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終幕 それから、それから

神様に会うというのは、幽世でもそれなりに大変らしい。勿論現世に比べたら現実的というか、正規の手続きさえ踏めば会える方々らしいのだから、ありがたみが薄れそうだなあ、なんて罰当たりなことを考える。

あまりにも有名な神様…大国主命様だとか、天照大御神様だとかは滅多にお目通りが許されないらしい。相当忙しい方々なんだそうだ。


「なんじゃ、早かったな」


目の前でニタニタ笑う少女、もとい神様。笹羅姫様は、比較的会ってもらえる神様のお一人だと、眞白は道中に教えてくれた。


「蟲の駆除と結界の張り直し、完了しております」

「うむ、餌の回収と百目へ引き渡しもかんりょうしておるのだな」


仕事が早くて感心感心と、笹羅姫は何度か頷いて眞白を褒める。釣り気味の金目が、ちろりと涼介を見て更に口角を上げたのだが、それがどういった意味を持つのかは分からない。


「人の子はなんの役にも立たなんだな」

「力も無い小童にございますれば」

「ま、生きて此処に戻ってこられただけで上々かの。どうじゃ、願いは叶ったな」


楽しいことと、女子との新しい出会い。左右の人差し指を立てながら、笹羅姫はにんまりと笑う。解釈によっては非日常を体験し、川らしい同年代の女の子と出会えたという事になるのかもしれないが、正直言ってそう楽しい体験だったとは思えない。むしろ、死を間近に感じる恐怖体験だ。出来れば二度と経験したくない。


「お前たちを追い出してから、わらわは美墨に戯れが過ぎると叱られての。仮にも神相手に生意気な」


部屋の隅で頭を下げ続ける美墨にじろりと視線を投げ、今度はまた眞白に視線を戻す。よく動く瞳だ。


「気は済んだ。帰りたいならば帰してやろう」

「お願いします」


ああ、やっと帰れる。今度こそ元居た場所に帰れる。胸がどくどくと音を立てるのは、嬉しさ故なのか、興奮なのか、どちらもなのかは分からない。分からなくても、帰れるというだけで、それだけで良かった。


「さあ願え。帰りたいとわらわに願う事を許すぞ、人の子よ」


尊大な物言いで、笹羅姫は仰々しく両腕を広げる。布が擦れる音がした。耳元で、しゃりしゃりと甲高い鈴の音がする。


「現世に、俺が元居た時に、場所に帰してください」

「対価はおまけしておいてやろう。現世のわらわの社を整えておくれ」


にっこりと微笑んだ笹羅姫の姿が、薄布を掛けられたようにぼんやりと霞む。笹羅姫だけではない。その奥の美墨も、隣にいた筈の眞白も、部屋の全てが霞んでよく見えない。耳元で騒ぐ鈴の音がどんどん大きくなって、思わず耳を塞いだ。それでも鳴り止むことなく、大きく鳴り続ける音に、涼介はぎゅうと目を閉じた。


「忘れるな、お前のもう一つの名を」


笹羅姫の楽しそうな声が聞こえた気がした瞬間、涼介の意識がぷつりと切れた。


◆◆◆


暑い。むしむしとした暑さに茹で上がってしまいそうだ。周囲で騒ぐ蝉の音が、余計に暑さを増していくような気がする。ぼうっとした頭で何か考えようとしたって無駄なのだが、どうして地面に転がっているのだろうと、涼介は周囲をきょろきょろと見まわした。


「…神社だ」


少々荒れた神社。草むしりや簡単な掃除はしているようだが、何となく古ぼけた印象の小さな神社の境内で倒れていたらしい。ゆっくりと体を起こすと、軽い熱中症を起こした時のようにくらりと頭が揺れた。

ここは何処だろうとぐるりと周囲を見回してみる。徐々にはっきりしてきた頭が、此処が数日前神頼みをした神社で、あの可笑しな世界ではなく、元々自分がいるべき世界に戻ってきたのだと認識し始めた。


