第二章10『いつも通りの平穏な日常』
小さく、ちっぽけなはずの彼女の声が、明確にその場へ響き渡る。
「……は……?」
思わず、固まる。
完全に思考の止まったフェグルスは、凍り付いたみたいにティーネを見下ろしていた。
震える少女を、ただ見下ろしていた。
「……どうやってあたし、ここまで逃げてこられたと思う?」
叫ぶでも、騒ぐでもない。
それでもティーネの声には、心が怯えてしまうほどの圧があった。
絶望の底に落ちたどす黒い声が、粘着質に全空間を覆い尽くす。
「どう……やって……?」
どうやってここまで逃げてこられたのかと……ティーネは確かにそう言った。
思えば確かに不思議な話ではあった。もしも本当にティーネが、どことも知らない場所の『研究施設』で非人道的な人体実験の餌食にされていたのなら、彼女はどうやってそこから逃げ果せたというのだろう。
「……暗い、暗かった……」
うわ言のように、彼女は言う。
「暗くて、寒くて……独房に投げ捨てられてたの、いつもみたいに……。そしたら突然、体、熱くなって、苦しくなって……痛くなって。……気を失っちゃってたのかしら、その先の記憶はないの。でも……目を覚ました時には全部なくなってた」
心臓が沈む。そう錯覚した。
彼女の言葉の重さが、フェグルスの上から覆い被さる。
「研究施設も……ほかの、実験体も……周りの町も村も全部……」
彼女の言葉に、眩暈すら覚えた。
「みんな死んでた、バラバラになって。なのにあたしだけ無傷なの。……あり得ないじゃんね、そんなの……。あたしがやったんだってすぐに分かった」
何を言ってるんだ。今こいつは何を話してるんだ。何を伝えようとしてるんだ。
無意識のうちに、フェグルスは頭を抱える。そのまま数歩だけ後ずさって、震えるティーネを呆然と見つめていた。
――――ああ、駄目だ、訳が分からねえ。
いっそ笑いたくなるぐらい、頭の中はしっちゃかめっちゃかだった。
彼女の言葉をどう解釈すればいいのかも分からなくなっていた。
「……何言ってんだお前……」
だから、そんな言葉しか出てこない。さっきからそれしか言っていない。
だって本当に分からないのだ、いま何が起きているのかが。
『原点』? 人体実験? 暴走?
確か自分は少し前、大通りで、セートカイチョーのツクモと劇がどうだ主役が誰だと、そんな他愛のない話をしていたんじゃなかったか。
それが……どうしてこうなった? どうしてこんな事に巻き込まれた?
今、自分は、何と関わっているんだ?
「……悪いわね、急にこんな話して。変だって思うでしょ。気持ち悪いって思うでしょ。あたしもそう思う、ほんとに……」
小さく俯いたまま、ティーネは背中を預けていた瓦礫に手を突きながら、全く芯の通っていない体をどうにか立ち上がらせようと足に力を込めた。
駄目だ、立ちあがったら―――思わず手を伸ばしかけるフェグルスを、
「来ないで」
言葉だけで制する。
杭を打ち込まれたように足を止めるフェグルスは、その時、妙な事に気付いた。
「ほんと……なんでだろ。なんであんたなんかに、こんなこと話しちゃったんだろ。あたしもワケ分かんないや、全部」
何度もよろけて、倒れそうになって、膝を折りかけて、それでも立ち上がる少女を見て。
ふとした、疑問。
「お前……いつから……」
魔法使いの攻撃を受けたせいか、着ていた純白のブラウスはあちこちが少女の血で汚れ、切り裂かれ、そこから白過ぎる肌が露出していた。
当たり前のことだ。だからこそ、それはおかしい。
肌が……綺麗過ぎる。
「いつから傷が治ってた?」
「…………」
ティーネは無言だった。
あれだけの傷が、こんな短時間で完治するわけがない。それこそ何かしら、魔法の力でも応用しない限り―――
だとしたら、これがティーネの魔法なのか。
「……包帯なんていらなかったのよ。最初から」
彼女が言っているのは多分、空から降って来たあの日の事。
フェグルスが巻いてやった包帯の事。
「だから言ったじゃない、余計なお世話だって。どんな傷もすぐに治るの。意外と便利よ? ……こんなの、実験動物にはちょうどいいわよね」
「――――!!」
まだそんな事を言ってるのか。自分をそんな言葉で呼ぶのをやめろ。お前は人間だ、実験動物なんかじゃない。だからそんなこと言うな。……とか。
言おうとしたが、言えなかった。
フェグルスが何か言おうとしたのを察したティーネが、鋭い視線で彼の両目を真正面から睨み付けたのだ。まるで「何も言うな」と拒絶しているみたいに。
ただ、その目には。
あの日ほどの光も、殺気も、その影さえも見当たらなかった。
その上、
「ごめん。……本当に、ごめん」
あろうことか、らしくもなく謝る。
……らしくもなく? 本当に?
