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第二章08『あいつの名前は』

 




 あまりに絶大過ぎた爆音は、生物が当然のように持っている知覚を全て吹き飛ばしていた。



 視覚も聴覚も真面に機能しない。そもそもこれほど圧倒的な力を前にして、生物的な身体機能を働かせる事にさしたる意味もない。

 何もかも無意味。一つ残らず無価値。

 まさに諸行無常。

 弱者も強者も、貧しい者も富める者も、森羅万象一切合切、いつかは滅びて朽ち果てる。

 ひとえに風の前の塵に同じ。


「よォォォォォォォォォォォォォく頑張りましたァ。はい拍手。キミの無謀で無意味な抗いがここまで届きました。でもそこまで、その程度。欠陥と欠失と欠落しかないクズ肉の努力なんてやッぱりクソでしかないんだ。身の程を知れよゴミクズ。でもゴミクズなのは自己責任。だからこれは当たり前の結末じャアないかア」


 濛々と粉塵が立ち込める空間に、粘ついた声が響いた。

 粉塵の向こうから、少年の影が静かに歩いて来る。


「ボクの勝利だ。これは当然で、必然で、アるべき結果がアるべき形で現れた、それだけの事なのさ。こうなる事は最初から決まッていたんだ。それを理解できないなんて、やッぱりキミはクズ肉だな。アァなんて……風情じャない、興が削がれるじャアないかア」


 声と共に、辺り一面を覆っていた粉塵の暗幕が、ズアッ!! と真っ二つに引き裂かれる。その中からジェミニは姿を現して、


「そォれェでェ―――」


 目の前の光景を、見る。

 地面に倒れ伏している『ソイツ』を見下ろして、問う。


「―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()




 五体満足を保っているフェグルスがそこにいた。




 あの時―――もう押し潰されるしかなかったあの時―――、フェグルスはギリギリの所でティーネを抱えて、落ちて来る地面の範囲から脱出していたのだ。


 本当に間一髪だった。あと数秒でも行動が遅ければ、彼らは地面の染みと化していたかもしれない。

 それでもこうして生き残っている。

 無事と言うには程遠かったが。


「はぁ、はあっ……くそ……げほ! か――――」


 地面と地面を文字通り折り畳み、対象を叩き潰す悪趣味な暴挙。その直接的な影響は免れたが、そこから放たれた爆風と、数百もの砂利の散弾がフェグルスの全身を打ち据えていた。


 うつ伏せに倒れたまま、顔を地面に擦り付けるように動かし、辺りを見渡す。

 数メートル離れた先に、ティーネの体が転がっていた。

 人形にようにピクリとも動かず、生気の欠片も感じない、血まみれの少女が。


「……く、そ……っ!」


 倒れてなどいられない。彼女を、まだ逃がせていない。

 残った力を腕に込める。どうにか、あの少女の許まで辿り着ければ……。

 しかしその時、


「立ッたところで何もできないクセに、そうやッて馬鹿の一つ覚えみたいに抗おうとする。ねェキミ、頭、おかしいんじャないの?」


 フェグルスのすぐ頭上から、声が降る。

 至近距離まで歩み寄っていたジェミニが、その小さい足で、フェグルスの左肩を優しく踏みつけた。

 それだけだったはずなのに。




 ミシミシミシミシミシミシミシミシィィイ!!!!!! と。

 フェグルスの体の内側で、壮絶な悲鳴が炸裂した。




「がっっっ!?」


 全身に亀裂が走っていくようだった。

 脳天からつま先まで縦横無尽に駆け回ったその激痛は、明らかにフェグルスの体を破壊しに掛かっていた。

 痛みへの耐性がないフェグルスの神経が、過剰な信号で焼き切れそうになる。


「ぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 壊れる、割れる、砕ける、裂ける。

 ……壊される? この体が? 同じゾディアックである龍姫凛の魔法を受けても無傷だった、この化物の肉体が?


