オープニング2『世界最強の魔法使い』
二〇五三年。
全世界に『魔法教育』が行き渡り、全人類が魔法を使えるようになった時代。
そんな魔法全盛の時代の中でさえ、世界一と称されるほどの魔法産業都市。
そんな街の、一番の大通りにて――――
「それでそれでそれでそれで? フェグルス先輩はこんなトコで何してたんスか? あれー! まさかこんな『雑魚』相手にバカ騒ぎしてたとかじゃないッスよねー!? うひゃーダセー! 猿に追いかけ回されるフェグルス先輩! 大丈夫ッスか~? よちよち怖かったでちゅね~、泣かなくて偉いでちゅね~、漏らしたオムツは自分で取り換えてくださいね~。くひひっ」
「…………」
「あれー、なんスかなんスか黙っちゃって。年下に好き勝手言われちゃってんのに悔しくないんスかー? あ、分かっちゃった! フェグルス先輩ってぇ、年下美少女に罵られると興奮しちゃう変態さんなんだー! うーわ絶対そうッスよねー! キモ! 変態! 犯罪者予備軍! そんなに馬鹿にされたきゃ自分がしてあげるッス! ざぁーこざぁーこクソ雑魚ナメクジー! 一生アルバイト生活ー! 金無し職無し甲斐性無しー! どースかどースか? ゾクゾクしまス? キュンキュンしちゃってるんじゃないッスかー!? こんなんで喜ぶとか本物のクズっスね! うはー! クズに生きる権利とかねーんでさっさと死んでくださーい! キモ過ぎて笑うんスけど! もう家から出ない方がいーんじゃないスかね! キモいから! にはははははははははははははは!!」
溢れ出す罵倒。上から目線の態度。そして全力で人を馬鹿にする高笑い。猫耳カチューシャの少女は今日も元気いっぱい、格下相手にふんぞり返る。……相変わらず、分かりやすい性格をしていらっしゃる。
そんな彼女を見て、フェグルスと呼ばれた少年は腹の底からため息をつく。
顔をしかめ、天を仰ぎ、ついには両手で顔を覆い隠してボソリと一言。
「……めんどくせぇ……」
「えーなんスかその反応! 構ってあげてんのに人のこと厄介モンみたいに!」
「『みたいに』は余計だ。厄介そのものだお前なんか」
雑魚相手にバカ騒ぎ……だと? 何を言ってるんだコイツは。
あの凶悪な化物が『雑魚』に見えたのか? さっきまで繰り広げていた死に物狂いの逃走劇が、ただの『バカ騒ぎ』に見えたのか?
だとしたらこの少女、本当に人間の領域を逸脱している。
まあ……魔獣である自分が、何を言えた義理でもないのだが。
「お前、これ大丈夫か? こんな堂々と馬鹿デカい魔法ぶっ放して……」
魔法が当たり前の時代と言えど、魔法が危険な技術である事には変わりない。
それゆえ、魔法の使用は『規模』『職業』『場所』の三項目で厳しく規制されている。
【魔法の使用に関する条約】
その1・『規模』
……一定規模以上の魔法の使用を固く禁ずる。基準値を下回る魔法の使用に関しては、基本的に取り締まらない。
その2・『職業』
……治安維持を目的とした組織(『執行部隊』等)は、非常事態に限り、一定規模以上の魔法の使用を許可する。
その3・『場所』
……その他、いかなる場合も魔法の使用を禁ずる区域、無条件に魔法の使用を許可する区域等、各所の規定に従うべし。
ちなみに先ほど少女が放った魔法は、『規模』『職業』『場所』全てにおいて条約違反。たとえ街に魔獣が現れても、一般の魔法使いに許されているのは魔獣の拘束・足止め、あるいは住民の避難誘導くらい。魔獣の『討伐』までは許されていなかったはずだ。
だというのに……。
「お前、学生だろ。学校って規律とかも超厳しいんだろうし。……助けてくれたのはホント感謝するけど、学校から目ぇつけられても知らねえからな」