数日前、時間にしたら一時間もあるかないか程度の付き合いで、彼女の何を分かったつもりでいる。
目を背けていた化物に、分かったつもりになる資格がどこにある。
「関係ないのに巻き込んだ。だから、ごめん。今さら過ぎるけど……ごめん」
何を言えばよかった。
見捨ててしまった少女に対して、どんな言葉を掛けるべきだったんだ。
正しい言葉が見つからない。
心は暴れている。なんで謝るんだと叫びたかった。感情に任せて「巻き込めよ」と言ってやりたかった。でもそれを言う資格が、自分にあるのか?
分からない。分からなかったから。
「……本当だよお前、あれこれ巻き込みやがって」
頭に浮かぶ色んな言葉を、フェグルスは必死に呑み込んでそう言った。
「ほんと、ごめんで済むかよ。空から降って来るわ他人んちをめちゃくちゃにするわ。お前あれ、片付けにどんだけ時間かかったと思ってんだ」
「あれはあんたが悪いわよ、急に変なとこ触られたら誰でも暴れるっての。正当防衛よ」
「何が立派な正当防衛だ、過多だよ過多。あちこち傷付けやがって……修理費稼ぐのだって楽じゃねえんだぞ」
考えてみれば、最初からフェグルスは巻き込まれていたのだ。
関わって、足を踏み入れて、そして首を突っ込んでいた。
あの時、倒れた少女を介抱してしまったその瞬間から。
「だから本当に今さらだよ。なんで今さら……もう遅いだろ」
もう無関係じゃいられない。知り合いが何人か殺された。お前を助けてしまった。あの狂った魔法使いに喧嘩を売って、こんなにもボロボロにされてしまった。とっくに自分は関わってしまったんだ。
だから。
「何言ったって、手遅れなんだよ……もうとっくに巻き込んでんだから」
お願いだから、このまま巻き込んでくれ。
謝るな、後悔するな、そのまま自分を乱暴に引き摺り込んでくれ。
あの日の朝みたいに、強引に、目も背けられないぐらいに。
俺に、巻き込まれる理由をくれ。
「…………」
理由を他人に求める。それがどれだけ醜悪なのかはフェグルスだって分かっている。あんなに自分から関わりたくないと豪語しておきながら、掌を引っくり返したように、今度は拒絶した相手に理由を求めているのだ。どれだけ最悪なんだ。
多分、だけど。
そんな中途半端なフェグルスの心境を、ティーネはとっくに見抜いていたのだ。
今じゃない。あの日の朝からとっくに見透かしていた。
だからなのか。
見抜いていたからこそ、ティーネは――――
『巻き込んじゃダメだって思ったのよ』
「ごめん……」
悪魔の一言だった。
その一言がフェグルスの心を真っ二つにする事も承知の上で、ティーネはそんな言葉を口にする。
「後は、あたし一人にやらせて。あんたはちゃんと逃げて。ここまで助けてくれたのに、ここまで巻き込んだのに、今さらこんな事言って、ふざけんなって思うかもしれないけど……でも、本当に……ごめんなさい」
巻き込むべきじゃなかった。
ハッキリと、彼女はそう言った。
「散々巻き込んで、あたしを助けさせたのに、勝手なこと言ってごめんなさい。乱暴な事をして、ごめんなさい。家の事も、ごめんなさい。全部……ごめんなさい。でも本当は、これはあたしの問題だったから。あたしが招いちゃったことだから」
次々と、消えていく。
自ら謝る事で、フェグルスとの因縁を、関係を、終わりにしていく。一方的に解決していく。繋がりを絶っていく。もう文句の言い合いもできないぐらい、何もかもを消していく。
駄目だ、そうじゃない。俺が求めているのはそれじゃない―――
何か言わないと、何か言って引き留めないと―――