「おお…そんな簡単に…」


まだ鈴の音が耳にこびりついているような気がするが、立ち上がって自分の格好に気が付いた。彼方で借りた着物のままだ。持って行った筈の荷物も全て置いたまま。何故百目鬼の所から一度眞白の家に戻ってくれなかったんだとか、どうせなら自分がいた証拠ごと全部送り返してほしかっただとか、もう今更どうにもならないであろうことを一人文句を叫んだところで、大きく肩を落とした。

兎に角帰って落ち着きたかった。着物には慣れないし、汗だくだし、冷房の利いた涼しい部屋が恋しかった。

真夏に暑そうな着物姿というだけで少々目立つのか、時折すれ違う通行人はチラチラと涼介を見る。観察されるのは嫌だったが、慣れない草履で走る事も出来ず、下を向いて出来る限りの速足で歩いた。

アスファルトで舗装された道は久しぶりな気がした。思い返してみてもそんな事はない筈なのに、どうしてだか周囲の景色全てが懐かしい。


唯は無事に帰れただろうか。帰ったとしてもあまり嬉しくはないのだろうが、あのよく分からない世界で生きていける保証もないのだから、眞白の言う通り帰る他無い。泣いて帰りたくないと言ったあの少女の世界は、どんな世界なのだろう。母親の記憶はあまり無いが、彼女の母親が異常だということは分かる。もしも、自分の父親が息子を管理しようとする人間だったのなら。自分も彼女と同じように帰りたくないと願ったのだろうか。

悶々と考えながら歩いているうちに、見慣れたドアの前に立っていた。無意識にでも家に帰ることは出来るらしい。残念な事に鍵は向こうの世界に置いてきてしまった鞄の中だ。時間帯的に希望は薄いが、父親が先に帰っている事を期待してドアノブを下げて引いてみた。


「あれ…ただいま!」


どうやら珍しく父親の帰りは早かったらしい。帰宅を告げるように家の奥へ声を掛けると、ドタドタと慌ただしい足音と共にリビングのドアが開いた。


「涼介!」

「うおぉお…ただいま。早かったんだ」

「お前は!夏休みだからって無断外泊をするとは何事だ!連絡も返ってこないし電話も出ないし心配したんだぞ!」


声を荒げる父親の目は真っ赤だった。何を言ってるんだとぽかんとするが、息子が無事に戻った事に安堵したのか、早く入りなさいと声色が僅かに落ち着いた。


「何だその…大正時代の書生さんみたいな恰好は」

「ああ…借り物?」


嘘ではない。本当に借りたものだ。ただ自分が着ていた制服は、もう二度と戻ってこない事をどうやって説明するべきだろう。


「三日間も何処に居たんだ?」

「えっ」


確かに笹羅姫に願った筈だ。元居た時に戻してほしいと。神様に何か願う時は、きちんと詳細に願えと忠告されたが故に付け足した言葉だったが、まさかそれが叶えられていないなんて。愕然とするが、神様が願ったこと全てを叶えてくれるわけがないよなと思い直した。むしろ、年単位で時間がずれているよりマシだ。


「話すと長くなるっていうか…多分信じてくれないんだろうけど、一先ずごめんなさい。スマホとか制服とかその他諸々全部無くしました」


言葉を失った父親が再び声を荒げるまで、そう時間はかからなかった。

もうこれは不本意だが仕方が無い。甘んじて父の説教を受け入れよう。普段帰りが遅くてなかなか会話すら出来ないのだから、説教だろうとなんだろうと、親子の時間を過ごすのも良いかもしれない。そう思った事を後悔するのは、事情説明と説教が三時間にも及んだ時だった。