ぶっきらぼうな口調のせいで乱暴な印象になってしまったが、これでもフェグルスとしては、精いっぱい心配しているつもりだった。
それに対してだ。
猫耳カチューシャの少女は、極めてシンプルな返事をした。
「……ぷっ」
吹き出した。
「ぷははははー! 魔法も使えねークセに自分より他人の心配スか!? んもー真面目ちゃんぶっちゃって! ほーんと滑稽な性格しるッスね先輩! にひひ!」
いじわるっぽく笑う少女に、フェグルスはがっくり脱力。
こちらが心配するだけ馬鹿みたいだ。
「……野蛮人って、まさにお前みたいな奴の事を言うんだろうな……」
「えーなんスかー!? 今日の先輩はいつにも増して辛辣ッス!」
「当たり前だろ。他人を吹き飛ばした挙句馬鹿にするような奴はお断りだ」
「でも助けてあげたじゃないッスか!」
「助けてくれたのは感謝してる。けど俺を吹き飛ばしたのはわざとだろ。分かってんぞ、何度お前のイタズラに付き合わされたと思ってんだ」
それを聞いた少女は「ありゃ?」なんて分かりやすく舌を出し、
「ふへへ、バレてます? 先輩バカだからゼッテー分かんねーと思ったのに!」
「……もういい、お前とはもう何も喋りたくない。今すぐ俺の視界から去れ」
「えー! そんな寂しい事は言わないでくださいよー! 傷付くッス! 自分、先輩には優しくしてもらいたいッスー!」
「優しくして欲しい奴を吹き飛ばすな、そして罵るな。……てかなんで俺が『先輩』なんだよ。学校も通えてねえのに、俺」
「いいじゃないスか別にぃ。細かい事ばっか気にしまスねー。……細かい男はモテねーッスよ?」
はいはい、どうせモテねえよ俺は―――フェグルスは心の中だけで言い返す。
別にモテたいわけじゃなかったが、こうもハッキリ言われると、それはそれでグッサリ心に来るものがある。
「でもまーご安心を。先輩が心配するような事にはなりませんから」
密かに傷付くフェグルスに気付きもせず、少女はニヤニヤと笑い、
「なんせ自分、この世に一二人しかいない世界最強の魔法使い『ゾディアック』の一人ッスからね! ちょーっとハメ外したくらいじゃ誰も文句なんか言ってこねーッスよ!」
「……そーかい」
色々と思うところはあるが、まあ、本人がそれでいいと言っているのだから、それでいいのだろう。
もう何も言うまい。これ以上は余計なお節介だ。
「てか、先輩こそなんで魔獣に追いかけられてたんスか? あれスか、尻尾でも踏みましたか」
「そんな野良犬の尻尾踏んだみたいな……。違ぇよ、バイト中だったんだ」
「バイト?」
そう、アルバイトだ。
これは、ようやく見つけた仕事だったのだ。
「街の清掃業務のアルバイトだよ。掃除してたんだ、道路とか建物の壁とか色々。そしたら突然、道路の下からソイツが飛び出して来たんだよ。お前に踏まれてるソイツがな」
少女に踏まれている魔獣の死体を指差して、「まったく……おかげで台無しだ」と、フェグルスは参ったように吐き捨てる。
本当に台無しだった。
街が、というより、コチラの立場が。
―――魔法が使えて当たり前の時代。
―――魔法があらゆる物事の価値基準になった時代。
―――それはつまり、普通に生活するにも魔法が不可欠になった事を意味する。
単純な話……魔法が使えないフェグルスなんて、どこも雇ってくれないのだ。
しかし仕事が無ければ金を稼げず、金が無ければ生活ができない。
魔法が使えないせいで学校にも通えないフェグルスは、教育を受けて手に職を付ける事すらできない。
魔法も使えなければ教養も無い。専門的な技能があるわけでもない。
