第三章02『双子座』
ボクは悪くない。
***
ボクは悪くない。ボクは悪くない。ボクは悪くない。ボクは悪くない。ボクは悪くない。ボクは悪くない。ボクは悪くない。ボクは悪くないボクは悪くない。ボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くない。ボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くない。ボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くない。ボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪くないボクは悪者じャないボクは悪者じャないボクは悪者じャないボクは悪者じャないボクは悪者じャないボクは悪者じャないボクは悪者じャないボクは悪者じャないボクは悪者じャないボクは悪者じャないボクは悪者じャないボクは悪者じャないボクは悪者じャないボクは悪者じャないボクは悪者じャないボクは悪者じャないボクは悪者じャないボクは悪者じャないボクは悪者じャないボクは悪者じャないボクは悪者じャないボクは悪者じャないボクは悪者じャないボクは悪者じャないボクは悪者じャないボクは悪者じャないボクは悪者じャないボクは悪者じャないボクは悪者じャないボクは悪者じャないボクは悪者じャないボクは悪者じャないボクは悪者じャないボクは悪者じャないボクは悪者じャないボクは悪者じャないボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外が悪いんだボク以外がボク以外がボク以外がボク以外がボク以外がボク以外がボク以外がボク以外がボク以外がボク以外がボク以外がボク以外がボク以外がボク以外がボク以外がボク以外がボク以外がボク以外がボク以外がボク以外がボク以外がボク以外がボク以外がボク以外がボク以外がボク以外がボク以外がボク以外がボク以外がボク以外がボク以外がボク以外がボク以外がボク以外が全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部ボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけがボクだけが!! この世界だただ一人ボクだけが! 正しくて、純潔で、完成されて、満たされて、健気で、純真で、正解が見えていて、真理を理解していて、正直者で、美しくて、優れていて、強くて、神聖で、輝いていて、情緒深くて、思いやりがアッて、普通の感性で、常識を嗜んでいて、全ての中心で、この世の正義で、与えられていて、愛されていて、救われていて、手にしていて、選ばれていて、無欲で、憐れむ心を持ち合わせていて、清廉で、潔白で、心地が良くて、幸福で、健やかで、自分自身に満足していて、楽しくて、順風満帆で、望む事を許されていて、欲する事を許されていて、求める事を許されていて、力がアッて、何でもできて、高潔で、高尚で、最上級で、最強で、敵なんかいなくて、争う必要もなくて、憐れまれる必要もなくて、侮られる必要もなくて、嘲られる必要もなくて、笑われる必要もなくて、馬鹿にされる必要もなくて、否定される必要もなくて、全てに必要とされていて! なのにこんなのおかしいだろ!? 地面を這いつくばるのはボクじャない。傷付くのはボクじャない。貶められるのも、見下されるのも、蹴落とされるのも、叩き伏せられるのも、踏みつけられるのも、全部全部全部全部ボクじャない。ボクは悪くない。ボクは弱くない。ボクは小さくない。ボクは貧しくない。ボクは低くない。ボクは落ちてない。ボクはかわいそうじャない。ボクは下じャない。ボクは足りなくない。ボクは劣ッてない。ボクは負けてない。ボクは劣ッてない。ボクは助けられてない。ボクは劣ッてない。ボクは劣ッてない。ボクは劣ッてない。ボクは劣ッてない。ボクは劣ッてない。ボクは劣ッてない。ボクは劣ッてない。ボクは劣ッてない。ボクは劣ッてない。ボクは劣ッてない。ボクは劣ッてない。ボクは劣ッてない。ボクは劣ッてない。ボクは劣ッてない。ボクは劣ッてない。ボクは劣ッてない。ボクは劣ッてない。ボクは劣ッてない。ボクは劣ッてない。ボクは劣ッてない。ボクは劣ッてない。ボクは劣ッてない。ボクは劣ッてない。ボクは! 微塵も!! オマエらなんかに劣ッてない!! なのにオマエらは勘違いをしてボクを劣ッた奴だッて決め付けて! ボクを悪い奴だッて決め付けて! ボクを可哀想な奴だッて決め付けて! 憐れんで侮ッて嘲ッて笑ッて見下して貶めて馬鹿にする!! アッていいはずがないだろそんな事! 逆だ。