 桁違い。

 そんな言葉が思い浮かぶ前に、荒れ狂う痛覚で思考が霧散する。

 産まれて初めての恐怖に、フェグルスの精神が圧迫される。


「何度も言うけどさァ……キミ、何のつもり? アそこに転がッてる実験動物を後生大事に抱えて、挙句の果てに逃がすとかさァ、なァ、馬鹿じャないの?」


 ジェミニは口を歪め、歯軋りし、心の底から忌々しそうにフェグルスを睨む。

 瞳の奥に、この世を焼き尽くさんばかりの憎悪の炎を迸らせながら。


「でも見ろよ、その結果がこれだ。クズがゴミを守ッてこのザマだ。これで気付いだだろ、自分の間違いに。その間違いと過ちにボクを付き合わせて、ボクの心を搔き乱して、ボクを馬鹿にしたという事実の重大さに。少しはさァ、罪の意識とか感じろよ」


「……ふざけるな……」


「ア?」


 地獄の底まで轟きそうな重圧の声に、それでもフェグルスは言い返す。

 とりあえず、否定したかった。

 ジェミニの言葉を、この異常者のふざけた言葉を、何が何でも否定したかった。


「クズじゃない、ゴミじゃねえ……人間なんだよ……!」


「ボクの話、聞いてなかッたのかよ」


 左肩に突き刺さる圧力がさらに増した。

 頭を真っ二つにかち割るような痛みを、フェグルスは奥歯を噛んで耐え凌ぐ。


「アレはただの実験動物だッて、散々ボクが言ッてるのに。キミは、ボクの言葉を無視して、蔑ろにして、アレを人間だなんてほざくのか。ふざけるのもいい加減にしろよォオ!!」


 感情がいきなり爆発する。

 ジェミニは、踏み付けるフェグルスに顔を寄せ、耳元で力の限り叫ぶ。


「アレは!! ただの!! 実験動物なんだッて!! 処分されるだけの欠陥品なんだッてェ!! 何度も、何度もッ、何度も何度も何度も何度も何度も何度も言ッて聞かせてやッただろォ!!」


 激昂した勢いで、ジェミニはフェグルスの髪を乱暴に掴み上げた。そのままフェグルスの頭を振り下ろし、力いっぱい地面に叩き付ける。

 たったそれだけの挙動に、斥力を操る力が加わる。



 ゴンッッッ!!!!!! と。

 冗談みたいな轟音が炸裂し、地面が沈んだ。



「アレはァ、ただのォ、実験動物でしたァ」


 地面に押し付けたフェグルスの頭を、ジェミニは乱雑に持ち上げ、


「ただのクズ肉でしたア!」


 空気を引き裂くような速度で、また振り下ろす。


「人間なんかじャアりませんでしたア!!」


 原始的過ぎる暴力の嵐が、フェグルスを襲った。

 何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。


「言え! 言えよ! ボクを! 見習ッて! そう言えよ!! ボクを見習うんだよォ!! アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?」


 ジェミニは何度もフェグルスの頭を振り下ろし、その度に地面が縦に揺れる。

 大地を駆け巡る蜘蛛の巣のような亀裂がますます広がっていく。


「アそこに転がッてる物体はア! クソ共の糞尿塗れの手で何度も何度も体中弄繰り回されて! 遊ばれて使い回されて! グチャグチャに切ッて入れ替えて混ぜて無理やり形を整えただけの! 未完成で不完全な部品の集合品なんだよ!!」


 言葉が、悪意が、否定が、止まらない。


「廃棄物の分際で人間の形を真似して! 周囲を騙して同情を誘ッて付け入るだけの汚物だ! そんなクズ肉よりもボクが劣るわけがないだろ!? 魔法使いの踏み台になるだけの石ころが! これ以上ボクを馬鹿にするなア!! どうしてオマエらはそんなに風情がな―――」


