馴染みがあるであろう言葉で言うと、異世界というやつかの」

「異世界…え、俺死にました?」

「いんや?お前さんは生者じゃよ。バリバリ生きとる」


最近流行りの異世界転生という訳ではなさそうだ。死んではいないという事実に安心はしたが、今度は異世界召喚という言葉が脳裏に浮かぶ。何か人類の敵になるようなものと戦う勇者的な存在として呼ばれたのだろうか。男の憧れではないかとついソワソワしてしまうのだが、眞白はそれを見抜いているのか、呆れた顔で涼介を見る。


「何となく考えとる事は分かるがの。残念ながらお前さんは転生でも召喚でもないからの」

「あ、はい」

「誘拐、神隠しというやつじゃな」


にっこりと微笑む眞白の顔を凝視してしまう。神隠し。令和になった日本でも時折聞く言葉。突然いなくなってしまった子供のニュースが流れると、近所の爺さん婆さんが心配そうに言うだけの言葉だと思っていた。


「お、聞いた事があったか。神隠しとは言うがな、殆どは蟲に食われる為に此方に連れて来られとるだけで、神々が関わる事はほぼ無いんじゃよ」

「む、むし…ですか」

「蟲。森でお前さんに乗っかっておったろ」


自分の背中をちょいちょいと指差しながら、眞白は更に言葉を続ける。


「本来蟲に連れて来られた人間なら、蟲との縁が出来とる筈なんじゃが…お前さんは蟲との縁が無くてのう。帰してやろうにも、帰してすぐまた此方に呼ばれては意味が無いじゃろ?」


蟲。蟲って何だ。あの真っ黒でぬるぬるした人型のアレか。

思い出してしまった嫌な光景と感触が、涼介の胃袋を刺激する。ほぼ空とはいえ、先程飲んだ茶が胃液と共に逆流してくるのを感じた。

必死で吐き気と戦いながら、口の中を満たしていく唾液を飲み下す。


「ま。兎にも角にもこの世界に生きた人間が存在しておると面倒なんじゃよ。今日はもう遅いでな、明日お偉方の所でお前さんをどうするか決めてもらうからの」


つまりは何か。

明日から嬉しい夏休みだったのに、帰宅途中に突然異世界に攫われたけど犯人不明。帰っても良いんだけど、犯人見つけ出してどうこうしておかないとまた同じ事になりかねないから、詳しい処遇含めて明日きちんと決めましょうねと言っているのかこの男は。


漸く噛み砕いて理解出来た。理解は出来たが納得はいかない。

そもそも異世界に誘拐って何だ。どうやって帰るんだ。というか、助けてくれたことに感謝はしているが、あんたら一体何者なんだ。


聞きたい事は山程ある。山程あるが、今は大皿に乗せられた沢山の握り飯を抱えて戻ってきた弥太朗…正確には握り飯を凝視する事に忙しかった。


「まあまずは食え。心配せんでも、可笑しなものは何も入っとらんよ」


小さく笑いながら、眞白が一つ取って口に運ぶ。青葉と弥太朗もそれに倣った。もぐもぐと咀嚼し、飲み込まれた事を確認すると、涼介も遠慮がちに一つ取って、食べた。


「うめぇ…」

「そうじゃろ?」

「ただの塩握りですよ…」


そう言いながらも、弥太朗は嬉しそうに頬を緩めた。青葉は何も言わないが、両手に一つづつ持っているところを見ると、美味いと思って食べているのだろう。


「童、何か聞きたい事とか無いか?わしが一方的に話しておったからの、聞きたい事も聞けなんだろ」

「あの、生きた人間がいると困るって言ってましたけど…お三方も人間ですよね?」


ごくりと白米を飲み込みながら、涼介はきになっていた疑問を吐き出す。

一瞬動きを止めた三人が、それぞれ顔を見合わせると、眞白がにんまりと笑って言った。


「わしらは妖じゃよ」


そう言うと、今度は弥太朗が窓の障子を開け放って言った。


「お前以外の此処に存在する全てが、人間ではない生き物だよ」

「は…?」

「わしは妖狐。ヤタは八咫烏。青葉は鬼族じゃな」


もごもごと頬を膨らませながら咀嚼し続ける青葉を見てみる。少々大柄で筋肉質な男だが、どこから見てもただの人間にしか見えない。

両手で握り飯を持ち、小さな一口で握り飯を齧る弥太朗は、線の細い今時のイケメンで、モデルやってますと言われても違和感を覚えない。つまりただの人間だ。


「揶揄ってます?」

「窓の外を見てみるか?ほれ、あそこにおるのは分かりやすいじゃろ」


窓辺に涼介を連れて行き、眞白が指差すのは、小さな猫だった。ただそれは小さな着物を着て二足歩行をしているし、するりと伸びた尻尾は二股だ。


「ねこまた…」

「ほれ、あっちのは一つ目じゃからすぐ分かるかの。あれも鬼の一種、気が荒いから気を付けるんじゃな」


あれもこれもと楽しそうに指差しながら教えてくれる。時折人間ではないと一目で分かる者もいたが、殆どの人影が人間にしか見えなかった。


「人間にしか見えないんですけど…」

「そりゃこんな狭い場所で本来の姿でおれる奴なんか殆どおらんよ」


身体から火が出るやつ。水辺でないと生きられないやつ。極端に大きな身体のやつ。狭い街で生活する為に都合の良い姿が人間の姿なのだと、眞白は言った。


「わしは火が出るやつじゃからな。あと尾が邪魔なんじゃよ。この姿の方が過ごしやすい」

「はあ…そう、ですか」


もう理解する事を諦めた方が良さそうだ。説明された事を、はいそうですかと受け入れて、少しでも早く帰りたい。帰ったらこの不思議な出来事は、長くて可笑しな夢だったと思った方が良い。


「眞白様ぁ、百目鬼様が明日保護対象と一緒に今日の報告書も持ってくるようにと仰せです」


何処かからにょろりと伸びた長い首と、なんて事は無さそうに話す若い男の顔に、涼介はまたふらりと気を飛ばすのだった。



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