オマエらだ。オマエらがボクに馬鹿にされるんだ。そうじャなきャおかしいだろ。そのはずだ。だからこれは間違ッてる。ボクが正すんだ。間違ッてるオマエらの間違いを、正しいボクが正すんだ。だから劣ッてるのはオマエらだ。弱いのはオマエらだ。悪いのはオマエらだ。ボクは悪くない。なのに悪者にするオマエらが悪者なんだ。人を勝手に見下して、悪役を押し付ける異常者共め。ボクを勝手に嘲笑ッて馬鹿にするクズ肉共め! 認めて堪るか! こんな風情のない展開がアッていいはずがない! ボクに勝ッたと勘違いして思い上がッて、吐き気を催すんだよ反吐が出る! 今はそォやッて偽りの勝利に心地よく浸ッていればいいさ、ボクが許すよ、好きなだけ笑えよ。侮蔑しろ。馬鹿にすればいい。けどその分の対価は払ッてもらわなくちャア割に合わないだろ? 絶望させてやるクズ肉共。その自信も過信も妄信も一切合切丸ごと叩き潰して! 絶望に歪むオマエたちの顔を拝むまで! 終わッて堪るか!! ボクはまだ! 求める風情すら手に入れていないんだから!! 壊して、絶望させて、罪を償わせてやる! 壊して、壊して壊して壊して壊して壊して壊してして壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊してして壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊してして壊して壊して壊して壊して壊して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すと馬鹿の一つ覚えみてェに代わり映えのない虚栄ばかりをケソケソ喚くなクソが。
やる事、なす事、その過程。一つ残らずクソにも満たねェ。
下らねェし、風情じャねェ。
風情じャねェなら、どォでもいい。
どォでもよ過ぎてムカつくよ。テメエら揃ッてクソ虫か。どこもかしこも、どいつもこいつも、見渡す限り、風情がねェ。
はァーア、失敗だ。
最悪だ、最低だ、退屈だ、憂鬱だ、落胆だ、失望だ。
本当の本当の本当に……。
絶望した。
***
バギン!!!!!! という無茶苦茶な音が鳴り響いた。
地面を這いつくばる、ジェミニの体内からだ。
「……ア?」
戸惑いの声だった。
訳が分からないとでも言いたげな声音だった。
事実、ジェミニは自分の身に何が起きているのかを理解していなかった。
本当に突然の出来事。何か凄まじいノイズが響いたと思った直後、ジェミニは己の肉体を制御できなくなっていたのだ。
指先一つ動かせない。
それどころか、呼吸のリズムすら自分で調節できない。
まるで肉体の主導権が他の誰かに移ってしまったかのように、筋肉の運動から瞬きのタイミングまで、何もかもが自分の意思とは無関係に機能し始める。
これはなんだ? 何が起きている?
疑問。不可解。理解不能。正体不明。
そして。
その疑問を抱いているのは、ジェミニ『だけ』ではなかった。
「……なん……?」
「なに、なんなの……?」
遠くからジェミニの様子を見ていたフェグルスとティーネも、ほぼ同時に困惑の反応を見せていた。
今、『何か』が起きた。
二人はそう察していた。
具体的に何が起きているかは分からない。だけど、『何か』が。得体の知れない『何か』がこの場の空気をガラリを変えてしまった事だけは、本能の部分で理解していた。
そんな時だった。
フェグルスとティーネは目撃する。
数十メートルほど離れた先。地面の上を這いつくばるジェミニが、のたくるような、波打つような、そんな不可解な動きで蠢いたのだ。
いいや、より正確には。
彼の『体内』が、蠢いていた。
「ア? ……な、なに……が? なんで、こん」
ジェミニの言葉は、最後まで続かなかった。
次の瞬間。
ボゴンッ!!!!!! と。
ジェミニの肉体が、風船のように通常の五倍くらいの大きさに勢い良く膨れ上がった。
「ごびュぐッッッ!? ごッ! え、ェェェェげえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?」
悪魔のような絶叫が、荒廃した大通りに響き渡る。
そんな声すら塗り潰すように、ジェミニの『体内』から奇妙な音が炸裂する。
何かが割れる音。
何かが裂ける音。
何かが砕ける音。
何かが潰れる音。
何かが千切れる音。何かが擦り削られる音。何かが折れ曲がる音。何かが飛び散る音。何かが掻き混ぜられる音。何かがひしゃげる音。何かが押し込まれる音。何かが吸い取られていく音。何かが壊れていく音。何かが組み替えられていく音。
まるで、巨大な寄生虫が宿主の臓器すらも押し退けて、狭い体内で無理やり暴れ回るような……そんな音。