何もできない無能を必要としている場所なんて、この世界のどこにもない。
そんな不遇なフェグルスを見かねてか、街の清掃業務員のおっさん(水流を操る魔法使い)に、「人手になるだけマシ」という理由で雇われていたのだ。
そんなわけでここ数日、フェグルスは街のあちこちを掃除していたのだ。
……が、結果は見ての通り。
魔獣のせいでせっかく綺麗にした場所が全てメチャクチャにされ、これまでの働きが水の泡と化したのだった。
事の経緯を聞いた少女は、「ははーん」と納得の頷き。
「なるへそなるへそ。で、『巻き込まれ体質』の先輩がいの一番に追いかけられていたと」
「そうそう、そういう事」
「で! 魔獣に追いかけられて困ってる先輩のもとへ、カワイイ後輩が颯爽と駆けつけたと!」
「そうそう、そういう……」
頷きかけて、フェグルスは「は?」と。
「なーんだやっぱりご褒美案件じゃないスかー! ささ、どうぞどうぞ先輩、遠慮はいらないッス! このカワイイ後輩ちゃんにとびっきりのご褒美を!」
「…………」
多分コイツ、冗談で言ってるんじゃない。それがなんとなく分かる。
あろう事かこの少女、真面目に自分の事を可愛い美少女だと思い込み、あまつさえ本当にフェグルスからご褒美をいただけると信じ込んでやがるのだ。
「お前……この状況でよくご褒美なんて要求できるな」
気付けばフェグルスと少女、そして魔獣の死体を囲むように、大勢の野次馬達が群がっていた。おそらく魔獣が討伐された気配を察して、避難場所から出て来たのだろう。
……この街に魔獣が現れるなんて、さして珍しい事でもない。
……現れた魔獣に住民が追いかけ回される光景も、実はそれほど珍しくない。
そんな物騒な街であっても、彼女の魔法は十分に『異常』なレベルだった。
「助けてくれたのはホントに感謝してるよ。ありがと。にしたってあれはやり過ぎだ。『執行部隊』に怒られても知らねえからな」
「そこら辺も心配ご無用ッス。自分、『執行部隊』とはちょっとしたコネがあるんで、色々甘くしてくれるんスよねー」
「あ、そうかい……」
「逆に先輩はクッソ怒られるでしょーね! 街をこんなグチャグチャにしちゃったんスもん! にひひ!」
「……そーですかい……」
あからさまな立場の差に理不尽を覚えかけるが、しかしそれも仕方がない。皆が使えて当たり前の魔法を、自分だけが使えないのだから。
その上、目の前にいる猫耳カチューシャの少女は、そんな魔法時代の頂点だ。
世界に一二人しかいない世界最強の魔法使い―――それがこの少女。
対して、世界で唯一魔法が使えない社会の底辺―――フェグルス。
平等なんて、望むべくもない。
「……そりゃよかった。さすがは世界最強だ、恐れ入った」
わざとらしく両手を上げ、フェグルスは降伏宣言をしてみせる。
一応、相手をおだてるつもりで言ったのだ。この少女なら、上手いこと調子に乗ってくれるだろうと思って。
しかし意外にも、少女はどこか不服そうに口を歪め、
「はーん、そういう言い方しまス……」
独り言のように呟いて、彼女は何を思ったのか、右手を頭上に掲げてみせた。
異変が起きたのはその時だった。
……少しずつだが確実に、見えない『何か』が少女の右手に集結していく。
「『龍脈』。『地球に流れるエネルギー』みたいなモンなんスけど……知ってるはずッスよねー? 何度も自分のイタズラに付き合ってくれた先輩なら」
「ん?」
その『何か』は少女の右手を中心に渦を巻くと、次第に膨れ上がり、広がり、周囲の空気を赤く染めるほど強大に成長していく。
……と思った次の瞬間だった。
ガカァッ!!!!!! と、少女の右手の中で強烈な光が炸裂した。
