第一章04『招かれざる客』
「んっ」
腕をまくりながら気合いの一声、さっそく手順に取り掛かる。
うっすい豚肉に小麦粉をまぶし、残り物のタマネギをスライス。
熱したフライパンでタマネギを炒め、しんなりしてきた頃に肉を投下。
程良く肉の色が変わったタイミングで生姜を少々。ついでに野菜もちょっとだけ炒めて、彩りを添える。
……そんな具合に、黙々と作業をこなして数分。
「おし!」
皿に盛りつけて、ようやく完成。フェグルスお手製の豚の生姜焼きと野菜炒めが、同じ皿の上で湯気を立ち昇らせていた。
あまり料理の腕に自信は無かったが、出来上がってみたら匂いも美味しそうだし、見た目だって悪くない。腹を空かせた奴にはこの上ないご馳走だろう。
うんうん、かなり良い出来だ。もっと料理の腕を磨いてみようかな。
そんな風に思いながらフェグルスは―――
「……何やってんだ俺」
―――我に返っていた。
己の作った手料理の前で、フェグルスは思わず頭を抱える。……本当に何をしているのだろう自分は。なぜ? どうして? なにゆえ俺は、料理など……?
現在の時刻、一〇時一三分。
空から降って来た少女が日本刀を振り回した挙句に空腹でぶっ倒れる、という意味不明な事件の後、気付けばフェグルスはフライパンを揺すり、少女のために手料理を作ってやっていたのだった。
……いやだから……なぜ?
どうして見ず知らずの少女に料理を振る舞っているんだ? 自分は。
しかも相手は初対面の男に日本刀を振り下ろすような奴だぞ?
だというのに。
「はぁーあ……」
訳が分からない。分からないが……傷だらけで倒れている少女を見て、なぜか「何か食わせてやらないと」と思ってしまったのだ。
フェグルス自身、それがなんでかは分からないけれど。
「頭痛くなってきた……」
厄介事には関わりたくなかったはずなのに……。
それはフェグルス自身の願望という面もあるが、それ以上に、人間社会に紛れるにあたっての最低条件でもあった。
なるべく目立たず、注目されず。
できる限り他人と関わりをもたず、正体を隠しやすくするために。
けど、これのどこが平穏だ。
ただでさえ今、見ず知らずの、しかも空から降って来て傷だらけで、『追われて』だの『殺されかけて』だの、のっぴきならない事情を思わせるワードが飛び出すような少女を自宅に入れておいて。
「はあああああぁぁぁぁ……」
とはいえ、まさか少女をベランダから放り捨てる訳にもいかず、こうして腹を空かせた少女のために、フェグルスは料理に励んでいたのだった。
「……ぅぁ……ぇ」
と、その時、今にも消えてしまいそうなうわ言が聞こえた。
んぐぅぅぅぅ~、と冗談みたいに腹を鳴らし、少女は寝かせてやったソファーの上でもぞもぞ蠢く。ようやく目が覚めたようだ。
「……ん……。……なに、このにおい……」
「さあ起きろ。冷めるぞ」
意識を朦朧とさせる少女を、フェグルスは静かに揺すってやる。
しかし彼女はまだ完全に覚醒していないらしい。
瞼を半分開け、目の前のフェグルスを見上げ、少女は不思議そうに瞬きをして、
「……だれ」
「ついさっきお前が襲撃した家の住人だ」
それを聞くや否やだった。少女は何かを思い出したみたいに「はっ」という表情になった……と思った次の瞬間、
「てやあ!」
「ぶっ!?」
フェグルスの頬に、平手打ちが炸裂していた。
そして少女はバッ! とソファーの後ろに飛んで隠れると、両手で胸を守り、
「寝てるのをいい事にあたしの体に何したのよ変態! あたしを汚したくば、まずはあたしの前で死んでみせなさい!」
「なんじゃそりゃ……!」
なんだこの急な展開。というか急な冤罪。
ぶたれた頬をさすりながら、フェグルスは目つきを険しくさせ、
