第三章01『なくせない記憶』
「ね、フェルー。もしもこの先、フェルーが人間とお友達になったらさ」
月の光と星の輝きだけが見える、闇一色の夜の森。
木々の隙間から顔を出す小さな明かりを見つめながら、隣で一緒に横になる少女が、ふと、そんな風に切り出した。
「フェルーは人間たちに、優しくできる?」
「……お姉ちゃん、それもう二回目だよ?」
「え、そうだっけ」
「うん、きのうの夜も言ってた」
あっはは、そうだっけー、なんて。少しふざけたように誤魔化して、彼女はちょっと笑う。そして満天の星空から視線を外し、
「じゃあ、もう一回だけ約束しよう?」
すぐ隣で横になる『少年』に、その笑顔を向けた。月明り以外は何も見えない真夜中でも、彼女の笑顔は、月よりも星よりも輝いて『彼』の目に映る。
全てが寝静まる、暗闇の時間。
永遠に朝など来ないように思えてしまうほど、真っ黒に染まる深夜の森の中。
そんな闇の片隅で、小さな二人が、視線を交わす。
「フェルーは人間のお友達になったら、皆に優しくする?」
「……するよ。ちゃんとみんなに、やさしくできる」
「もしも悪い事しちゃったら、ちゃんと謝れる?」
「うん、あやまる。ごめんなさい、って言うんだよね」
「そうだよ、ごめんなさいって。すごいねフェルー、もう覚えたんだ」
「だってきのうも約束したもん」
「そうだったよね。うん、そうだった」
少女はまた誤魔化して、少し笑う。だけど『彼』にはそれでよかった。彼女の笑顔が見られるのなら、それで全ては満足だった。
姉と『弟』、二人そろって夜空を見上げる。
草のベッドに横になり、夜の空気を感じながら、何度も何度も約束をする。
人間たちにイジワルしちゃダメだよ? と少女は言った。
しないよ、と『彼』はすぐに返す。
お姉ちゃんこそ、ごめんなさい言える? と今度は『少年』が訊いて。
しっかり言えるよ、お姉ちゃんだもん、と彼女は応える。
「じゃあお姉ちゃん、ぼくともやくそく」
ん? と首をかしげてコチラを見る少女に、『彼』は、
「ぼくがニンゲンと友達になったら、お姉ちゃんも―――ぼくと、ニンゲンと、いっしょに遊んでくれる?」
そう言って、彼女の瞳を一直線に見つめ返した。
べつに、遊ぶ約束をしたいわけではなかったのだ。ただ『彼』は知りたかった。これから先、人間と友達になった後の世界でも、彼女はこれまでと同じように自分の隣を歩いてくれるのか。見守ってくれるのか。それを知りたかった。
だから―――
「……そうだね」
それは一瞬。
今まで星空のように輝いていた少女の瞳が、どこか曇ったような気がした。
けれどすぐに、いつも通りの笑顔に戻り、
「うん、お姉ちゃん約束する。これからフェルーが人間とお友達になって、世界中のみーんなと仲良くなったら、お姉ちゃんも皆と一緒に遊ぶ。いっぱいいっぱい、フェルーが幸せになれるぐらい、いーっぱい遊んじゃお」
「ほんと? うそつかない?」
「大丈夫。私はフェルーに、ぜったい嘘なんかつかないよ」
彼女はやっぱり笑っていた。それを見て、『少年』も笑う。
もしかしたら、彼女の笑顔を見られるのなら何でもよかったのかもしれない。たとえ人間と友達になれなくても、唯一の家族が笑ってくれるのであれば、それで。
「じゃあフェルー。寝る前に、最後に一つだけ」
幸せな日々の中に生まれる、ちょっとした約束。
誰もが子供の頃に親とするような、些細なもの。
「これが最後の約束だよ? これを守れたら、フェルーはもう一人前だ」
おだてるみたいに彼女は言って、隣にいる『弟』を、愛おしそうに見つめている。小さく薄く微笑んで、優しく丁寧に頭を撫でる。
「これがお姉ちゃんとの、最後の約束。もしもフェルーが、困ってる人を見つけたら。助けてって泣いてる人を見つけたら―――」
風の音も聞こえない、静寂だけが世界を包む夜の森で。
あの日、何かが始まったのだ。
「―――フェルーはその人の事、ちゃんと助けてあげられる?」
そこから先の記憶は、空白。
彼女の言ったその約束に、果たして自分は、頷いたのか、拒絶したのか、今となっては思い出せない。
けれども確実な事が一つ。
あれは決して、『約束』なんかじゃなかった。
少女にその意図はあったのか、それとも無意識だったのかは分からない。だけど『彼』にとってそれは、約束と言うには程遠い。
夜の森で打ち込まれたのは。
あまりに強過ぎる、『呪い』だった。