「待ッ……ごォォォォぼ!? ぼ、ぼッ、ぼくッ……べ!? ぼグの……カら。だ……ぼク、ォ、だ。れ。え、ェ、ェ、ええええアアアア……!」
肉が泡立つ。
胸が、顔が、手足が、背中が、腹が、頭部が、膨らんだ箇所がさらにボコボコと膨張を繰り返し、人間としての形状すら失っていく。今やジェミニの体は元の一〇倍近くも膨れ上がり、体内から溢れた繊維質な筋肉が、目や鼻や口からミヂミヂと飛び出してくる。
「ォ……ぼ……、……ェ……」
こんな有様になってもまだ生きているという事実が、何より不気味に空気を淀ませる。
しかし、異常はこれだけに留まらない。
岩石のように膨れたジェミニの体が直後、急激に縮んでいく。
それは勝手に空気が抜けていく風船というよりも、何者かに空気を抜き取られていく様子を連想させた。
膨張した体内の何かを吸われ、みるみる体積を失う。
膨らんだ腹が、足が、腕が、元の形を取り戻していく。
気付いた頃には全てが終わっていた。
そこに転がっていたのは、完全に修復されたジェミニの肉体だった。
先程までのズタズタに引き裂かれた姿ではない。
本当の意味での原型。
フェグルスと真っ向から衝突していた時の、五体満足を保った健全なジェミニが地面に横たわっていたのだ。
あれだけの傷が、破損が、微塵も残っていない。むしろ産まれたばかりのような艶を放ってさえいた。
その異様な姿に釘付けになっていた時だった。
「―――――ふゥ」
ため息のような声と共に、ジェミニの指先がピクリと蠢く。
次は腕そのものが大きく持ち上がる。
ジェミニはゆっくりとした動作で立ち上がると、顔を上げ、両目を開けた。
蛇のように鋭利な視線が、一直線にフェグルスを貫く。
それは確かにジェミニの瞳だったが、明確に違う点があった。
腐敗したようなどす黒さが、無い。
むしろ真っすぐに光を放ち、フェグルスやティーネを通り越して、街の向こう側まで……いっそ世界の全てを見渡しているようにも感じた。
そんな『彼』の口が。
滑らかに動く。
「風情じャねェな」
吐き出された言葉に、猛烈な違和感があった。
明らかにジェミニの声だったはずなのに……いや声だけじゃない。痩せ細った体も、乱雑に伸びた髪も、血の気のない顔面も、全てジェミニのものだった。
なのに、『何か』が噛み合わない。
記憶に残るジェミニという少年と、今こうして目の前にいる『アイツ』を、フェグルスはなぜか同一人物と認識できなかった。
「雁首共が揃いも揃ッて……好きにさせてりャこのザマだ」
戸惑うフェグルスたちに、『ジェミニ』は一瞥もくれなかった。
鋭い双眸を燃えるように輝かせ、不愉快そうに口を曲げ、一人で何かをブツブツと吐き出しながら『彼』は周りの景色を見渡し始める。
ただ眺めるように、ではない。
オークションに出された物品を値踏みするかのような雰囲気で。
そして―――
「……クソだな」
―――たった一言で断ずる。
「クソ、クズ、ゴミ、カス、汚物、吐瀉物、排泄物、どれも、これも、アれも、それも、どいつも、こいつも、アイツも、ソイツも、全部、全部、全部、全部。……一つ残らず風情じャねェ」
こんな時まで風情を語ろうとするその在り様は、間違いなくあの狂った魔法使いのものだった。
なのに、何かが違う。
いいや、全てが違う。
さっきまでとは明らかに別人だと確信できてしまうほどに、纏う雰囲気も、口から出る言葉も、何もかもが数秒前とは違い過ぎる。
まるで全く別の人間が、ジェミニの肉体を内側から操っているかのような……。
「……風情じャねェ」
ゴキンッ、と。
盛大に首の骨を鳴らしながら、『ジェミニ』は一切の興味も失せたみたいに空を見上げ、
「風情じャねェなら……どォでもいい」
たん、と。
まるでリズムを刻むみたいに、足の裏で小さく地面を叩いた。
それだけで。
全ての音が消失した。
『ジェミニ』を爆心地とした半径数キロメートル圏内の全ての瓦礫が、破片が、残骸が、死体が、一瞬で粉微塵に吹き飛んだ。
何が起きたのか、フェグルスには一切理解できなかった。
気付けば自分はティーネの体を抱えたまま宙へと舞い上げられていた。
奇しくもそれは、ジェミニの魔法を初めてその身に受けた時と同じ状況。
『ジェミニ』が片足を上げた瞬間、何か嫌な予感を察知したフェグルスが、無意識のうちに少女の体を抱いて『彼』に背中を向けていたのだ。
逃げるか受け止めるかの判断もできなかった。次の瞬間には直撃していた。莫大な衝撃が全身を叩く。天地の概念が消失した。思考は真っ白に塗り潰される。
おそらく、自分が空高くに吹き飛ばされた事すら曖昧にしか認識できていない。
そして、いつ自分が地面に叩き付けられたのかも真面に判断できていなかった。
「げほっ、がふっ! な……なに……? ―――あんた!?」
近くから、少女の慌てたような声が聞こえている。