「お前っ……それが他人んちをメチャクチャにした奴の態度か!? せっかく俺が気ぃ遣って色々やってやったのに! その傷だらけの体を看病してやったのも一体全体どこの誰だと思ってんだ!? ん!?」
「……? 傷だら、け……なっ!?」
フェグルスに言われ、少女は初めて自分の体の状態に気付く。
見ると確かに、腕にも足にも……触ってみるとなんと首にも、あの生々しい傷が付いていた箇所にまんべんなく包帯が巻き付いていた。
誰がこんな事を……? と言えば、もちろんこの部屋には少女を除けばフェグルスしかいないわけで。
「やっぱり変なとこ触ってるじゃない! この変態! ゴキブリ! ドブネズミ! こうなったら、あんたを八つ裂きにして晒し首にでもしなきゃあたしの気が晴れな―――」
少女はまさに猛獣の如し。とんでもない身軽さでソファーを飛び越え、そのままフェグルスに襲い掛かろうとする。
が、その魂胆は、
「―――いぃっ!?」
「無理しない方がいいぞ、傷が開く」
失敗に終わる。
フェグルスに飛び掛かろうとした直後、少女の体はビクゥ! と大きく震えて、そのまま動かなくなってしまった。
多分、激痛が走ったのだろう。
「……一応、目に見える傷だけ簡単に包帯を巻いといた。バイキンが入るとマズいからな。服の中は詮索しなかったから安心しろ」
「あが……かっ……!?」
「……大丈夫か?」
「んな、わけ、ない、でしょ……!」
まだまだ痛みと格闘中。ビリビリ痺れたみたいに全身を震わせながら、少女は「ぐぎぎ!」と必死にもがく。けれど、やっぱりどうにも体が動かせない。
「あたし、がっ、怪我でも、してなきゃ、あんたなんか一瞬で……あうっ!」
未だに強気な少女の額に、フェグルスはデコピンを一発。その小さな衝撃で踏ん張りが消え、少女は真後ろに倒れてソファーにボフンと。
「何すんのよ! 痛いじゃない!」
「悪かったよ。でもそれよりこれだ、食うぐらいならできるだろ」
そう言って、フェグルスはちゃぶ台の上に置いた生姜焼きを指差してみせる。
瞬間、少女は「っ!」と宝物でも見つけたみたいに目を輝かせた……が、
「……何のつもり……」
すぐに体を縮めて、より一層怪しむ目でフェグルスを睨む。
「何のつもりもねえよ。腹が減ってんだろ? なら食べてくれ、せっかく作ったんだし」
精一杯の優しさのつもりだったが、結果は全くの逆効果。少女はキッ! とさらに目つきを鋭くして、疑心たっぷりにフェグルスを睨み、
「あんたみたいな変態の言う事、聞くわけないでしょ!」
とか言いながら、彼女の口元からは一本よだれがダラ~と。
「…………」
呆れて物も言えないフェグルスに、少女はきょとんと首を傾げる。
が、自らの失態に気付いたらしい彼女は、慌ててよだれを拭い、
「聞くわけないでしょ!」
言葉が空虚過ぎる。
「……いいから食えって、もったいない」
「やだ」
「お前なぁ……。つーか、本当だったら俺はお前を窓から放り捨てる事だってできたんだぞ? あんな凶器持ってる奴なんか家に入れてられねえからな。それをわざわざ、わっざっわっざ! 看病した上に飯まで作ってやったんだ。良かったな、俺が慈悲深くて」
「だったら捨ててくれた方がマシよ。余計なお世話、無駄なお節介」
ここまで言われたら、さすがにカチンと来るしかなかった。
明確な怒りを自覚したフェグルスは、いっそ日本刀よりも鋭い目つきで少女の事をギラギラ睨み、
「……なに変な目で見てんのよクズ。いい加減にしないと……むっ!?」
その先に何を言おうとしたのかは分からないが、とにかくその減らず口を止めるために、フェグルスは片手で少女の小さい顔をガッ! と掴むと、