直後にはすでに、少女の手には見た事もない『剣』が握られていた。赤と黒が不気味に輝く、全長五メートルは超える長大なブレードだ。
少女は右手に握ったその『剣』を、頭上でブンブン振り回しながら、
「自分の魔法、メチャクチャ単純なんスよ。ただのエネルギーをテキトーな形にして、ぶん回すだけなんで」
「……待て。何するつも」
「で、これは素朴な疑問なんスけど」
フェグルスの言葉など無視し、少女は恐ろしいほどニッコリ笑顔で、
「『これ』を全力で先輩にぶつけたら……さてどーなっちゃうんスかねー?」
嫌な予感がした。
というか、確実に嫌な事が起こりそうだった。
フェグルスは思わず後ずさりながら、
「……おい、冗談だろ? マジでやるつもりじゃないよな!? いや見ろよ周り! この野次馬が目に入ら―――」
「大惨事にしたくなきゃ本気で受け止めてください! フェグルスせーんぱい!」
少女は『龍脈の剣』を両手で握り締め、思い切り振り上げる。
「ほいじゃ、行くッスよ!」
「よせ! 来るな!」
制止の言葉なんて何の意味も成さなかった。
もはや大地を叩き割らんばかりに巨大化した『龍脈の剣』を。
「『龍脈使い』龍姫凛! 押して参るッス!!」
赤い髪の少女―――龍姫凛は、フェグルスに向かって全力で叩き付けた。
たったそれだけで。
ッッッズン!!!!!! と。
小惑星でも激突したかのような衝撃が、都市全体を縦に大きく揺さ振った。
とんでもない衝撃が街を席巻した。
一斉に捲れ上がったアスファルトは破片となって宙を舞い、街路樹は軒並み吹き飛ばされ、周囲に並ぶ建築物のガラスというガラスが一つ残らず砕け散った。
上から下へ、たったの一振り。
だが、現実に起こる破壊現象は悪夢に等しかった。
蜘蛛の巣のような亀裂が大地を駆け巡った。『龍脈の剣』が放つ圧力に耐えかねたのか、龍姫凛の足元にあった魔獣の死体が木端微塵に弾け飛ぶ。
あまりに理不尽な破壊力が、一人の少年に容赦なく振り下ろされた。
勝敗は決した。誰の目にも明らかだった。
にも拘らず、少女の顔は不満げだった。
「世界最強……。ホント、どの口が言ってんスかね?」
明らかに彼女の魔法は、街一つを呑み込まんばかりだった。
だというのに。
次第に粉塵が晴れ、辺りの景色が鮮明になったその時。
「―――お……ま、えは何してんだよ! マジで大惨事になるとこだったぞ!?」
龍姫凛の視線の先には、無傷で地に足をつけるフェグルスの姿があった。
振り下ろされた『龍脈の剣』を左手一本で受け止めた少年は、それをそのまま握り潰す。直後、パァン!! という破裂音を伴って『龍脈の剣』は霧散した。
「……はーん、なるほどー」
凛はグルリと周囲を見渡す。
ごった返していた野次馬達は、彼女の放った魔法の余波で大きく後方に吹き飛ばされていた。しかし幸い、負傷者は出ていないようだった。
……出ていない事が、そもそもおかしい。
「今の一撃、この辺り五〇〇メートルぐらいは更地にできたはずなんスけど……その左手で強引にエネルギーを分散させましたか。いやー! さすがはフェグルス先輩ッス!」
「一体誰に解説してんだお前は! てか五〇〇メートル? 更地!? マジで言ってんのか!? お前っ……ほんっとシャレになんねえからな!?」
「だーいじょーぶッスよー。先輩なら受け止めてくれると信じてましたから」
「信頼一つで街を更地にするような真似すんなや……!」
これがフェグルスの持つ『力』―――その一端。
世界最強の魔法すら容易く受け止め、破壊できる……かつて多くの命を奪った『魔獣の力』。