 その時だ。

 ふと何かに気付いたように、ジェミニは言葉を止めた。


 原因は、手。


 今までジェミニに叩き付けられるだけだったフェグルスが、倒れたままの姿勢で、自分の髪を掴んで振り回すジェミニの腕を、逆に掴み返したのだ。


「……は?」


 訳が分からない、といった表情でジェミニが固まる。

 フェグルスの行動の意味を、全く理解できない。

 一体、何を――――


「……廃棄物じゃ、ない……」


 沈み込むような声に、ジェミニの思考が遮断される。

 囁くような音量だったはずなのに、なぜかその声は、鼓膜に突き刺さって来るような力があった。


「クズでも、クソでも、ねえ……。石ころじゃない、廃棄物じゃない……人の、命なんだ。馬鹿にしちゃダメなんだよ……! 俺も、お前もっ、誰も!」


 軽い命など一つもない。

 多くの人間の命を奪ってきた化物(フェグルス)だからこそハッキリそう思える。

 奪ってきた命は全て、どうしようもなく重かった。


「必死に生きようとしてる奴を、馬鹿にしちゃダメなんだよ!」


「そうじャないんだよなァ」


 否定は早かった。

 そもそもフェグルスの言葉なんて、最初から意識に入っていなかった。


「ボクを否定するな、ボクを無視するな、ボクに口答えするな、ボクを遮るな、ボクを邪魔するな、ボクを蔑むなッ、ボクを見下すな! そうやッてオマエもボクを馬鹿にするのか!? アの風情の欠片も無い実験動物みたいにッ、ボクを否定する気なのかなア!?」


 力づくでフェグルスの頭を地面に叩き付け、押し付ける。

 自分に盾突く奴らを、自分の下に、下に下に下に下に下に下に追い遣らなければ気が済まない。


「外面だけ人間に似せてェ、人の心に付け込んでェ! 薄汚い中身で全てを騙す極悪非道の怪物如きに! このボクが否定されていいわけないだろォ!!」


「怪物じゃねえ!!」


 それでもフェグルスは言う。

 額を地面に押し付けられたまま、叫ぶ。


「人間なんだよ! 赤い血が流れて! 殺されそうになれば逃げるんだよ! 怪物だ!? てめえ何様のつもりだ!! ふざけるな!!」


 感情的になっても意味などない。

 けれど、爆発した気持ちは止められなかった。


「これ以上てめえみたいな奴に人の命を好きにさせるか! 実験動物じゃない! 怪物なんかじゃない!」


 腹の底から、力の限り叫ぶ。




「あいつの名前はティーネだ!! よく覚えとけクソ野郎!!」




 烈火の如く叫んだその時。

 フェグルスは、右腕を大きく振り上げた。


 ……本当は、嫌いで嫌いで仕方がなかった。


 自分の中に渦巻く理解不能な『力』は、振るえば誰かを傷付ける。周囲の全てを無意識に巻き込んで、ただただ破壊を撒き散らし、誰も彼もを見境なく殺してしまう。そう思っていた。そう思っていたからこそ、決して使うまいと、意地でも振るうまいと、そう誓ったはずだったのに。


 結局こうなるのか。最終的にはこのザマか。

 それでも、こいつの言葉だけは、これ以上聞いていられなかった。

 一気に沸騰したフェグルスの頭は、もはやこの気色悪い魔法使いの口を止める事しか考えられなかった。

 だから。


「は―――」


 ジェミニが何か言おうとした直後の出来事だった。




 フェグルスの『力』の片鱗が炸裂する。

 振り上げた右腕が、凄まじい勢いで地面に叩き付けられた。













    ***












 風が死に、音が死に、大気が死んだ。

 腕を一本振り下ろす―――それだけの動作が巻き起こしたとは思えない衝撃波は、一瞬で地上の全てを埋め尽くした。


 フェグルスが拳を叩き付けた一点を中心に、強烈な爆風が生じる。凄まじい圧力は音速という速度で同心円状に広がり、辺り一面の景色をまとめて薙ぎ払った。莫大な余波が生み出す強過ぎる空気抵抗に、その場の全てが灼熱に包まれてしまうような気さえしていた。