そうやって心だけはひたすら焦るのに、言葉は出てきてくれなかった。
「ごめん、こんなになっちゃって。あんな魔法使いにも、目、つけられちゃったかも……。でもあたし……今あたしには、こうする事しか思いつかなくて、だから」
逃げて、なんて言う。本当は自分が一番逃げたいくせに。
何も言えずに佇む事しかできないフェグルスを見て納得したのか、それこそ隙を突いて逃げ出すみたいに、ティーネはその場を去ろうとする。
「……ふ、っ」
それを、なんとか呼び止めようとした。
「ふざけるなよ!?」
色んな言葉が頭の中でこんがらがって、咄嗟に叫べたのがそれだった。
ティーネの小さい肩が、おびえたように跳ねる。
「お前なに言ってんだ! 逃げてって、逃げたいのはお前だろ!? 死にたくないからここまで逃げて来て! なのに、こんな今さら!? 俺にこのままここで見殺しにしろってのか!」
こちらに背中を向けて固まるティーネに向けて、息の続く限り喚いた。
「死にたくなかったんじゃないのかよ! なんでお前……クソっ! ふざけんな! てめえもあの魔法使いと一緒だクソ野郎! 自分の事をゴミか何かだと思いやがって! ここまで逃げてきて、なのにまた死にに行くのか!? 訳分かんねえ! 死にたくなくて何が悪いんだ!? 生きたっていいだろ別に! だってお前っ……自分の命だろ……!」
フェグルスの言葉が、突き刺すような勢いで少女へと打ち込まれる。
とてもじゃないが聞くに堪えない、馬鹿みたいな言葉だった。
「……なんなのよ……」
ティーネがボソリと呟いた声は、フェグルスには届かなかった。
「あんたってほんと」
「はあ!?」
―――――――責められるかと思った。
「なんだよ、また訳の分かんねえこと言うつもりかよ!? 悪いけどもうそういうのはうんざりだ!」
ティーネは。
こんな厄介事に巻き込んでしまった事を、死ぬほど責められるのかと思っていた。
どんな罵詈雑言も、恨み辛みも、受け止める準備はできていた。それら全てを切り捨てる覚悟もできていた。
それなのに、フェグルスは。
「『原点』も人体実験も知ったことか! そんな細かい理由なんかいらねえ! もういい、考えるだけで面倒だ、頭が痛い、どうでもいい。とにかくお前は命を狙われてる、そうだな。それだけでいい。こうなったら力づくでも連れて行くからな。あんなクソみたいな野郎に! これ以上人の命を好き勝手にさせて堪るか!!」
それでもまだ、助けるつもりでいるのか。
こんな『実験動物』を。
「どんだけ馬鹿なの」
彼女の独り言なんて、喚き散らすフェグルスに届くはずもない。
フェグルスはティーネの背中に向けて、ひたすら言葉をぶつけていた。
「俺は、そりゃ無関係の奴かもしれないけど、でもお前を逃がす事ぐらいできるんだよ! あんな話聞いて今さら引き下がれるかよ!」
「引き下がれなかったら」
ティーネの声は。
叫ぶフェグルスとは違って、小さく、柔らかく、包み込むように優しくて、
「どうするってのよ」
心の全てを抉り返すように残酷で、強烈で、鋭かった。
「何ができるの」
「ぇ」
「逃げて、それで……あんたに何ができるの」
どうしようもない現実が、言葉となってフェグルスに襲い掛かる。
分かりやすい暴力じゃない。物理的な衝撃があるわけでもない。ただの言葉。ただの声。
それなのに。
「それは……」
何も言い返せなかった。何も答えられなかった。
だって彼女の言っている事はどうしようもないほど真実だった。
ティーネを逃がす事は簡単だ。彼女のために戦う事だって簡単だ。でも、逃げるだけじゃ、戦うだけじゃ、ティーネの抱える『暴走』という根本的な問題が解決しない。それが解決しなければ永遠に彼女は追われ続ける。