フェグルス本人が、この世で最も忌み嫌うもの。
……今のが『受け止める』だけで終わって良かったと、フェグルスは心から思う。
龍姫凛が放ったあの魔法、あと少しでも威力が高ければ、本格的に『力』を使って真っ向からぶつかりに行かなければならなかった。そうなっていたら、被害は今の比ではなかったはずだ。
危なかった。本当に。
内心バクバクしながらも、フェグルスは必死に平静を装う。
「先輩の体、マジでどーなってんスか? そんなに馬鹿げた力が出るのに『魔法が使えない』とか言っちゃって。詐欺じゃないスか詐欺、卑怯ッス」
「勝手に卑怯者にされても……仕方ねえだろ、ホントに使えねえんだから」
こればかりは本当だった。
そもそも魔法とは、『魔力』を特定の内臓器官を通して活性化させ、超常現象を起こす技術の事を指す。つまり、魔力を魔法に変換する器官を持たない生物は、魔法を使えないのだ。
そして現在その器官は、人間以外には見つかっていない。
ならば当然、人間ではない……魔獣であるフェグルスに魔法を使えるわけがないのだ。
義務付けられた定期的な魔法試験では、ゼロ点以外を出した事がない。
どれだけ頑張ろうが踏ん張ろうが、炎を生み出す事も、水を操る事も、植物の成長を早める事もできない。
さらには正体が正体なだけに、己の『力』を公表する事もできない。
結果的にフェグルスは、『魔法が使えない無能』という烙印を受け入れるしかなかったのだ。
(……バレてねえだろうな、俺の正体……)
人間に紛れ、人間のフリをし、人間の街で暮らし始めて、かれこれ一〇年。
無能な人間を演じる事でなんとか誤魔化してきたが(演じるというか、無能なのは正体関係なく事実なのだが)しかしどうだろう。やっぱり怪しまれるだろうか。
そんな事をつらつら考えるフェグルスを見て、
「はっはーん! 自分、分かっちゃいました!」
龍姫凛は顔をニヤニヤさせて、
「さては先輩、あれでしょ……『俺は真の実力を隠した闇の使者だ』とか心の中で呟いてるタイプなんでしょ! んはー! 良い歳してまだ中二病とか恥ずかしくないんスかー!? にひひ!」
「……はぁ」
この時ばかりは、彼女がこういう性格で助かったと思う。
馬鹿にされるのは良い気分ではないが、正体がバレて騒ぎになるよりは断然マシだ。そう思われているなら、もうそういう事でいい。
……チューニビョーというのが何かは知らないが。
「そう、そうだよその通り、俺は実力を隠したチューニビョーだよ。悪かったな」
「むっ」
挑発のつもりだった中二病扱いが軽く受け流され、少女はムスッと面白くなさそうなツラ。口をへの字に曲げながら、彼女はデコピンみたいに人差し指で何かを弾くような動作をしてみせる。
次の瞬間、ズドッッッ!! と高密度の龍脈がフェグルスに向かって放たれた。
「おう!?」
稲妻のような速度と勢いだった。
直撃寸前で反応したフェグルスは、危ういところで『龍脈の稲妻』を素手で上空に弾き飛ばす。
「なん……何なんだお前はマジで!!」
「いや、なんか反応薄いなーって思いまして」
「反応が薄いだけでお前は人に最強レベルの魔法をぶっ放すのか!? この衆人環視の中! 何の躊躇いもなく!」
「やだなー、誤解しないでほしいッス。こんな事するの先輩にだけッスから」
「俺に対してもぜひやめろ!」
何の恨みがあってこんなに突っかかって来るのだろう、この少女は。
疑問には思うが、前に一度「なんでいちいち絡んで来るんだ」と訊いたら冗談にならないくらい少女が不機嫌になってしまい、それ以来、理由を尋ねるのは何となくタブーになっているのだ。
まあ何にしても、これ以上関わって良い事は無い。