それすらもどこか朧気で、正確な音が聞き取れない。
「ぉ、ぁ……? てぃ……ね……? がぼっ!? げほっ、がふ!! お……お前、だい、じょ……」
「馬鹿! 大丈夫じゃないのはあんたの方でしょ!? 何なの、何が」
「がはっ! げほっ、あ、が……っ」
必死になって咳き込んでいるうちに、体が本来の機能を思い出してきた。
視界が開ける。聴覚が回復する。
四つん這いになって何度も洗い呼吸を繰り返しながら、フェグルスは急いで立ち上がろうと片膝を突く。
顔を上げる。
「……は?」
景色は一変していた。
全てが消えていた。
つい数秒前まで、そこに転がっていた瓦礫も、壊れ果てた死体の残骸も、豪快に崩れ去っていた建築物も、何一つ残らず、一切合切、何もかもが、綺麗さっぱりなくなっていた。
粉々になったのでも、木端微塵になったのでもない。
文字通りの『消失』。
灰となり。塵となり。空気に溶けていくかのように、薄くなって消えていく。僅かに流れるそよ風に、灰となった街の残骸が彼方まで流されていく。
「わかッてない」
砂の大地と化した街の中心で。
その現象を引き起こした張本人は、何事も無かったかのような調子で一人呟く。
「本当に『コイツ』は微塵もわかッてない。何度も『オレサマ』が教えてやッただろォがよ。風情の真実を、風情の正体を、風情の本質を、アれだけ言ッて、聞かせて、示して、証明してやッて……まァだわかんねェかなァ」
鋭い歯を剥き出しにして、『ジェミニ』はその瞳に獰猛な光を宿していく。
「何もわかッちャいない。風情ッてのは『何を求めたか』じャねェ、『どう求めたか』だ。結果より過程、それが全てだ。だッてのに……アアアアアアアアアア失敗した。クソ虫が、真理の形すら捉えられねェ無知蒙昧のクセして分も弁えずにつけ上がりやが―――」
「なん、だ……」
不安に揺れるような声で、無意識にフェグルスは呟いていた。
途端だった。その声に気付いた『ジェミニ』は自ら怒声を断ち切って、バッ! と弾かれるような勢いでフェグルスの方を振り向いた。
空間を貫くような『彼』の眼光に、フェグルスは思わず息を呑む。
「なん……誰なんだ? お前……」
あの『少年』を前に、完全に心が竦む。
だから、そんな疑問しか口にできなかった。
気配も圧迫感も、以前のジェミニと比べて桁違いに強い。『彼』が存在しているだけで空気が悲鳴を上げているようにさえ感じていた。
「……ア……?」
フェグルスを真正面から見据えたまま、『ジェミニ』は沈黙する。
重苦しい静寂だった。
その静寂には、言葉にできない負荷があった。
一度でも物音を立ててしまえば、その瞬間に負荷が許容を超え、世界がバラバラに崩れてしまうのではないかと思えるほどの、徹底された無音の時間。
そんな時間が数秒続いたときだった。
先に口を開けたのは、『ジェミニ』の方だった。
「……はアアアアアアアアァァァ……また失敗だ……」
ふん、と鼻を鳴らして、つまらなそうにフェグルスから視線を外す。
次の瞬間には完全に興味が失せたのか、フェグルスなど最初から居なかったかのように振る舞い始めた。『彼』は大きく欠伸をし、背を伸ばし、早朝の散歩でもしているような軽い調子で周囲の光景をグルリと見渡す。
「最悪だ、最低だ、退屈だ、憂鬱だ、落胆だ、失望だ。本当に……絶望した。……どォーすッかなァ、これから」
本当に気紛れな言葉だった。
何もない景色を見回して、困ったみたいに後ろ髪をガシガシ掻きながら、『彼』は少しだけ考えるみたいに首を傾げる。
「……どォーすッかなァ……」
言って、再びフェグルスの方を見る。
またしても、ちょっとだけ視線を外し、上を見て下を見て、何かを考える風に眉をひそめ、首を傾げ……「はァ」とため息をついて、またフェグルスを見る。
そして、
「とりあえずテメエは死のうか」
直後だった。
対処なんてできなかった。
ドゴァッッッ!!!!!! という轟音と共に、認識を超えた何かが炸裂した。
「は」
鳴り響いた音響の正体を、フェグルスは理解できなかった。
一瞬で思考が空白に染まる。手足がブラブラと揺れ、平衡感覚が完璧に崩れ去る。もはや重力の感覚さえも失っていた。
一体、何が……?
消えそうになる意識の中、フェグルスは最後の力で目を見開く。
霞んでいく視界。その向こう側で、誰かがコチラに手を伸ばしていた。伸ばされた手を思わず掴みに行くみたいに、フェグルスも同様に手を伸ばす。
だけど、届かない。
届かないぐらい、遠ざかっていく。
小さな手が―――少女の手が、どんどんと離れて……。
「……てぃ、」
全てが遅かった。
不可視の攻撃を叩き付けられ、全身の八割をボロ布のように引き裂かれたフェグルスの体が、遠く遠く吹き飛んで行った。