そもそも、誰にも解決できないと判断されたからこそ、彼女は『処分』されるしかなくなったんじゃないのか。
誰にも、何もできない。
魔獣の『力』があったって、彼女の抱える問題を叩き潰す事はできない。
しいて可能性を挙げるとすれば、魔法や魔力の知識にも深く精通しているシルフィだが、他でもなく彼女本人が「分からない事だらけだ」と断言している魔力の問題を、彼女がどう解決できると言うんだ。
「そ、それは……何ができるかなんて、んなの試してみないと……!」
試す? この状況で?
現在進行形で、ティーネ一人を追うためだけに大量の人間をゴミか何かみたいに殺戮する異常者が迫ってきているこの状況で?
試したい事があるからちょっと待っててくれとでも言うつもりか?
そんな事をしている間に、どれだけの人が死ぬ?
「でも、だって……やってみないとできるかどうかは――――」
できるかどうかも分からない事に、他人を巻き込むのか?
よりにもよって自分がそれをするのか?
厄介事に巻き込まれる事を嫌って、目の前の少女一人にすら目を向けられなかった自分が、他人を無理やり厄介事に巻き込んで危険にさらすのか?
そんな事をする権利が、資格が、自分にあるのか?
「ちがっ……お、俺は……」
そして、どうにもできなかった時はどうするつもりだ。
どうにかする、どうにかできる、そんな風に簡単に言って、やってみたらどうにもならなかった時、「残念だった」の一言で片づけるつもりか?
散々他人に希望を見せつけておいて、それを裏切れるのか?
夢見た希望が叶わなかった時の苦しさは、無力感は、絶望は―――
『今までありがとう。さよなら、フェグルス』
―――誰よりも、自分がよく知っているはずなのに。
「……俺は」
ティーネを助けるための理由を探す。
誰もがティーネを助ける事に賛同できるような、絶対的な論理を探す。
だって、おかしいだろ。一人の人間が実験動物のように扱われて、人間とも思われないまま傷を負って、そのまま殺されてしまうなんてどう考えても間違ってる。そんな不平等、そんな理不尽、見過ごしていいわけがない。
この世界は不平等なんだ、とか、理不尽なんてあって当たり前だ、とか、現実を語るだけだったら簡単だ。でもこんな現実を容認してしまったら、もう何が正しくて何が間違っているのかの指針すら消えてしまうじゃないか。
だから、あるはずなんだ。
彼女を助ける理由が、絶対どこかに―――――
「あたしも」
ティーネの声に、全てが断ち切られる。
「あたしも、ほんとは逃げたいわよ」
「―――っ、だったらなんで!」
「でも、それ以上に」
何かを覚悟するみたいに、少女は一度大きく深呼吸して、
「巻き込みたくないの……もう、誰も」
それだけだった。
「誰も、あたしのせいで、死んでほしくないの」
少女の震えた声は、もはや懇願に近かった。
「巻き込んじゃえって思ってたのにね、最初は。誰でもいいから利用して、生き抜こうって。……でも、もうできなくなっちゃった。無理だって思っちゃった」
うわ言のように吐き出されるティーネの言葉は、ちっぽけだったはずなのに、どうしようもなく重い。
「誰かが死ぬのも、傷付くのも、もう嫌になっちゃった。あたしが逃げたら、今度は誰が巻き込まれるの? また誰かが死ぬの? 意味もなく、当たり前みたいに。……嫌なの、もう誰も、もう、もういいから……誰も巻き込みたくないから」
だから、殺されるつもりなのか。
誰も巻き込まずに、一人で死んでいけば全てが解決すると?