「……で、色々ぶっ放して気は済んだろ。俺は『執行部隊』に怒鳴られる前に逃げるから。じゃ、また」
適当な調子でそう言って、フェグルスは凛に背を向けて手を振ってみせる。
だけど。
「逃がすと思ってまス?」
言葉と同時、ヂッ!!!!!! と『何か』がフェグルスの毛先を掠めた。
再び放たれた『龍脈の稲妻』が、少年の頭のすぐ横を突き抜けたのだ。
稲妻は空間に赤黒い残像を焼き付けて、数十メートル先の地面に着弾して盛大に爆散させる。
「知ってまスか先輩。実は自分ら、まだ正々堂々と戦った事ないんスよ?」
「……ああ知ってるよ、いつも俺が逃げてばっかだったから」
緊張気味に息を吐き、フェグルスは静かに凛の方を振り向く。
さっさと逃げる腹積もりだったが……今回ばかりはそうもいかないらしい。
「で、どうでス? この場でさっさと決着をつけるってのは」
「……とりあえず日を改めて、ってのは」
「認めると思いまス?」
そう言って、龍姫凛は憎たらしく笑う。
その顔は言外に「逃がさねえよ」と告げていた。
……なるほど、逃げられないらしい。
どうやら戦うしかないらしい。
今、ここで。
「あぁ……そうかよ……!」
都市の大通りで、少女と少年が向かい合う。
片や世界最強の一人である龍姫凛が、餌を見つけた肉食獣のように目を輝かせ、舌なめずりし。
片や魔法も使えないフェグルスが、頬を伝う汗に気色悪さを覚えながら、複雑な表情のままゆっくり拳を握る。
衝突は必至。逃走は不可能。
そして一つの挙動と共に、再び時間が駆け始める。
先に動きを見せたのはフェグルスだった。
落ちこぼれの無能と、世界最強の魔法使いが―――――
激突する。
「あー!! あんな所に今話題の絶品スイーツの移動式屋台がー!!」
「マジッスか!? どこどこどこ! どこスかスイーツ!?」
明後日の方向を指差しながらフェグルスは叫び、その馬鹿みたいな嘘を信じた凛が指差した方角に振り向いた。
今がチャンスとばかりに、フェグルスは一八〇度方向転換。凛に背を向けて全力疾走していた。
「……? ちょっとなんスか先輩、無いじゃないスかそんな屋た……い?」
少女が再びフェグルスの方へと向き直した時にはもう遅い。
彼の背中はもう、遥か彼方へ遠ざかっていた。
「……はぁぁあああああああああああああああああああああああああああ!?」
一拍遅れて驚愕の声。
凛は今さら後を追うように走り出す。
「なんで逃げてんスかあ!? 卑怯者ー! 意気地なしー!!」
「何とでも言え! やってられねえこんなもん!」
「あー言ったッスね!? そっちがその気ならやってやるッスよ! こうなったらとことん追いかけまスからね! 今度こそ自分と本気で戦うッスよー!」
またもや始まる鬼ごっこ。
迫り来るのは正真正銘、天下無双の世界最強。
容赦など微塵も無かった。逃げるフェグルスの背後から『龍脈の剣』が頭上数センチを引き裂いたり、体のすぐ脇を赤黒い光線が音速で突き抜けて行ったり、一撃必殺レベルの魔法が次から次へと襲い掛かる。
魔獣に追いかけ回され、今度は世界最強の魔法使いに追いかけ回され……。
これはなんだ? 運命というやつか?
何かに追い回されなきゃ、日常を生きることもままならないのか。
「頼むからもう勘弁してくれ!!」
「嫌ッス!!」
「俺だって嫌だよもぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
……『あの日』から、一〇年。
全てを失い、全てを奪った『あの日』から、一〇年。
魔法を使えない化物は、魔法使いの街を、再び叫びながら爆走していく。