◆◆◆


洋服は良い。着るのも管理も簡単だし、動きやすい。着慣れている服というだけで気が楽だ。

着慣れた洋服の機能性のすばらしさを噛みしめながら、涼介はざかざかと忙しなく箒を動かし、笹羅姫の社の掃除に勤しんでいた。

「対価はおまけしておいてやろう。現世のわらわの社を整えておくれ」という笹羅姫の言葉を思い出し、多少暑さの落ち着いた夕方に律儀に掃除をしに来たのだ。

あれから父は男手一人で育てているし、普段色々任せているから息子がグレたんじゃないかと不安だったとか、無事で良かった、荷物は何処で無くしたんだ、どうして何もかも無くして着物だけ借りて帰るんだとか、色々と感情が迷子になっていた。

幽世で迷子になってましたという話は、当然ながら信じてもらえなかった。しっかり問い詰められたし、きちんと事実を説明したのだが、納得いかない返事しかしない息子に辟易したのか諦めたのか、父は年頃だからどうしても言いたくない事の一つや二つあるのだろうと変に納得をしていた。


「感心じゃのう、きちんと言いつけを守るとは」


聞いたことのある声に、涼介は勢いよく後ろを向く。にんまりと笑う派手な女性ものの着物を羽織った男は、紛れもなく眞白だった。何故此処にと疑問を吐き出そうとした瞬間、眞白は右手に持った鞄と風呂敷包みを掲げてみせた。


「なんじゃろうな、これは」

「あー!俺の!」

「すまんな、苛立っておって家に寄るのを失念しとった」


放って寄越された荷物は、きちんと全てが揃っていた。風呂敷の中は制服が綺麗に畳まれており、紙袋に入れられた靴もあった。きっと青葉がいそいそと畳んでくれたのだろう。


「ヤタが包んだんじゃよ。アオはこまい作業は苦手じゃからな」

「えっ、あの人がですか?」

「人間臭くてかなわんからさっさと帰してくるか捨ててくれと煩くての」


けらけらと笑う眞白は楽しそうだが、あの弥太朗なら言いかねないなと、涼介は少々げんなりとする。なんにせよ、無いと困るものばかりだったので助かった。此方に帰って来てからまだ二日だが、スマホの無い生活には耐えられない。鞄のポケットに入っていたスマホはあい変わらず電池が切れて文鎮状態だが、きっと充電すればまた使えるようになるだろう。


「わざわざすみません、ありがとうございました」

「構わんよ。此方の甘味が恋しくなっておったでな、ついでじゃついで」


ぺこりと頭を下げた涼介の頭をぽんぽんと撫で、眞白はふっと小さく微笑んだ。


「こういうところが気に入られるんじゃろうなぁ」

「はい…?」

「笹羅姫様は童を大層気に入ったようでな。わしと美墨で止めてはおるんじゃが…お前さん近いうちまた呼ばれるかもしれんな」


どこか遠い目をしながら、眞白はうんざりしたような声を出す。またあの世界に呼ばれるとは何だ。ひと夏の思い出で済ませてくれても良いじゃないか。そもそもただの人間である涼介があの世界でどうしろと言うのだろう。何か目的があるのか戯れなのか知らないが、出来ればあの世界にもう一度行きたいとは思わなかった。


「そう嫌がらずとも良いであろう?人の子」

「ひっ…」


耳元で笹羅姫が笑ったような気がした。思わず周囲を見回すが、あのにんまり笑う少女の姿はどこにも見当たらない。


「神の気に入りになったんじゃ、気張れよ童」

「お断りなんですが!」

「笹羅姫様が聞くと思うか?」


遠くで鈴の音が聞こえる。幻聴だと思いたいのに、目の前に眞白がいるせいで現実なのか幻聴なのかも分からない。


「願ってないです…」


もう一度ぽつりと呟いた瞬間、手にしていた風呂敷の上にころりと金色の鈴が落ちた。


「おめでとう童、神の玩具の仲間入りじゃよ」


同情するような眞白の顔が、うっすらと霞んだような気がした。


不定期更新でしたが、此方で完結となります。何だか思っていた着地点とは全く違うんですが…おかしいな。本来シリーズものにしたかったので、この終わり方も良いかなと思っています。お付き合いいただきありがとうございました

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