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二夜 迷子

深い森の中。さっきまであんなに暑かったのに、やけに涼しくて気持ちが良い。辺りをきょろきょろと見まわして、此処は何処だろうと首を捻るのだが、こんな森に憶えは無い。そもそもどうしてこんな森にいるのだろうと考えてみたところで、暑かったという記憶以外が抜け落ちていた。


「うしろ」


耳元で囁く声。ぎくりと身体が強張る。ざわざわと木々が擦れ合う音と、自身の荒くなる呼吸、早まる鼓動の音だけが響く。本能的な恐怖。触れられた頬はぬるりと冷たく、気持ちが悪い。


「うしろ、だあれ、だあれ」


誰と言われても困る。絶対に振り向いてなるものか、絶対に見てはいけないと心に決め、涼介はぎゅっと目を閉じた。


「みて、みて、見ろ」


目をこじ開けようとするように、顔に触れる何かが目元を弄る。より一層目を閉じる力を強めるように顔全体に力を入れ、抵抗するように顔をぶんぶんと振った。

暴れる涼介に気分を害したのか、「何か」が涼介を地面へと押し倒す。湿った土と青臭さ。何かから漂う強烈な腐臭。怖い。怖くて怖くて堪らない。逃げ出したいのに身体が上手く動かない。誰でも良いから助けてくれと叫んでも、口の中にぬるりと何かが滑り込んで嘔吐くしかなかった。生理的に溢れる涙と、唾液が顔の至る所を濡らしていく。


「そろそろ起きたらどうじゃ、童」


男の声。額に感じる体温に、涼介は漸く固く閉ざしていた目を開いた。

肺を膨らませるように、思い切り息を吸い込んでも、それを何度も繰り返しても、湿った土の匂いも、鼻を突く腐臭も感じない。何処か懐かしさを思わせるような、食欲をそそる香りが優しく漂っていた。


「魘されておったから起こしたぞ、童」

「あ…?」


ひらひらと手を振りながら、やけに美形の男が此方に向かって微笑みかけてくる。森の中で助けてくれた一人である事に気付くと、涼介はゆっくりと身体を起こす。

白髪のような、銀色にも見える腰まで伸びた長い髪。カラコンでも入れているのか、金色の瞳と、それを彩るような紅を目元に指し、にやにやと笑う男は白地に真っ赤な彼岸花模様の女物の着物を羽織っている。


「…コスプレ?」

「なんじゃ、目覚めて第一声がそれか」


切れ長の目をぱちくりと瞬かせ、男は呆れたように溜息を吐いた。


「あの、さっきはありがとうございました。助けてくださって…」

「挙句盛大に吐きおったからの。気に入りの着物が台無しじゃ」

「嘘!うわぁ本当申し訳ないです…あの、今ちょっと持ち合わせ無いんですけど、クリーニング代お支払いします!」


慌てふためきながら謝罪をするが、男は楽しそうにニヤニヤと笑うばかり。何がそんなに可笑しいのだろうと少々気分が悪いが、それよりも気になったのは自分が寝かされていた部屋だ。

広い和室に布団が敷かれ、そこに寝かされていたようだ。幾つかの行灯が置かれた、畳の部屋だ。やけに薄暗いのは、灯りが行灯の光だけだからだろう。


「あの、此処何処でしょうか」

「此処か?此処はわしの寝床での。場所としては常夜街弐番地じゃ」


すらすらと出てくる説明だったが、涼介に理解出来たのは、此処が男の家であるという事だけだった。常夜街なんて街に憶えは無い。何か壮大なドッキリ企画にでも巻き込まれたのだろうか。目の前の男はやけに美形なコスプレイヤーで、此処は撮影用のスタジオなのかもしれない。きっと何かのキャラクターとして振舞っていて、たまたま不審者に襲われていた幼気な男子高校生を助けて介抱してくれていて…なんてところまで考えてみたところで、その考えは儚く打ち砕かれた。


「ちょっとぉ、眞白さまぁ」

「なぁんじゃ、そんなに甘ったれた声で」


窓の外から聞こえた女性の声に、男が上機嫌で反応する。外を覗き込むと、ひらひらと手を振って応えてやった。涼介もそっと窓の外を伺うと、あんぐりと口を開けるしかなかった。

まるで時代劇の大掛かりなセットのような、煌びやかだけれど古めかしい、時代を感じる景色。暫く前にドラマで見た、所謂江戸時代の吉原だとか、遊郭の景色がそこに広がっていたのだ。