「なっ、なにふんのほ……もむう!?」
フォークで刺した野菜炒めを、そのまま直接少女の口に突っ込んだ。
「しゃべるだけで体力削られんぞ。そんなに喧嘩したきゃまずは食え。ほら、緑黄色野菜だ。肉も食え肉も、スタミナつけろ。そしてこれも食え。今朝、牛乳パックに生い茂ってた謎のブロッコリーだ」
「うむむむー!」
「どうだ、美味いだろう。今回はかなり上手に出来たんだ。感謝と共に飲み込むがいい」
「ぎゅむむ――――――っ!!」
部屋をメチャクチャにされ、優しさも反故にされ、怒り心頭のフェグルスは少女の口に無理やり野菜と肉を詰め込んでいく。
ぷっくり膨らんだ少女の頬を見て、「このまま破裂させたろかい」などと物騒な事を考えるが、
「いーはへんにひろー!!」
「ぶっ!?」
少女の拳が飛んだ。
炸裂するアッパーカットは綺麗に顎へと命中、フェグルスは少女を放して真後ろに倒れてしまう。
さらになんという早業か。彼女は一瞬のうちにフェグルスの手から皿とフォークを奪い取り、
「一体あんたは何がしたいのよ!」
ズガガガガガッ!! と皿の上の料理を胃袋へ流し込んで、
「まさか変なものでも入れてんじゃないでしょうね!?」
「食ってから訊くなよ……」
もちろん変なものなど入っていない。むしろとことん栄養満点。体力補給にも十分な仕上がりとなっている。
しかし、そんなフェグルスの気遣いなんて知ったこっちゃないらしく、
「―――ってゆーか」
少女は頬に食べ物を含ませたまま、太々しい態度でソファーに胡坐をかき、
「あんた、どうせ寝てる間にあたしの体に色んな事してたんでしょ。何もできないのをいい事に、下衆未満の犬の糞みたいな情欲を吐き散らかしたんでしょ。どう責任取ってくれるわけ? どうやって死んでくれるわけ?」
「取らなきゃいけない責任なんか俺にはねえし、死ぬつもりも毛頭ねえ。そもそもお前の体に変な事なんて何一つしてねえ」
「あたしの胸触ったクセに」
「それは……まあ、そうだけど……」
口ごもるフェグルスに、少女は「ふんっ」と鼻息を荒くし、
「で? どう死んでくれるわけ?」
「色々とブレないなお前……」
「罪を罰するのは当然の事じゃない。あんたなんか生きてるだけで大罪よ。未だに呼吸してて恥ずかしくないの? てかさっきから好き勝手に言ってるけど、被害者がこっちだって事まさか忘れてないでしょうね。あんたはもう死をもって償う他に道はないわ」
「いくらなんでも殺した過ぎるだろ。……胸の件はホント悪かったけど」
「だったら死んでよ。今すぐここで」
しつこいくらいの死刑判決だった。
なんでそんなに殺したがるんだコイツは。物騒か。ついに人の世はここまで無法地帯になってしまったのか。悲しいばかりだ。
だけど、ここで素直に自分の罪を認めるというのも、どうも納得がいかず、
「そ、そもそもだなあ……!」
フェグルスはちゃぶ台を挟んで少女の向かいに座り、落ち着いて反撃を試みる。
「こんなん不可抗力だろ! 空から降って来る方がおかしいんだよ、普通はな! こんな馬鹿げた天変地異、魔法も使えない俺にどうしろってんだ!」
「そんなん知らない。関係ない。あんたが加害者で、あたしが被害者。あたしはあんたに正当な罰則を要求してる。それだけよ」
「なぁーにが正当だよ! 本気で殺されかけてんだぞコッチは!」
叫べど喚けど少女はガン無視。フェグルスの言葉など聞く気もないのか、彼女は炒めた野菜をひたすら胃袋に流し込む。
「しかも見ろ! この惨劇、この惨状! ここはなあ、一〇年近くも俺と苦楽を共にしてきた大事な大事な我が家なんだぞ!? それをこんなメチャクチャにしやがって……!」
ガツガツ! ムシャムシャ! ごっくん!