そんな話があって堪るか―――そう言い返そうとした時、フェグルスはようやく気付く。
これは、自分が望んだ事じゃないか。
平凡と平穏を求めて来たフェグルスは、厄介事に巻き込まれない事を強く望んでいたじゃないか。『力』を振るいたくないのだろう? 他人と無縁でいたいのだろう? ならこれこそ望みそのものだ。厄介事が勝手に去って行ってくれるのだ、こんなの好都合じゃないか。
思い返せば、彼女と関わってしまった事も不可抗力に近い。こうやって魔法使いに追われる羽目になったのだって、運が悪かったのだと言える。
なら答えは簡単だ。
自分が望むように生きるためには、どうすればいい。
いつも自分が選択するのは答えは、なんだ。
――――……そういうことかよ。
叩き付けられた事実に、卒倒しそうになる。
つまり、自分の望んでいたものは、こういう事だったのか。
ここまで下らない事だったのか。
ここまで残酷な事だったのか。
「あんたがここまで助けてくれたのは、本当に予想外。嬉しかったし、感謝してる。ありがと。で、巻き込んじゃったのは、本当にごめん。やっちゃいけない事したって思ってる、ごめん。……でも、行かせて」
いま口を開いたら、どんな言葉が溢れてしまうかはフェグルス本人にも予想できなかった。だけど、何度「行くな」と言ったところで、彼女は一人で死にに行くのだろう。殺されに行くのだろう。それほどティーネの意志が固い事は、とっくに理解させられた。
少女は誰かを巻き込む事を嫌い。
少年は誰かに巻き込まれる事を嫌う。
全てが合致してしまった。
何の障害もなく、簡単に正解が導き出される。
「…………」
なんでこの時、この体は、動かなかったのだろう。
力づくで止められたはずだ。無理やりにでも連れて逃げる事はできたはずだ。そしてそっちの方が『正しい選択』だという事も分かっていた。
ならどうして。
この手は、この足は、動かない。
「それじゃ……ごめんね。ありがと、さよなら」
あの日のように素っ気なく、ティーネはただ簡潔に別れを告げた。
手の届く距離にいるはずの少女は、フェグルスに背中を向けたまま一歩を踏み出して、明確な一線を越える。彼らを繋ぎ止めていた細い糸を、自ら断ち切る。
だけど、未練でもあったのか、
「あ、そうだ、忘れるところだった」
走り去ろうとしていた足を急に止めて、彼女は突然そう切り出した。
その声は、揺らいでいて……。
「そう言えば、ちゃんと言ってなかったんだけど」
振り返った少女は、
「あの時の料理、すっごくおいしかったから」
それだけ言って、笑っていた。笑っていたように見えた。
何か言ってやるべきだったのか。でも、言う事なんて。
言える事なんて。
「…………」
今度こそ本当に、言葉が尽きた。声が出ない。喉が枯れたとかそういうのではもちろんなく、もっと根本的なところで言葉を発せなくなっていた。
ティーネはそれでも、走り去ってしまう。
離れていく。届いたはずの少女の背中が、二度と届かないくらい遠くへ。
視線だけでその背中を追って、今にも手を伸ばしてしまいそうで、でも、手を伸ばす事も、追いかける事もできなくて、立ち竦む事しかできなくて。
何もできなくて……。
何もできなかったのは、ティーネが望んだ事だからなのか。
それとも。
……それとも?
「…………」
結局フェグルスはいつも通り。
平穏な日常を、選んだだけなのか。