空は確かに暗いのに、賑わう街並みは行灯や提灯の明かりでやけに明るい。そこかしこから聞こえる楽し気な笑い声や、和楽器の音が賑やかだった。


「なん、だ…これ」

「あらぁ、お客人お目覚めになられたのねぇ。一杯付けたげるからいらっしゃいよぉ」


やけに艶めかしい黒髪の女性が、着崩した着物がずり落ちるのも気にせずに此方へ手を振ってくれる。にこにこと微笑んでくれる美人な女性という存在に耐性が無いおかげで、混乱した頭がぽうっと呆けてしまうが、ぐいと頭を押し込まれて畳に押し付けられた。痛いと抗議しようにも、男は腕の力を弱めてはくれなかった。


「すまんのう。ちとまだやる事があるんじゃ。今宵は遠慮しておこうかの」

「あら、つまんないわねぇ」


また今度行くと笑うと、男は障子をぴしゃりと閉めて涼介を開放してくれた。

頭を摩りながら男を睨みつけると、先程まで楽し気に微笑んでいた男から笑みが消えている。切れ長の目は冷たく此方を睨み、じろじろと涼介を観察するように頭の上から足の先までゆっくりと観察しているように見えた。


「お前さん、何故あの森にいた」

「え…いや、俺にもよく分かんなくて」


学校帰りに顔のような模様を描いた半紙を顔に張り付けた人に、顔を零距離で突き合わせられた事。突然の眩暈に耐えていたら、あの森に居た事。訳の分からないまま何かに襲われていたところを助けられた事と、それに対する礼を改めて述べた。


「ふむ。ではあの森がどういった場所かも知らんのか」

「もしかして、私有地で立ち入り禁止だったりしますか」

「まあ立ち入り禁止ではあるな。普通は入れない様にしてあるんじゃが…お前さんがどうやって入ったかも分らんし、誰に連れてこられたのか…」


うんうん唸っている男が眉間に皺を寄せるが、話に付いていけない涼介は気まずくて堪らない。

今は何時だろう。暗いということは夜なのだろうし、あまり遅い時間では父が心配する。思い出したようにポケットからスマホを引っ張り出してみたが、何度電源ボタンを押しても反応は無い。真っ暗な画面に焦った自分の顔が映るだけだ。森にいた時は確かに使えた筈なのに、うんともすんとも言ってはくれない。


「嘘だろ…」


普段から時計なんて着けていない。スマホがあれば充分だからだ。なんとか記憶の引き出しを漁って、父親の電話番号を思い出し、電話を借りようと男に視線を戻す。


「あの…電話、お借り出来ませんか」

「電話?構わんが、恐らくお前さんの掛けようとしておるところには繋がらんぞ」


ほれ、と指を指された場所は、隣の部屋の壁だった。居間のように見える部屋に掛けられたそれは、えらく古い型式の電話。博物館とかに展示してあるような電話だなあとぼんやり思うが、小さく頭を下げて電話の元へ向かう。なんとなく、これが受話器だろうということは分かったが、ダイヤルなんてものは無い。壁に掛けられた箱の上に二つのベル。側面に取り付けられた金具に引っ掛けられた受話器のようなものと、反対側に付いている小さなハンドル。箱の中央にあるのはマイクだろう。


「…これ、どうやって使うんだ?」

「ほれ、これを持って耳に当てるんじゃ」


言われた通りに渡された受話器を耳に当てると、男は小さなハンドルをくるくると回した。


『こんばんは、どちらへお繋ぎいたしましょう』


受話器の向こうから聞こえてくる女性の声。何事かと慌てふためくが、昔見たアニメ映画で「父の職場へ繋いでください」というセリフを聞いたことがある。電話番号を伝えれば繋がるかもしれないと、涼介はゆっくりと丁寧に父の番号を伝えた。


『申し訳ございません。そちらの番号は幽世に登録された番号と一致いたしません』

「えっと…あのいつもこれで繋がるんです。もう一度確認していただけませんか」

「だーから言ったじゃろうが。繋がらんよ」


涼介から受話器を奪い取ると、男は女性に向かって話し始める。


「壱番地監視人役部、百目鬼に繋いでくれんかの」


少しの沈黙の後、男はへらへらと笑いながら楽し気に話しだす。保護対象が目を覚ましたこと。何故あの森にいたのか理由は不明、本人も此処がどういう場所で、自分が置かれている状況が呑み込めていないらしい事を話すと、ちらりと涼介を見て薄く笑った。


「いざとなれば、わしがきちんと処分すればええんじゃろ?」


処分。処分とは何だ。保護対象とは何だ。何も分からない。父親へ連絡をしたかっただけなのに、分からない事が増えた。此処は何処で、自分は何故こんなところにいるのだろう。電話を終えた男は何だ。さっきあの森で出会ったもう一人の男が見当たらない。きっと何処かにいるのだろうが、あんな大柄の男から逃げられる気がしない。