 爆風は、たっぷり一〇秒も続いていた。

 地表を舐めるように席巻した衝撃波は、次第に弱まり、尾を引くように粉塵が舞い上がる。


 問題は、その衝撃をゼロ距離で喰らったジェミニだった。

 爆破の余波が当たるのではなく、自らが爆弾と化したようなその現象。

 人間の体など、一瞬で粉々になり、肉片一つ残らないような破壊。


 そのはずだったのに。




「馬鹿にするなよクズ肉が」




 一つの声が響き渡ったのと同時だった。

 ゴォッ!! という『斥力の烈風』が渦を巻く。それは大量の粉塵を内側から引き裂いて、瞬く間に吹き散らしていく。

 粉塵の中から現れたのは、痩せ細った体にボロ布を纏った、白い顔の少年。

 物理法則を操る正真正銘の怪物が、()()()()()姿()()爆心地に君臨していた。


「……いつまで、そうやッて、ボクを馬鹿にするんだ……」


 自分を襲った爆風の猛威など、まるで気にも留めていなかった。

 あれほどの破壊をものともしない。意識にも入らない。それが世界最強の領域。

 なのに。

 世界最強の少年の心は、今にも爆発してしまいそうだった。


「どいつもこいつも、ボクを見下して、嘲ッて、蔑んで、侮ッて、馬鹿にして、踏み付けて満足気に威張り散らすクズ共。……どうしてオマエら揃いも揃ッてそんなに風情がないんだよ」


 ジェミニは、どす黒く染まった両目をさらに黒く腐敗させる。

 怨念、憎悪、妄執、憤怒。

 溢れる感情のままに、言葉を吐く。


「こんなに風情のない『物語』でボクを苦しませて、興の乗らない展開でボクを押し潰して、それでまだ足りないッていうのか? どれだけ……ッ、どれだけボクを馬鹿にするつもりだア!!」


 叫びながら、ジェミニは周りの惨状を見渡す。

 どこまでも広がる荒地。ただ破壊の跡だけが刻み込まれた風景。

 そこには自分と、自分を蔑んだ罰で地面を這いつくばっている罪人だけが存在している……()()()()()

 なのに。




 いつの間にか、フェグルスの姿は消えていた。

 それだけじゃない。そこら辺に転がっていたはずのティーネの姿も一緒になくなっている。




「……け、るな……」


 また、逃げられた。

 ボクを置いてボクを残してボクを無視してボクを蔑ろにしてボクを切り捨ててボクを振り払ッてボクを見放してボクに背を向けて――――


 そうやってまた、ボクを馬鹿にする。


「ふざけるな! ふざけるなアアアアアアアアアアアアアアアア!! 卑怯者ォおおおおおおおおおおおおお!! 逃げる事しかできない不完全なクズ肉が! 正々堂々戦う事もできずに逃げる事しか頭にないゴキブリが! 出て来いッ、出て来いよォ! 今すぐボクの目の前にィ! どこに消えたア!? ボクから風情を奪うだけ奪ッて、ボクの心をこんなに傷付けるだけ傷付けたのに! 今さら逃げるだなんてアり得るか! こんな終わり方ッ、アッていいはずないだろ!! 実験動物は、あのクソ虫は! 腐れクズ肉はどこ行ッたァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」


 絶叫だけが虚しく響く。

 そこには自分以外の誰もいないというのに、そんな事実も意識の外に追い遣って、ジェミニはあらん限りの力で叫んだ。


 当然、返事などあるはずもない。

 自分の声以外、何も聞こえない。

 そこにはジェミニが一人。

 たった一人。


「くそッ! くそォ!! くそォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」


 胸を押し潰すような怨嗟と憎悪を、吐き出さなければ気が済まない。

 だけど、その声を聞いてくれる者は、誰もいない。

 そこには、少年が一人。


 ひとり。


 たったひとり。





 独り。






 

 


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