「俺にも非があるとはいえお前はやり過ぎだ! 罰にしたって釣り合わねえ!」
噛む、飲み込む。噛む、飲み込む。飲み込む飲み込む。また噛んで、飲み込む。
「おい、俺の話を聞いて―――」
ずいっ、と。
少女は空になった皿を目の前に突き出して、一言。
「おかわり」
「……ねえよそんなもん」
「また暴れてやるわよ?」
我が家を人質にとられてしまっては、従わないわけにはいかなかった。
フェグルスは再び冷蔵庫から食材を取り出し、追加の野菜炒めを作ってやる。
それを皿に盛り付け、少女に差し出して、
「……じゃなくて!」
かなりのタイムラグでフェグルスはツッコミを入れる。
が、いくら騒げど少女は意にも返さず、おかわりの野菜炒めをガツガツガツ! と汚く貪る。
「いいから話を聞けって。……まずお前、なんで空から降って来たんだよ」
「あんたみたいな変態にあたしの情報を知る権利なんてない。黙ってその辺で床のシミにでもなってれば?」
「…………。ほら、お前なんか言ってたろ。魔法使いに追われてとか、殺されかけてとか。そんで逃げたらどうしたこうしたって」
「関係ない。というか死んで」
「……じゃあ、あんな凶器どこから」
「死ね」
「それはただの悪口だろ……」
物理的に殺せないからって、今度は呪い殺す方針に切り替えたのかもしれない。
その執念深さ、執着の強さ―――恐れ入る。
「せめて、こう……なんだ? 自分なりに事情を話すとかさあ」
「ああもう! うっさいわね変態のくせに! いいわよ、じゃあ一から一〇まで全部説明してあげる。ただし、一通り説明したら外に出て、あることないこと言い広めてあんたの社会的生命に終止符を打ってやるけど? それでもいいならどうぞ、なんでも訊きなさい」
それにはさすがにフェグルスも言葉に詰まった。それを見た少女は追い打ちをかけるでもなく、ただ「ふん」と侮蔑の表情を浮かべてみせる。
この態度、この振る舞い、傲慢すぎる言動の数々はどうだ。
確かに胸を触ってしまったのは一〇〇パーセントこちらの罪だが、少女だって過剰なほどの暴力に手を染めている。お互い様というやつだろう。
なのに、まるで全てこちらが悪いと言わんばかりの少女の口ぶり。これにはさすがに、フェグルスも何か反撃しないと気が収まらず、
「……い、いつまでも法治国家がお前を野放しにしてると思うなよ……!」
「はあ?」
行き詰った末の呪い攻撃も、少女の「はあ?」の前に虚しく散る。
少年のガラスハートは砂と化し、流れる風に乗って遥か彼方へ吹き飛ばされた。
「……何も訊くなってかよ」
「そうよ、何も訊かないで。というか死んで」
「結局それか……」
しかし、するなと言われればしたくなるのが人間の性……もとい魔獣の性。
それに、ここまでコケにされて今さら引き下がるというのも気に食わず、
「あのなあ、こっちは自宅がぐちゃぐちゃにされてんだぞ! こんなんで―――」
こんなんで、納得できるわけない……のだが。
しかし反論の途中でふと、フェグルスは思い出す。
(……何やってんだ俺は)
次々と思い浮かぶ文句も、喉元まで出かかった言葉も全て呑み込んで、口を堅く結ぶ。
そしてもう一度、自分自身で確認するみたいに、頭の中で繰り返す。
自分が一番に嫌っているのは、厄介事に巻き込まれる事じゃないか、と。
『何よ! 何なのよ! どうなってんのよこの街は!? 魔法使いに追われて殺されかけて必死に逃げて落ちてみれば! こんな貧相ヅラの男に……む、胸を揉まれるし!』
魔法使いに追われて殺されかけて。―――少女は確かにそう言った。
誰が聞いてしまっても、到底無視できる類の発言ではない。
しかしだからこそ、フェグルスは頭を横に振る。
――――なにも自分から巻き込まれに行く事はない。
『あの時』から、一人で生きていくと決めた。
自分に宿る『力』を振るわないために、厄介事から遠ざかるように生きてきて、これからもそうやって生きていく。そう生きようと決めたのだ。
……そうすれば、『力』を振るわずにいられると思ったから。
少女の事情は分からない。
断片的な言葉を聞いても、明確な状況は判断できない。
だけど、今ここで深く首を突っ込んでしまえば、何か大きな厄介事に巻き込まれてしまうんじゃないかという嫌な予感だけはしていた。
ならここで、少女との関係を断ってしまうのがベストのはず……。
『魔法使いに追われて殺されかけて必死に逃げて落ちてみれば!』
「…………」
―――もしその魔法使いに見つかったら、こいつはどうなる?
不意の邪念に、フェグルスは思い出す。
少女の体に刻まれていた大量の傷を。殺されかけたという少女の言葉を。空から降って来たという事実の重大さを。
否定できない現実を、思い出す。
でも。
「……ちっ……」
自分が関わらなきゃいけない理由は、やっぱりない。
そもそもコチラを本気で殺そうとしたうえに、他人の良心を無下にするような奴だ。なんでそんな奴にお節介を焼いてやらなきゃいけないんだ。
だから別に、この少女がどんな事情を抱えていようが、関係ない。
なにせ人を殺そうとする女だ。そんな乱暴者なら、いつかは誰かしらから恨みを買って、追われて殺されかけたりする事だってあるだろう。案外、全てコイツの自業自得なのかもしれないじゃないか。
だから、どうでもいい。
誰に追われていようが、誰に殺されかけようが、何もかもどうでもいい。
どうでもいいはずだ。
そうだろ?
……そうだよな?
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
答えは出なかった。