あのずるずるとした不気味な何かから助けてもらった事には感謝しているが、よく考えたらこの男が安全である保障は何処にも無いのだ。


「まあそんなに警戒する事もなかろうて。わしは眞白という。お前さんを助けてやったんじゃ」


警戒するなと言われても無理があるだろう。今の所眞白と名乗った男への印象は「怪しげなコスプレイヤー」だ。


「あ、の…すみません、俺ちょっとお手洗いに行きたいなって」

「憚か?案内してやろう」


居間らしき部屋と繋がるのとは別の襖を開くと、長い廊下があった。出て右が玄関。左に進んで裏口を出てすぐの小屋が憚…トイレだと言う。扉脇に履物があるからそれを履くように言うが、ただトイレに行きたいだけなのに、一度外に出なければならない事が新鮮だ。


「わしはこの部屋におるでな。終わったら戻って来るんじゃよ」

「はい」


そう言うと、眞白はひらひらと手を振って部屋の中へと戻って行く。涼介はそっと木製の戸を開き、外の様子を伺った。誰もいない。街の賑やかな音と灯りにぼんやりと照らされた薄暗い裏庭のような場所。眞白が言っていた通り、小さな小屋がひっそりと佇んでいた。


「逃げるなら今…だよな」


荷物が入ったリュックは部屋に置いてきてしまったが、幸い財布とスマホはポケットにねじ込んである。この二つさえあれば、何とかなる筈だ。電波が入るところにさえ行ければ、現在地も分かるし最寄りの駅くらい分かるだろう。父親に連絡すれば迎えに来てくれるかもしれない。

こそこそと周囲の様子を伺いながら、涼介はそっと建物の周りを確認する。幸い裏路地に出られそうな小さな門扉が目の前にあった。裏路地から先がどうなっているのかは分からないが、先程眞白は窓の障子を閉めていたし、人通りも多かったので、紛れてしまえば何とかなるかもしれない。


我ながら冴えている。涼介は何となく姿勢を低くしながら、小さな門扉を素早く出る。影からそっと様子を伺ってみるが、薄暗い路地には誰も居ない。一気に走り抜ければ何とかなる。そう判断すると、涼介は勢いよくその場から駆け出した。裏路地はあまり長くなく、あっという間に表の路地へと出てしまう。だが、通りは人が多くて賑やかだ。何とかなる、何とかならないかもしれないが、今出来る事は走る事だけだ。


「あらぁ、そこの元気なお兄さん寄ってお行きよぉ」

「まだ子供じゃないの」

「金さえありゃ子供も客さね」


わいわいと賑やかな声。あちこちから寄っていけと声を掛けられるが、今の涼介にはそんな声を聞く余裕は無かった。

何処ぞのテーマパークだろうか。それとも何か映画やドラマの撮影現場に紛れ込んでしまっているのか。それよりさっき女の人の首が伸びていなかったか?何だ此処は。何処なんだ。


ただ家に帰りたいだけなのに。十七にもなって、迷子で心細くて泣きそうになるなんて。父さん父さんと何度も口の中で繰り返してみたところで、周囲の景色はいつまでも見慣れた場所に出る事は無い。


「何だよここ!」


叫んでみたところで、その問いに答えが返ってくる事も無い。けらけらと笑う女の声が、揉める男たちの声が、ざわざわとさざめいて耳が痛いような気がする。


「おい餓鬼。どっから入った」

「ひっ…」


大柄の男。威嚇するように此方を睨むのはまだ良かった。だが、明らかに「普通ではない」ところが男にはあった。目が一つしかないのだ。片目が潰れているとか、眼帯で隠されているとかではない。そもそも目が二つある構造ではなく、最初から一つであろう造りをしている。顔の中央に、大きな目が一つ。

ぱくぱくと口を動かしながら、涼介はその場にへたり込む。何故目の前の子供がそんなに驚いているのか分からないといった顔で、一つ目の男は涼介をじっと見据えた。


「お前…何故人間が此処にいる」

「にんげ…あの、なんで、目…目!」


大きな目をぱちぱちと何度か瞬かせながら、一つ目は困ったように周囲を見回す。ぎゃあぎゃあと騒ぐ子供相手に面倒臭いと言いたいのだろうが、涼介からしてみれば、やけにリアルな特殊メイクだったとしてもリアルすぎて気持ちが悪いとしか思えない。


「すんません」

「お、片角。お前んとこのか」

「そうっす」


じゃり、と小さな音をさせながら、森で助けてくれた男が涼介を庇うように目の前に立った。一つ目の男にぺこりと頭を下げると、へたり込む涼介をじろりと睨み、軽々と肩に担いで歩き出す。

終始無言で歩かれるのは構わない。だが、あちこちで起きている事が、涼介には信じがたいものだった。一つ目の大きな男。首が伸びる女の人。やけに大きな口の毛むくじゃらの人。


「お化け屋敷…」


ぽつりと呟く声に、男は何も答えてくれはしなかった。



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